日曜日, 5月 18, 2014

狛犬さん 1299

2013.11.16 東京都墨田区押上 高木神社
 境内の説明板に依りますと 

  高木神社
     ご由緒
    応仁2年(1468)の創祀と伝えられており、
  旧寺島新田の鎮守として尊崇されてきました。
  ご祭神は高皇産霊神(高木神)と申し、古事記や
  日本書紀によれば、天孫降臨の際の国護り伝承や
  仲武東征などに度々登場し、天照大御神に
  助言するなど政治的な手腕をふるってきました。
   以上の神話かつ「万物生成」「人間関係を調整する」
  「交渉事を成就させる」などの尊いご神徳があると
  信じられて今日に至っています。

          だそうです

 この狛犬さんたちは
    弘化2年(1845)9月吉日再建
         だそうです

金曜日, 5月 16, 2014

狛犬さん 1298

2013.11.15 東京都台東区浅草 浅草神社
 本殿の前にいた狛犬さんたちです
 
 台座に 昭和三十八年(1963)五月吉日
   と刻まれていました


水曜日, 5月 14, 2014

狛犬さん 1297

2013.11.15 東京都台東区浅草 浅草神社
 境内の説明板に依りますと
浅草神社
   明治初年の文書によると、
  祭神は土師真中知命(ハジノマツチノミコト)・桧前浜成命(ヒノクマノハマナリノミコト)・桧前竹成 命(ヒノクマノヤケナリノミコト)・東照宮である。浜成と竹成は
  隅田川で漁猟中、浅草寺本尊の観音像を網で拾い上げ
  た人物、真中知はその像の奉安者といわれている。三
  神を祀る神社なので、「三社様」と呼ばれた。しかし鎮
  座年代は不詳。東照宮は権現様すなわち徳川家康のこ
  とで、慶安二年(一六四九)に合祀された。以来、三社
  大権現といい、明治元年(一八六八)三社明神、同六年
  浅草神社と改称した。
   現在の社殿は慶安二年十二月、徳川家光が再建した
  もの。建築様式は、本殿と拝殿との間に「石の間」(弊
  殿・相の間ともいう)を設け、屋根の棟数の多いことを
  特徴とする権現造。この社殿は江戸時代初期の代表的
  権現造として評価が高く、国の重要文化財に指定され
  ている。毎年五月に行われる例祭は「三社祭」の名で知
  られ、都指定無形民俗文化財「びんざさら」の奉演、百
  体近い町神輿の渡御があって、人々が群集し、賑やか
  である。
     平成六年三月
         台東区教育委員会
 

              だそうです

 この狛犬さんたちは
    天保七年(1836)建立
        だそうです

 
 

月曜日, 5月 12, 2014

狛犬さん 1296

2013.11.15 東京都台東区千束 吉原神社
 
 ご祭神は多分 倉稲魂神
 本殿の前の提灯に 玄徳稲荷 明石稲荷 開運稲荷 
    榎本稲荷 九郎助稲荷 弁財天 とありましたので

 弁財天は少し離れてところに 祀られているのがそうなのでしょう

  狛犬さんの台座には 昭和廿八年(1953)六月十八日
       と刻まれていました

土曜日, 5月 10, 2014

狛犬さん 1295

2013.11.14 東京都中央区日本橋小網町 小網神社
 ご祭神は 倉稲魂神 市杵島比賣神 福禄寿他
 
  武蔵国豊島郡入江のあたりに
 恵心僧都の開基と言われる
 観世音と弁財天を安置する庵があったそうです
 文正元年(1466) 庵の周辺で悪疫が流行
 そんな時 海で網にかかった稲穂を持った
 老網師が 数日庵で過ごしたそうです
 当時の庵主の夢枕に 恵心僧都が立ち
 老網師を 稲荷大神と崇めれば
 悪疫が消滅すると 告げました
 翌朝 老網師の姿はありませんでしたが
 村人たちと 稲荷大明神と称え
 日夜祈願したところ 悪疫が収まったそうです
  領主太田持資(道灌)も この神徳を聞き
 当神社に詣で 寄付したそうです
 慶長年間(1596)に この辺りを小網町と
 名づけられ 当神社を氏神としたそうです
  
