金曜日, 2月 29, 2008

狛犬さん 431

2008.02.04 徳島県阿南市 海正八幡神社内橘神社
 ご祭神がすごいんです
   素盞鳴命・弟橘姫他五十余神 
 主たる神様は素盞鳴命のようで 七月には祇園祭りが行われるそうです

 明治末期 時の政令により 町内の小社・小祠を改築
  (金刀比羅神社社殿を移築)した秋葉神社に合祀し 橘神社と改称した
     ・・・・のだそうですよ
 
 本殿の前に居る狛犬さんです
 台座には 嘉永六年(1853)丑六月と刻まれていました
    石平?と刻まれていたのは 石工の名前でしょうか

木曜日, 2月 28, 2008

狛犬さん 430

2008.02.04 徳島県阿南市 海正八幡神社
 由緒書きによりますと
 
御祭神 誉田別命・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰他
   当社創建は 第六十八代後一条天皇の御世万寿元年(西暦一〇二四)
  清和源氏新羅三郎義光の祖が崇敬し祀り始め
  文永六年(一二六九)四月三日折原刑部丞実成が再興したと記されている
   もと内原村鎮ヶ峰に祀られていたが 橘浦村江ノ浦へ遷され
  その後 この地へお遷しされた
   創建以来 家内安全・海上安全・浦中安全の守護神として尊崇をあつめ
  遠くは江戸までその名が聞え 祈願や奉納の品が残されている

       そうです
 この狛犬さんも 江戸の廻船問屋だったかな
   が奉納したものです
 台座には 寛政九(1797)丁巳年
       八月吉日    と刻まれていました
 首の周りに 巻き毛のような 鈴のようなものが巻きついていますが
  後ろまでは無いので 巻き毛か髭なのでしょうか

水曜日, 2月 27, 2008

狛犬さん 429

2008.01.30 神戸市須磨区天神町 天満宮
 ここも綱敷天満宮と呼ばれています
 由緒書きによりますと
  
延喜元年(901)二月菅原道真公 九州へ御左遷の御途次
  海上風波高く 航しかねて 此地に上陸し給い
  里の浦人等は 網の綱を丸めて 円座とし座を設けました
  道真公は ここに安居し給い 暫らく旅の疲れを休められ
  須磨の風光を賞でられた
  菅公薨ぜられて後七十六年目の天元二年(979)時の須磨人等が
  その御像を模し 祠を建ててお祀り申上げたのが 当社の創建である
  当天満宮は 日本二十五社の内 第十四番の霊社にして
  特に 学問の神として 崇敬厚く 神威赫々として
  庶民の信仰を集め 霊験又顕著であります

 由緒書きにある 二十五社とは
  京都から九州まで 菅原道真公を祀る天満宮の中でも 由緒の深い神社 二十五社を
  「菅公聖蹟二十五拝」と言うそうです
 一番が京都にある 菅原院天満宮 二十五番が同じく京都の北野天満宮だそうです
 福岡の太宰府天満宮は 二十三番だそうです

 狛犬さん 良いでしょう
 台座に 因摂津大掾
     遺志
     大正八年(1919)十一月吉辰
     二見高子建立      と刻まれていました
 ほっそりとしあばら骨が浮いた体つきは 犬と言うより狼を思わせます 
 しかし 顔はとても穏やかですよね
 吽形には 小さいけれどしっかりと角があります

火曜日, 2月 26, 2008

狛犬さん 428

2008.01.30 神戸市須磨区若宮町 若宮神社
 このお宮さんも 住宅に囲まれ 窮屈そうに建っていました
 台座には 昭和十三年三月建立 
      石工 坂田七助  と刻まれていました

 狛犬さんの足元には 刻んだ時の鑿のあとが はっきりと残っていました

月曜日, 2月 25, 2008

狛犬さん 427

2008.01.30 神戸市須磨区若宮町金刀比羅大権現・荒熊大明神
 この狛犬さん達は とある会社の敷地内にいたんです
 会社の方が いらっしゃれば一言お断りするのですが あいにくどなたも見かけませんでした そこで こっそり忍び込み撮ってしまいました

