木曜日, 7月 19, 2012

狛犬さん 1202

2012.07.09 愛媛県西条市喜多川 荒神社
御祭神は 素盞男神 
創立等は 不明です

台座に 明治廾四年(1891)
卯 九月吉日
と刻まれていました

















境内の大銀杏です
横の石柱に依りますと
樹高約二十m 幹回り約五m 樹齢不詳
市内まれにみる銀杏の老大木である 幹から
下がっている乳柱を削り 蒸して飲むと





火曜日, 7月 17, 2012

狛犬さん 1201

2012.06.01 愛媛県松山市北条 鎮守神社
 御祭神は 大山積神
  境内社 新田神社 新田義貞公
        祇園神社

由緒
文永年中(1264~1274)に河野一遍上人の創祀によると
伝えられる
正長年間(1428)に御荘石見守が社殿を再築
永禄年中(1558~1570)河野氏より神田を寄進し
以後 河野一族の深く崇敬する社である

          だそうです

 狛犬さんの台座には 昭和十八年(1943)十月
     と刻まれていました

 

日曜日, 7月 15, 2012

狛犬さん 1200

2012.06.01 愛媛県松山市北条 金毘羅大権現
  このお宮さんは 十輪寺と云うお寺の境内と一緒になっています
  神仏混合時代の 名残でしょうね

  お寺の本堂の右手には春日神社
  本堂と春日神社の間に鳥居と階段があり
  それを上ると 金毘羅大権現のお社にたどり着きます

  お宮さんには 沢山素敵な彫刻がされていました
  その写真だけでも 20~30枚位撮りましたが
  まだまだ撮っていない部分が沢山あります

  境内の説明版に依りますと

金毘羅宮本殿・拝殿 二棟
金毘羅宮御神像   一躯
松山市指定有形文化財(建造物)
昭和五〇年十二月十一日指定
文治三(一一八七)年十月、讃岐
金光院(現讃岐金刀比羅宮)から仏法
護持神として金毘羅大権現を勧請し、
河野通信、通俊父子によって創建され
たと伝えられている。
本殿は扇垂木を用い、彫刻は竹田番
道、飛田円道の作品で、拝殿の蟇股に
は十二支の彫刻があり、好道の刻名が
ある。
御神像は、三宝剣を佩した修験者の
相をしており、両部神道を色濃く示し
ている。本地仏は不動明王で、秘仏と
されている。

            だそうです

  鳥居をくぐった所にいた狛犬さん達です
  台座に 千(?)時(?)天保十(1839)巳亥
             十月吉辰
        今治城下
           石工
           中谷元右ヱ門
  今治の石工 中谷 元右ヱ門 の作品は
  あちらこちらで 見かけています
  かなり大きな(有名な?)石工さんだったのでしょうか

  
















  説明板に在った 好道作の十二支の彫刻がこれです

水曜日, 7月 11, 2012

狛犬さん 1199

2012.06.01 愛媛県松山市北条 国津比古命神社
  前回の櫛玉比賣命神社の階段を降りる時
  正面に立派な楼門が見えてきます
  国津比古命神社の楼門です
  境内の説明板によりますと
国津比古命神社楼門  一棟
愛媛県指定有形文化財(建造物)
昭和二六年(1951)十一月二十七日史跡指定
昭和三二年(1957)十二月十四日史跡替
この八脚門は、慶安二(1649)年に市内
阿沼美神社に建立されたものを元禄年間
(一六八八~一七〇三)に、この地に移した
と伝えられるが、建立年については、慶長一〇
(一六〇五)年に初代松山城主加藤嘉明が
建立したものという説もある。
建築様式は、 単層、入母屋造、本瓦葺、柱は
円柱で、一部唐様をを取り入れた和様建築である。
入口の虹梁やその他の部分に後代の補修や
改築の跡があるが、虹梁の構造や蟇股などの
彫刻に創建当初の技法を残し、全体に雄大
で豪華な桃山建築の面影を伝えている。
松   山   市
松山教育委員会
だそうです

