金曜日, 10月 31, 2008

狛犬さん 625

2008.10.16 神戸市西区神出町宝勢 嶋姫神社
 嶋姫は市杵嶋姫(いちきしまひめ)のことと思いますが この神様は水の神様です
 「いちきしま」は「斎き島」のことで 「いちきしまひめ」は
 神に斎く島の女性(女神)と言うことだそうです
 このお宮さんは 田畑の中にありますが このあたりは水の便が悪く
  溜め池が沢山あります
 そこで 水の神である市杵嶋姫を 祀ったのでしょう
 この神様は 仏教の弁財天と同じとされています

 狛犬さんの台座には 大正?年十月  と刻まれていました
  年号の部分だけが 削れて読めなくなっていました

木曜日, 10月 30, 2008

狛犬さん 624

2008.10.16 神戸市西区神出町東 神出神社
 由緒書きによりますと
 
神出神社
 祭神 素盞鳴命・奇稲田姫命(くしいなだひめ)・大己貴命
 勧請 五十一代 平城天皇  大同四年九月九日
 由緒 この地に 二山がある 東を雄岡山(二四一米)
  西を雌岡山(二四九米)古くから信仰の対象とされている
  神代に素盞鳴命 奇稲田姫命の二神が 
  この雌岡山に降臨され 薬草を採取して 住民の病苦を救い
  農耕を指導された 二神の間に多くの神々がお生まれになり
  そのうち大己貴命は この地でご生誕されたと言う
  このことから この地を神出と言うようになった
  降る大同四年(809)平城天皇諸国巡幸のとき この地にたちよられ
  神代の古事をしのび 三柱の神を勧請祭祀された
  これが神出神社のおこりである
  明治七年(1874)二月に村社 同十四年(1881)郷社となった

 又 立て札に
 
雌岡山(めっこさん)と雄岡山(おっこさん)
   大きさも形も瓜二つの山で その昔 遠くから眺めると
  子牛の角のように見えたことから 
  男牛(おご)・女牛(めご)といわれていたそうです
  それが 雄子尾・雌子尾となり やがて雄岡・雌岡になったそうです
  雌岡山には 牛頭天王を祀るので 天王山とも呼ぶ
   神話によると 雄岡と雌岡は 夫婦の神で
  男神の雄岡が 小豆島の美人神に惚れたことから
  妻が止めるのも聞かず 鹿に乗り 会いに行きました
  その途中 淡路の漁師に弓を撃たれ 男神と鹿は共に海に
  沈んでしまいました すると 鹿は忽ち赤い石になり
  それが 明石の名称の起こりともいわれています

 狛犬さんの台座には 文化二(1805)乙丑十一月吉日 と刻まれていました

 「彦石」と呼ばれる 鳥居の折れ端を使った 男性のシンボルと 
  男女の形が揃っているので「天道裸石」と名付けられ 
  そこから裸石神社と呼ばれるようになったそうです
 長らく本殿は無く 彦石の周りに 石の玉垣を廻らされただけの神社だったが
  大正初期に 本殿が建てられたそうで 今では前に拝殿も建てられています
 姫石神社は 女性の象徴なのでしょう
 姫石神社の中央の大きな石を 誕生石と言って 
  この上で神様が生まれたと言う伝説があるそうです
 雌岡山(天王山)の神話に「方丈磐石」という大きな岩が出てくるそうですが
 その方丈磐石が 姫石神社のご神体だそうです 

水曜日, 10月 29, 2008

狛犬さん 623

2008.10.16 神戸市西区神出町東 山王神社
 雌岡山の麓に鎮座しています
 山王神社でしたら 御祭神は 大山咋神ですね
 吽形の頭には 小さな角がありました

火曜日, 10月 28, 2008

狛犬さん 622

2008.10.16 神戸市西区神出町紫合 若宮神社
 御祭神・創立年代等は わかりません
 境内は広く かなり立派なお宮さんでした
 若宮神社と呼ばれているようですが 若宮とは
 応神天皇の皇子 仁徳天皇を祭っているのでしょうか

