金曜日, 6月 08, 2012

狛犬さん 1188

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社
最初の階段を上がった所が広場になっています
そこに石碑があります
横の説明版に依りますと
兒島惟謙(コジマコレカタ)(元老に屈せず法守る)
天保八年(一八三七)宇和島藩(現同市)に生まれた。大審院長(現
最高裁長官)。のち貴族院議員、代議士。大津事件で”護法の神”の称
をうける。関西大学を創立。明治四十一年没、七十二歳。
明治二十四年五月十二日の早朝、首相官邸の一室へ大審院長兒島惟謙
が大阪控訴院長北鼻治房とともに入ってくる。惟謙らはたった今、前日
滋賀県大津で警備巡査・津田三蔵の凶刃に遭難のロシア皇太子(ニコラ
ス二世)を見舞われるため、京都へ行幸される明治天皇を新橋駅にお見
送りしての帰りだった。
いわゆる大津事件。津田三蔵が皇国を危うくするものと愛国者流に思
いつめての凶行だったが、相手が大国のロシアだけに朝野はふるえあが
った。政府・元老は津田を『日本皇室に対する犯罪と同じ扱いで極刑に
せよ』と決めたばかりだった。
惟謙らは別室で松方首相、陸奥農商務相と会った。大国ロシアの感情
を害さないよう”極刑”論を迫る首相らに対し『まだ電報だけで事件の
詳細がわからないが、たぶん謀殺か故殺未遂でしょう。そうだとすれば
普通人の法律でさばくより方法がない。内閣がどんな評決をされても、
法の精神に反する解決は断じてできません』
松方は『法律の解釈はそうかもしれんが国家あっての法律だ。法律が
国家より大事な理由はない。国家の重大事に区々たる法律の文字にこだ
わってはおれん』
真っ向から対立のまま会見は打ち切られたが、世界中が注視のこの
事件で、惟謙は政府・元老・議会など、時の権力による一切の干渉、圧
迫と対決し”三権分立”の信念を貫きとおし、犯人津田三蔵を無期懲役
とした。
平成十八年十月吉日
この事件の裁判に就ての話は知っていましたが
裁判官が宇和島出身だったとは知りませんでした

二番目の階段の下にいた狛犬さん達です
台座には 寛政十二年(1800)
庚申九月吉日


















この時期の狛犬さんの尻尾は まだ体に密着していますね

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