日曜日, 8月 31, 2008

狛犬さん 564

2008.06.11 兵庫県丹波市柏原 柏原八幡神社(かいばらはちまんじんじゃ)
 御祭神は誉田別命(応神天皇)・姫三柱之命・息長足姫命(神功皇后)
 説明板によりますと
 
八幡神社(本殿および拝殿)
   万寿元年(一〇二四)男山八幡の別宮として創建
  後明智光秀の丹波攻めで戦火にあったが 天正十年(一五八二)
  豊臣秀吉が 武将堀尾茂助に命じて再建させた
   構造形式は 本殿・拝殿がつゞいた複合社殿で 
  三間社流造 桃山期の手法で 各部の彫刻は室町時代の様式である
   大正二年国の特別保護建造物・昭和二年国宝・昭和二十五年国の重要文化財に
  指定され 昭和五十年一月から二十一か月をかけ 
  国庫補助事業として 本殿は半解体・拝殿は解体修理が行われた

 境内に入ると 本殿の後ろに三重塔が見えます
 この塔は文化十~十二年(1813~1815)に建立されたものだそうです
  江戸時代の神仏混淆当時の名残を留めた 数少ない建造物だそうです
 神社境内に塔があるのは 全国で18例しかないそうです

 また狛犬さんですが これも説明板があり
 
狛犬
  柏原が生んだ名工佐吉村上源照信が 文久三年(一八六三)に刻んだものである
 向って右は阿像(雄)左は吽像(雌)である
  佐吉は幼時当町大新屋在の名工初代難波金兵衛の養子となり
 義弟二代目金兵衛が生まれたので 大阪に移って精進した
  この狛犬は 彼の腕にの女儒者亀井少琴の書という
     昭和五十三年十月十八日   柏原町指定文化財

 狛犬さんの台座には 文久元年(1861)辛酉五月   と刻まれていました
 また他にも 作? 村上源照信〈花押〉
       當所 石工 仁兵ヱ     と刻まれていました        

土曜日, 8月 30, 2008

狛犬さん 653

2008.06.11 兵庫県丹波市山南町 若宮神社
 前回の高坐神社の傍にあったのですが 手前にある川に金網があり
 お宮さんに近づくことが 出来ませんでした
 狛犬さんの横にある灯篭に 春日社と 書いてあるようです

金曜日, 8月 29, 2008

狛犬さん 562

2008.06.11 兵庫県丹波市山南町谷川 高坐神社
 御祭神は 高倉下命(たかくらじのみこと)だそうです
 しかし「高倉下」と言うのは 神様と言うより 普通の人のようなんですよ

 神武天皇(神倭伊波礼毘古命)東征の時 熊野まで来たところ 窮地に陥りました 
 天照大神はタケミカヅチノミコト(建御雷之男神・武甕槌神)
 に助けに行くように命じましたが タケミカヅチノミコトは 
 タカクラジの倉に剣一振りを落とし カムヤマトイワレビコ(神武天皇)に
 渡すように 言いました
 タカクラジがカムヤマトイワレビコに剣を渡すと 悪者たちは 一気にやられたそうです

 その時の剣 布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は 
  奈良県の石上神社(いそかみじんじゃ)のご神体となっています

 説明板によると
 
県指定文化財 高坐神社本殿
  指 定 年 月 日  昭和五十一年三月二十三日
  所有者・管理者  高坐神社
   高坐神社は丹波国造の創立といわれ その祖神高倉下命及び
  祖神に関係深い四柱の神を配祀している もと町内金屋にあったのを
  弘治三年(1557)に今の地に移したと伝えている
  現社殿は 宝永二年(1705)に上棟 同三年二月に遷宮されている
   身舎正面桁行五間・梁間二間・庇一間の流造で
  一間の唐破風造の向拝を付け 背面は柱間六間 檜皮葺屋根正面に
  双千鳥破風をおくという特異な形式をもっている
   斗栱は和様三手先で 手挟・蟇股・板支輪の彫刻や妻組の構成に
  当時盛行した手法が駆使されて 他に例のない貴重な遺構である
                平成4年11月
                      兵庫県教育委員会