 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)九月建立 と刻まれていました

月曜日, 10月 27, 2008

狛犬さん 621

2008.10.16 神戸市西区押部谷 住吉神社
 由緒書きによりますと
 
由緒
  当神社は 今を溯る千二百三十年の昔
 第四十六代孝謙天皇の御代 天平勝宝六年(754)
 旧暦の九月十三日に 川向いの元住吉山に勧請せしに創まる
 永禄二年(1559)六月二十九日 「四百二十五年前」に
 現在地に 遷座されました その後二十年過ぎて
 天正七年六月二十五日(一五七九年)には 兵火にかかり
 神社建物は悉く焼かれました 安土桃山時代の末期
 文禄三年(1594)九月十三日には 高和の社地に
 お旅所を創立し 江戸時代初期の元和五年(一六一九年)
 住吉神社の朱印領は十石と 記されてあります
 正保四年(1647)八月に 四別棟を再建し
 享保十九年(1734)四月本殿覆を建立し
 明治七年(1874)二月には 兵庫県明石郡の郷社に列せられました
 格式の高い神社です 大正八年(1919)に境内敷地を拡張し 
 昭和五十六(1981)年六月には 参集殿を建設し 現在に至っております


 他の立て札によりますと
 
住吉神社
 押部の庄(今の押部谷全部の十二ヶ村と平野町の常本)全体の総氏神である
 ご祭神は 表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長足姫命の四柱
 孝謙天皇の天平勝宝六年九月十三日に 摂津の国 住吉神社から 
 社家 津守連(つもりのむらじ)が 楯神・鉾神と共に
 神霊を元住吉神社に勧請したのが 始まりである
 その後 疫病が流行し その上五穀が実らぬ年が続き
 氏人らが ご神託により 永禄二年(一五五九)六月二十九日に
 現在の宮地に奉遷した 天正七年(一五七九)六月二十五日
 羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い 社殿を焼失したが
 正法四年(一六四七)社殿の復興が成り 再び本殿に遷座した


 狛犬さんの台座には 明和四年丁亥(1767)孟夏
           押部荘 大西氏 建之   と刻まれていました
 吽形の頭には 立派な角がついています
 阿形には 男性のシンボルがついています

日曜日, 10月 26, 2008

狛犬さん 620

2008.10.13 神戸市垂水区舞子 舞子六神社
 大歳社・五社大明神・白髯大明神・須賀原大明神を
   お祀りしているお社の前にいた狛犬さんです
 残念ながら 制作年代等はわかりませんでした

 本殿の中にいた狛犬さんです

土曜日, 10月 25, 2008

狛犬さん 619 

2008.10.13 神戸市垂水区舞子 舞子六神社
 ご祭神は 伊邪那岐大神・伊邪那美大神・天照皇大神・素盞男大神・月夜見大神・蛭子大神
 神社の創建年代は不明のようですが 江戸時代前期には存在していたようです
 舞子の北の旧多聞村のある「多聞六神社」は
 もともと「多聞十二所大明神」と呼ばれていました
 江戸時代に その内六神を移したのが 「舞子六神社」だそうです

 狛犬さんの台座には 平成元年(1989)六月吉日  と刻まれていました

金曜日, 10月 24, 2008

狛犬さん 618

2008.10.13 神戸市垂水区舞子 若宮八幡宮
 由来書きによりますと
 
由来
  人皇第十五代応神天皇 第十六代仁徳天皇祀る 若宮八幡宮は 
  往古より厄除神として 一般庶民の崇敬篤く 殊に東舞子の氏神をして
  吾々住民ひとしく 朝夕の御加護を蒙りつつある
 御祭神 第十五代 応神天皇
     第十六代 仁徳天皇

 狛犬さんの 制作年代はわかりませんが
  鳥居に 昭和五十三年(1978)十月吉日 と刻まれていました

 狛犬さんが 高い台座に乗っているのはよく見ますが
 ここの狛犬さんの台は 細い柱の上
 強風でも吹けば 折れてしまいそうです

水曜日, 10月 22, 2008

狛犬さん 617

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町揖保上 夜比良神社
 拝殿の内側 本殿の前にいた狛犬さんです
 遠くて判りにくかったのですが 台座には
   宝永七?寅年(1710)??九日(?)
     石工   までは読めましたが 後は不明です

 舞殿のように見えたのですが 絵馬堂だそうです
 中を見た時 絵馬の掛かった舞殿とは 変わっているなと思いましたが
 地元の方が 本当は 拝殿だったけれど 大正十二年だったと思うけれど
 拝殿を立替え 以前の拝殿を今は絵馬堂に使ってます
 舞殿として 使っていたこともあるようです と教えてくださいました