 小さな祠をお守りしている 小さな狛犬さん達です
 荒熊大明神については よくわかりませんでしたが お稲荷さんでは無いかと思います

日曜日, 2月 24, 2008

狛犬さん 426

2008.01.30 神戸市須磨区行幸町 元宮 長田神社
 空き地に囲まれたところに ポツンと立っていたお宮さんです
 制作年代は 昭和十四年七月七日
   祈武運長久
   慰?護國忠魂
 写真の撮り方が悪いので 護国の前の字が よくわかりません
 この狛犬さんを奉納された方 或いはご家族の方
  無事に生還されたのでしょうか

土曜日, 2月 23, 2008

狛犬さん 425

2008.01.30 神戸市須磨区外浜町 古川大明神
 須磨の水族園を 東のほうに歩いたところにある 小さなお宮さんです
 外見はどう見ても お稲荷さん
 通過しようとしたのですが 気になり訪問しました
 道路から 少し下に降りていきます
  おキツネさんが 一杯

 正一位 古川稲荷大明神の前に 可愛い狛犬さんが居ました
  十数センチの 小さな狛犬さんです
 年代的には 新しいもののようですね

金曜日, 2月 22, 2008

狛犬さん 424

2008.01.28 兵庫県明石市人丸町 熊野皇大神社内白龍神社
 境内に古い木の根が 保存されていましたが それは「白蛇の松」
  昔 松の木に白蛇が棲んでいたそうです
  時折 神殿の三寳に現れ その為に参拝者が多かったそうです
  そこで松の木に注連を張り 白蛇の松と言ったそうです

 このお宮さんは 白蛇の松と関係が あるのでしょうか

 狛犬さんは 少し古さを感じますが 年代はわかりません

木曜日, 2月 21, 2008

狛犬さん 423

2008.01.28 兵庫県明石市人丸町 熊野皇大神社
 ご祭神は 伊邪那岐命・伊邪那美命
 創立は 寛永十四年(1637)四月十九日
 由緒書きによりますと
  
天正六年(1578)織田信長家臣高山右近が 播州進攻の時
  大蔵谷城攻略の砌 稲爪神社がその兵火に罹り焼失
  この地に その小祠を建て稲爪神社を 仮に祭った
  その後 寛永十四年稲爪神社が再建したので 遷御の後
  その小祠へ同年四月十九日 時の明石城主松平丹波守光重が
  紀州熊野三社権現(熊野坐神社・熊野那智神社・熊野速玉神社)を勧請創立す
  学業成就・疫病除・知恵の神・安産の神としての信仰が特に深い

      そうです

 狛犬さんの台座には 昭和六十三年十月吉日 と刻まれていました

水曜日, 2月 20, 2008

狛犬さん 422

2008.01.28 兵庫県明石市大蔵本町 稲爪神社
 心願成就の宮だそうです
 本殿の前の幟?に拠りますと
  
推古天皇の御代 不死身の総大将鉄人率いる三韓の兵八千余
  九州へ来攻し 勢ひに乗じ東進する
  討伐の勅命を受けた伊予の國の武人小千益躬 三島大明神に祈願をなす
  播州明石に至り 突如稲妻の中に 大明神現れ 
  鉄人唯一の弱点足裏を射よとの御瑞験あり
  大雷鳴に好機を授かり 鉄人を「鬼指しの矢」にて
  足裏から脳天まで射抜くと言ふ
  心願叶ひて この地に稲爪神社創建す
  「大蔵谷の牛乗り」縁起 今に伝ふ
  