  国津比古命神社
主神  天照国照彦火明櫛玉饒速日尊
        (アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシダマニギハヤヒノミコト)
   相殿  宇麻志麻治命  物部阿佐利命  誉田別尊(応神天皇)
    国津比古命神社は古墳の上にお祭りされています。
   昔、むかし風早の郷に魂を感じた人たちがいました。
   その人たちはこの魂を国魂として素朴にお祭りしていました。
   やがて、日本の国をひとつにまとめるときがきました。
   大和朝廷は氏姓制度のなかに国造などを定めました。
   風早の郷には物部阿佐利という方があてられ、
   この方は、もともと風早にまつられていた国魂を敬い、
   なおかつ、自分の祖先である神様をも合わせておまつりし、
   櫛玉饒速日命神社と呼ばれるようになりました。
   後に、物部阿佐利命をいっしょにおまつりし、
   国津比古命神社と元の社名になりました。
    頭日(カグヒ)八幡宮と呼ばれた時期もありましたが、
   享保年間(一七一六~一七三六)に、元の社名にもどりました。
   物部氏・風早氏の氏神として発展し、河野家の崇敬厚く、
   戦火により焼失した社殿が再建されました。
   享保元年(一七四一)松山藩主の松平定喬は毎年代官を
   参拝させました。渇水のため、雨乞いの神事が行われ、
   その折、奉納された扁額が現存しています。明治四二年( 1909)、
   社格が県社になり、現在の拝殿内部は昭和六年( 1931)に
   境内拡張・斎館の整備などが行われました。
   
        そうです

  狛犬さんの台座には
  天保九戌年(1838) 
  八月吉日
 年号は 戌は読み取れたのですが  
 後は読めなかったのです
 しかし 天保年間で戌年は 九年だけのようなので
 天保九年としました
     今治石工   中谷元右ヱ門

















  楼門はお宮さんでは隋神門と言い
  門を守る神様がいらっしゃいます
  矢大臣・左大臣とも呼ばれる事があるようですが
  片方の神様は弓を持ち腰に刀を佩いた姿を
  よく見かけますが このお宮さんでは
  どちらも笏を持っております














正面からでは分かりませんが 
横から見ると 厚みが無くペタンコなのです




月曜日, 7月 09, 2012

狛犬さん 1198

2012.06.01 愛媛県松山市北条 櫛玉比賣命神社
境内の説明板に依りますと
櫛玉比賣命神社のいわれ
主神 天道日御名命
     相殿 御炊屋姫命
  国津比古命神社の主神である
  クシダマニギハヤヒノミコトの后神(奥様)を
  おまつりしているのが櫛玉比賣命神社です。
  櫛玉は、ニギハヤヒノミコトを形容する言葉です。
  その方の比売神ですから、「櫛玉の比売の命の神社」です。
  風早の先人が国津比古命神社にこの郷の国魂をまつり、
  のちに、物部阿佐利命がこの国魂も敬い、
  合わせて祖神であるニギハヤヒノミコトをおまつりしたおり、
  現在地より南方の小山に后神をおまつりしたと考えられます。
  社伝によると、寛永年間(一六一一~一六二九)に
  前方後円墳のそばに遷されました。このことから考えると、
  動座祭からの一連の神事は最大限ここまでさかのぼることが
  できます。櫛玉比売命神社は「祓座大明神」ともいわれました。
  これは当社が国津比古命神社の祓いをつかさどったなごりだと
  考えられます。動座祭に限り、櫛玉比売命神社から始まるのも
  このためです。
  享保年間、元の社名にもどりました。特殊神事として動座祭のあと
  「宵の明星」があります。
  明治四二年、社格が郷社になり、現在の社殿は
  昭和六二年(1987)に新築されました。

  両社とも風早の大氏神として多くの老若男女に
  厚く崇敬されています。特に、秋祭りに行われる「風早の火事祭」での
  動座祭から神輿落としにいたる一連の神事・行事には
  両社の特性がよくあらわれています。
  
