由緒書によりますと
五社神社
御祭神 国常立尊(くにとこたちのみこと)
建速須盞鳴尊(たけはやすさのをのみこと)
五十猛尊(いたけるのみこと)
住吉大神
穴織大神(あやはのおおかみ)
由緒
社伝に依れば 聖武天皇の神亀元年(724) 僧行基
当地に多羅山若王子を創建し その鎮守として当神社を勧請する
鎌倉時代若王子が真言宗に属し 社殿の背後の鉢塚古墳(史跡)石室内に
石造十三重塔(重要文化財)を建立
この金剛界曼荼羅の五智如来を本地として 五社大明神と号した
天正元年(1573)兵火にかかり 烏有に帰したが
同十七年(1589) 若王子の伝誉法印再興する
明治初年(1686)の神仏分離により五社神社と改める
狛犬さんの台座には 天保?申年 九月吉日 と刻まれていました
天保で 申年は天保七年になります
神社の後ろには 古墳があります
説明書きによりますと
大阪府指定
史跡鉢塚古墳
本墳は 上円下方墳と云う特異な墳形と巨大な横穴式石室を有する
大阪府下有数の古墳である
その兆域は 五社神社境内に含まれ 南面の周濠や墳丘の一部が削られている外は
畧々完好な状況を保ち 周濠の形跡も明瞭である
石室は 両袖式で 南面に開口し
奥行全長十五米(内玄室七米羨道八米)玄室高さ五米幅四米
羨道高さ二米幅二米を算える
被葬者は不明であるが 六、七世紀頃 この地方を統轄した
首長の墳墓と見られる
尚玄室内には 重要文化財指定の石造十三重塔が祀られ
相輪が後補である以外は よく旧規をとどめ 各屋蓋に
上層の軸部を造出す形式のもので 軒口厚く 隅反りがあり
鎌倉時代の特色を示している
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