 拝殿に続く瑞垣の中に 鳥居と狛犬さんが 取り残されています

火曜日, 10月 21, 2008

狛犬さん 616

2008・10.06 兵庫県たつの市揖保町揖保上 夜比良神社(やひらじんじゃ)
 境内にある由緒書きによりますと
 
延喜式内 夜比良神社御由緒
  御祭神 大己貴命(大国主命)
  御神徳 縁結び・病気平癒・農業・福の神
  御神紋 子持ち亀甲に米
  御由緒 夜比良神社の創建は 千二百年以前と
   伝えられています
   ご祭神の大己貴命は 他に大国主命・大汝命(おおなもちのみこと)など
   多くの別名で呼ばれ 出雲大社のご祭神と同神です
   はじめ伊豆もの国を開拓 平定され 因幡国を経て
   播磨国に入り 揖保川に沿って南下され 粒丘に足を
   留められました そして この地域を開き 人々をいつくしみ
   災禍を祓い除かれました これにより揖保川流域の北を
   御護りする播磨国の一の宮である伊和神社を「北方殿」と
   呼ぶのに対し 夜比良神社を「南方殿」と言います
   また 中世には 下揖保社の総鎮守として 播磨国の豪族
   赤松氏の尊崇をあつめ 「神式は赤松政村これを定む」と
   今に伝えられています
     やひら手を 取りにし神も あらましを
        きねか 鼓の 音は絶せぬ
            赤松広秀
           (鶏籠山上にあった古龍野城の城主)
   明治維新以前は 揖保川町域を含む 十六か村が氏子域
   でしたが 現在は 五か村(揖保上・揖保中・今市・
   正條・新在家)となっています
   記録の上では 八枚(八尋)社刀踊りの故事が 
   あったと言われていますが 今では途絶えてしまいました

 お祭では 子供神輿が出るのですが 担ぐ子供が少なくなり
  外孫まで 参加させるんですよ 
   とお宮さんでお会いした方がなげいていらっしゃいました
 狛犬さんの台座には 昭和二年(1927)三月納建
   山陽??駅前 石匠 菅野??   と刻まれていました

月曜日, 10月 20, 2008

狛犬さん 615

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 中臣印達神社
 境内にある立て札に拠りますと
 
中臣印達神社(なかとみいだてじんじゃ)
  御祭神 五十猛神(素戔鳴尊の御子)
  創建  宝亀元年(西紀七七〇年)
  例祭  四月十日  十月十日
  社格  『延喜式』に名神大神とあり 古社であり 大神でもある
      (『延喜式』第十巻五十七枚所蔵)
  五十猛神は父神であられる素戔鳴尊とともに
  天照大神が驚きになられるぐらいの 又 国内が
  混乱するぐらいの新しい文化・文明を大陸より移入
  それ以降 国内の農耕・文化・文明は 大変な発展をとげたとされる
  これらより ご霊験灼な神と信仰が篤い そして大陸・朝鮮半島より
  樹木の種を持ち帰ったことにより 植林の神とも伝えられている
  近年では困った時の神頼みの神社として 
  一言心願成就が密かに人気である

 又別の石碑には
 

   当社は播磨の国にあって「延喜式」名神大社という
  由緒正しき古社で 創設七七〇年(宝亀元年)で
  以来一二二五年の年月を重ねて 平成七年にその祭儀を執り行った
   しかし 幣殿・拝殿の老朽化により 屋根の雨漏りがすることとなり
  修理を余儀なくされるに至った
   今回の修造は氏子・企業・関係各位のご寄付により
  完成を見たもので 改修に際して 古代建築物の様式を保ち
  重厚と美観を図ると共に 風雨に耐え 長期に亘る保存に
  配慮したものである

 いずれのお宮さんも 維持管理に関しては 氏子の皆さんは
   それぞれ ご苦労なさっているようです
 参拝させていただく 私たちにはとてもありがたいことですが

 狛犬さんの台座には 文政八酉(1825)
           九月吉日      と刻まれていました

 自然石の上に セメント製に見える狛犬さんが奉納されていました
 しかし 後ろに回ると 鏝絵と思われる 山水画がついていました
 昭和五十五年(一九八〇年) 納左官常村平大 と書かれていました
 この左官屋さんの作品は 他にもいくつか奉納されていました
 石の下に隠れるように 蛙の親子が置かれています

日曜日, 10月 19, 2008

狛犬さん 614

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町中臣 厄神明王
 厄神明王・稲荷神社・荒神社が 祀られています
 しかし本殿に上がっていく階段には 雑草が蔓延り 訪れる人々がいない
 そんな感じのする 荒れかけたお宮さんです

 しかし 狛犬さんは とても可愛いんです
 稚拙で まるで村の中の器用な人が 彫ってみましたという感じの
  狛犬さんたちです
 阿形の狛犬さんは 少し体を後ろに引いていますね