      だそうです
  境内の石碑には 延喜式内社と書かれています

  狛犬さんは新しいもので 台座には
    一九九〇年 
    平成二年十月建立
   と刻まれていました

木曜日, 6月 28, 2012

狛犬さん 1197

2012.03.22 愛媛県宇和島市本九島 住吉神社
 本殿をぐるっと回っていると 
   塀の内側にも狛犬さんがいました

  狛犬さんの詳細は不明です
 吽形の狛犬さんの頭の上に 石が乗っていますが
 宝珠の替りなのでしょうか

















 本殿の柱の先の竜の彫刻です
 外にも色々な彫刻がありましたが どれも素敵でした


火曜日, 6月 26, 2012

狛犬さん 1196

2012.03.22 愛媛県宇和島市本九島 住吉神社
 鳥居をくぐり階段を上がった所に居ました
 この狛犬さんも 相撲の廻しのようなしめ縄が
 首に 掛けられています
 台座には 平成五年(1993)一月吉日
    と刻まれていました


















  本殿正面に 立派な角?のついた力士でしょうか
  変わった木像が 付いていました

日曜日, 6月 24, 2012

狛犬さん 1195

2012.03.22 愛媛県宇和島市本九島 住吉神社
 お宮さんの手前に在る電信柱に手書きの看板がありました
 「住吉神社 二十四輩様 ようこそ!」
 親鸞聖人の弟子24人を祀ったものだそうです
 島中に在る 小さな祠や小さな仏像の事だそうです
 120年ほど前から作られ 信仰されているそうです

 御祭神は 表筒男神 中筒男神 底筒男神
    の三柱の海の神々です
 大坂の住吉神社から 分霊してきたものでしょうね
 神社の創立等は未詳だそうです

 狛犬さん達は 赤い鳥居の手前に居ました
  台座には 大正九年(1920)九月
    と刻まれていました

金曜日, 6月 22, 2012

狛犬さん 1194

2012.03.22 愛媛県宇和島市百之浦 白王神社
   長い階段を上がった所にいた狛犬さん達です
  吽形の狛犬さんは愛嬌のある顔をしています
  しかし阿形の狛犬さんの顔は 崩れかけています
  前足は 折れてしまったのか 違う石材がかましてあります

  台座には 慶応二(1866)丙寅
         十二月吉日
    と刻んでありました

水曜日, 6月 20, 2012

狛犬さん 1193

2012.03.22 愛媛県宇和島市百之浦 白王神社
 御祭神は 伊邪那岐命 菊理姫命
  階段の下にいた狛犬さん達です
  台座に 平成二年(1990)三月吉日
    と刻まれていました

月曜日, 6月 18, 2012

狛犬さん 1192

2012.03.22 愛媛県宇和島市蛤 天満神社
階段を上がり切った所にいた狛犬さん達です

台座に 明治十四年(1881) 九月吉日
と刻まれていました

宇和島市内でよく見かけた 体を精一杯伸ばした様な
デザインの狛犬さん達です


土曜日, 6月 16, 2012

狛犬さん 1191

2012.03.22 愛媛県宇和島市蛤 天満神社
 宇和島の港から 船で20~30分で到着します
 自転車に乗れば 1時間ほどで一周出来る
  小さな島ですが 島の人々は明るく親切な方々でした
 
 少し山の方に上った所にありました

 階段の途中に居た狛犬さん達です
  台座に 昭和九年(1934)四月
   と刻まれていました

火曜日, 6月 12, 2012

狛犬さん 1190

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社境内社  
本殿に向い左手に 鳥居と手洗い鉢と灯篭
その更に後ろは 住宅街
鳥居の左右にはちゃんと狛犬さんもいます
一体何を お祀りしているのかと 社務所の方に伺いました
「以前 あそこには境内社があったのですが
壊れたので あのような形になっています」

肝心の境内社には何をお祀りしていたのか
伺うのを忘れていました

狛犬さんの台座には 安政四(1857)丁巳九月吉日
と刻まれていました


















これが 境内社跡です

日曜日, 6月 10, 2012

狛犬さん 1189

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社
二つ目の階段を上がった所にいた狛犬さん達です
台座には 昭和四年(1935)十月 
と刻まれていました


