 「大蔵谷の牛乗り」とは お宮さんの秋祭りに行われるようです
 
長い尾のついた五色の笠を被り 矢をつがえた弓を手に持った人物が
 黒牛(現在は牛をかたどった乗り物)に乗って口上を述べ
 尾花をつけた者が牛の口とりをし、町内を一巡するものです
 推古天皇の時代(在位西暦593~628年)
 異国から鉄人が大将になり 黒牛に乗って日本へ攻めてきたのを
 この地で滅ぼした古事を伝え 「播州名所巡覧図解」にも記録されています
 江戸時代 大蔵谷村の庄屋が牛に乗り 
 昭和20年まで牛乗りを出す組(約50軒で組織する大統)がありましたが 昭和21年に解散
 その後 昭和46年に保存会ができ復活しました

  と言うものだそうです
 秋祭りは 10月10日頃行われるようです

 狛犬さんの台座には
    天明四年甲辰歳(1784)八月  と刻まれていました

 吽形だけですが 小さな狛犬さんが座っていました
 年代を感じる狛犬さんでした

火曜日, 2月 19, 2008

狛犬さん 421

2008.01.28 兵庫県明石市大蔵天神町 明石天神社
 通称「休天神社」と呼ばれています
 このお宮さんは明石の駅(うまや)があり その駅長の住居のあとだそうです
 この駅長と菅原道真は 旧知だったのか 道真の大宰府への流刑を嘆いたそうです
 その駅長に 
   駅長勿驚時変改 
   一栄一落是春秋
 と言う 漢詩を送り 慰めたそうです

 お宮さんの前には “社内菅公御踞石有   安政四年丁巳(1857)等”を
  刻んだ石碑があります

 狛犬さんは平成三年生まれの新人です

土曜日, 2月 16, 2008

狛犬さん 420

2008.01.28 兵庫県明石市太寺天王町 素盞鳴神社
 通称「天王神社」と呼ばれているそうです
 ご祭神は もちろん素盞鳴尊
  天照大神の弟で 農業・疫病(防災除疫)の神様です
  このお宮さんの 説明板では 医薬の道を教えた神様とされています
 八岐大蛇を退治し櫛名田姫を 妻に迎えます
 その時詠んだ
   八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を   は有名です

 江戸時代に 明石城の丑寅の方角の守護神として 建立されたお宮さんだそうです

 狛犬さんの台座には
    天保九戊戌年(1838)九月吉日  と刻まれていました
 阿・吽形共に 尻尾が欠けてしまい あちらこちら 傷ついています
  砂岩の狛犬さんは 痛みが早いようです 

金曜日, 2月 15, 2008

狛犬さん 419

2008.01.28 兵庫県明石市人丸町 柿本神社
 御由緒書きによれば
  
当社御祭神 柿本人麿公は
  奈良時代に宮廷にお仕えになられた歌人で 明石にて詠まれた歌も数多くあります
   元和六年(1620年) 当時 明石城主であった小笠原忠政公が
  人麿公を歌聖として大変崇敬され 縁深いこの地にお祀りいたしました
   主なご神徳は 学問・安産・火災除
  更には 非常に愛妻家として知られる公を 夫婦和合の神としても お祀りしております
   ご命日とされる旧暦三月十八日(現在では四月の第二日曜日)には
  本神輿に地域の子供達の神輿も加わり 計五基のお神輿が練り歩き賑わいます
   ■末社
      五社稲荷社
      天神社
      荒神社

   天離る夷の長通ゆ恋ひ来れば
      明石の門より大和島見ゆ
    (あまざかる ひなのながちゆ こひくれば あかしのとより やまとしまみゆ)
   留火の明石大門に入る日にか
      漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
    (ともしびの あかしおほとに いるひにか こぎわかれなむ いへのあたりみず)

 
 狛犬さんに関しても 立て札がありました
  
明石市指定文化財
      昭和五十八年度
   工芸品 石造狛犬
    一、明石市内の石造狛犬(54対)の中で 一番古いものである
    一、向かって右の狛犬は阿形で牙があり 高さ109cm 台座109cm
      左の狛犬は呍形で角があり 高さ99cm 台座110cm
    一、狛犬の材質は砂岩で 台座は花崗岩 宝暦四年(1754)の銘がある
                明石市教育委員会

