火曜日, 5月 05, 2015

狛犬さん 1311

2013.11.16 東京都墨田区立花 吾嬬神社
境内の説明板に依りますと
吾嬬神社
御祭神   弟橘姫命
 合殿   日本武命
 縁起
  抑当社御神木楠は昔時日本武命東夷征伐
 の御時、相模の國に御進向上の國に到り給はんと御船に召さ
 れたる海中にて暴風しきりに起り来て御船危ふかしりて御后
 橘姫命と海神の心を知りて御身を海底に沈め給ひしかば忽海
 上おだやかに成りぬれ共御船を着くべき方も見えざれば尊甚だ愁わせ
 給ひしに不思儀にも西の方に一つの嶋忽然と現到る御船をば浮
 洲に着けさせ嶋にあがらせ給ひてあ~吾妻戀しと宣ひしに俄に東風
 吹来りて橘姫命の御召物海上に浮び磯辺にただ寄らせ給ひしかば尊
 大きに喜ばせ給ひ橘姫命の御召物を則此浮洲に納め、築山をき
 づき瑞離を結び御廟となし此時浮洲吾嬬大権現と崇め給ふ
 海上船中の守護神たり尊神ここに食し給ひし楠の御箸を以て末
 代天下太平ならんには此箸二本ともに栄ふべしと宣ひて御手自
 ら御廟の東の方にささせ給ひしに此御箸忽ち根枝を生じし処
 葉茂り相生の男木女木となれり神代より今に至りて梢えの色
 変わらぬ萬代おさめし事宛然神業なり。其後民家の人々疫
 にあたり死する者多かりしに時の宮僧此御神木の葉を与えしに
 病苦を払ひ平癒せしより諸人挙って尊び敬ひぬ今こそ此御神木
 楠の葉を以って護符となして裁服するに如何なる難病にても奇瑞
 現れぬと云ふ事なし凡二千有余年の星霜おし移ると云へ共
 神徳の変らざる事を伝ふべし共猶諸人の助けとならんと略してしるす也

又 別の説明板に依りますと
<墨田区登録文化財>
狛犬 安永二年(1773)五月銘
  この狛犬は比較的小型の一對ですが、世話人一〇名を奉納者二二
 名もの名前が刻まれています。そのほとんどが築地小田原町(中央
 区築地六・七丁目)や本船町地引河岸(中央区日本橋本町)など日
 本橋の商人であることから、海運・漁業関係者とのつながりをよく
 表しているといってよいでしょう。このことは吾嬬神社の由来に起
 因しています。
  日本の神話に、日本武尊命が現在の東京湾を舟で渡っている時に
 海神の碇に触れ、往生していた時に妻の弟橘媛が海に身を投げて
 海神の怒りを鎮めたという話があります。この媛の品が流れ着いた
 所がこの地だったということです。以来、海や川で働く人々の守護
 神として信仰されてきたわけです。
 また、昔は地震沈下していなかったため、この社の裏の「吾嬬の
 森」と呼ばれた森が小山のように、広がり、海上からの好目標だった
 ことも崇敬を集めた理由のひとつでしょう。
  現在、鉄柵の奥にあるために近づくことはできませんが、かえっ
 て台座に刻まれた人名など、良い状態で保存されています。
                     墨田区教育委員会


              だそうです

 吽形には大きな角があり 阿形の頭には
 宝珠のようなふくらみがあります

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