  現社殿 神楽殿は 明治神宮造営の工匠長
 内藤駒三郎大工一門により 昭和4年造営
  第二次世界大戦にも戦禍を免れ
 日本橋地区に残されている唯一の
 木造檜造りの神社建築だそうです

 境内らしきものはほとんどない
 建物だけが 寄り集まったようなお宮さんでした
 ゆっくり拝見したかったのですが
 工事中で 邪魔にならないように
 急いで出てしまったのが心残りでした

 狛犬さんたちは
   昭和4年(1929)9月建立だそうです

 

  

木曜日, 5月 08, 2014

狛犬さん 1294

2013.11.14 東京都中央区日本橋茅場町 山王日枝神社
 中央区永田町にある 山王日枝神社の摂社だそうです
 寛永年間(1624~1345)に 当地をお旅所と定め
 遥拝所が設けられたそうです

 御祭神は  大山咋神 
  相殿として  浅間大神 菅原大神 稲荷大神
    が祀られているそうです

 鳥居のそばで 狛犬さんたちが空を見上げていました
 台座には 昭和九年(1934)六月
        石匠 水道橋
             野村保太郎
   と 刻まれていました

火曜日, 5月 06, 2014

狛犬さん 1293

2013.09.27 愛媛県今治市菊間町 厳島神社
 菊間町は瓦の生産地です
 瓦屋さんは沢山ありますが
 廃業したところも 多いようです

 大きな球に足を乗せたスタイルは
 松山市内でもよく見かけますが
 子供連れは 珍しいですね

 台座には 明治卅?年
        十二月吉辰  と刻まれていました
  明治三十年は  1897年になります

日曜日, 5月 04, 2014

狛犬さん 1292

2013.09.15 愛媛県松山市桜谷町 伊佐爾波神社
 このお宮さんには何度も行ったのですが
 今回初めて気づきました

 ご本殿の前に居ました
 詳細は不明です

金曜日, 3月 28, 2014

狛犬さん 1291

2013.08.11 神戸市中央区宮本通 筒井八幡神社
 平安時代に宇佐八幡宮から勧請されたそうです
 ご祭神は 応神天皇(八幡大神)

 古くからこの地に清水が湧き出て
 湧き水に井筒を設けて利用したそうです
 その事から 筒井と言う地名が起こった
 今も 境内につつの井があります

 このお宮さんの大鳥居は
 阪神大震災との時粉々に倒壊し
 現在の鳥居に
 「復興阪神淡路大震災」の文字が刻まれています

 狛犬さんの台座には
   明治四十年(1907)十二月建之
    石工 岸田亀三良   と刻まれていました

   

 

 

水曜日, 3月 26, 2014

狛犬さん 1290

2013.06.03 埼玉県春日部市八丁目 八坂香取稲荷合社
 ご祭神は 八坂神社 素盞鳴命
        香取神社 経津主命
        稲荷神社 豊受姫命
 

 このお宮さんも 合祀令の影響なのでしょう
 本来一緒になるはずの無い神様が
  一つのお社に祀られています

鳥居をくぐったところにいた狛犬さんたちです
調べてみると 明治23年(1930)建立 となっていましたが
台座に ?元甲子年三月吉? の日付があります
 

甲子の年は  昭和五十九年(1984)
          大正十三年(1924)
          元治元年(文久四年)(1864)
          文化元年(享和四年)(1804)

 石の表面が剥離していて詳しくはわかりません
















 この狛犬さんたちは獅子山と言う形です

 


















 足元にいた子供たちです

 

月曜日, 3月 24, 2014

狛犬さん 1289

2013.06.03 埼玉県春日部市粕壁 東八幡神社川久保雷電神社
 東八幡神社の境内は広く 
 末社?摂社?がいくつか お祀りされていました
 

 祭神 別雷命
     群馬県板倉の雷電神社を勧請する。
     古時川久保地区の氏神として祭ら
     れていたが、明治末期の頃政府の
     神社統合令にもとづき、当境内に
     合祀される。
          だそうです