  この狛犬さんは 播磨で最古と言われているそうです

 尾の形も 独特のデザインです

木曜日, 2月 14, 2008

狛犬さん 418

2008.01.28 兵庫県明石市上ノ丸 妙見社
 「妙見尊 縁起」によりますと
  
當山の妙見尊は 往古 武将「島左近」が常時崇拝された尊像で
  後年 明石藩に仕え本松寺の檀徒となった島家の末裔により
  當山に奉納された 霊験誠にあらたかな尊像であります
  當山では 本松寺の守護神として ご本尊(本堂)の乾(西北)に安置し
  毎朝 天下泰平・国土安穏と檀信徒並びに参拝者の所願成就を祈願して居ります
  
    妙見尊は 開運妙見大菩薩と申しまして 運勢を切り開いて
    信奉する人を助けようとする尊神さまです


 お宮さんの前には 鳥居がありますが 中に入るとお寺の雰囲気があります
 此処は 神仏混交を思わせるところでした

 狛犬さんは なんとも愛嬌のある顔をしています
 制作年代は 判りませんが 台座に
  願主  姫路領  蛸草所  巳年男  と刻まれていました

水曜日, 2月 13, 2008

狛犬さん 417

2008.01.26 神戸市東灘区本山町北畑 保久良神社内祓御神社
 保久良神社のご祭神は 須佐之男命・大歳御祖命・大国主命・椎根津彦命
 創立年は不詳だそうですが このあたりからは石器時代の石斧や青銅器時代の銅矛
 弥生式土器等が 多数出土しているそうです
 出土品は 紀元前2~3世紀頃より紀元3世紀頃の物で そのいずれもが儀礼用だそうです
 その頃より この地は霊地として祭祀された証拠ではないかとのことです
 お宮さんは海抜185mにあり 前には茅渟の海を一望できるところです
 「灘の一ツ火」は 当時の人々には よく見えたでしょうね

 末社として祓御神社が祀られています
  ご祭神は 天照皇大神・春日大神だそうです
 台座には 元治弐歳(1865)
         丑二月建立 と刻まれているようです
 阿・吽どちらにも 角がありません

火曜日, 2月 12, 2008

狛犬さん 416

2008.01.26 神戸市東灘区北畑 保久良神社
 「灘の一ツ火」で知られています
 鳥居の向かいに 石燈籠があり これは文政八年(一八二五年)のものです
 往古は かがり火を燃やし 中世の昔より 油○で 千古不滅の御神火を点しつづけ
 最初の灯台として 海上の船人の目印になっていました
  古くから ふもとの北畑村の天王講の人々が 海上平安を願う「祖神」と遺志を継承し
 交替で点灯を まもりつづけてきやものです
  これを「灘の一ツ火」と言うのです
 但し今では 電線が引かれ 電球が入っていました
 これは 燈籠の傍にある説明板に書いてあるのですが
 その写真を撮った後 ふと 振り返ると 若いイノシシさんが 歓迎に出てきてくれました

 本殿の前に居た狛犬さんです
 台座には 昭和十四年(1939)五月吉日 と刻まれていました

金曜日, 2月 08, 2008

狛犬さん 415

2007.11.29 兵庫県姫路市飾磨区思案橋 津田天神社内山部赤人神社
 山部赤人と言えば あの有名な奈良時代の歌人ですね
 百人一首に載っている 
  田子の浦に 打ち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
     は皆さんご存知だと思います
  本当は“田子の浦に”では無くて“田子の浦ゆ”なんですよ

 聖武天皇に下級官僚として仕え 同時代には 山上憶良・大伴家持などがいます
 天皇のお供で 紀伊・吉野・難波等を 訪れその土地を褒める歌を読んだそうです
 明石に来た時は 
  明石潟潮干の道を明日よりは 下咲しけむ家近づけば
        等の歌を残しています