土曜日, 10月 18, 2008

狛犬さん 613

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町神戸北山 神戸神社内八幡神社
 ご祭神は 誉田別尊(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・比売大神
  社殿は文化八年(一八一二)改築
  屋根はもと桧皮葺 昭和五十一年 銅板葺に改修したそうです

 過去には この八幡神社が 神戸神社と呼ばれていたようです
 境内に大岩が置かれていますが その立て札に
 
旧本殿跡地
  旧本殿(現八幡宮)は 元この直上十数メートルの
  宮山の中腹にあった
  その大地(おおとこ)ゆかりの跡を 玉垣で囲み 聖地として保存する

 八幡神社のお社の横にも大岩が在り
  
石神
   播磨風土記に「神山 此ノ山ニ石神在リ」とあるが
   元 宮山の山頂には 大きな岩があって 古くから神の宿る霊地として
   畏敬されてきた
   昭和五十年 境内地造成中 山頂直下からこの大岩が現れ
   人々は 「石神」の心岩であるとして畏れ これを祀る


 狛犬さんは 小柄ですが 怖い顔です

 此のあたりのお宮さんの額は 石造りの豪華なものが掛かっています

金曜日, 10月 17, 2008

狛犬さん 612

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町北山神戸 神戸神社
 神戸神社 読み方は かんべじんじゃ
     神戸市の神戸と 意味は同じです 
 神封戸(じんふこ) 神社に対して 租税や課役を納める民のことで
  神戸・神部(じんこ・かんべ・かむべ)と同じことです
 神戸市は 元々生田神社の神封戸の集落があったことに 由来しているそうです

 由緒書きによれば
 
御祭神  大己貴命・少彦名命
 御神徳  大己貴命は又の御名を大国主命とも申し
     少彦名命と共に 我が国を開かれた大神であり
     播磨の国に黎明をもたらされ 庶民の生業を援け
     病を治し 夫婦和合の道を教え給うなど
     その広大な御神徳は 今に農業の振興 商売繁盛
     病気平癒 縁結び 交通安全など 万民の諸運開顕 
     知徳成就を司宰し給う大神として 広く崇敬されている
 由緒   ご祭神の鎮座されるこの地は 播磨風土記に
     「此ノ山ニ石神在リ故神山ト號ク」とあり
     山頂に巨岩があって 神の宿る霊地として往古より
     畏敬されてきたが 応仁二年三月の午の日に 宍粟郡の
     伊和神社より御分霊を勧請し 十月第二の午の日を午祭と定めて
     五百有余年 継承してきた
     この祭が菜くわずの祭とも言われる由縁は 弘法大師が
     全国行脚の途次に 菜を所望されたのを固辞した為 以後
     秋祭の日に 菜を食べた者は腹痛をおこすという伝承との
     習合によるもので 当神社を「なくわずの宮」ともいう
      昭和五十二年旧本殿を移し 三間社流れ造の新社殿を造営し
     鎮まりまして現在に至る


 狛犬さんは 天保六年(1835)乙未秋九月午日
       石工 生石村 藤兵衛  と刻まれていました

 御本殿の中にいた狛犬さんですが 写ってません

木曜日, 10月 16, 2008

狛犬さん 611

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 天満宮(賽神社)
 境内の石碑に 天満宮玉垣更新工事
        金比羅宮・皇大神宮 造営
 と刻まれていたので このお宮さんのご祭神は 菅原道真と思われますが
 地図上では 賽神社と書かれています
 賽神社は賽の神を祀っているのかと思いますが
 賽の神は 道祖神とか庚申様のように 
   集落に入り込む邪霊などを遮る神様のことです
 本来この神社には そういう神様が祭られていたのかもしれません

 狛犬さんは 小振りでずんぐりとしたデザインです 

水曜日, 10月 15, 2008

狛犬さん 610

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 崇道天皇神社
 境内にあった 石碑によりますと
 
御祭神
   崇道天皇
   惠美酒大神
   厄除大神
  崇道天皇は 光仁天皇の第二皇子桓武天皇の皇大弟で 
  早良親王と申し上げる
  延暦十九年(800)七月廿三日 天皇の稱号を追贈

