水曜日, 12月 10, 2008

狛犬さん 644

2008.11.24 兵庫県明石市魚住町西岡 天王神社
 神社前に設置されている説明版によると
 
天王神社(てんのうじんじゃ)
  一、素盞鳴神社 牛頭天王宮ともいう
    牛頭天王は 病をまぬがれる有名な神
    また農村では 病虫害を除くための神として
    信仰が高い
  一、この山を俗に天王山といい 
    神亀三年(726)聖武天皇が
    邑美頓宮(おおみのかりみや)に
    行幸された跡だとも 伝えられている
        明石市教育委員会


 聖武天皇は 神亀三年 この年近畿地方が豊作だったそうで
 そのことを 国民と共に喜ぶため その年の田祖を免除し
 播磨国印南野に 行幸したそうです
  
 村国志我麻呂は 壬申の乱で功を立てた 村国男依の子だそうで
 神亀三年九月八日 従四位下の門部王・正五位下の多治比広足・
 従五位下村国志我麻呂等 18名が造頓宮司に任命された
 天皇は 一週間ほど邑美頓宮に 滞在したそうです
  
 神社の創建は 養老三年(1181)だと 伝わっているそうです

 狛犬さんの台座には 昭和七壬申年(1932) 
            九月吉日   と刻まれています
 明石観光協会によると 前足で珠を抱えるスタイルの狛犬さんは
  このあたりでは 珍しいようです

月曜日, 11月 24, 2008

狛犬さん 643

2008.11.11 兵庫県丹波市山南町井原 日吉神社
 境内にあった由緒書きによりますと
 
日吉神社
  祭神 大山咋命
  相殿 國狭槌尊・豊斟渟尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊
    大山咋命は 素盞鳴尊の御孫にして 地方開拓に
    神功高き神である他は 何れも我国創建の神々である
 當社は 滋賀県元官幣大社 日吉神社の御分霊を奉斎せし社で
 本殿は寶暦十一辛巳年(1761)九月に 改築せられ 拝殿及び鳥居瑞垣等は
 昭和三戊辰年(1928)十月 今上天皇御大典記念として 建設せしものである

 鋭い牙を持った狛犬さんたちです
 台座には 昭和三十四年(1959)四月建之 と刻まれていました

 後姿ですが 吽形の鬣は逆立っています

日曜日, 11月 23, 2008

狛犬さん 642

2008.11.11 兵庫県朝来市和田山町東谷字宮ノ本 内倉神社
 和田山駅近くにあったお宮さんです
 このお宮さんも 御祭神・由緒がわかりませんでした
 
 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)十月十七日
  高品定太郎   と 刻まれていましたが 
  この人は石工でなくて 奉納者なのでしょうね

土曜日, 11月 22, 2008

狛犬さん 641

2008.11.11 兵庫県丹波市青垣町奥塩久 宇徳神社
 覆屋の中に 本殿が収められていたのですが
 なんと 阿形の狛犬さんが 引っくり返って落ちそうになっていました
 神様にお断りして 中まで入り 阿形の狛犬さんを真っ直ぐにしました
 狛犬さんは四角い木の台座に乗っていました
 その箱のような台座に 明治八年亥年(1874)と書かれていました

 可哀相に 引っくり返り落ちそうになっている狛犬さん

水曜日, 11月 19, 2008

狛犬さん 640

2008.11.11 兵庫県丹波市青垣町奥塩久 宇徳神社
 調べてみたのですが 御祭神も由緒もわかりません
 境内に奉納されている灯篭に 元禄十有七年(1704)
     申三月十八日 と刻まれていました
  元禄十七年は 三月十三日に 宝永元年に改元されています
 又他の灯篭には 寛政十二申年(1800)と刻まれていました
   二つの灯篭から見ると 江戸時代初めのころには 
    このお宮さんは 存在したようです 

 狛犬さんの台座には 大正六年(1917)十 と刻まれていました
 阿形の口の中には 珠があり ころころと動きました 

 ただ 鳥居に車止めでしょうね
   紅白の遮断機が 設置されていました

日曜日, 11月 16, 2008

狛犬さん 639

2008.11.11 兵庫県豊岡市出石町内町 諸杉神社
 此のお宮さんは 現在出石城の東側に鎮座していますが
 当初は 出石神社南西の 有子山に鎮座し諸枌神社と書かれていたそうです
 天正二年(1574)に 但馬国守護山名氏が居城を 此隈山から
 出石有子山に移すにあたり 現在地に城の守護神として遷座したそうです

 狛犬さんの台座には 明治廿七年(1894)六月吉日建立 と刻まれていました

土曜日, 11月 15, 2008

狛犬さん 636

2008.11.11 兵庫県豊岡市出石町内町 諸杉神社(もろすぎじんじゃ)
 出石城のすぐ東側にあるお宮さんです
 創祀年代は不詳だそうですが 式内社のようです
 ご祭神は多遲摩母呂須玖神(たぢまもろすくのかみ)
 此の神様は 但馬建国の神である天日槍神の 子供にあたるそうです
 御祭神の「もろすく」が「もろすぎ」に転訛したそうです
 一の鳥居は 明神鳥居ですが 奥にある二の鳥居は両部鳥居の二種類の鳥居がありました
 