 狛犬さんの口と目は彩られていたようです
 台座には 昭和四十四年四月  五周年記念と刻まれています 

 山部赤人が神亀三年(726)十月十日に 聖武天皇のお供をして
 明石を訪れた時 マグロを獲って栄えていた事を讃え
   やすみしし 我が大君の 神ながら
   高知らせる 印南野の 邑美の原の荒栲の
    藤井の浦に 鮪(シビ)釣ると 海人舟騒ぎ
    塩焼くと 人そさはにある 浦をよみ
   うべも釣りはす 浜をよみ うべも塩焼く
     あり通ひ 見さくもしるし 清き浜

 そこで 十月十日を 日本鰹鮪漁業協同組合連合会が昭和六十一年(1986)に
   マグロの消費拡大を目的に 「マグロの日」に制定したそうです

木曜日, 2月 07, 2008

狛犬さん 414

2007.11.29 兵庫県姫路市飾磨区思案橋 津田天神社
 このお宮さんは 延喜元年(九〇一)大宰府に向かう途中の菅原道真が
 「津田の細江」で 船のとも綱に座り休憩したので 綱敷天神とも言うそうです
 永仁六年(一二九八)・嘉吉三年(一四四三)に社殿を再建したそうですが
 広大な社域も 天正八年(一五八〇)羽柴秀吉の英賀城攻めで焼失し
 社殿も現在地に 代わったそうです

 瀬戸内海に面したお宮さんには 「綱敷天神」の名前を持つお宮さんが多いですね
 本当にお宮さんの数だけ休んでいたとすると なかなか大宰府に着かなかったと思います

 狛犬さんの台座には 享和二壬戌年(1802)九月吉日と刻まれています
 今から200年ほど前ですね
  願掛けのためと思われる 水引が結ばれていますが 何故か吽形の足だけですね
 この狛犬さん達の前に 大正六年(1917)七月に奉納された牛さんがいました

水曜日, 2月 06, 2008

狛犬さん 413

2007.11.29 兵庫県姫路市飾磨区加茂 加茂神社
 ご祭神は 加茂別雷大神
 当社は 中世播磨・美作・備前国守護職赤井満祐が 山城国上賀茂神社から
 御分霊を勧請したが 永享四年(1432)の大洪水でこの地に流され
 そのまま今日に至っているそうです
 此処は昔 水田村と呼ばれていたが 神社に係るとして加茂村と呼ぶようになったそうです
 平成八年一月十三日午後二時二十分頃 突然の不審火で焼失
 平成八年七月二十四日再建されたそうです
  なんと三百三十五人が寄進し 参千弐百萬圓掛かったそうです

 狛犬さんはその再建の記念として
    平成九丁丑年四月吉日   置かれたものです

火曜日, 2月 05, 2008

狛犬さん 412

2007.11.29 兵庫県姫路市飾磨区中島 天満神社
 境内に「神徳」と書かれた石板があります
 明治四十年(1907)五月に岡山の人が 日露戦争出征前に参拝したそうです
 弾丸雨飛の中馳駆したるも九死に一生を得 無事凱旋
 後日 お礼にと金壱百円を寄付したそうです

 計算方法はいろいろあるようですが
  明治40年の1万円は 現在の1000万円強に なるようです
 物価の安かった頃ですから 軽く家一軒は買えたでしょうね

 本殿前に居た狛犬さんです
  大正八年一月吉日
 石工の名前は 読み取れませんでした   

月曜日, 2月 04, 2008

狛犬さん 411

2007.11.29 兵庫県姫路市飾磨区 天満神社
 境内にこんな看板がありました
  
中島と天満神社
   旧中島村は 野田川と市川河口部の間にあり
   文禄三年(一五九四)「下中しま村」「下中嶋」(芥田家文書)とみえ
   明治二十二年高浜村に属し 同二十七年分離 大正八年飾磨町に属し中島と改称
   昭和十五年飾磨市 同二十一年姫路市となる
   神社の東西に連なる集落地は 江戸時代以前の海岸砂堆で
   その南方は 明和元年(一七六四)寛政の相生新田 
   天保十三年(一八四二)寛政の相生新田 文久三年(一八六三)完成の大森新田など
   江戸時代を通して開発された新田
   天満神社は通称中島天満宮 恵美酒宮天満神社より分霊を勧請したといい旧村社
   もと蓮浄寺の門前にあったが 元禄七年(一六九四)高浜の松林と言われた現在地に
   移転したと言う 
   境内には 弘化三年(一八四六)の水盤 当村の弥左衛門が文久二年(一八六二)に
   持ち上げたと言う力石 文久三年の石燈籠などが残る
       平成一七年三月  姫路市教育委員会
                姫路市文化財保護協会

