境内の説明板に依りますと
千住神社だそうです
およそ一千年前、この地は千崎という丘陵で、原
始的森林地帯であった。やがて開拓民がここに住
みつき、延長四年(九二六)に稲荷の神を勧請し、石
造の祠を建て、千崎稲荷神社として五穀の豊作を
祈願していた。
弘安二年(一二七九)氷川神社を勧請したので、二
つの神社が原始林の中に並び、「二ツ森」とも言わ
れて住民の信仰を集めた。
江戸の初期、日光街道が開通すると、千住は初
宿となり、宿場の西方にある神社ゆえ、西の森と
唱えられた。明治六年、千崎稲荷神社と氷川神社
を合祀して、西森神社と号し大正四年に、千住神
社と改称した。
祭神は、須佐之男命と宇迦之御魂命の二神を祀
り、明治七年に区内唯一の郷社に列せられた。当
社殿は昭和二十年四月十三日の空襲で焼失したが、
氏子の厚い信仰と熱誠により昭和三十三年九月、
現在の社殿(権現造り・流れ作り・神明造りの三
者混合)が完成した。
昭和六十三年二月
東京都足立区教育委員会
ご本殿の前にいた狛犬さんたちです
台座に 時惟文政十三庚寅年(1830)五月
と刻まれていました
足元にいる子犬さんたちです
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