 狛犬さんの胸が赤くなっているは カビのようなものなのでしょうか
 触るとふわふわしていて 石造りとは思えない手触りでした
 前足の間にまるで彫り残しのように見える丸い部分がありますが
  これは 宝珠なのでしょうか
 明治三十八年(1905)11月建立 と 刻まれていました

金曜日, 11月 14, 2008

狛犬さん 635

2008.11.11 兵庫県豊岡市出石町下谷 石部神社
 境内にあった 由緒書きによりますと
 
石部神社(いそべじんじゃ)の由緒
  石部神社は 御祭神を
  「天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)」と申して
  延喜式神名帳(一,一〇〇年前)に記載されている
  由緒のある神社です
  その神前には ご神木の大ケヤキがそびえています
  この樹齢は 一千年といわれ 幹の周囲は八メートル
  高さ三〇メートルあります
  長年の風雪に耐えて幹には苔を帯びています
  「健康長寿」「幸福安全」と願って
  昔から「幸の大ケヤキ」と呼ばれています
  境内には「皇大神宮」と「天満宮」がまつってあります
         石部神社


 狛犬さんの台座には 明治四十一年(1908)九月 と刻まれていました 

 雪除けかと思いますが 本殿の周りには すだれが張り巡らされています
 その陰からこっそり中を覗き込んでいる 狛犬さんがいます
 囲いがしっかり張られているので 此の後姿しか 写せませんでした

木曜日, 11月 13, 2008

狛犬さん 634

2008.11.01 神戸市西区伊川谷町前開 八幡神社
 此のお宮さんを見つけるのは ちょっと苦労しました
 すぐそこに 見えているのに 上がって行く道が見つからないのです
 個人の住宅の敷地内のようなところを通り抜けて ようやくたどり着きました
 此のお宮さんも 阪神大震災の影響でしょうか
 階段等に ズレがありました

 狛犬さんの台座には 昭和廿年(1945)十月建之 と刻まれていました

火曜日, 11月 11, 2008

狛犬さん 633

2008.10.25 大阪府高槻市天神町 上宮八幡神社
 此のお宮さんの鳥居は 一の鳥居は お宮さんから少し南側
 商店街の中ほどにあります
 しかしこれは 参道拡張のため 昭和五十二年に
   江戸時代の鳥居を移転させた後に 作られた新しいものです
 二の鳥居は 明暦二年に 高槻藩主永井直清が寄進したものだそうです
 此の鳥居が 今の一の鳥居の場所にあったものです
  儒学の大家 林羅山の神威を称える銘文が刻まれているそうです 
 更に進むと 鳥居かどうかよく判らない三柱鳥居があります
 三柱鳥居ですが 検索しますと 京都の「木嶋坐天照御魂神社」にある
 鳥居を三角形に 組んだ形のものです
 しかし ここでは 横に柱が三本並んでいる形です
 柱が三本と言うことは 二箇所通り抜けるところが出来るわけで
 片方は 歩行者 もう一方は車が通れるようになっているだけのようです

 此の狛犬さんは 一の鳥居の傍にいました
 台座には 文久二年(1862) 壬戌三月吉祥  と刻まれていました

月曜日, 11月 10, 2008

狛犬さん 632

2008.10.25 大阪府高槻市天神町 上宮八幡神社
 由緒書きによりますと
 
御祭神 武日照命・野身宿禰命・菅原道真命
  日の神 武日照命の天降って鎮座された此れの太古の社
  日神山一帯は 弥生人の住居跡として 銅鐸も出土し
  南北に並ぶ四古墳のうち 中央の円墳上には 式内古社の
  野身神社がある
  此地は「日本書紀」が古代祭儀としての埴輪や相撲の逸話を
  記した野身宿禰を 千数百年も前から斎き祀ってきた
  島上郡野身里である
  彼の率いる祭祀者一族 土師氏は何百年か後に
  菅原道真・大江匡房始め平安時代に於ける史学・文芸学者たちを
  次々に生み出すが 殊に右大臣まで昇った道真公は
  然しその後天皇廃立に関わったとされ 九州に追放される
  その死後百年近い頃 正暦四年(九九四)に正一位左大臣の位を
  遺贈する勅使として 菅原為理が大宰府へと赴いた
  御霊代などを奉じての帰途 芥川を溯り 当地の上田部(市役所西)
  に上陸し 領主近藤氏の城館に宿った
  ところがいざ出立となると輿が動かず 
  これを先祖と共に留まりたい霊意と拝察して
  里人が日神山上に天満宮本殿を造営し 改めて三神を併祭し奉った
  実際の創建はこれより五十年も早く 京都北野神社鎮座以前であり
  全国の天神社のうち二番目の古社とされている
   戦国の天正年間 豊臣秀吉は当社参道「天神馬場」に
  本陣を置き 明智勢を山崎天王山に討った
  その戦勝を感謝して 後に秀吉は社殿を美々しく修造する
  これは平成八年に事故により失われた
   江戸時代初期には 高槻藩主永井直清が拝殿を設け
  大鳥居も建立 時の天台座主親王天松院筆の神額を奉納した
   古来 近郷の三島地方はもとより 遠く京都・大阪を始め
  北摂野勢や北河内方面の崇敬を集め 今に至る例祭「初天神」は
  延々を露天の連なる京阪神きっての民衆的大祭である