        と刻まれていました
 桓武天皇の命を受けた藤原種継が 長岡京の造営使に任命されるが
 延暦四年(785) 矢を射られ 暗殺される
 早良皇子は 種継暗殺事件に関係したとして 淡路国に流刑されるが
 無実を訴えるため絶食し 河内国で死亡した
    がしかし そのまま屍骸を 淡路国に運ばせたそうです
 死後 桓武天皇の長男安殿親王(後の平城天皇)の発病・妃藤原乙牟漏の病死等が
 相次ぎ 早良皇子の祟りとされ 延暦十九年 大和国に移葬され
 崇道天皇の名を 追贈されたのですね
 
 狛犬さんの台座には 慶??丑年五月と刻まれていました
 慶応年代で 丑年は 慶応元年(1865)になります  

火曜日, 10月 14, 2008

狛犬さん 609

2008.10.02 神戸市西区伊川谷町井吹 名前無し神社
 お宮さんの名前はわかりませんが このお宮さんに行く手前に
 灯篭があり その灯篭に 牛頭天王・金刀比羅大神?と刻まれていました
 ご祭神は 素盞鳴命でしょうか
 境内社が金比羅さんとお稲荷さんのようです
 狛犬さんの台座には 文久元年酉(1861)五月  と刻まれていました
       もしかすると 九月かもしれません

 吽形の頭の上に角なのでしょう
 きれいな三角形が ついていました

月曜日, 10月 13, 2008

狛犬さん 608

2008.09.24 兵庫県淡路市東浦町楠本東 八坂神社
 由緒書きによりますと
 
八坂神社
  御祭神 素盞鳴命
  所在地 楠本東
  由来  姫路の広峯神社より そのご分身を奉迎し
      村の安泰を祈念する 鎮守様である
      毎年正月には お当祭りと言って 的矢の神事が
      恒例の年中行事として 今日まで続いている
         平成14年12月吉日
         東浦町老人クラブ連合会

 鳥居のそばにある 灯篭には 天保八酉年(1837)と刻まれていました
 まるで縫いぐるみの様な可愛い狛犬さんたちです
 年代的には 灯篭と同じ頃でしょうか

日曜日, 10月 12, 2008

狛犬さん 607

2008.09.17 神戸市西区 伊川谷惣社内稲荷神社
 境内社のお稲荷さんのお社のガラス製の 扉の内側にいました
 狐さんたちは お社の外でがんばっていたんですが
 素材は 石ではなくて 瓦のように見えます
  製造年月日等は わかりませんでした

土曜日, 10月 11, 2008

狛犬さん 606

2008.09.17 神戸市西区 伊川谷惣社
 このお宮さんも 阪神大震災の影響を受けたようです
 説明版によると
 
惣社復興事業記念碑
   惣社は 大己貴尊・素盞鳴尊・經津主尊・武甕槌尊を祭り
  物部神社とも称され 延久三年(一〇七一)の再建と伝えられている
  延喜式の制に於いては小社に列し 伊川谷の総氏神として崇められ
  明治七年(一八七四)には郷社に列せられた崇敬篤き神社である
   旧社殿は 宝暦十一年(一七六一)に造営されたものであり
  社殿の老朽化に加え その後平成七年(一九九五)阪神淡路大地震に遭遇し
  甚大な被害を受けたが 逸早く氏子崇敬者より 
  多大な浄財を得て 平成七年(一九九五)建設委員会を立ち上げ
  第一期工事として「拝殿の再建」を行い 次いで復興委員会を組織し
  第二期工事として「本殿解体修復」「玉垣及び石積」「境内社建替」
  「手水舎建替」工事に着手 八年の歳月を要し
  平成十六年(二〇〇四)に完成し 創建当初の様相を見るに至る
   此処に記念碑を建立し 永く後世に語り継ぐものである


 狛犬さんの台座には 寛政二 庚戌年(1790) 九月吉日
     と刻まれていました
 吽形の頭の上には 小さな角が見えています
 阿形の足の間には 男性のシンボルが見えます

金曜日, 10月 10, 2008

狛犬さん 605

2008.09.17 神戸市西区 稲荷神社?
 住宅の庭のようなところに まるで屋敷神のようなお宮さんでした
 何をお祭りしているのかよくわかりませんでしたが
 たぶん お稲荷さんだと思います
 小さな陶器製の 狛犬さんがいました