このお宮さんの彫刻はとても素敵です

金曜日, 6月 08, 2012

狛犬さん 1188

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社
最初の階段を上がった所が広場になっています
そこに石碑があります
横の説明版に依りますと
兒島惟謙(コジマコレカタ)(元老に屈せず法守る)
天保八年(一八三七)宇和島藩(現同市)に生まれた。大審院長(現
最高裁長官)。のち貴族院議員、代議士。大津事件で”護法の神”の称
をうける。関西大学を創立。明治四十一年没、七十二歳。
明治二十四年五月十二日の早朝、首相官邸の一室へ大審院長兒島惟謙
が大阪控訴院長北鼻治房とともに入ってくる。惟謙らはたった今、前日
滋賀県大津で警備巡査・津田三蔵の凶刃に遭難のロシア皇太子(ニコラ
ス二世)を見舞われるため、京都へ行幸される明治天皇を新橋駅にお見
送りしての帰りだった。
いわゆる大津事件。津田三蔵が皇国を危うくするものと愛国者流に思
いつめての凶行だったが、相手が大国のロシアだけに朝野はふるえあが
った。政府・元老は津田を『日本皇室に対する犯罪と同じ扱いで極刑に
せよ』と決めたばかりだった。
惟謙らは別室で松方首相、陸奥農商務相と会った。大国ロシアの感情
を害さないよう”極刑”論を迫る首相らに対し『まだ電報だけで事件の
詳細がわからないが、たぶん謀殺か故殺未遂でしょう。そうだとすれば
普通人の法律でさばくより方法がない。内閣がどんな評決をされても、
法の精神に反する解決は断じてできません』
松方は『法律の解釈はそうかもしれんが国家あっての法律だ。法律が
国家より大事な理由はない。国家の重大事に区々たる法律の文字にこだ
わってはおれん』
真っ向から対立のまま会見は打ち切られたが、世界中が注視のこの
事件で、惟謙は政府・元老・議会など、時の権力による一切の干渉、圧
迫と対決し”三権分立”の信念を貫きとおし、犯人津田三蔵を無期懲役
とした。
平成十八年十月吉日
この事件の裁判に就ての話は知っていましたが
裁判官が宇和島出身だったとは知りませんでした

二番目の階段の下にいた狛犬さん達です
台座には 寛政十二年(1800)
庚申九月吉日


















この時期の狛犬さんの尻尾は まだ体に密着していますね

水曜日, 6月 06, 2012

狛犬さん 1187

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社
鳥居の傍に遭った石碑に
人實護神
南豫総鎮守 旧縣社一ノ宮宇和津彦神社は南豫
有数の古社であります。
歴代の領主も鎮守の神として恒例・臨時の祈願
の記録があり 又南豫の人々から一宮さまと親し
まれ参拝の堪えない八代であります。
平成の時を迎え 御社殿の老朽化激しく御社頭
の尊厳護持も危うい状況となり 氏子 崇敬者有
志並びに総代相議り 大方の賛同を得 御社殿改
築奉賛会を平成六年に結成し 改築の大事業に着
手致しました
深刻な経済不況の中 非常に困難な時期にあっ
たにもかかわらず大神さまのご加護のもと 各位
の格別のご理解と関係者のご協力を戴き 所期の
目標を達成することができました 
御本殿の修理 幣拝殿の改築に合わせ境内神社
の移転 境内整備等 事業を完遂し 平成九年十
月二十六日祖先の業績を讃え ご神恩に感謝し竣
工奉告祭を斎行致しました
広大な大神威に恐懼し この奉祝の心を永遠に
伝えるため ここに記念碑を建立し御社頭の隆昌
を祈念申し上げます
平成十年十月吉日
宇和津彦神社御社頭改築奉賛会
何処のお宮さんの氏子さんたちも お宮さんの保存修理に
御苦労なさっていらっしゃいます
そのお蔭で 私たちは各地のお宮さんに
参拝することが出来るのですね