 狛犬さんの台座には 宝暦?歳十一月吉日
    谷(大?) 石大工
        西田新九郎正義 と刻まれていました
    宝暦は1751~1764年の 十四年間です 

 境内には「天神基菌」が栽培されていました
 これは 境内で大量発生する落葉枝葉を利用した 肥料のことだそうです
 この天神基菌を作ったり 周りの竹藪を整備したりと言ったことは
 すべて ボランティアの人々が なさっているそうです
 平成八年 本殿は焼失したそうですが 現在再建されている本殿は
 全て竹で 出来ています
 内部の床には 玉砂利と竹炭が 使われているそうです

日曜日, 11月 09, 2008

狛犬さん 631

2008.10.25 大阪府高槻市古曾部町 日吉神社
 由緒書きによりますと
 
日吉神社の御祭神は 大山咋命・天照大神・住吉大神を祀る
  天正元(?)年七月荒木村重 芥川城を陷(?)れて 織田信長に謁し
  信長 其功を賞して 摂津守に任じ 摂津十四郡を領せしむ
  依て荒木村重は此地に?倉を創立し 
  近江國滋賀郡日吉神社の分霊を勧請して祀り
  九(?)月十八日を以て祭典を執行せしも?
  当社の起原なりと社?は 慶長十九年正月十一日に再建せられ
  元和五年十二月廿五日高槻城主松平紀伊守家信 社領二石を献附し
  祭典の折には 乗馬を献ずるを例とし 寛永十三年九月廿日
  同城主岡部美濃守宣勝 同十七年松平若狭守庚信
  慶安四年正月城主永井日向守直清は 皆 前例に依り社領二石を
  寄付し 祭典に乗馬を献して変更なく 以て明治後の廃藩に至る
  社名は元三王権現と稱せしが 後日吉神社と改められ
  明治五年村社に列せられる
  境内は三百八十五坪を有し 本殿は神明造檜皮葺にして 
  彩色を施され 前紀慶長の古建築なり(大阪府全?)
    昭和四十年建立
                日吉神社

 狛犬さんの台座には 明治丗八年五月建之
      石工 京?    ??
  残念ながら 石工の名前は 読み取れませんでした

 狛犬さんの顔をよく見ると ヒゲが生えています
 今まで見た狛犬さんには ヒゲは無かったような気がしますが

金曜日, 11月 07, 2008

狛犬さん 630

2008.10.25 大阪府高槻市安満磐手町 磐手杜神社
 社頭の森は 磐手の杜として 歌枕として名高いそうです
   君にしも秋を知らせぬ津の国の
     いわての杜と吾身ともかな
 神社の門は 上り藤ですが これは藤原家の紋だそうです
 本殿の前にいた狛犬さんです
 台座には 文政七申年(1824)十一月十五日 と刻まれていました
 吽形の頭には 小さな角の用はふくらみが付いています

 金銀の狛犬さんです本殿脇にいました

木曜日, 11月 06, 2008

狛犬さん 629

2008.10.25 大阪府高槻市安満磐手町 磐手杜神社
 説明版によりますと
  
磐手杜神社(いわてもりじんじゃ)
  御祭神は 武甕槌命・天児屋根命・経津主命・
       姫大神・安閑天皇
  社伝によれば 天智天皇5年(666)藤原鎌足の勧請により創建され 
  初めは安満神社と称したという
  12世紀頃に 春日神社と改め 建久6年(1195)後鳥羽上皇が
  この地を訪れたときには 社殿は秀麗にして壮大であったと伝えられている
  天正年間に高山氏の兵火によって焼失したが 元和8年(1622)に
  現在の社殿が造営され 江戸時代には歴代高槻藩主の信仰が厚く
  隆盛を極めた 明治44年(1911) 大字別所の雲峰神社を合祀し
  磐手杜神社と改められた

 神社の手前には檜尾川が流れ 昔の姿を想像すると 
       神寂びた神社であったろうと 推察されます
 毎年五月五日には「神輿渡御神事」別名「馬祭」が 行われるそうです
 この神事の記録は 貞享2年(1685)の「村馬番覚書」まで
 遡る事が出来るそうです
 平成18年2月に高槻市無形文化財に指定されたそうです

 狛犬さんの台座には 平成五年(1933)五月吉日 と刻まれていました

火曜日, 11月 04, 2008

狛犬さん 628

2008.10.19 兵庫県高砂市阿弥陀町 生石神社(おうしこじんじゃ)
 このお宮さんは「石の宝殿(鎮の石室)」で有名なところです
 「石の宝殿」は 人工的な巨石が残る遺跡のことだそうです
 兵庫県・大阪府に 五ヶ所あるそうです
  1.石宝殿古墳      大阪府寝屋川市 
  2.六甲山の石の宝殿   兵庫県神戸市
  3.金剛山の石の宝殿   大阪府南河内郡と奈良県御所市の境
  4.葛城山の石の宝殿   大阪府岸和田市・貝塚市と和歌山県紀の川市の境
  5.生石神社の石の宝殿  兵庫県高砂市