木曜日, 10月 09, 2008

狛犬さん 604

2008.09.14 大阪府池田市木部町 伊居太神社内為那都比古大明神
 由来書きによりますと
 
為那都比古大明神由来
  使主室と云うのは 後漢の孝献皇帝(霊帝)の聖裔阿智王都加王の
  両人を祀る所で 延喜式に云う摂津豊島郡鎮座の
  為那都比古神社である
  日本書紀に 応神天皇二十年秋九月 阿智使主其子都加使主は
  部下十七県の人達を連れて我国に帰化し 大和国桧隈に住居を與へられ
  同天皇三十七年春二月 両人を勅使として 呉国に
  縫工女を求めしめんとされ 呉王より兄媛・弟媛・烏沙架女・幾利区珥の
  四婦女を與へられ 同四十一年春二月阿知使主等呉国より
  筑紫に帰着したが 匃月形大神の乞に 兄媛を差し上げ
  他の三婦女を伴い 摂津武庫に到る
  時に 天皇崩御の報に接し 献ずるを得ず 
  後仁徳天皇は 居館を豊島郡為那野に造営し 羅綾織紝の業を専らにされ
  その功積により この地を呉服と名付け 反正天皇は勅令を持って
  送り名をされ 為那都比古大明神とし 之が倭漢直の祖である
  降って允恭天皇の時 その子孫忘奴手直に 阪上姓を
  弟奴留間直に 素姓を賜う 文化年間に古墳の盗掘がはやり
  阿知使主の古墳と傅へられた所も 其の例に漏れず 行はれ
  此の所より珠塗の棺の破片 人骨の若干を持帰へり 
  為那都比古大明神跡に埋葬し 現地に御祀りしものであります


 狛犬さんの台座に 何か文字が刻まれていましたが
  残念ながら 読み取ることができませんでした
 入り口の鳥居には 天和二壬戌年(1682)九月吉日と刻まれていましたが
  狛犬さんは そこまで古いとは思えないのですが

水曜日, 10月 08, 2008

狛犬さん 603

2008.09.14 大阪府池田市木部町 伊居太神社
 伊居太神社は、「いけだじんじゃ」と読むようですが
 地元の方の中には 「いこた」と読む方もいらっしゃるそうです
 文字を見ると 「いけだ」より「いこた」と読むほうが 自然な気がします
 室町にある呉服神社を下の宮 この伊居太神社を上の宮というそうです
 
 本殿の前にいた狛犬さんです
 台座には 文化九年壬申(1812)九月吉日   と刻まれていました

 境内にあった手洗所です
 左側の手洗いが出来る部分は 文化二年(1805)
 右側は 井戸のようで 元禄十四年(1701)七月と刻まれていました 
 
 元禄十四年の二月に 江戸城内の松の廊下で 赤穂藩藩主・浅野長矩が
 高家肝煎・吉良義央に切りつけるという事件が起こり
 翌十五年に あの有名な赤穂浪士の討ち入りが行われたのですね

 「星の宮神社」です
 説明板によりますと
 
星の宮の由来
   星の宮は 五月山のふもとにある穴織宮伊居太神社(あやはのみやいけだじんじゃ)
  の末社(お旅所)で 星の大神を祀っています
  その昔 仁徳天皇の御世 わが国に織物の技術がなかった頃
  中国大陸から漢織・呉織の両姫が この地に渡ってこられ
  綾錦(絹の織物)を 夜おそくまで灯もつけず機を織っていると
  多くの星が天から降りて来て 織殿を真昼のように明るく照らしてくれたので
  灯りをつける必要がなく 機織がきでたといわれています
  こうしたことから 「星の御門」と称されています
   そこで 星の宮を建てて 織殿を照らした星たちを
  「明星大神」と申し上げてお祀りしています
  その後 度重なる兵乱に遇い お社は焼失してしまいました
  寛正四年(一四六三)に 池田城主筑後守勝正が
  伊居太神社本殿と末社を再建されています
   その後も焼失・再建を繰り返しましたが 村民の信仰が厚いことから
  『日月清明・五穀成就・天下泰平・萬人安全』でありますようにと願って
  このお社が 再建されました 現在のお社は明治初期の建物であろうと推測されます
   現在 建石町町内が お社をお守りし 毎年十月二十七日
  星の宮例祭がおこなわれています
      色てるや 星の御門の 梅の花    止丸「俳諧呉服絹」
          平成十八年三月吉日    建石町町内会

