境内にあった 石碑によりますと
御祭神
崇道天皇
惠美酒大神
厄除大神
崇道天皇は 光仁天皇の第二皇子桓武天皇の皇大弟で
早良親王と申し上げる
延暦十九年(800)七月廿三日 天皇の稱号を追贈
と刻まれていました
桓武天皇の命を受けた藤原種継が 長岡京の造営使に任命されるが
延暦四年(785) 矢を射られ 暗殺される
早良皇子は 種継暗殺事件に関係したとして 淡路国に流刑されるが
無実を訴えるため絶食し 河内国で死亡した
がしかし そのまま屍骸を 淡路国に運ばせたそうです
死後 桓武天皇の長男安殿親王(後の平城天皇)の発病・妃藤原乙牟漏の病死等が
相次ぎ 早良皇子の祟りとされ 延暦十九年 大和国に移葬され
崇道天皇の名を 追贈されたのですね
狛犬さんの台座には 慶??丑年五月と刻まれていました
慶応年代で 丑年は 慶応元年(1865)になります
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