 とても神寂びたお宮さんでした

 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)八月吉日  と刻まれていました

 本殿の階段の下にこんなものがありました
 何か奉納するときにでも使うのでしょうか
 中央にこんな可愛い狛犬さんが 付いていました

木曜日, 8月 28, 2008

狛犬さん 561

2008.06.11 京都府宮津市伊根浦 新井埼神社
 御祭神は 事代主神・宇迦之御魂神とされているそうですが 
  今では徐福を祀っているそうです
 御神体は30cm余りの男神・女神(童男・童女)像だそうで
  このためこのお宮さんを 童男童女宮(とうなんかじょぐう)とも呼ぶそうです
 前回の石碑が これで少しわかったような気がします
 創建は長徳四年(998)七月七日とされているが
 記録としては文禄年間(1592~1595)に建立された社を
 寛文11年(1671)4月再建に着手し、同年9月16日に完成しているそうです   

 本殿の前に居た狛犬さんです
 台座に 天保十三年(1842)寅八月吉日  と刻まれていました
  がしかし 他の所に 天保七年(1836)申八月と書かれていました
 どちらが正しいか 今になってはわかりません
 狛犬さんの顔は 良い顔していますね
 吽形の頭には 小さな角があります

水曜日, 8月 27, 2008

狛犬さん 560

2008.06.11 京都府宮津市伊根浦 新井埼神社
 秦の始皇帝からの命令で 不老長寿の霊薬を求めて 蓬莱国に船出し
 到着したのが このお宮さんのある所だとか
 「京都の自然二百選 徐福伝説の地(新井埼神社)」だそうです
 入口に石碑があり その裏側にこんな文章が
 
新大明神口碑記の由来
   安政六年新井の村で四十六人が亡くなった
   村人は祖先神新大明神を祀り この難局窮地からの脱出逃避を祈願した
   時の玉林寺住職延利氷峯子需に応じて 口碑記を著わし
   初めに新大明神を始皇帝奉侍の童男女であるとし
   その時を人皇七代孝霊天皇の御宇と断じている
   更に始皇帝の命を受け眞人不死の神薬を求める史記に触れる
   次いで来意をきくに村長との問答の中で 咸陽宮や竜宮城の體為が語られ
   最後に古伝に倣って 素盞鳴尊と牛頭天王を習合
   その上に新大明神を重ねて 避邪避病の神を出現させている
   これには贅記があるが省畧した
   尚 碑文中延利氷峯子とあるのは 振宗三十三世玉林法地開山玉峯大和尚をいう
      建立 平成十九年丁亥弥生
      奉納 蓬莱庵 石倉昭重
      石工 峰山町 平井雄一     文責 奉納者

 安政六年(1859)に四十六人亡くなったそうですが 何が原因なのでしょう
 安政の大地震は安政元年(1854)のことですから 原因とは思えません
 前年 安政五年に江戸でコレラが 流行ったそうですが
   何かつながりがあるのでしょうか
 “振宗三十三世”は 振宗寺の三十三世住職の事のようですね
 この文章 私にはよく理解できません

 かなり大きな狛犬さんですが 一応屋根はありますが
       風雨にさらされ 今にも崩れ落ちそうです
 阿形の前足 ものすごく細くなっているのが分かりますでしょう
  口の中の球も 削られていました
 台座も 痛んでいて 奉納の年代も何もわかりませんでした
 他の所に 大狛犬 明治四十五年(1912)とありますが この狛犬さんのことでしょうか
 阿形の頭の上には 角があります

