水曜日, 1月 19, 2011

狛犬さん 1025

2010.12.20 徳島県鳴門市里浦 十二神社
本殿の前にいた狛犬さんです
台座には 昭和六十年(1985)十月吉日
と刻まれていました

火曜日, 1月 18, 2011

狛犬さん 1024

2010.12.20 徳島県鳴門市里浦町 十二神社
男狭磯の伝説が伝わっています
蜑井
第十九代允恭天皇の十四年(四二五)九月、天皇
は淡路において狩猟をおこなわれたが、少しも
獲物がなかったので占わしめたところ、
赤石の海底にある真珠を採って島神に祭る
ならば獲物を得さすであろうと いうの
であった。ところが海の深さが六〇尋(一〇九メートル)
に余りだれも海底に至るものがなかった。
ただひとり阿波国長邑の蜑夫男狭磯が 海
底に至り大あわびを獲て浮かび出てきたが
浮かび出るとともに息が絶えた。
この大あわびを割ってみると桃の種子ほども
ある真珠があったので、これを島神に祭ったと
ころたくさんの獲物があった。天皇は男狭磯の死を
あわれみ墓を造って厚く葬らせたもうた と
いうことが「日本書記」にみえている。

長邑は今の里浦で、この附近が蜑屋敷であり
この古井戸が蜑井であると伝えられている。
蜑井碑は天保五年(一八三四)板野郡撫養林崎の
近藤利兵衛という篤志家がこの蜑井がわから
なくなることを憂いて建てたものである。
だそうです

男狭磯の墓を守っていた狛犬さんです
















これが男狭磯の墓と蜑井です

月曜日, 1月 17, 2011

狛犬さん 1023

2010.12.20 徳島県鳴門市里浦町 十二神社
神社の名前通り 十二の神様を祀っているとか
明治40年に十二神社となったそうです

887年に豊前宇佐八幡から勧請されたそうです
1262年 細川頼之は細川清氏の討伐を祈願し
社殿を造営 ご神像等を奉納したそうです

宇佐八幡から勧請したのでしたら
御祭神は 応神天皇(誉田別命)ですね
明治期の神社合祀令で
神様の数が増えたのかもしれません

本殿に向って右側に在る
小さいほうの鳥居の先にいた狛犬さんです

日曜日, 1月 16, 2011

狛犬さん 1022

2010.12.20 徳島県鳴門市妙見山公園 妙見宮
御祭神は 天御中主神 事代主神だそうです
創建は 室町幕府の12代将軍足利義植が
都を追われ 周防国(今の山口県)に亡命中
ここに 勧請して社殿を作ったのが 初めだとか
結局義植は この地撫養で没したそうです

妙見信仰と云うのも 面白いですね
仏教では妙見菩薩
神道では天御中主神 
この神様は 天地開闢の時出現した神様で
あ余り信仰の対象にはなって無かったようです
道教の天の中央の至高神 信仰が加わり
北極星 北斗七星信仰になって行ったようです

このお宮さんは長い階段を登り積めた先にありました
お宮さんの前に在った説明板によりますと
開運 妙見神社
当神社は、「造化の神 天御中主神」を祀る。
この神社は古く大地の末だ成立しない頃大空の真中に
生れ給い天地万物の大元をおすへになり、有形、
無形のみたまとして永久に世に幸を与えられた。
そのおゝみいつによって次々に神々がお現れに
なりその尊い御神徳は計りしれない。
故に、開運、延命、長寿、安産、海陸交通安全
の守護神として広く信仰されている。
平安末期、中国より伝わった北辰(北極星)信仰
と結びついて妙見社として祀られるようになった。
天保元年(一八三〇)旧城主、四宮加賀守の子孫と
撫養町林崎郷の近藤利兵衛氏がこの城址に妙見
神社として再建した。
史蹟 撫養城址
天正十三年(一五八五)蜂須賀家政が阿波に入国し
国内九カ所に城塞を設けた。阿波の九城という。
撫養城は淡路渡海の押さえとして異母弟の益田
内膳正忠を城番にし手勢三〇〇名をもって守らせた。
寛永十五年(一六三八)一国一城の令により阿波
九城は破却された。
社殿後方の城石は当時の面影を残している。
だそうです

狛犬さんの台座には 唐獅子 壹對
大正 八年(1919)六月と刻まれていました

一見 備前焼に見えましたが
鳴門には 大谷焼と云う焼き物が有名です
主に水瓶などの 大きな陶器類を作っています
この狛犬さんは 大谷焼ではないかと推測しました
 近くで見ると 肌合いが備前焼とは違います