火曜日, 10月 07, 2008

狛犬さん 602

2008.09.14 大阪府池田市木部町 伊居太神社
 御祭神は 穴織大明神・応神天皇・仁徳天皇
 由緒書によりますと
 
人皇十六代応神天皇二十年己酉秋九月
  日本国に漢の直太祖後漢の霊帝四代の孫 阿知使主
  その子都加使主 十七県の部下を卆いて帰化した
  そこで天皇の三十七年丙寅春二月 天皇思召して 
  天下人民衣服裁縫の術を知らず 春夏秋冬の衣服が作れなかった
  いま呉国には立派な縫工女が居ると聞き 勅使として
  阿知使主 都加使主に命じて 呉国に縫工女求めようと考へられた
  二人は勅使となって 呉国へ出発した
  先ず高麗国に渡ったけれど それから先 呉国への道を知らなかったので
  高麗王に願い 久禮波・久禮志の二人を 道案内者として選んで頂き
  漸く呉国に事故もなく到着した
  呉王は工女兄媛・弟媛・呉織・漢織の四人の婦女を與へられたのである
  今の世に呉をくれと読むのは 道案内者久禮波・久禮志の名を
  かたどったものである二人の功績を 忘れないためである
  同天皇四十一年春二月阿知使主等は 筑紫へ帰へり着いた時に
  胸形の大神が工女を乞はれたので 兄媛を差し上げられたは
  残り三人の工女を連れて 津の国に帰着し 
  以来呉衣縫蚊屋(アヤ)衣縫と云はれて居る由因は是である
  呉織は呉の人であり 漢織は漢の人である
  この二人は 呉服の里に居住されたけれど 
  弟媛は何庽に居られたが 明らかでない
  二十二代雄畧天皇の時代にも 呉織・漢織・兄媛・弟媛が
  来日して居るけれど 此れは耺名であり 異人である
  応神天皇の時代の前から 衣服裁縫の技が明かでなかった 
  この二媛の教へにより 天下の婦女が裁縫の術 機織の術を教えられ
  四季の衣 春秋の衣服 上下の服装を教へられた
  その功により天皇は宮中に縫殿寮を設け 縫部司縫女部を設け
  二女を祀られたのである
  これより先 麻をつむぎ 蚕を飼い 桑の皮をつむぎ 麻の皮から
  織物を作っていたのであるが 二媛の教へにより
  呉織蜀錦等綾羅錦綺の衣服ができるようになったのである
  今 呉服尺・呉竹・呉藍・生姜等 此時に持帰へれるもので
  呉橋・牙床等も此頃に 呉国から我国に入り呉国の文化が広まった
  二媛は一室にこもり その身に光明があり ひたすらに機織と裁縫に
  従事され 百余歳の高令まで我国の文化の興隆に貢献され
  此地に絹掛の松・染殿井・絹舒の里・唐船潭等の地名が残るのも
  当然のことと思はれる
  此の二媛が他界されたので 仁徳天皇は 七十六年九月十八日に
  衣服裁縫の功績を稱へるため 桊上の社・桊下の社を建立し
  両媛の功績をたたへ 降世までその功を忘れない様に残され
  世の人々は文化発祥の神として 代々お祀りを続けたのであります

     (上記の文中 どうしても見つからない文字があり 
      それに関しては 私の判断で 似た文字を使用しました)
 鳥居の額には 穴織大明神と書かれています
 舞殿の前にいた狛犬さんですが 製造年代等は わかりませんでした

 舞殿のまえに 先がこのような鉾が 左右に置かれていました

月曜日, 10月 06, 2008

狛犬さん 601

2008.09.14 大阪府池田市鉢塚 五社神社
 由緒書によりますと
 
五社神社
  御祭神 国常立尊(くにとこたちのみこと)
      建速須盞鳴尊(たけはやすさのをのみこと)
      五十猛尊(いたけるのみこと)
      住吉大神
      穴織大神(あやはのおおかみ)
  由緒
   社伝に依れば 聖武天皇の神亀元年(724) 僧行基 
  当地に多羅山若王子を創建し その鎮守として当神社を勧請する
   鎌倉時代若王子が真言宗に属し 社殿の背後の鉢塚古墳(史跡)石室内に
  石造十三重塔(重要文化財)を建立
  この金剛界曼荼羅の五智如来を本地として 五社大明神と号した
   天正元年(1573)兵火にかかり 烏有に帰したが 
  同十七年(1589) 若王子の伝誉法印再興する
   明治初年(1686)の神仏分離により五社神社と改める