火曜日, 8月 26, 2008

狛犬さん 559

2008.06.10 京都府宮津市万町 桜山天満宮
 説明板によりますと
 
本荘宗秀・宗武の墓
   ここは宮津藩最後の藩主 本荘氏六代宗秀・七代宗武の墓地である
  松は枯れてしまったが 二基の墓標と 旧城内二の丸より移した石橋が残っている
   宗武は天保十一年(一八四〇)宗発(むねあきら)より家督を継ぎ
  寺社奉行・大阪城代・京都所司代・老中等幕府要職を歴任した
  慶応二年(一八六六)長州再征に副総督として広島へ出張したが
  捕慮の長州藩家老宍戸備後守らを独断釈放した事件をめぐって幕府の嫌疑を受け
  副総督・老中を罷免され家督を宗武に譲った
   宗武の時代は異国船渡来騒ぎのさなかで 宮津藩も海岸防備
  「お台場」築造等慌しい時代であった 晩年は文芸書画を好み
  又伊勢神宮大宮司となった 明治六年(一八七三)死去した 六十五歳
   宗武は家督をついで間もなく慶応四年正月戊辰戦争をむかえた
  山城八幡の警護に当たっていた宮津藩士のなかから官軍発砲事件を起こし
  宗秀・宗武父子は朝敵の嫌疑をうけ入京をさしとめられた 
  ところが時あたかも山陰鎮撫使西園寺公望一行の宮津到着の機会に
  随行の長州藩士らの陳情もあって 嫌疑はとかれ入京も許されることとなった
   明治二年版籍奉還して宮津藩知事となる 同四年廃藩置県で
  暫く宮津県知事 明治六年北海道農園開拓に従事したが 
  同年宗秀死去の後宮津に帰って籠神社宮司になる
  天橋義塾の創設維持にも関係し 文芸を好んだ 明治二十六年(一八九三)
  死亡した 四十八歳
             宮津市教育委員会
             宮津市文化財保護審議会

 左側の写真の正面に写っているのは 宗秀の墓です
  手前に写っているのが 城内二の丸から移した石橋だと思います

 この狛犬さんも 阿形がいません
 顔もかなり磨滅していています

月曜日, 8月 25, 2008

狛犬さん 558

2008.06.10 京都府宮津市万町 桜山天満宮
 境内社の 桜山大黒天のお宮さんの前に居ました
 この狛犬さんのデザインも今までのと同じですね
 サイズは 本殿の狛犬さん達より少し小さいです
 風雨にさらされているので 阿形の狛犬さんの口は 壊れています

日曜日, 8月 24, 2008

狛犬さん 557

2008.06.10 京都府宮津市万町 桜山天満宮
 本殿の内側に居た狛犬さんたちです
 こんなところまで入り込んで写真を撮っているんですが
  今に神様の罰が当たるかも知れませんね
 屋根の下に居るからでしょうか
  傷みの少ない狛犬さんたちです
 外に居た狛犬さんと デザインはよく似ていますが よく見ると少し違いを感じます

土曜日, 8月 23, 2008

狛犬さん 556

2008.06.10 京都府宮津市万町 桜山天満宮
 本殿の外に居た狛犬さんです
 お尻尾をぴんと上げ 今にも飛びかかってきそうな迫力を感じます
 製作年代はわかりませんが 江戸時代後期位でしょうか

金曜日, 8月 22, 2008

狛犬さん 555

2008.06.10 京都府宮津市万町 桜山天満宮
 御祭神は 菅原道真
 説明板によりますと
 
天満宮
         宮津市字万町
   古くより天満宮 また天神社とよばれてきた 
  もとは社殿うしろの桜山にあったというが その勧請年代は不詳
  寛永年間(17世紀前後)に 宮津藩主京極高広が現地に再建したと伝える
   天満天神というのは 菅原道真の霊を神格化した呼称で
  その歴史は古く 仏教信仰と結んで 渡唐天神の信仰を生み
  また文芸・学問・諸芸能の神として その信仰は広く
  上流権門から庶民の間にも浸透した
   ここに祀られる菅公神像は もと太閤秀吉が身辺に守護神として
  持っていたものを 側室松の丸の手を経て 藩主京極高広に
  贈られたものと伝える 松の丸は高広の父高知の妹で 
  若狭守護武田元明に嫁いだが 元明は秀吉に攻められて自殺し
  松の丸は秀吉の側室とされた 秀吉の伏見城松の丸に住んだので
  松の丸殿と呼ばれ 淀君と勢力を競ったという
   京極高広は境内地の一角に 田辺(舞鶴)円隆寺より宥栄法印を招き
  成就院密厳寺を建てて天満宮の支配に任じた
  いまの桜山会館の地という 境内宝物庫は天満宮・成就院関係の宝物や
  近世万町町絵図 祭礼屋台等を収蔵している
  氏子の人々が自ら財を募って建設した貴重な宝物庫である
        宮津市教育委員会
        宮津市文化財保護審議会