土曜日, 3月 22, 2014

狛犬さん 1288

2013.06.03 埼玉県春日部市粕壁東2丁目 東八幡神社
境内の説明板に依りますと
東八幡神社
当神社は誉田別尊(第十五代応神天皇)をお祭する
春日部市内有数の古社で現在の氏子区域(旧町名)は、元町、本町、
三枚橋、一宮町、大砂、東町、川久保及び太田の八町内であります。
東八幡神社は古き昔から氏子の人々を始めとして近郷近在の
多くの人達から下の八幡様の愛称で親しまれ篤い崇敬を、
集めてまいりました。
口碑によると京都、男山に鎮座する「石清水八幡宮」から分霊を勧請
し、氏神としてお祭りしたものと伝えられており、家内安全、商売繁盛、
五穀豊穣、厄除開運の神として広大なご神徳を輝かしめております。
文化財
本殿彫刻  本殿に施された彫刻は素晴らしく県内神社の
        なかでも貴重なものである。
大神輿    大神輿は隔年ごとの秋の例大祭に氏子町内を巡
        幸し、そのさいには必ず元新宿八幡神社に渡御
        する習わしとなっている。
獅子頭        約三〇〇年前から伝わる大きな獅子頭一対は
                     神輿と一緒に渡御する習わしである。
随身像       右大臣・左大臣一対の随身像が安置され、
                    本殿をお守りされている

                                                      だそうです

 境内には樹齢約六百年の大欅があり
 大木大好きな私にはたまりませんでした

 
 拝殿の前にいた狛犬さんたちです
 台座には 文久三年(1863)八月
        十五日建
    と刻まれていました



 阿吽双方の足元にいた子供たちです


土曜日, 3月 08, 2014

狛犬さん 1287

2013.06.01 埼玉県川越市宮下町 川越氷川神社護国神社
 この神社は 西南の役以降の川越出身の
 戦没英霊を お祀りしているそうです

 この狛犬さんたちは
 昭和十年(1935)四月建立
   だそうです
 阿吽形共に 鋭い牙が特徴的です


 
 














 阿形の足元にいる子供です

木曜日, 3月 06, 2014

狛犬さん 1286

2013.06.01 埼玉県川越市宮下町 川越氷川神社
 ご本殿の前にいた狛犬さんたちです
 阿形吽形共に頭に宝珠が ついてます

 台座には  明治五年(1872)
     と刻まれていました
 他にも文字が刻まれていましたが
  読み取ることが出来ませんでした

火曜日, 3月 04, 2014

狛犬さん 1285

2013.06.01 埼玉県川越市宮下町 川越氷川神社柿本人麻呂神社
 ご祭神は 素盞鳴尊 奇稲田姫命 大己貴命
        手摩乳命 脚摩乳命
 素盞鳴尊と奇稲田姫命はご夫婦
 その子供が大己貴命
 手摩乳命と脚摩乳命は奇稲田姫命の御両親

川越氷川神社は今から約千五百年前
   古墳時代の欽明天皇二年に創建されたと
   伝えられています
   室町時代の長禄元(1457)年
   太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来
   城下の守護神・藩領の総鎮守として
   歴代城主により篤く崇敬されました
   江戸時代に入ってのちも歴代の川越藩主より
   社殿の造営や特別の計らいを受けました
   現在の本殿には緻密な彫刻が施されており
   県の重要文化財となっています
   また 昔より縁結びの神様としての振興を集め
   人々の五円を取り持ってまいりましたのは
   お祀りしている五柱の神様(ご祭神)にあります
  

       だそうです

 この狛犬さんたちは  正面鳥居をくぐってすぐ左手
 柿本人麻呂神社に居ました

 百人一首の
    あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の
     ながながし夜を ひとりかも寝む
  の歌が 一番知られてます

 学問・歌道の神様であり
 ひとまる→火止まる で防火の神様
 ひとまる→ひとうまる で安産の神様
   として信仰されています

 この狛犬さんたちは
   享保三年(1718)九月吉日建立
    だそうです
 阿形の足がおさえているのは
 球ではなく 蹴鞠の毬のように見えます
 又 頭 には 穴と言えばいいのでしょうか
 窪みがあります