鳥居をくぐり階段を上がった所にいた狛犬さん達です
台座に 昭和六十三年(1988)四月吉日
と刻まれていました

月曜日, 6月 04, 2012

狛犬さん 1186

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
本殿の前にいた狛犬さん達です
台座には昭和 三十六年(1961)十二月
越智綱雄 謹?
と刻まれていました

奉納者名の井関 邦三郎は 井関農機の創業者の名前だそうです
この人は宇和島出身です

土曜日, 6月 02, 2012

狛犬さん 1185

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
本殿に続く階段を上がった所に居ました
台座には 文化十三年(1816)丙子年春
華始上幹
大坂 石工 いせや ?三?新三郎
と刻まれていました

「華始上幹」の意味は解りませんでしたが
春と云う言葉とつなげると なんとなくのイメージは
浮かんできましたが 正確にはどういう意味なのでしょう

木曜日, 5月 31, 2012

狛犬さん 1184

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社竃神社
   竃神社と云う名前から想像すると
  台所の神様 荒神さんをお祀りしているのでしょうか
  竃神社の御祭神は 地域によっていろいろいらっしゃるみたいです

  上半身だけの狛犬さんです
   壊れても このように保存していただいてるのを見ると
  狛犬好きにとっては 感謝感謝としか言いようがありません
  
  ちょっと高知県の香りを感じた狛犬さん達です
  台座には 大正八年(1919)四月吉日
       と刻まれていました

  

火曜日, 5月 29, 2012

狛犬さん 1183

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社三島神社
随身門を抜け左に行くと いくつかのお社が鎮座しています
そのうちの一つ 三島神社の前にいた狛犬さん達です

台座に 文政七甲申(1824)
八月吉日
と刻まれていました


















三島神社の手前に神馬社がありました
お社の中には大量のわらじが奉納して有ります
馬からの連想で 旅の安全を祈ってのことでしょうか

日曜日, 5月 27, 2012

狛犬さん 1182

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
参道の先に須賀川が流れていますが
その手前に御影石造りの鳥居が立っています
この鳥居は 御影石造りとしては日本一の大きさだそうです
その前にいた狛犬さん達です
台座には 安政四丁巳歳(1857)
と刻まれていました


















 阿吽共に後ろ足に子供が押えられています

金曜日, 5月 25, 2012

狛犬さん 1181

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
御祭神は 山家清兵衛公頼(ヤンベセイベエキンヨリ)公
丸之内の和霊神社は 山家公の住居跡に
建立されたものですが このお宮さんは
山家公殺害に関与したものが次々変死した事と
山家公無罪が判明したので 
藩主伊達秀宗が 承応二年(1653)に
山家公鎮魂の為 建立したものだそうです

広い道路に面して建っている鳥居の傍にいた
狛犬さん達です
台座には 天保四年(1833)
癸巳八月
と刻まれていました


















このお宮さんには日本最大が三つあるそうです
一つは  昭和十三年建立の御影石造の大鳥居
二つ目は鼻高面
三つ目はお多福面
   お面は 二つとも太平洋戦争で焼失したそうですが
その後復元したものだそうです

水曜日, 5月 23, 2012

狛犬さん 1180

2012.03.21 愛媛県宇和島市藤江 多賀神社粟島神社
御祭神は 少彦名命
 少彦名命は 医薬の神様として有名ですが  
此処では特に婦人病に 効顕ある神様とされています
又 人形供養も行われているそうです

お宮さんの前にいた狛犬さん達です
台座には  慶応四(1868)
辰九月
石工
房吉作
と刻まれていました

月曜日, 5月 21, 2012

狛犬さん 1179

2012.03.21 愛媛県宇和島市藤江 多賀神社
本殿の前にいた狛犬さん達です
まだ 新しい狛犬さん達です

土曜日, 5月 19, 2012

狛犬さん 1178

2012.03.21 愛媛県宇和島市藤江 多賀神社
このお宮さんは とても個性的な所でした
鳥居の傍に 千五百守社(チイホモリノヤシロ)と刻まれた石碑
左側に 凸凹神堂と書かれた看板
鳥居をくぐると 男性のシンボル等の石造物の数々
間違ったお宮さんに来たのかと 思わされました