 鳥居の傍に居た狛犬さんですが 阿形がいませんでした  

 境内の片隅にいた狛犬さんです
 この狛犬さんが 欠けていた阿形なのかも知れません

木曜日, 8月 21, 2008

狛犬さん 554

2008.06.10 京都府宮津市万町 名前不明神社
 朱い鳥居に 朱い御本殿
 お稲荷さんかと思いましたが どうも違うようです
 最近 再建したのか 小さな境内ですが きれいに整備されていました

 狛犬さんの台座には 平成六年(1994)六月吉日  と刻まれていました 

水曜日, 8月 20, 2008

狛犬さん 553

2008.06.10 京都府宮津市中野 飯役宮
 お宮さんで一休みしていた方にお聞きすると
 地元の方は「デンデン」さんと呼ぶそうです
 そして 年に二回みんなが集まって 食事をするそうですが どうも社日によく似ています
 
 社日(しゃにち)とは 産土神を祀る日のことで 春と秋にあります
 春は春社(しゅんしゃ・はるしゃ) 秋は秋社(しゅうしゃ・あきしゃ)と言うそうです
 古く中国で土地の守り神を祀り 作物の豊熟を祈ったのが初めだそうです
 日本に伝わってからは 土地の神様を信仰する習慣と一緒になり
 一般的に作物の豊穣を祈る日になったそうです
 土地によって祀り方にはいろいろあるそうですが 社日の日には 
 土を触る仕事はせず 御馳走を食べると言う習慣もあります

 「飯役社」で調べると こんなことが書いてありました
 和泉式部が夫の藤原保昌と丹後国の国府に赴任しますが 
    それは現在の宮津市中野にあったと思われるそうです
 飯役社は 国司の国印と府倉の鑰(かぎ)をご神体として祀った
  印鑰社(いんにゃくしゃ)と言われているとか
 
 社殿は新しいものですが 波の上を兎が飛び跳ねる鏝絵がある手の込んだものです
 波とウサギ 大国主命に何か 関係があるのでしょうか

火曜日, 8月 19, 2008

狛犬さん 552

2008.06.10 京都府宮津市大島 白山神社
 「551」の狛犬さんは 本殿の前に居ましたが 
 この狛犬さんは 鳥居をくぐって すぐの所にいます
 製作年代もわからないし 顔も欠けてかわいそうな姿です
 阿形の足元をよく見ると 男性のシンボルが付いていました
  デザインがシンプルですが 可愛い狛犬さんですね
 昭和九?(1934?) 還暦? と刻まれていました

月曜日, 8月 18, 2008

狛犬さん 551

2008.06.10 京都府宮津市大島 白山神社
 創建年代は 不明のようです
 御祭神は 伊射奈美神(いざなみのかみ)
 このお宮さんは 大島城跡だそうです
 説明板によりますと
 
千賀の大島城址
  ここから伊根町字日出にいたる半円の半島山上を むかしから「城山」と
  いいつたえ かって一色氏が丹後の領主であった時代
  千賀氏が城砦をきづき この城を伊根庄しはいの中心として
  千賀城または 大島城ともいった
  ところが足利氏が織田信長に滅ぼされると 丹後はその武将である
  細川藤孝(幽斎)・忠興の父子に命じて 天正七年(一五七九)
  一色氏を亡ぼさせたが その残党はなお各地にあって 細川氏の命に服さず
  ここ大島城の千賀氏なども その有力な勢力であった
  そして天正十年(一五八二)の秋 一色氏義俊・義清を最後に
  その残党討伐の戦いがはじまり ここ大島城へも細川勢が押しよせたが
  このとき城には亀山城の倉内将監・島津籐兵衛・岩ヶ鼻の橋本豊後守・
  田原の小出左京などの手勢がたてこもって防戦したが およばず
  ついに多くは傷つき あるいは戦死して落城
  ただ千賀山城守だけは 馬で対岸栗田へ渡り 後には尾張の徳川氏に仕えたと
  伝えられるが その他にも一族中土着したものもあり 
  現に岩滝町の千賀氏なども その末流といわれ さらには当地の
  慈雲山顕孝寺もまた大島城にゆかりのある寺である
              宮津市文化財保護委員会