水曜日, 2月 19, 2014

狛犬さん 1284

2013.05.31 埼玉県川越市富士見町 愛宕神社
 ご祭神は 火産霊神
 境内の説明板によりますと
  愛宕神社古墳
      (市指定・史跡)
    仙波大地の東南端上に築かれたもので、
   かってこの付近一帯には
   六つ塚稲荷の名称から考えても
   多くの古墳群が存在していたことがうかがえる。
   高さ六メートル、東西三十メートル、
   南北五十三メートルを有し、
   基壇のある二段築成の円墳で、
   幅約六メートルの周溝が
   東南の斜面を除いて巡っている。
   六世紀中葉期のものと思われる。
   現在は愛宕神社が祀られている
       昭和六十三年三月
         川越市教育委員会

      だそうです

  又別の資料によりますと
愛宕神社
  地形は、高さ六メートル、東西三十メートル
 南北五十三メートルの円墳で
 父塚といわれ川越市の指定文化財になっています。
 鎌倉時代(一一八二~一三三一)いまから七~八百年前、
 武蔵七党の一つに属した仙波七郎高家の墓という説があります。
 祭神は火産霊神(ホムスビノカミ)で、一五九三年・・・文禄二年正月、
 山城の国(今の京都の愛宕山から
 分霊を奉祭したものと伝えられています。
 古来より火伏の神、麻疹(ハシカ)の神として信仰されてきました。
 麻疹が軽く済むようにと母親が子供を抱いて
 社殿櫓の下をくぐり抜ける習わしがあります。
 その祭礼は、七月二十四日で、
 七月十三日の浅間神社(母塚・・・初山)の後に行われています。

             だそうです

 狛犬さんの詳細は 不明です
 顔、前足等かなり欠損箇所が沢山ありますが
  まぁるいお目目がかわいい狛犬さんたちです

 本殿のお社の台座に
  大正十二年九月一日大地震就本殿倒壊 
 
  仝年十月雨建起ユ仝十三年七月落成
     大仙波
    崇敬者一同
   と刻まれていました

 大正十二年(1923)の大地震といえば
 関東大震災のことです

 狛犬さんもその時被害にあったのかもしれません

月曜日, 2月 17, 2014

狛犬さん 1283

2013.05.31 埼玉県川越市南通町 川越八幡宮
 拝殿の前にいた狛犬さんです
 台座には 嘉永六年(1853)
        癸丑
        十一月
     と刻まれていました

土曜日, 2月 15, 2014

狛犬さん 1282

2013.05.31 埼玉県川越市南通町 川越八幡宮
 御祭神 応神天皇
  宇佐八幡宮より勧請されたと伝えられてるそうです
 ご由緒は
 当社・川越八幡宮は、
第68代・後一条天皇の時代の
長元3年(1030)に甲斐守源頼信によって
創祀されたと伝えられています。
 長元元年(1028)、下総国(千葉)の城主前上総介平忠常は
朝廷に謀反を企て、安房、上総、下総の3カ国を従わせ、
大軍を起して武蔵国に攻め入りました。
この乱は長元の乱と言われ、
3年に渡り鎮圧できませんでした。
有力武士だった冷泉院判官甲斐守源頼信が
長元3年に平忠常追討の綸旨を賜りました。
 源頼信は当地で必勝祈願を行い、
敵陣に切り込んだところ、
忠常の軍勢はたちまちに乱れました。
そして三日三夜の間、追討してついに乱を平定しました。
頼信は神様の御神威に深く感謝して、
すぐに当地に八幡神社を創祀しました。
これが当社の創建です。
 当時このあたりは、
豪族河越氏の所領で鎌倉時代、
神社後方に川越氏の館がありました。
応永32年(1425)には、
関東管領足利持氏河越兵庫助のはと館跡地の半分を
当神社に日伴料として寄進したといわれています。
長禄元年(1457)、川越城が完成しました。
築城の名手だった太田道灌は当神社を篤く崇敬し、
分霊を川越城内の守護神として奉斎しました。
 爾来、川越の歴代城主、城代の崇敬が深く、
特に天正18年(1590)以来の城主・酒井氏一族の崇敬はすこぶる篤く、
社殿の造営、神田、神宝の寄進が相次ぎました。
酒井氏は国替後も崇敬を加え、しばしば改築費、修繕費等を奉納しました。
文花9年7月1日(1812)、姫路城城主・酒井雅樂頭源朝臣忠衛は
御神号「川越八幡宮」(文字は向鳩形)の額と掛物一幅を奉納しました。
寛永2年(1625)には、徳川家光公が日光社参の折、
酒井備後守忠利が道中安泰の祈願をし、
その功により葵紋付祭器具の寄進がありました。
 明治維新の際には、別当万蔵寺を廃しましたが、
河越城主の地の人々は当社を川越の守護神として崇敬しています。
昭和51年(1976)秋に、当社は埼玉県にて一社、
神社本庁第一次神社振興対策モデル神社にしていされました。
 創建から約980年、今も相変わらず当社は篤い崇敬を受け、
関東一円より多くの皆様からご参拝をいただいております。