御祭神は 伊弉諾尊
他に 境内社がいくつかあり 11柱の神々が
祀られているそうです
由緒は
由緒
神功皇后摂政18年(269年)
三韓征伐の帰路に住吉太神宮に祈って
当国に太神降臨し給う宮処を教え給えと
海辺に茂る藤の木を 本未打ち断ちて海中に投げ入れれば
坂島(宇和島)の郷那多に着いた 
よって 此処に宮居を営み 藤住吉太神宮と称したという
元禄13年(1700)6月2日藤住吉宮の多賀社に横山家信仰の
多賀神璽を預け祭祀し 安永4年藤江の現在地へ移転したが
その後住吉山の藤住吉本宮は境外摂社の多賀神社に合併され
数多くの摂末社も廃滅 合併して 多賀と粟島の両神社となった
だそうです

二つ目の鳥居?の前にいた狛犬さん達です
台座には 文久二(1862)壬戌
九月吉日
と刻まれていました

木曜日, 5月 17, 2012

狛犬さん 1177

2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
本殿の中にいた狛犬さん達です
この狛犬さん達が 
市指定有形文化財(美術工芸品)

三島神社本殿の狛犬・獅子
三島神社は、社記によると大同元年(八〇六)
に大三島より勧請され、文永十一年(一二七四)
に現在地に鎮座したと伝える。その後、永仁五年
(一二九七)および永正十五年(一五一八)に社
殿を再建し、現在の本殿は元文二年(一七三七)
に造営されたものである。
三島神社本殿に奉安されたきた狛犬一対は、
形式上、室町時代中期の造像と考えられる。正
面より見て右側に安置されているのは、無角阿
形の獅子で、左側のものが一角吽形の狛犬であ
る。獅子と狛犬を組み合わせて一対とした中世
の標準作とも言うべき木造狛犬である。
両像とも前足を直立させて姿勢よく坐してお
り、本殿内陣側の前足(阿形は右足、吽形は左
足)をやや前に踏み出し、頭部を礼拝者側に向
けている。前足を直立させることのほかに、頭
部の幅が肩幅より狭いこと、顔貌がひょうきん
なこと、たてがみが体躯に密着して躍動感が少
ないこと、やや猫背ではあるが背中が急勾配に
立ち上がっていることなど、室町時代の狛犬の
特色がよく表れている。腰部のくびれも強く、
全体の姿は美しい。
保存状況は良好であるが、別木となっていた
耳が決失するなど、わずかな破損が見られる。
また当初は祭彩色が施されていたが、現状では下
地の白土が残るだけである。この狛犬は、阿形
の獅子と吽形の狛犬を組み合わせた室町時代の
標準作であり、美術的にも優れており、保存状
況も良好である。
[制作年代]室町時代中期(十五世紀頃)
平成十二年三月八日指定 宇和島市教育委員会  
と書かれている 狛犬さん達はこの狛犬さん達でしょうか

火曜日, 5月 15, 2012

狛犬さん 1176

2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
 本殿の後ろに回っていくと十柱の神様をお祀りした
   祠が並んでいました 
  一宮神社     大己貴神
  厳島神社      多紀理毘売命 狭依里毘売命 多岐都毘売命
  地三神社     生井神 栄井神 綱長井神 阿須波神 波比岐神
 金刀比羅神社  大物主神 崇徳天皇
 竜王神社     竜王神
 稲生神社     倉稲霊神
 猿田彦神社   猿田彦神
 尾串森神社   天照皇大神外六柱
 伊勢山神社   天照皇大神外十柱
 河内神社    天照皇大神外十七柱
 天一神社    天之御中主神 天照皇大神外 十二柱