木曜日, 1月 13, 2011

狛犬さん 1021

2010.12.20 徳島県鳴門市岡崎 西宮神社
 御祭神は 事代主命 倉稲魂命 
表筒男命 中筒男命 底筒男命
神功皇后
由 緒:創建年代不詳。
「阿波志」に「西宮岡崎村に在り即ち蛭子」と記し、
また「寛保改神社帳」には
「岡崎村 住吉合祀西宮大明神別当岡崎村蓮華寺」
そして慶長九年(1604)の棟札に
「岡崎大明神」とあるのを
享保年中(1716~1735)に
「西宮」と改称したと伝えている。
(徳島県神社誌)
だそうです
「住吉合祀西宮大明神」と書かれています
「表筒男命 中筒男命 底筒男命 神功皇后 」の神様は
大阪に在る 住吉大社の御祭神
ここ鳴門市には 事代主を祀った神社が多くあります
 事代主神は恵比須さんと同一視されているので
西宮神社は 兵庫県西宮市に在る西宮神社と
何か関係があるのかもしれません
兵庫県の西宮神社は 「えべっさん」の総本社です

狛犬さんの台座には
天保二(1831)卯歳
九月吉日   と刻まれていました

水曜日, 1月 12, 2011

狛犬さん 1020

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町立岩 八幡神社
境内の説明板によりますと
御造営記念碑
八幡神社は、応神天皇を御祭神として
お祀り申し上げております。
本社は、敬神の念厚き立岩の郷人に護られ
産土神として厚く崇敬せられてまいりました
八幡神社は、元禄三年に御遷座され、
御建造せられたお社であります。
建立当時の棟札が今も現存しております。
しかし社伝によれば本社は往古現在地の
西方に在る恵比須神社の附近に御鎮座せられていたものを
現在の社地に奉遷座せられたものであると
伝えられております。御創建以来三百余年の
歳月を経た社伝も腐朽が著しく破損個所も
各所に至り御神意に対し誠に申し訳なき
次第となりました
以下略

鳥居をくぐると 手前にこの狛犬さんたちがいます
台座には 昭和六十二年(1987)十一月吉日
と刻まれていました

火曜日, 1月 11, 2011

狛犬さん 1019

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町立岩 惠美須神社
狛犬さんの詳細は不明ですが
それほど古いものには見えませんでした














神依岩
この神依岩の割れめには放射線が飛びかい
病気がちの人々には大変ご利益又家内安全
無病息災があると有名なある大学の考古学者の
教授が申されております このような立派な
岩を放置する訳にいかず鳥居を建立して
神依岩と命名し参拝をしております

月曜日, 1月 10, 2011

狛犬さん 1018

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町弁財天 市杵島姫神社
 真っ赤な両部鳥居の建つ 
優美な感じのお宮さんです

狛犬さんの台座には
明治十四年(1881)
巳六月六日
(剥落しているので間違っているかもしてません)
 ??(地名だと思いますが読み取れませんでした)
石工 久大郎
吽形の方は 顔が欠け 痛々しい姿です

日曜日, 1月 09, 2011

狛犬さん 1017

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町黒崎 塩釜神社
境内の由来書によりますと
桜花
松のみどりの はざまより
こぼれて匂ふ 鹽竃の森

由来書
当塩釜神社(鹽竃=旧字体)は、古文書によりますと、
江戸時代初期の慶長四年(西暦一五九九年)、鳴門に塩
田を開基した馬居七郎兵衛の後代・馬居七郎左右衛門
が、明暦三年(西暦一六五七年)、奥州松島(現宮城県
塩竃市)の「鹽竃大明神」に鎮座されるご神霊を”塩の守
護神”としてお迎えし建立されたとあり、その主祭神は
「塩土老爺神(しおつちおじのかみ)」で、神徳は製塩
守護だけでなく航海安全、交通安全、安産守護などと
されております。
その後、塩釜神社は家内安全、五穀豊穣、商売繁盛
などの神徳を加えた“氏神さま”として崇敬され、今日
に至っておりますが、いかんせん現在の社は大正一四年
(西暦一九二五年)に建立されたもので、必然的に老朽
化に伴う改修工事が行われてきたものの、先の阪神淡路
大震災の影響が大きく、雨漏りによる拝殿屋根の腐食
などで祭祀を行うのにも極めて危険な社となってしまい、
大規模な改修工事を施すことが不可避かつ急務の課題
となっておりました。
このため、塩釜神社総代会は、宮司指導のもと平成
二一年春から検討を重ね
①改修計画推進母体を「塩釜神社大改修奉賛会(同年末
結成)」とする
②文化財級の神社彫刻などを可能な限り保存する方
向で改修する
③改修原資は氏子だけでなく鳴門市内の元塩業家や塩
関係企業からの寄付金とする
ことなどを決定して計画を推進し、改修事業は平成二
二年四月着工・同年十月竣工 ここに平成の大改修
を経た社が完成したものです。
だそうです
かなりの御苦労があったことと思いますが
お宮さんを大事に守っていらっしゃる方々
頭が下がります

狛犬さんの台座には
         安永九年(1780)
        子 九月
   石工  高嵩
(高はあってるかと思いますが後の字は違うと思います)
   い???や
石工さんの名前の崩し字は 私には判読できませんでした

吽形の頭には 角と云うか小さな突起が付いています

土曜日, 1月 08, 2011

狛犬さん 1016

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町黒崎 宇佐八幡神社
この狛犬さんたちは 本殿の前にいました
この狛犬さんたちのデザイン
どこかで見かけたのですが 何処だったでしょう