 又 宮城県鹽竈神社の塩竃・宮崎県霧島神宮の天逆鉾と石の宝殿を
  総称して「日本三奇」と呼ぶそうです
 神社略記と境内の説明版によりますと
 
石宝殿  生石神社
  御祭神 大己貴神(生石大神・大国主神ともいう)
      少彦名神(高御位大神・粟島神ともいう)
  創建  崇神天皇十三年(西暦九七年)申日
   神代の昔 大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の
   二神が天津神の命を受け 国土経営のため 出雲の国より
   此の地に座し給ひし時 二神相謀り 国土を鎮めるに相応しい石の宝殿を
   造営せんとして 一夜の内に工事を進めらるるも
   工事半ばなる時 天佐久売がやってきて 阿賀の神が麓の里で
   反乱を起こしていると 二神に告げた
   そのため 二神は山を下り 数多神々を集め(当時の神詰・現在の高砂市神爪)
   この賊神を鎮圧して 平常に還ったのであるが 夜明けとなり
   此の宮殿を 正面に起こすことが出来なかったのである
   時に二神宣はく たとえ此の社が未完成なりとも 二神の霊は
   この石に籠り永劫に 国土を鎮めんと 言明されたのである
   以来此の宮殿を石乃寶殿・鎮の石室と稱して居る所以である

   此の工事の時生じた石屑は 人や動物に踏ませじと 
   一里北の高御位山の山頂に 捨てられた
   現在も 莫大な石屑が山頂から麓にかけて  今尚あり 
   魚の象(かたち)になっている 
   此の付近には 岩を切ったあとかたは全く無い

   鎮の石室は 三方断崖に囲まれ 池中に石殿横たわる
   樹木が上部に生い茂っている
   四方三間半(約六,三六メートル)棟へ二丈六尺(約七,八メートル)
   重量五〇〇~七〇〇トンと云われている
   此の石室は 俗に浮石という
   この浮くは 石工の用いる言葉で 岩にひびが入る
   即ち割れ目の出来ることを意味している
   石宝殿と台座との間に ひびが入っているので 浮石という
   池中の水は 如何なる旱魃に於いても渇することなく
   海水の満干を表し 万病に卓効有るものと云ひ伝へられている

   崇神天皇十三年に創建されて以来 伊保荘・平津荘の鎮守として
   崇められ 孝徳天皇は 白雉五年(654)千石の土地
   (現在の 生石・神爪・島の土地併せて千石)を寄付されたので
   この三町は墓地をいみ 生石は魚橋、神爪は岸、島は米田に墓地を作り
   宮百姓と称していたので 大いに栄えていたが
   天正七年(西暦一五七九年)羽芝秀吉(後の豊臣秀吉)が三木城攻略の折
   神吉城も落とさんとして 當神社を陣所に貸与せよとの申出に対し
   兄の城を攻める〔時の宮司は神吉城主の弟〕陣所には貸さぬと
   拒否したるため 秀吉の怒に触れて焼き撃に逢い
   そのため神社伝承の凡てが一瞬にして 灰燼に帰したのである
   その時焼け残った梵鐘は 持ち去られ
   後日 関ヶ原の戦に西軍石田三成の勇将大谷刑部吉隆が
   陣鐘として使用したるも 敗戦の結果 徳川家康が
   戦利品として 美濃国赤坂の安楽寺に寄付し 敵将ながらも
   実に惜しむべき武将であると慨嘆し 朝夕この鐘を撞いて
   未来永劫に吉隆及び戦没者霊を慰めよとの事であったと云われている
   現に 大垣市の指定文化財として保存され 鐘の表面には
   當生石神社名が 刻銘さる

   大汝少彦名乃将座志都乃石室者幾代将経   万葉集
    (おおなむち すくなひこなのいましけむ 
      しづのいわやは 幾代へぬらむ)


 2008年1月12~13日に 日本文化財探査学会による
  石の宝殿の内部診断調査が行われたそうです
 レーダー探査では 上部に水分を含む部分があるらしいことがわかったそうですが
 それが 人工的な穴なのか 風化による亀裂なのかは わからなかったそうです
 超音波検査では 超音波が宝殿内部を流れないことが判り
 このことは かなりの亀裂が 表面付近から内部にあることを意味しているそうです
 しかし 石棺を収める石槨ならば存在するはずの空洞は 確認できなかったそうです   

 狛犬さんの台座には 明治三十九年(1906)五月建之   と刻まれていました

 お宮さんのすぐ傍に 石切り場があります
 ここから取れる石は「竜山石」「宝殿石」と呼ばれ 比較的軟質で
  加工しやすく 仁徳天皇陵などの石棺にも使用されているそうです
 竜山石は 兵庫県加古川下流右岸に産する流紋岩溶結凝灰岩の呼び方だそうです
 白亜紀後期(約1億年前)の 火山活動によって噴出した
 火砕流堆積物が厚く堆積したものだそうです