 沢山の神様方の 守護をしていた狛犬さんです
 阿形の狛犬さんは きれいな状態ですが
 かわいそうに 吽形は 欠けてしまった 憐れな姿です
 台座には 文化十(1813)癸酉正月吉日
    と刻まれていました

 この狛犬さんは 仄かに高知県の香りがします

日曜日, 5月 13, 2012

狛犬さん 1175

2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
  階段を上がった所にいた狛犬さん達です
 台座には 昭和四十二年(1967)十二月
    と刻まれていました

 阿形の口の中の球は コロコロ動きます
 口中の球が動くタイプの狛犬さんを
    久し振りに見ました

金曜日, 5月 11, 2012

狛犬さん 1174

2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
御祭神は 大山祇神
由緒
大同元年(806)大三島の大山積神社より勧請したという
始め尾串森に鎮斎したが 文永11年(1274)現在の地に奉還する
(現在地も尾串森と言う)
歴世国守の崇敬社であって 永仁5年(1297)橘忠重は社殿を修めて神鏡を奉納し
後の西園寺公廣は城南 土佐国に至るまでの五郷の総鎮守として尊崇し
永正15年(1518)には社殿を建立 書写の大乗妙典66部を献じた
伊達氏も代々崇敬し 神社の下に馬場を作って正月3日には御野始めの行事があり
延慶2年(1309)貞和元年(1345)永正15年(1518)天正6年(1578)
天和3年(1683)元年2年 弘化4年(1847)と社殿再興の記録がある

            だそうです

 参道の入り口にいた狛犬さんです
 台座には 昭和 六十三年(1988)七月
     と刻まれていました

水曜日, 5月 09, 2012

狛犬さん 1173

2012.03.21 愛媛県宇和島市丸之内 和霊神社
 本殿の前にいた狛犬さんです
 台座には 平成元年(1989)五月吉日
    と刻まれていました

月曜日, 5月 07, 2012

狛犬さん 1172

2012.03.21 愛媛県宇和島市丸之内 和霊神社
御祭神は 山家清兵衛公
境内の説明板に依りますと
市指定 史跡
山家公賴(やんべきんより) の邸宅跡
ここは、和霊神社祭神山家清兵衛公賴
の屋敷跡である 。公賴は仙台藩主伊達政
宗から藩祖秀宗に付けられ、総奉行とし
て藩の創設につとめた。しかし、入部当
時の借金の返済として、政宗に十万石のう
ち三万石を割くなどの問題から、元和六
年(一六二〇)六月三十日後、反対派に
襲われ、その子三人とともに命をおとし
た。のち屋敷は藩の倉庫となり、明治初
年には丸之内和霊神社の小祠が設けられ、
明治三十一年(1898)には伊達家が敷地を寄進し、
同四十一年(1908)に宇和島城内の日吉(ひえ)神社の本
殿を移築した。また、本殿の裏の古井戸
には、四男美濃の死にまつわる伝説があ
る。
昭和四十三年一月九日指定
宇和島市教育委員会の
西側の鳥居の傍に居ました
台座には  明治三十二年(1899)八月
と刻まれていました
















御井戸 元和六年(1620)六月晦日の夜
和霊様が御一門の方々と
遭難されたとき御子
山家美濃様がこの
御井戸へ入水されま
した
後この井戸に祠をたて
てお祀いたしました
この地は当時和霊様
の御本邸であります
だそうです
 本殿の裏にひっそりと建っていました

木曜日, 4月 19, 2012

狛犬さん 1171

2012.03.21 愛媛県宇和島市丸の内 南豫護国神社
本殿の前にいた狛犬さん達です
この狛犬さんの台座に こんな人の名前がありました
「渋澤榮一」
この人は幕末から大正にかけて活躍しました
第一国立銀行や東京証券取引所等の
設立、経営に関った日本資本主義の父と
呼ばれている人です
ただ この人は武蔵国(現埼玉県)出身
愛媛県宇和島市とのつながりがわかりません