 
 狛犬さんは かなりボリューム感があります
  台座には 平成八年十二月吉日 と刻まれています

 狛犬さんの足元に居る 子供と玉です
 ブスッとした 子供の顔が可愛いですね
 阿形の足元に有るのは 宝珠かと思われますが 私にはどう見ても桃に見えるんです

日曜日, 2月 03, 2008

狛犬さん 410

2007.11.27 滋賀県彦根市橋向町 蛭子神社
 蛭子さんは海とか航海の神様なんですが 琵琶湖が近いので 
   航海の神様として祀られているのでしょうか
 お宮さんは芹川を越えてすぐのところにあります
 芹川を 船が上がって来たのかも知れませんね
 彦根の歴史に詳しくないので そのあたりがよくわかりません

 狛犬さんは 昭和六年(1931)五月建立です
 吽形のほうは 牙が二本見えますが 阿形の方は前歯だけしかないように見え
  ちょっとユーモラスな顔です

土曜日, 2月 02, 2008

狛犬さん 409

2007.11.27 滋賀県彦根市後三条町 彦根神社
 境内に 彦根地名の源流
      祭神 活津彦根命
     天照大神の王子活津彦根命 当地にご光臨になり・・・・
     彦根の地名生る  中村不能斉書彦根山由来記(参照)
   石碑をきちんと撮って居なかったので ・・・・のところがわかりません

 彦根市の公式サイトでも 彦根市の歴史として地名は
  活津彦根命が活津彦根命明神として 彦根山に祭られたのとに由来している
 と書かれていました

 狛犬さんは垣根の内側に居ましたので 写真が撮りにくい状況でした
 阿形は足元に玉を踏みしめ 吽形は子供が纏わりついています
  台座に嘉永七年(1854)○寅と刻まれていました

金曜日, 2月 01, 2008

狛犬さん 408

2007.11.27 滋賀県彦根市京町 千代神社
 由緒略記によりますと
  主祭神  天宇受売命
   脇祭神 猿田彦命
  本殿 三間社流造檜皮葺
    (昭和二十五年八月 国の重要無形文化財に指定)
     江戸時代前期の典型的な建造物だそうです

 創立年代は明らかでないが 
  人皇第八代孝元天皇(在位 紀元前214年一月十四日~紀元前158年九月二日)の
  皇女倭迹迹姫の降誕によって勧請し 
  履中天皇(西暦336?~405年四月二十九日)の御代に再建されたと伝えられる

  古くは佐和山の麓 姫袋に鎮座していましたが 天正十三年(1585)石田光成が
  佐和山城を築くため 彦根山麓の尾末に移築 
  慶長六年(1601)彦根藩主井伊直政が彦根城築城のため
  旧地姫袋に移築し 以後三百年ほどは そのままでしたが
  昭和三十年代 隣接するセメント工場の増設拡張による 粉塵公害から保護するため
  昭和四十年 現在の地に 移築されたそうです

 由緒書きを信ずれば 紀元前に創立された神様も
  築城と公害には 勝てなかったのですね

 今お宮さんがある辺りは 彦根城の外堀に当たるところだそうです
  すぐ横は 錦町になるのですが
  町名は 伊賀流忍者家が住んでいたの 伊賀町と呼ばれていました
  最近町名変更になり錦町となったそうです

 狛犬さん 阿・吽共に 角がありません
  紅葉の季節でしたので 阿形の方は綺麗な紅葉を背にしています