 江戸時代初期・慶長年間の姫路城や明石城には 石垣などの建築構造資材として
 大量に使用されたそうです
 天保七年(1836)には 姫路藩の専売品となったそうです

 生石神社自体が 大きな一枚岩に囲まれて 建っています

月曜日, 11月 03, 2008

狛犬さん 627

2008.10.16 神戸市西区神出町北 三坂神社
 境内には 土俵があり 偶には使われたような形跡がありました
 子供相撲でも 奉納されるのでしょうね
 この狛犬さんは 新しいですね
 台座に 昭和六十二年(1987)十月吉日と刻まれていました

日曜日, 11月 02, 2008

狛犬さん 626

2008.10.16 神戸市西区神出町北 三坂神社
 由緒書きによりますと
 御祭神 大日靈命・大已貴命・事代主命
 創建  天正十六年(1588)六月十二日
 合祀神社  八幡神社
        御祭神 誉田別命・気長足媛命・武内宿禰命
       大歳神社・大年神社・神乃木神社
       年徳社
        御祭神 國常立命・須佐之男命・猿田彦命・稲倉魂命・豊国之命
 狛犬さんの台座には 加古郡乃木?乃水?
           細工人 七兵衛
     天保五年(1834)庚?八月吉日
   天保年間で「庚」が付くのは 天保元年(1830)庚寅
     又は 天保十一年(1840)庚子になります
   天保五年は 甲午になります
 何か読み間違ったようです 

金曜日, 10月 31, 2008

狛犬さん 625

2008.10.16 神戸市西区神出町宝勢 嶋姫神社
 嶋姫は市杵嶋姫(いちきしまひめ)のことと思いますが この神様は水の神様です
 「いちきしま」は「斎き島」のことで 「いちきしまひめ」は
 神に斎く島の女性(女神)と言うことだそうです
 このお宮さんは 田畑の中にありますが このあたりは水の便が悪く
  溜め池が沢山あります
 そこで 水の神である市杵嶋姫を 祀ったのでしょう
 この神様は 仏教の弁財天と同じとされています

 狛犬さんの台座には 大正?年十月  と刻まれていました
  年号の部分だけが 削れて読めなくなっていました

木曜日, 10月 30, 2008

狛犬さん 624

2008.10.16 神戸市西区神出町東 神出神社
 由緒書きによりますと
 
神出神社
 祭神 素盞鳴命・奇稲田姫命(くしいなだひめ)・大己貴命
 勧請 五十一代 平城天皇  大同四年九月九日
 由緒 この地に 二山がある 東を雄岡山(二四一米)
  西を雌岡山(二四九米)古くから信仰の対象とされている
  神代に素盞鳴命 奇稲田姫命の二神が 
  この雌岡山に降臨され 薬草を採取して 住民の病苦を救い
  農耕を指導された 二神の間に多くの神々がお生まれになり
  そのうち大己貴命は この地でご生誕されたと言う
  このことから この地を神出と言うようになった
  降る大同四年(809)平城天皇諸国巡幸のとき この地にたちよられ
  神代の古事をしのび 三柱の神を勧請祭祀された
  これが神出神社のおこりである
  明治七年(1874)二月に村社 同十四年(1881)郷社となった

 又 立て札に
 
雌岡山(めっこさん)と雄岡山(おっこさん)
   大きさも形も瓜二つの山で その昔 遠くから眺めると
  子牛の角のように見えたことから 
  男牛(おご)・女牛(めご)といわれていたそうです
  それが 雄子尾・雌子尾となり やがて雄岡・雌岡になったそうです
  雌岡山には 牛頭天王を祀るので 天王山とも呼ぶ
   神話によると 雄岡と雌岡は 夫婦の神で
  男神の雄岡が 小豆島の美人神に惚れたことから
  妻が止めるのも聞かず 鹿に乗り 会いに行きました
  その途中 淡路の漁師に弓を撃たれ 男神と鹿は共に海に
  沈んでしまいました すると 鹿は忽ち赤い石になり
  それが 明石の名称の起こりともいわれています

 狛犬さんの台座には 文化二(1805)乙丑十一月吉日 と刻まれていました

 「彦石」と呼ばれる 鳥居の折れ端を使った 男性のシンボルと 
  男女の形が揃っているので「天道裸石」と名付けられ 
  そこから裸石神社と呼ばれるようになったそうです
 長らく本殿は無く 彦石の周りに 石の玉垣を廻らされただけの神社だったが
  大正初期に 本殿が建てられたそうで 今では前に拝殿も建てられています
 姫石神社は 女性の象徴なのでしょう
 姫石神社の中央の大きな石を 誕生石と言って 
  この上で神様が生まれたと言う伝説があるそうです
 雌岡山(天王山)の神話に「方丈磐石」という大きな岩が出てくるそうですが
 その方丈磐石が 姫石神社のご神体だそうです 

水曜日, 10月 29, 2008

狛犬さん 623

2008.10.16 神戸市西区神出町東 山王神社
 雌岡山の麓に鎮座しています
 山王神社でしたら 御祭神は 大山咋神ですね
 吽形の頭には 小さな角がありました