      だそうです   
 
 拝殿へと上がっていく階段の下にいました
 台座には 昭和五十八年(1983)一月一日
           と刻まれていました

  


 












 境内にこんな神様がいらっしゃいました
 「ぐち聞きさま」です
 この神様は聖徳太子のお姿だそうです
 聖徳太子は一度に十人の訴えを聞きわけたと言われ
 多くの人々の悩みを救っていた と言う事から
  ぐち聞きの神様だそうです

月曜日, 1月 27, 2014

狛犬さん 1281

2013.04.05 姫路市本町 姫路神社寸翁神社
  拝殿の中にいた狛犬さんです
 詳細は不明です


















 神社の境内の入り口に門扉がありました
 門扉には 家紋が二つ
 剣片喰は姫路城藩主酒井家の家紋
 鷹羽は河合(寸翁)家の家紋のようです

土曜日, 1月 25, 2014

狛犬さん 1280

2013.04.05 姫路市本町 姫路神社寸翁神社
 境内の説明板に依りますと
境内社
 寸翁神社
姫路藩経国済民の先覚者、
    河合寸翁命を祭祀する。
     河合寸翁命は、
   播州一円の産業の開発、
   経済の振興に多大の貢献があり、
   現在の大姫路市の産業発展の基礎を
   確立された。
    又、仁寿山黌を起し、碩学頼山陽、
   大国隆正らの学者文人を招聘するなど、
   文学振興の祖とも讃仰する
   郷土の偉人である。
   昭和三十二年、商工産業界の奉賛により
   社殿の造営なる。
だそうです

 寸翁は晩年の号で 
 河合道臣(かわいひろみち ・みちおみ)と言い
 江戸時代後期の姫路藩家老でした
 当時七十三万両もの借金があり
 藩主ですら 日常生活にさえ支障を
 起こすほどの貧乏藩だった姫路藩を
 立て直した逸材だったそうです
 明和四年(1767)生まれ
     天保十二年(1841)没

 社殿前にいた狛犬さんです
 台座には 昭和四年十二月
     と刻まれていました

木曜日, 1月 23, 2014

狛犬さん 1279

2013.04.05 姫路市本町 姫路神社
 境内の説明板に依りますと
 姫路城鎮護
姫路神社御由緒
       徳川内府大政を奉還し、
      王政復古の大号令が発せられ、
      明治維新を迎える。
       明治四年(1871)、廃藩置県の改革成るに及んで、
     姫路藩十代、百二十年余、
     世々領主として全盛に勤められた境目も為に、
     東京移住を令せられたのであります。
      茲に、永年恩恵に浴した領下四民は、
     欽慕の情止み難く、旧藩主大年寄、大庄屋等発起し、
     相謀って、神東郡姫路本町五十、五一、五二、番の
     合併地五百八十八坪 余を取得し、
     明治十二年(1879)一月、官許を得て社殿を創建、
     酒井家遠祖新田義貞公の裔、
     烈祖正親公を奉祀し、
     報本反始の誠を致したのであります。
     明治十七年(1884)三月、県社に加列せられ、
     春秋の祭儀も次第に多様盛大を極め、
     御霊社の呼称と共に、
     姫路市民の精神的支柱として
     その尊崇を集めてまいりました。
然るに、この地は民家に隣接し、
    且つ狭隘なりを以て、
    大正十四年(1925)十一月、広く市民の奉賛を得て、
    縁故深い姫路城内官有地、
    一千九百七十四坪余を大蔵省より買受け、
    社殿を新築、昭和二年(1927)六月御遷座、
    爾来奉斎して今日に至るのであります。
     偶、当地は、姫路城天守閣の東北隅の要地を占め、
    春は桜花爛漫秋は紅葉彩る神域にして、
    まさに姫路城鎮護神社に応しい立地を
    兼ねるというべきであります。
     昭和三十六年(1951)十月、酒井藩歴代城主を配祀し、
    名実共に姫路城鎮護神社として鎮座されるのであります。     
だそうです