 思いがけない所に 思いがけない歴史があるものです

 狛犬さん 目つきは厳しいですが 愛想の良い顔ですね
 台座に 昭和二年(1927)八月  と刻まれていました

日曜日, 8月 17, 2008

狛犬さん 550

2008.06.10 京都府宮津市大島 日吉神社
 「与謝郡誌」によると
 往古日ヶ谷村に山王権現あり 江州坂本より勧請すと云ひ 
 又外垣村に木積明神あり由緒不詳 
 天文十八年(1549)両社と合併して岩ケ鼻村に移し
 日ヶ谷・ 外垣・岩ケ鼻・大島・日出・高梨・平田・大原以上八ケ村の産土神と崇めしと云ふ 丹哥府志に伊根浦四村を脱し、残四村の氏神なりとあり
  とあるそうです
 明治元年(1868)までは 天長寺の僧が大般若経を読んでいたそうですが
 明治二年(1869) 神仏判然令(神仏分離令)により 日吉神社になったそうです
 御祭神は 大山咋命だそうです

 狛犬さんの台座には 明治三十七八年(1904・1905)と刻まれています
 何故「三十七八年」なのでしょうか
 台座に 日露 紀念  と刻まれています
  明治三十七年に 日露戦争が始まり 
  明治三十八年に ポーツマス条約を批准し 終戦を迎えたのです

土曜日, 8月 16, 2008

狛犬さん 549

2008.06.10 京都府宮津市宮本 和貴宮神社
 創立年代は不明だそうです 
 本殿は 焼失した後 文政四年(1807)に再建されたそうです
  本殿の下に 忍びの部屋があるそうです

 しかし狛犬さんは 年代がわかる狛犬さんとしては 京都府では最古だそうです
 享保3年(1718)の年号が入っています

 境内の石碑に 神社御鎮座 五百年祭記念 大正十年四月廿一日 と刻まれています
 大正十年(1921)に五百年だとすると 今年で587年経ったことになり
 西暦1421年(応永二十八年)に創建されたのでしょうか

 本殿の中に居た 狛犬さんです 

金曜日, 8月 15, 2008

狛犬さん 548

2008.06.10 京都府宮津市伊根 浦嶋神社
 京都府の伊根と言えば 舟屋で有名なところです
  かなり前の話になりますが TVで ここを舞台にしたドラマがありました
 由緒書によりますと
 
浦島神社(宇良神社)
  鎮座地 京都府与謝郡伊根町本庄
  祭神  浦嶋子(浦嶋太郎)
  相殿神 月読命・祓戸大神
 浦嶋神社は 延喜式神名帳所載にある「宇良神社」と記されている
 創祀年代は 淳和天皇の天長二年(八二五)浦嶋子を筒川大明神として祀る
 浦嶋子は日下部首等の祖先に当り 開化天皇の後裔氏族である
 その大祖は 月読命の子孫で 当地の領主である
 浦嶋子は人皇二十一代雄略天皇の御宇二十二年(四七八)七月七日に
 美婦に誘われ 常世の国に行き その後三百有余年を経て
 五三代淳和天皇 天長二年(八二五)に帰って来た
 常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で 淳和天皇は この話を聞き
 浦嶋子を筒川大明神と名付け 小野篁を勅使とし 宮殿を御造営された
 この神社に伝わる浦嶋物語は起源が最も古く 
 八世紀初期にできた 丹後風土記さらに日本書紀 万葉集などに記載されている
 又 古代より崇敬の念は厚く まことに顕著なものがある
  浦嶋子縁の地名
  水乃江里・筒川・曾布谷・今田・雲龍山・布引滝・龍穴・白鷺岬・
  かんこ川・舟繋岩
 御神徳 縁結神・長寿神・農業神・漁業神・航海神・牛馬神・養蚕神
 御祭日 新年祭・延年祭・例大祭
 御宝物 浦嶋明神絵巻(重文) 玉手箱(玉櫛笥) 乙姫小袖(重文)他