火曜日, 10月 28, 2008

狛犬さん 622

2008.10.16 神戸市西区神出町紫合 若宮神社
 御祭神・創立年代等は わかりません
 境内は広く かなり立派なお宮さんでした
 若宮神社と呼ばれているようですが 若宮とは
 応神天皇の皇子 仁徳天皇を祭っているのでしょうか

 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)九月建立 と刻まれていました

月曜日, 10月 27, 2008

狛犬さん 621

2008.10.16 神戸市西区押部谷 住吉神社
 由緒書きによりますと
 
由緒
  当神社は 今を溯る千二百三十年の昔
 第四十六代孝謙天皇の御代 天平勝宝六年(754)
 旧暦の九月十三日に 川向いの元住吉山に勧請せしに創まる
 永禄二年(1559)六月二十九日 「四百二十五年前」に
 現在地に 遷座されました その後二十年過ぎて
 天正七年六月二十五日(一五七九年)には 兵火にかかり
 神社建物は悉く焼かれました 安土桃山時代の末期
 文禄三年(1594)九月十三日には 高和の社地に
 お旅所を創立し 江戸時代初期の元和五年(一六一九年)
 住吉神社の朱印領は十石と 記されてあります
 正保四年(1647)八月に 四別棟を再建し
 享保十九年(1734)四月本殿覆を建立し
 明治七年(1874)二月には 兵庫県明石郡の郷社に列せられました
 格式の高い神社です 大正八年(1919)に境内敷地を拡張し 
 昭和五十六(1981)年六月には 参集殿を建設し 現在に至っております


 他の立て札によりますと
 
住吉神社
 押部の庄(今の押部谷全部の十二ヶ村と平野町の常本)全体の総氏神である
 ご祭神は 表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長足姫命の四柱
 孝謙天皇の天平勝宝六年九月十三日に 摂津の国 住吉神社から 
 社家 津守連(つもりのむらじ)が 楯神・鉾神と共に
 神霊を元住吉神社に勧請したのが 始まりである
 その後 疫病が流行し その上五穀が実らぬ年が続き
 氏人らが ご神託により 永禄二年(一五五九)六月二十九日に
 現在の宮地に奉遷した 天正七年(一五七九)六月二十五日
 羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い 社殿を焼失したが
 正法四年(一六四七)社殿の復興が成り 再び本殿に遷座した


 狛犬さんの台座には 明和四年丁亥(1767)孟夏
           押部荘 大西氏 建之   と刻まれていました
 吽形の頭には 立派な角がついています
 阿形には 男性のシンボルがついています

日曜日, 10月 26, 2008

狛犬さん 620

2008.10.13 神戸市垂水区舞子 舞子六神社
 大歳社・五社大明神・白髯大明神・須賀原大明神を
   お祀りしているお社の前にいた狛犬さんです
 残念ながら 制作年代等はわかりませんでした

 本殿の中にいた狛犬さんです

土曜日, 10月 25, 2008

狛犬さん 619 

2008.10.13 神戸市垂水区舞子 舞子六神社
 ご祭神は 伊邪那岐大神・伊邪那美大神・天照皇大神・素盞男大神・月夜見大神・蛭子大神
 神社の創建年代は不明のようですが 江戸時代前期には存在していたようです
 舞子の北の旧多聞村のある「多聞六神社」は
 もともと「多聞十二所大明神」と呼ばれていました
 江戸時代に その内六神を移したのが 「舞子六神社」だそうです

 狛犬さんの台座には 平成元年(1989)六月吉日  と刻まれていました

金曜日, 10月 24, 2008

狛犬さん 618

2008.10.13 神戸市垂水区舞子 若宮八幡宮
 由来書きによりますと
 
由来
  人皇第十五代応神天皇 第十六代仁徳天皇祀る 若宮八幡宮は 
  往古より厄除神として 一般庶民の崇敬篤く 殊に東舞子の氏神をして
  吾々住民ひとしく 朝夕の御加護を蒙りつつある
 御祭神 第十五代 応神天皇
     第十六代 仁徳天皇

 狛犬さんの 制作年代はわかりませんが
  鳥居に 昭和五十三年(1978)十月吉日 と刻まれていました

 狛犬さんが 高い台座に乗っているのはよく見ますが
 ここの狛犬さんの台は 細い柱の上
 強風でも吹けば 折れてしまいそうです

水曜日, 10月 22, 2008

狛犬さん 617

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町揖保上 夜比良神社
 拝殿の内側 本殿の前にいた狛犬さんです
 遠くて判りにくかったのですが 台座には
   宝永七?寅年(1710)??九日(?)
     石工   までは読めましたが 後は不明です

 舞殿のように見えたのですが 絵馬堂だそうです
 中を見た時 絵馬の掛かった舞殿とは 変わっているなと思いましたが
 地元の方が 本当は 拝殿だったけれど 大正十二年だったと思うけれど
 拝殿を立替え 以前の拝殿を今は絵馬堂に使ってます
 舞殿として 使っていたこともあるようです と教えてくださいました