ただ 長女の結婚相手が 日本初の法学博士の一人で
東京帝国大学法学部長の穂積陳重でした
そんな関係で 狛犬さんの台座に
澁澤榮一の名前が出てきたのでしょうね

狛犬さんの台座には
大正三年(1914)四月十五日
男爵 澁澤榮一
と刻まれていました

火曜日, 4月 17, 2012

狛犬さん 1170

2012.03.21 愛媛県宇和島市丸の内 南豫護国神社
御祭神は 伊達秀宗公
御由緒は 大正2年(1913)藩主4柱を祀り
鶴島神社と称して県社に列格する
昭和20年(1945)7月に空襲で全焼したが
復興に際して戦没英霊7000余柱を合祀し
昭和30年(1955)南予護国神社と改称した
そうです

階段を上がった所に在る鳥居の傍にいました
体全体を 精一杯伸ばした様な細長い体
宇和島では よく見かけるデザインです

月曜日, 4月 16, 2012

狛犬さん 1169

2012.03.14 愛媛県松山市饒(にょう) 天満神社
 御祭神は 菅原道真公
 由緒
  旧村社  饒字本郷鎮座
  菅原道真 伊弉諾尊 伊弉冉尊
  須佐之男命 応神天皇 市杵島姫命を祭る
  創建は不詳であるが 平安末期の勧請と
  伝えられる 
  天正13(1585)歳7月小早川氏の侵入にあい
  荒廃していたのを同年の末に
  柳原左馬之丞が 饒村を預かった際
  再興したと伝えられる
  江戸時代喜田・豊田ら有志によって
  社殿の改築を行った
  昭和18年(1943)1月火災の為全焼した
  翌19年戦時中の物資不足にもかかわらず
  喜田治、得能嘉一郎、中富重昌らをはじめ
  氏子一同の協力によって 再建されたのが
  現在の社殿である
      そうです

 狛犬さんの台座には
    明治丗五年(1902)
    九月吉日
  と刻まれていました

    

土曜日, 4月 14, 2012

狛犬さん 1168

2012.03.14 愛媛県松山市中島大浦 忽那八幡宮
 本殿の塀の中にいた狛犬さん達です
  台座には 天保十二年(1842)
         丑八月吉日
        瓦師
         善六
   と刻まれていました

木曜日, 4月 12, 2012

狛犬さん 1167

2012.03.14 愛媛県松山市中島大浦 忽那八幡宮
主祭神 稲田姫命 他四神
稲田姫命は奇稲田姫命とか櫛稲田姫命と
書かれることのある素盞鳴命の妻で
稲田の神様だそうです
八幡宮の名前からすると 
応神天皇(誉田別命)も 祭祀されているのでしょうか  
遠く上代の昔 吾が祖族 万里浪を踏みて海を渡り  この忽那の島に至り住みて 相慕ひ その妣の神 稲田姫命を祀り  常世の郷と定め給ひき 茲に藤原の長者 奈良平安の御代に及び   八幡大神の神託を畏み この島を開拓き 氏神と斎き祀りて  明光霊徳七島に亘り 祖孫相励みて 至誠南朝に薫り  色変えぬ巨松 連なりて栄光を語る 夫れ 天に神あり  地に霊あり 神霊鎮まりて 祖霊相寄るの聖地 千古斧入らしめぬ杜茂り  子孫永く相享けて 願はしき常世の郷はときじくの橘の花の香ぐはしき美し島と栄えて  恩頼ここに神にと共にありぬ     
だそうですが 結局由緒はよくわかりません

 鳥居をくぐった所にいた狛犬さんたちです
  台座には 明治丗九年
        八月中旬
        石工 当村
        高??吉  と刻まれていました















 このお宮さんの社叢は 暖地植物と山地植物が
 約300種繁茂し 原始の林相を示しているそうです
 
 この樟の前に
   「楠の木千年
    1087(慶徳四年丁卯の春)
      鎮守の守り」
 と書かれた説明板がありました

 樟のサイズがわかるかと思い 自転車を前に置いてみたのですが
 少しは大きさがわかりますでしょうか