 浦嶋太郎の伝説は 日本国内にあり 香川県・岐阜県・沖縄県等々
 横浜市にもあるそうです

 狛犬さんは写真で見ると分かりませんが かなり大型です
 台座には 明治四十二年(1967)八月  と刻んでありました

 浦嶋神社の本殿です
 茅葺屋根?の とても素敵な建物でした

木曜日, 8月 14, 2008

狛犬さん 547

2008.06.09 京都府宮津市天橋立 智恩寺(文殊堂)
 本殿の前に居た狛犬さんです
 このデザインは新しいものですね

 このお寺の住所は 宮津市天橋立文殊切戸です

 台座に 大正十二年(1923)十月 と刻まれていました

 香炉にも こんな可愛い狛犬さんが付いています
 どちらも足の下に 珠を押さえています

水曜日, 8月 13, 2008

狛犬さん 546

2008.06.09 京都府宮津市天橋立 智恩寺(文殊堂)
 「545」の狛犬さんの足元に居ました
 小ぶりの狛犬さんです
 写真でもわかるかと思いますが 後ろ足は 壊れて欠けています
 顔も磨滅して 分かりにくくなっていますが 精悍な顔だったことは推察できます
 残念ながら 製作年代等は 分かりませんでした

火曜日, 8月 12, 2008

狛犬さん 545

2008.06.09 京都府宮津市天橋立 天橋山智恩寺(文殊堂)
 此処は臨済宗妙心寺派のお寺です
 奈良県桜井市の安倍文殊院・山形県高畠町の亀岡文殊とともに日本三文殊と呼ばれています
 創建は 大同三年(808)平城天皇の勅願寺として建立されたそうです
 又醍醐天皇から勅額を下賜されたそうですが 
    以後の歴史は 中世までよく分からないそうです
 境内の多宝塔は明応十年(1501)丹後の守護代によって建立されたものだそうです
  
 文殊菩薩は獅子に乗った姿で表されますが そのせいでしょうか
  境内には 狛犬さんが 何組か置かれていました

 台座には 明治四十四年(1911)十月  と刻まれていました

月曜日, 8月 11, 2008

狛犬さん 544

2008.06.09 京都府宮津市 橋立明神(天橋立神社)
 あの有名な天橋立の中にあります
 御祭神は 豊受大神・大川大明神・八大竜王だそうです
 昔は 皇大神を祀り 元伊勢を移したとの説もあるそうです
 天橋立の南端に 文殊堂がありますが 平安末期から鎌倉時代にかけて文殊信仰が
 流行し 文殊堂境内鎮守として祀られたものと 考えられるそうです

 狛犬さんの台座に 明治廿八年(1895)九月 と刻まれていました

 このお宮さんの横に 井戸があります
 天橋は 海の中に突き出した砂州なのですが 不思議なことにこの井戸は
 塩気を含んでいない 清水が湧き出しています
 私も飲んでみましたが 確かに塩気のない美味しい水でした

日曜日, 8月 10, 2008

狛犬さん 543

2008.06.08 岡山県備前市西片山 熊鷹大神
 「熊鷹大神」ちょっと調べただけでは この神様はわかりませんでした
 京都の伏見稲荷大社に 熊鷹大神の塚があるようで 11月に火焚祭が行われるそうです
 また 神宮皇后が 羽白熊鷹(又は熊鷲)を 退治したを言う話もあるようです