 拝殿に続く瑞垣の中に 鳥居と狛犬さんが 取り残されています

火曜日, 10月 21, 2008

狛犬さん 616

2008・10.06 兵庫県たつの市揖保町揖保上 夜比良神社(やひらじんじゃ)
 境内にある由緒書きによりますと
 
延喜式内 夜比良神社御由緒
  御祭神 大己貴命(大国主命)
  御神徳 縁結び・病気平癒・農業・福の神
  御神紋 子持ち亀甲に米
  御由緒 夜比良神社の創建は 千二百年以前と
   伝えられています
   ご祭神の大己貴命は 他に大国主命・大汝命(おおなもちのみこと)など
   多くの別名で呼ばれ 出雲大社のご祭神と同神です
   はじめ伊豆もの国を開拓 平定され 因幡国を経て
   播磨国に入り 揖保川に沿って南下され 粒丘に足を
   留められました そして この地域を開き 人々をいつくしみ
   災禍を祓い除かれました これにより揖保川流域の北を
   御護りする播磨国の一の宮である伊和神社を「北方殿」と
   呼ぶのに対し 夜比良神社を「南方殿」と言います
   また 中世には 下揖保社の総鎮守として 播磨国の豪族
   赤松氏の尊崇をあつめ 「神式は赤松政村これを定む」と
   今に伝えられています
     やひら手を 取りにし神も あらましを
        きねか 鼓の 音は絶せぬ
            赤松広秀
           (鶏籠山上にあった古龍野城の城主)
   明治維新以前は 揖保川町域を含む 十六か村が氏子域
   でしたが 現在は 五か村(揖保上・揖保中・今市・
   正條・新在家)となっています
   記録の上では 八枚(八尋)社刀踊りの故事が 
   あったと言われていますが 今では途絶えてしまいました

 お祭では 子供神輿が出るのですが 担ぐ子供が少なくなり
  外孫まで 参加させるんですよ 
   とお宮さんでお会いした方がなげいていらっしゃいました
 狛犬さんの台座には 昭和二年(1927)三月納建
   山陽??駅前 石匠 菅野??   と刻まれていました

月曜日, 10月 20, 2008

狛犬さん 615

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 中臣印達神社
 境内にある立て札に拠りますと
 
中臣印達神社(なかとみいだてじんじゃ)
  御祭神 五十猛神(素戔鳴尊の御子)
  創建  宝亀元年(西紀七七〇年)
  例祭  四月十日  十月十日
  社格  『延喜式』に名神大神とあり 古社であり 大神でもある
      (『延喜式』第十巻五十七枚所蔵)
  五十猛神は父神であられる素戔鳴尊とともに
  天照大神が驚きになられるぐらいの 又 国内が
  混乱するぐらいの新しい文化・文明を大陸より移入
  それ以降 国内の農耕・文化・文明は 大変な発展をとげたとされる
  これらより ご霊験灼な神と信仰が篤い そして大陸・朝鮮半島より
  樹木の種を持ち帰ったことにより 植林の神とも伝えられている
  近年では困った時の神頼みの神社として 
  一言心願成就が密かに人気である

 又別の石碑には
 

   当社は播磨の国にあって「延喜式」名神大社という
  由緒正しき古社で 創設七七〇年(宝亀元年)で
  以来一二二五年の年月を重ねて 平成七年にその祭儀を執り行った
   しかし 幣殿・拝殿の老朽化により 屋根の雨漏りがすることとなり
  修理を余儀なくされるに至った
   今回の修造は氏子・企業・関係各位のご寄付により
  完成を見たもので 改修に際して 古代建築物の様式を保ち
  重厚と美観を図ると共に 風雨に耐え 長期に亘る保存に
  配慮したものである

 いずれのお宮さんも 維持管理に関しては 氏子の皆さんは
   それぞれ ご苦労なさっているようです
 参拝させていただく 私たちにはとてもありがたいことですが

 狛犬さんの台座には 文政八酉(1825)
           九月吉日      と刻まれていました

 自然石の上に セメント製に見える狛犬さんが奉納されていました
 しかし 後ろに回ると 鏝絵と思われる 山水画がついていました
 昭和五十五年(一九八〇年) 納左官常村平大 と書かれていました
 この左官屋さんの作品は 他にもいくつか奉納されていました
 石の下に隠れるように 蛙の親子が置かれています

日曜日, 10月 19, 2008

狛犬さん 614

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町中臣 厄神明王
 厄神明王・稲荷神社・荒神社が 祀られています
 しかし本殿に上がっていく階段には 雑草が蔓延り 訪れる人々がいない
 そんな感じのする 荒れかけたお宮さんです

 しかし 狛犬さんは とても可愛いんです
 稚拙で まるで村の中の器用な人が 彫ってみましたという感じの
  狛犬さんたちです
 阿形の狛犬さんは 少し体を後ろに引いていますね

土曜日, 10月 18, 2008

狛犬さん 613

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町神戸北山 神戸神社内八幡神社
 ご祭神は 誉田別尊(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・比売大神
  社殿は文化八年(一八一二)改築
  屋根はもと桧皮葺 昭和五十一年 銅板葺に改修したそうです