 本殿の前にいた狛犬さんです
 台座には 昭和四年(1929)十二月
        石匠 姫路 奥田
    と刻まれていました

火曜日, 1月 21, 2014

狛犬さん 1278

2013.03.16 鳥取県鳥取市相生町 大森神社
 脇参道と云えばいいのでしょうか
 正面でなく 横に抜けていく参道にいた狛犬さんです

 台座に 昭和六年(1931)
      辛未二月吉日
   と刻まれていました

 可哀想に阿形の顔が
  ざっくりとえぐれています

日曜日, 1月 19, 2014

狛犬さん 1277

2013.03.16 鳥取県鳥取市相生町 大森神社
 本殿の前にいた狛犬さんです
  詳細は不明です
 少しヒビが入っているのが気になります





金曜日, 1月 17, 2014

狛犬さん 1276

2013.03.16 鳥取県鳥取市相生町 大森神社
 鳥居をくぐり 参道をまっすぐ進んで行くと
 鳥取に来たら是非逢いたい狛犬さんがいました

 台座には明治九年(1876)
       丙子九月吉日

       井上覚平
       石谷傳六  作
   と刻まれていました


水曜日, 1月 15, 2014

狛犬さん 1275

2013.03.16 鳥取県鳥取市相生町 大森神社
  ご祭神は 大己貴神 少名毘古那神 事代主神
  大己貴神は大国主神の別称
  若いころの名前だそうです
 少名毘古那神は 大国主神の国造りを
  手伝った神様だそうです
 事代主神は 大国主神の息子ですね

 創建年代は不明のようです

 鳥居の前にいた狛犬さんです
  台座には 平成十九年(2007)五月吉日
    と刻まれていました

 

月曜日, 1月 13, 2014

狛犬さん 1274

2013.03.16 鳥取県鳥取市寿町 火伏神社
 火伏の神様としては
 愛宕神社の「愛宕権現」
 秋葉神社の「秋葉大権現」が有名ですが
 こちらのお宮さんのご祭神は わかりません
 火伏と言う名前が付いているので
  防火の神様でしょうね

 狛犬さんの詳細は不明です
 阿吽形 どちらも顔が悲惨な状態です

 阿形(多分)の足の間に 狛犬さんの顔らしき物が
  置かれていました

 
 















 境内の片隅の小屋?の中に
 狛犬さんの顔が 置いてありました
 形状から 阿形の顔だと思われます

 

土曜日, 1月 11, 2014

狛犬さん 1273

2013.03.15 鳥取県鳥取市伏野 伏野神社
 この狛犬さんたちは 前回の狛犬さんの
 先輩たちですね
 
 吽形も原型が解らないほどですが
 阿形は完全に壊れていました
 台座に乗っているた破片をよく見ましたが
 狛犬さんの破片らしきものは見つけられませんでした
















 村落を抜けようとするあたりに 常夜灯が立っています
 その常夜灯の上にいた狛犬さんです
 阿形のみで 吽形はどこにもありませんでした
 口の中の球が 動きそうだったのですが
 残念ながら 確かめられませんでした


木曜日, 1月 09, 2014

狛犬さん 1272

2013.03.15 鳥取県鳥取市伏野 伏野神社
 ご祭神・ご由緒は不明です
 参道の途中に 宝暦十三 (1763)癸未の
 日付の入った 石柱がありました
 創建はそれ以前とすると
 それなりに古いお宮さんのようです

 狛犬さんの台座に  昭和十六歳(1941)
               四月吉日
  と刻まれていました
















  狛犬さんのお腹の下の部分が
  くり抜かれていました
  写真でわかりますでしょうか

 