この写真では分かりにくいのですが
阿形には 男性のシンボルが付いています

金曜日, 1月 07, 2011

狛犬さん 1015

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町黒崎 宇佐八幡神社
境内の石碑によりますと
平成六年(1994)で 
宇佐八幡神社は 三百五十年を迎えるそうです
と云うことは 寛文四年(1664)の創建ですね 


しかし 拝殿の中に在った年表によりますと
一六〇〇年頃 慶長年間
五郎右衛門(大谷家の祖)が
播州尾崎から八幡宮を勧請し
現斎田大池の自宅内に祀って
斎田村の氏神としたと伝えられる
一六四四年  正保元年
孫太夫(鳥居)五郎兵衛(大谷)ら
氏子中が現在地に社殿を遷した
と書かれていたので 
少し 年代があいませんね

又 別の石碑によりますと
改築記念碑
当神社は古昔より仲哀天皇應神天皇神功皇后を
ご祭神として奉祀し宇佐八幡神社と奉稱して
親しまれ我々は撫養郷の守護神として祖先代々
崇敬し今日に至ったのであります
昭和二十年終戦と共に神社は国家の庇護をはなれ
且世情人心共に一変して恵まれざる時代を迎えるに
至りましたが戦後三十年挙国一致の努力が
実を結び我国の成長発展と共に人心安定して
敬神崇祖の念おのづから甦り
我が宇佐八幡神社にも社殿改築の議起り
昭和五十年七月改築奉賛会が設立され
幾度か会議を重ね寄附名に銘記のとおり
篤志多くの方々から浄財を仰ぎ斯くも
荘厳華麗なるご社殿を改築できましたことは
誠にご同慶の極みでございます
本日茲にめでたく竣工奉告祭を執行するにあたり
氏子一同待望久しかりし御社殿改築の
偉業完成を慶ぶと共に深く神恩に感謝し
神人共に益々弥栄ならんこと祈念し
この碑を建立し次の世代に遺す次第であります
昭和五十四年(1979)二月十一日
宇佐八幡神社改築奉賛会
と云うことだそうです

 本殿より手前にいた狛犬さんです
台座に 平成七年(1995)六月吉日建之
と刻まれていました

水曜日, 1月 05, 2011

狛犬さん 1014

2010.12.19 徳島県鳴門市大桑島 桑島八幡神社内境内社
 神社の名前がわかりません
がしかし 桑島八幡神社の境内社です

狛犬さんの詳細は分かりませんが
吽形の方は叢に隠れるように座っていました

火曜日, 1月 04, 2011

狛犬さん 1013

2010.12.19 徳島県鳴門市大桑島 桑島八幡神社内天照皇大神宮
写真の撮り方が悪くて ちょっと自信がありませんが 
多分このお宮さんの狛犬さんたちだと思います

台座に 昭和十四年(1939)十月吉日
と刻んでありました

月曜日, 1月 03, 2011

狛犬さん 1012

2010.12.19 徳島県鳴門市大桑島 桑島八幡神社内秋葉神社
境内を歩くと 本殿の裏の方に秋葉神社
そのお宮さんを守護している狛犬さんたちです
 秋葉神社ならば 御祭神は火之迦具土神でしょうか
火伏せの神様ですね

狛犬さんの詳細についてはわかりません

日曜日, 1月 02, 2011

狛犬さん 1011

2010.12.19 徳島県鳴門市大桑島 桑島八幡神社
お宮さんの鳥居をくぐり
階段を上がった先の本殿の前にいました
台座には 昭和六年(1931)正月
石工 富永寛五郎
仝   高太郎
日清日露戦役
凱旋紀念
と云った文字が刻まれていました

日清戦争は 明治27年(1894)7月から
明治28年(1895)3月まで 行われた
大清国(中国)との戦争の事です

日露戦争は 明治37年(1904)2月から
明治38年(1905)9月まで 行われた
露西亜帝国との戦争の事です

土曜日, 1月 01, 2011

狛犬さん 1010

2010.12.19 徳島県鳴門市撫養町大桑島 桑島八幡神社
〆柱をくぐるとすぐの所にいました

桑島八幡神社社殿改築記念碑
当社は、慶長の初め淡州志知川の土民当地に渡り、
土地を開いて移住し、同八年(1603)には十六戸となり、
八幡神・山王神・金刀比羅神・を勧請し
鎮守神としたのが始めである。
以後六十年を経て寛文三年(1663)、方四尺の神殿に改め、
益々増戸、方一間の本殿が造営された。時に安永四年(1775)
十一月六日。ついて、明治年間当村九山山頂に
祭られていた山神社社殿倒壊のため本殿に合祀し
四神となった。
以下略
と云うことで 
御祭神は 誉田別神 大物主神 大山咋神 大山祇神
の四柱が 祭られています

文中の淡州は淡路
志知川は 現在の南あわじ市阿那賀志知川の事だと思います

狛犬さんの詳細は不明ですが
吽形の頭には小さな角が見えています