 過去には この八幡神社が 神戸神社と呼ばれていたようです
 境内に大岩が置かれていますが その立て札に
 
旧本殿跡地
  旧本殿(現八幡宮)は 元この直上十数メートルの
  宮山の中腹にあった
  その大地(おおとこ)ゆかりの跡を 玉垣で囲み 聖地として保存する

 八幡神社のお社の横にも大岩が在り
  
石神
   播磨風土記に「神山 此ノ山ニ石神在リ」とあるが
   元 宮山の山頂には 大きな岩があって 古くから神の宿る霊地として
   畏敬されてきた
   昭和五十年 境内地造成中 山頂直下からこの大岩が現れ
   人々は 「石神」の心岩であるとして畏れ これを祀る


 狛犬さんは 小柄ですが 怖い顔です

 此のあたりのお宮さんの額は 石造りの豪華なものが掛かっています

金曜日, 10月 17, 2008

狛犬さん 612

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町北山神戸 神戸神社
 神戸神社 読み方は かんべじんじゃ
     神戸市の神戸と 意味は同じです 
 神封戸(じんふこ) 神社に対して 租税や課役を納める民のことで
  神戸・神部(じんこ・かんべ・かむべ)と同じことです
 神戸市は 元々生田神社の神封戸の集落があったことに 由来しているそうです

 由緒書きによれば
 
御祭神  大己貴命・少彦名命
 御神徳  大己貴命は又の御名を大国主命とも申し
     少彦名命と共に 我が国を開かれた大神であり
     播磨の国に黎明をもたらされ 庶民の生業を援け
     病を治し 夫婦和合の道を教え給うなど
     その広大な御神徳は 今に農業の振興 商売繁盛
     病気平癒 縁結び 交通安全など 万民の諸運開顕 
     知徳成就を司宰し給う大神として 広く崇敬されている
 由緒   ご祭神の鎮座されるこの地は 播磨風土記に
     「此ノ山ニ石神在リ故神山ト號ク」とあり
     山頂に巨岩があって 神の宿る霊地として往古より
     畏敬されてきたが 応仁二年三月の午の日に 宍粟郡の
     伊和神社より御分霊を勧請し 十月第二の午の日を午祭と定めて
     五百有余年 継承してきた
     この祭が菜くわずの祭とも言われる由縁は 弘法大師が
     全国行脚の途次に 菜を所望されたのを固辞した為 以後
     秋祭の日に 菜を食べた者は腹痛をおこすという伝承との
     習合によるもので 当神社を「なくわずの宮」ともいう
      昭和五十二年旧本殿を移し 三間社流れ造の新社殿を造営し
     鎮まりまして現在に至る


 狛犬さんは 天保六年(1835)乙未秋九月午日
       石工 生石村 藤兵衛  と刻まれていました

 御本殿の中にいた狛犬さんですが 写ってません

木曜日, 10月 16, 2008

狛犬さん 611

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 天満宮(賽神社)
 境内の石碑に 天満宮玉垣更新工事
        金比羅宮・皇大神宮 造営
 と刻まれていたので このお宮さんのご祭神は 菅原道真と思われますが
 地図上では 賽神社と書かれています
 賽神社は賽の神を祀っているのかと思いますが
 賽の神は 道祖神とか庚申様のように 
   集落に入り込む邪霊などを遮る神様のことです
 本来この神社には そういう神様が祭られていたのかもしれません

 狛犬さんは 小振りでずんぐりとしたデザインです 

水曜日, 10月 15, 2008

狛犬さん 610

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 崇道天皇神社
 境内にあった 石碑によりますと
 
御祭神
   崇道天皇
   惠美酒大神
   厄除大神
  崇道天皇は 光仁天皇の第二皇子桓武天皇の皇大弟で 
  早良親王と申し上げる
  延暦十九年(800)七月廿三日 天皇の稱号を追贈

        と刻まれていました
 桓武天皇の命を受けた藤原種継が 長岡京の造営使に任命されるが
 延暦四年(785) 矢を射られ 暗殺される
 早良皇子は 種継暗殺事件に関係したとして 淡路国に流刑されるが
 無実を訴えるため絶食し 河内国で死亡した
    がしかし そのまま屍骸を 淡路国に運ばせたそうです
 死後 桓武天皇の長男安殿親王(後の平城天皇)の発病・妃藤原乙牟漏の病死等が
 相次ぎ 早良皇子の祟りとされ 延暦十九年 大和国に移葬され
 崇道天皇の名を 追贈されたのですね
 
 狛犬さんの台座には 慶??丑年五月と刻まれていました
 慶応年代で 丑年は 慶応元年(1865)になります  

火曜日, 10月 14, 2008

狛犬さん 609

2008.10.02 神戸市西区伊川谷町井吹 名前無し神社
 お宮さんの名前はわかりませんが このお宮さんに行く手前に
 灯篭があり その灯篭に 牛頭天王・金刀比羅大神?と刻まれていました
 ご祭神は 素盞鳴命でしょうか
 境内社が金比羅さんとお稲荷さんのようです
 狛犬さんの台座には 文久元年酉(1861)五月  と刻まれていました
       もしかすると 九月かもしれません

 吽形の頭の上に角なのでしょう
 きれいな三角形が ついていました