月曜日, 10月 27, 2008

狛犬さん 621

2008.10.16 神戸市西区押部谷 住吉神社
 由緒書きによりますと
 
由緒
  当神社は 今を溯る千二百三十年の昔
 第四十六代孝謙天皇の御代 天平勝宝六年(754)
 旧暦の九月十三日に 川向いの元住吉山に勧請せしに創まる
 永禄二年(1559)六月二十九日 「四百二十五年前」に
 現在地に 遷座されました その後二十年過ぎて
 天正七年六月二十五日(一五七九年)には 兵火にかかり
 神社建物は悉く焼かれました 安土桃山時代の末期
 文禄三年(1594)九月十三日には 高和の社地に
 お旅所を創立し 江戸時代初期の元和五年(一六一九年)
 住吉神社の朱印領は十石と 記されてあります
 正保四年(1647)八月に 四別棟を再建し
 享保十九年(1734)四月本殿覆を建立し
 明治七年(1874)二月には 兵庫県明石郡の郷社に列せられました
 格式の高い神社です 大正八年(1919)に境内敷地を拡張し 
 昭和五十六(1981)年六月には 参集殿を建設し 現在に至っております


 他の立て札によりますと
 
住吉神社
 押部の庄(今の押部谷全部の十二ヶ村と平野町の常本)全体の総氏神である
 ご祭神は 表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長足姫命の四柱
 孝謙天皇の天平勝宝六年九月十三日に 摂津の国 住吉神社から 
 社家 津守連(つもりのむらじ)が 楯神・鉾神と共に
 神霊を元住吉神社に勧請したのが 始まりである
 その後 疫病が流行し その上五穀が実らぬ年が続き
 氏人らが ご神託により 永禄二年(一五五九)六月二十九日に
 現在の宮地に奉遷した 天正七年(一五七九)六月二十五日
 羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い 社殿を焼失したが
 正法四年(一六四七)社殿の復興が成り 再び本殿に遷座した


 狛犬さんの台座には 明和四年丁亥(1767)孟夏
           押部荘 大西氏 建之   と刻まれていました
 吽形の頭には 立派な角がついています
 阿形には 男性のシンボルがついています

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