木曜日, 10月 09, 2008

狛犬さん 604

2008.09.14 大阪府池田市木部町 伊居太神社内為那都比古大明神
 由来書きによりますと
 
為那都比古大明神由来
  使主室と云うのは 後漢の孝献皇帝(霊帝)の聖裔阿智王都加王の
  両人を祀る所で 延喜式に云う摂津豊島郡鎮座の
  為那都比古神社である
  日本書紀に 応神天皇二十年秋九月 阿智使主其子都加使主は
  部下十七県の人達を連れて我国に帰化し 大和国桧隈に住居を與へられ
  同天皇三十七年春二月 両人を勅使として 呉国に
  縫工女を求めしめんとされ 呉王より兄媛・弟媛・烏沙架女・幾利区珥の
  四婦女を與へられ 同四十一年春二月阿知使主等呉国より
  筑紫に帰着したが 匃月形大神の乞に 兄媛を差し上げ
  他の三婦女を伴い 摂津武庫に到る
  時に 天皇崩御の報に接し 献ずるを得ず 
  後仁徳天皇は 居館を豊島郡為那野に造営し 羅綾織紝の業を専らにされ
  その功積により この地を呉服と名付け 反正天皇は勅令を持って
  送り名をされ 為那都比古大明神とし 之が倭漢直の祖である
  降って允恭天皇の時 その子孫忘奴手直に 阪上姓を
  弟奴留間直に 素姓を賜う 文化年間に古墳の盗掘がはやり
  阿知使主の古墳と傅へられた所も 其の例に漏れず 行はれ
  此の所より珠塗の棺の破片 人骨の若干を持帰へり 
  為那都比古大明神跡に埋葬し 現地に御祀りしものであります


 狛犬さんの台座に 何か文字が刻まれていましたが
  残念ながら 読み取ることができませんでした
 入り口の鳥居には 天和二壬戌年(1682)九月吉日と刻まれていましたが
  狛犬さんは そこまで古いとは思えないのですが

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