 吽行の頭には 立派な角があります

土曜日, 8月 09, 2008

狛犬さん 542

2008.06.08 岡山県備前市東片上 天神社
 この狛犬さんも 阿形がかなり傷んでいますね
 狛犬さん達は 石を積み上げた 山のように見える台座に乗っています

金曜日, 8月 08, 2008

狛犬さん 541

2008.06.08 岡山県備前市西片上 恵美須神社
 このお宮さんのことを 調べていると「いぼとりさん」
    イボとりの神様らしいと わかりました
 でも 軒先に鯛の瓦が乗っているし 拝殿の欄間にも 元気な鯛が泳いでいます
 どう見ても イボとりではなくて 大漁の神様ではないかと思いますが 

 阿形の足元にあるのは 私の携帯電話
 大きさを測るのに置いてみましたが よく分かりません
 かなり大きな狛犬さんでした
 足に 備前伊部陶 明治廿五年(1950)八月 森良明 造之と
   刻まれています

 後ろ足に刻まれた文字 

木曜日, 8月 07, 2008

狛犬さん 540

2008.06.08 岡山県備前市西片上 宇佐八幡神社
 本殿の建物の左右に居ました
 ほとんど痛みのないきれいな狛犬さんです
 台座には 明治十三年辰(1880)十一月と刻まれていました

 本殿の階にいました
 足場が悪いのと 遠いので よく写っていません

水曜日, 8月 06, 2008

狛犬さん 539

2008.06.08 岡山県備前市西片山 宇佐八幡神社
 お宮さんの境内に入ってすぐの所に居ます
 説明板によると
 
市指定文化財 宇佐八幡宮備前焼狛犬
               昭和四十八年(1973)十月六日指定
   この備前焼の狛犬は 胴周り約二,五m 高さ約一,四mである
  右側の阿形には「文政九丙戌年(1826)九月吉日 備前釜元 森五兵衛尉正統」
  左側の吽形には「伊部細工人 森五兵衛正統 服部章兵尚芳」と
  刻銘されている また 台座には天保五年(一八三四)前川氏が寄進したと刻まれている
   ちなみに 宇佐八幡宮は 建武三年 延元元年(一三三六)に
  足利尊氏が多々良浜(福岡)の戦いで大勝し 九州制覇が出来たのは 
  豊前の宇佐八幡宮に参籠して 武運長久を祈願したおかげだと
  勧請し足利の守護神にしようとした
  しかし 帰路おおしけに遭い 神のお告げで 潟神村(片上村 元備前市)に
  祀ることとし 富田松山の麓に祀った
  その後 応永元年(一三九四)には 和鹿林山(若林山)に勧請
  更に 正保三年(一六四六)現在地に遷宮したもので
  十万石の格式が与えられていたお宮である
                備前市教育委員会

 高い台の上に乗っているので 2mくらいの高さになります
 ともかく 大きいです
 かなり破損していますが お陰で少しづつ分けて焼いたのがよくわかります

火曜日, 8月 05, 2008

狛犬さん 538

2008.06.08 岡山県備前市伊部 若宮八幡宮
 若宮がつくと 八幡宮に祭られている 応神天皇の息子仁徳天皇を祀っているか
 あるいは 新しく迎えたという意味で 若宮と呼ぶことがあるそうです
  その場合は 御祭神は応神天皇です
 このお宮さんは どちらなのでしょうね

 この狛犬さん達は 痛みが少なく きれいな狛犬さんです  

 お宮さんの隣にお寺があり 境内に小さな社がありました
 何をお祭りしているのか分かりませんが こんな狛犬さん達がいました

月曜日, 8月 04, 2008

狛犬さん 537

2008.06.08 岡山県備前市伊部 天津神社
 説明板によりますと
 
市指定文化財(建造物)天津神社本殿
          昭和五十六年(一九八一)七月二十四日指定
   天津神社は 由緒書によりますと 応永十八年(一四一一)以前の創建で
  昔は浦伊部にあったが 御神託により天正七年(一五七九)に現在地に遷宮した
   本殿は 棟札によると 延宝六年(一六七八)の建築で
  蟇股・虹梁・木鼻の繰形が特に素晴らしい流れ造りの
  堂々とした一間社で 江戸前期の一間社建築としては 例にないすぐれた建築である
   境内には 備前焼瓦で葺いた門 現代備前焼作家の陶印入り陶板をはめ込んだ塀
  備前焼陶板を敷き詰めた参道などが配置されていて
  初夏に咲く紫陽花の花と印象的なコントラストをみせている
  参道脇には万延二年(一八六一)の年号をもつ宮獅子が安置されている
        平成十二年(二〇〇〇)二月
                       備前市教育委員会