火曜日, 1月 07, 2014

狛犬さん 1271

2013.03.15 鳥取県鳥取市白兎 白兎神社
 境内の説明板に依りますと
白兎神社
 大黒さまと白うさぎの神話で知
られ、「古事記」「日本書紀」にも記
されている由緒ある神社である。
 神話にゆかりの白兎神を祭り、
皇室の紋章である菊花を型どった
菊座石が社殿の土台に使われてい
る。
 神社の前には、いかなる旱天・
豪雨にも水の増減がないという「
不増不減の池」があり、神話によ
ればこの池で、皮をむかれた赤裸
の白兎が真水で身体を洗い、ガマ
の穂でくるんだ、といわれている
 鳥居をくぐり、石段を上った右
手には、言語学者、北里翁の詠ん
だ「ワニの背に似たる岩見ゆ蒲な
らぬ、浪の花散る気多の岬に」の
歌碑が立っている。
 
だそうです

 本殿の 手前にいた狛犬さんです
 台座に  昭和十年(1935)
       十月十七日
       凱旋記念
   と刻まれていました

 満州事変は 1931~1932年
 1937~1945年は日中戦争から第二次世界大戦
 満州事変から第二次世界大戦が終わるまでを
  十五年戦争とも呼ぶそうです
 昭和十年(1935)年に凱旋したというのは
 満州事変から日中戦争の間に
  中国から 帰国してきたのでしょうか

















 本殿を支えている菊座石です


   

土曜日, 1月 04, 2014

狛犬さん 1270

2013.03.15 鳥取県鳥取市東町 長田神社
 ご祭神は 
 事代主神・猿田彦神・誉田別尊・菅原道真命
 ご由緒は
  創設は不明のようです
    鳥取市久松山に 長田大明神と称し鎮座し
  産土神として崇敬されていたそうです
   天文十四年(1545)因幡国布勢城主
  山名誠通が久松山に築城した際
  城外の東南の山麓に奉遷し
  以後 この谷を御宮谷と称しているそうですが
  谷奥に上水地を三か所築造したので
  水樋戸谷とも言うそうです
   天正九年(1581) 十月 羽柴秀吉が
  鳥取城を攻略 この社に戦勝祈願をした
  そうです
  又 鳥取城主だった山名豊定及び
  豊国吉川経家宮部継潤の諸将が
  この社を鎮守の神として崇敬したそうです
   旧幕政御櫓日記寛保二年(1742)
  正月二十二日に
  「覚、前々数度書付を以て申上候通り
  長田大明神往古御城内(久松城)鎮座の節は
  社頭も大社にて年中数度の祭礼神事も御座候処
  天正の兵乱以後中絶仕云々」と記されているそうです

 鳥居の手前にいた狛犬さんです
 詳細は不明ですが 伏せたスタイルで球を持っているのは
 初めてだと思います

木曜日, 1月 02, 2014

狛犬さん 1269

2013.03.15 鳥取県鳥取市国府町宮下 宇部神社
 因幡一之宮です
 境内の説明板に依りますと
因幡一之宮 宇部神社
   ご祭神武内宿禰命は上古、
   景行天皇以下五期の天皇に歴任され、
   奥羽から九州の果てまで東奔西走、
   日本の発展に努力され、さらに
   神功皇后を御輔けして日本の統一に
   尽力されました、また応神天皇の
   ご成長を見守られながら
   大陸文化を導入されて平和と繁栄の
   礎を築き国の功神として我が国最初の
   大臣とされました。
   武内宿禰命は仁徳天皇五十五年
   因幡国に下向され御社背後の亀金岡にて
   双履を残し、三百六十余歳を以て
   昇天されました。
   この由緒をもって創建された
   宇部神社は平安時代には
   名神大社、因幡一之宮として尊崇され、
   明治四年(1871)には国幣中社に列せられました、
   また明治三十二年(1899)、現在に御社殿新築のおり
   命の御尊像と共に当社全景が全国で
   最初に紙幣に載せられ、
   以後大正、昭和と五円、一円紙幣で
   広く国民に親しまれて来ました。
   古くから福徳長寿、厄除の神として、
   また病気平癒交通安全や子供の成長を祈り、
   さらに志を打ち立てる社として
   広く崇敬されております。
  
だそうです

 入り口にいた狛犬さんです
 台座には 昭和六十三年(1988)十一月
        石工 土橋充朗    と
    刻まれていました