 右側の狛犬さん 阿吽どちらか分かりにくいのですが
    口に牡丹の花を銜えていますね
 高さが30cmほどの 小さな狛犬さんですが とてもいい造りです

 説明板の載っている 陶板の狛犬さんです

 備前焼の瓦の乗った随身門と 備前焼の陶板を張った参道です

日曜日, 8月 03, 2008

狛犬さん 536

2008.06.08 岡山県備前市伊部 天津神社
 御祭神は 少彦名命 大国主命と共に国づくりをした神様ですが
 一寸法師のモデルになった 小さな神様で 医薬神として 有名です
 菅原道真公も配祀されているようです
 創立は応永十八年の新明帳にあるそうで 伊部の総鎮守だそうです
  本殿は延宝六年改築 備前市重要文化財
  拝殿は元文三年改築 割拝殿 絵馬殿があります
   割拝殿とは 中央が吹き抜けになっていて 左右に床間があるもの
   これは回廊形式の中門と左右の回廊が 変形したものと考えられるそうです
 随身門 元文年間建築 瓦は備前焼
 神門  元文年間建築 瓦は備前焼で 
   
 神社の西側は史跡北大窯跡陶祖忌部神社 東側には天神窯跡がある
 
 このお宮さんには 沢山備前焼があります
    干支も瓦も拝殿の床もすべて 備前焼
 境内社のお稲荷さんの狐さんも 備前焼

 鳥居の手前に居た狛犬さんです
 新しそうに見えますが 万延二年(1861)三月吉日建立
   と 背中に刻み込まれていました

 此処の狛犬さんも 山を表すような 石の上に座っています

土曜日, 8月 02, 2008

狛犬さん 535

2008.06.08 岡山県備前市伊部 履掛天神社
 お宮さんの隣は 子供用の公園になっています
 その公園の入り口に居た狛犬さんです
 正確には お宮さんの狛犬さんとは違うかもしれませんが
   あまりの可愛さに 載せてしまいました

金曜日, 8月 01, 2008

狛犬さん 534

2008.06.08 岡山県備前市伊部 履掛天神宮
 説明板によりますと
 
履掛天神宮(伊部西宮)
 祭神 菅原道真
 本社 創立 不詳 なれども菅公西下の時 休憩せられた跡
    本殿の後ろに公の履を掛けられた大石(履掛石あり 氏子崇敬している)
    おそらく 天暦年間(938~956)の頃と伝う
 本殿 寛保二年(1742)二月建築 天保年間葺き替え
    垂木を含め すべて総ケヤキで出来ており
    珍しい屋根は 備前焼を使用している
 拝殿 幣殿共に 十九世紀はじめに 建祭
    天保元年(1830)・明治二十六年(1893)・大正九年・昭和四十三年改修
 北門 薬医門でありながら 格天井を張っている 切妻造
 拝殿 桁五間 梁二間 入母屋造 正面午陽破風 向拝一間
 幣殿 正面一間 側面三間 背面入母屋造 本瓦葺
 末社 貴船神社・稲荷社・祇園社・竃社(荒神社)・地神

 関西では珍しい 備前焼の狛犬さんを探しに 備前市に行ったのですが
  備前市では 神社の狛犬さんは ほとんど備前焼
 帰る頃には 当分備前焼を見たくない心境になっていました

 まるで岩山の上に載っているように見えます
 やはり 焼き物は壊れやすいのでしょうか
 特に阿形の狛犬さんは ヒビだらけです