 狛犬さんの台座には 天保?申年 九月吉日 と刻まれていました
 天保で 申年は天保七年になります

 神社の後ろには 古墳があります
 説明書きによりますと
 
大阪府指定
    史跡鉢塚古墳
  本墳は 上円下方墳と云う特異な墳形と巨大な横穴式石室を有する
  大阪府下有数の古墳である 
  その兆域は 五社神社境内に含まれ 南面の周濠や墳丘の一部が削られている外は
  畧々完好な状況を保ち 周濠の形跡も明瞭である
  石室は 両袖式で 南面に開口し 
  奥行全長十五米(内玄室七米羨道八米)玄室高さ五米幅四米
  羨道高さ二米幅二米を算える
  被葬者は不明であるが 六、七世紀頃 この地方を統轄した
  首長の墳墓と見られる
  尚玄室内には 重要文化財指定の石造十三重塔が祀られ
  相輪が後補である以外は よく旧規をとどめ 各屋蓋に
  上層の軸部を造出す形式のもので 軒口厚く 隅反りがあり
  鎌倉時代の特色を示している

日曜日, 10月 05, 2008

狛犬さん 600

2008.09.14 大阪府池田市神田 八坂神社
 本殿は重要文化財に指定されています
 天正七年(一五七九)織田信長の伊丹城主荒木村重攻略の兵火にかかり
 社殿・記録を焼失した 現在の本殿は慶長十五年(一六一〇)九月
 池田備後守光重の再建にかヽる
 一間社流造 檜皮葺の建造物で よく桃山時代の様式を伝えている

 本殿の前にいた狛犬さんです
 台座に 明治維新百年記念と刻まれていました
 明治維新が何時になるか 諸説あるそうですが
 明治元年(1868)とすると 
 この狛犬さんは 昭和四十三年(1968)に奉納されたことになります

 境内に「磐座」がありました
 磐座とは 神道の根幹にあたる信仰の一種である
 神事において神が降臨する依り代(神籬)とし 祭りの中心でした
 後世 神殿が作られるようになると 信仰の中心が神殿に移っていきました
 しかし 古代には 自然の山・岩・木・海等を 神として崇めていたのですね
 「神籬」は「ひもろぎ」と読みます

土曜日, 10月 04, 2008

狛犬さん 599

2008.09.14 大阪府池田市神田 八坂神社
 由緒書によりますと
 
御祭神  素戔鳴尊(牛頭天王)
  円融天皇 天元元年(西紀九七八)創祀せられた(常福寺蔵 慶長十六年縁起書)
  と伝えられる古社で 神田の産土神である
  古来 農耕守護・厄除開運の神として 広く崇敬せられ
  氏子崇敬者から 神田の宮の名で親しまれている
  御本殿は 桃山時代の建造物で 重要文化財に指定されている
  御例祭(十月二十二日)の幟・神額の宮入は 
   北摂の特異神事として有名である
  神奈備は 御創祀の縁起により 早苗の森と称する
    千早振る 神田の村の稲なれば
      月日と共に久しかるべし
               大江匡房

 御例祭の神事(神田祭) 額灯の幟の宮入り
   この祭りの起源は神輿に「宝暦六丙子年」(1756)の記銘が
  あることから二二〇年以上前から行われていたと考えられる
   毎年十月の八坂神社の秋祭り(神田祭)で
  神田の旧六ヶ村(脇塚・上畠・中の島・北神田・宮之原・河原島)から
  氏子達が 伊勢音頭を歌いながら 幟は午後二時頃 
  額灯は夕刻に それぞれ八坂神社に宮入りする
   祭りで幟と額灯の宮入りが 現在でも行われているのは
  非常に珍しく 貴重な祭礼行事である
     昭和五十三年十月三十一日
                 池田市教育委員会
 「神田」は (かんだ)ではなくて (こうだ)と読むそうです
 狛犬さんの台座には 文化八年(1811)九月辛未 と刻まれていました

 本殿は華麗で優美な建築物です

金曜日, 10月 03, 2008

狛犬さん 598

2008.09.14 大阪府池田市五月丘 穴織神社
 穴織神社は「あやはじんじゃ」と読むんだと思います
 呉服神社に祭られている機織りの神 「綾織(あやはとり)」を
  祀っているかと思われますが 由緒についてはわかりませんでした
 それにしても「穴織」と書いて「あやは」又は「あやはとり」と読むのは
  非常に不思議です
 狛犬さんの台座には 明治廿七年(1894)十月 と刻まれていました  

木曜日, 10月 02, 2008

狛犬さん 597

2008.09.14 大阪府池田市室町 呉服神社内天満宮
 境内社として 本殿の斜め後ろあたりにありました
 狛犬さんの台座には 寛政十二庚申年(1800)四月吉日と 刻まれていました
 吽形には 小さな角が付いています

 社務所の横に 古い瓦が置かれていましたが 
 唐子の一人は 糸巻きを持っていますが もう一人は 何を持っているのでしょう
 機織に関係するものだとは 思いますが よくわかりません 

水曜日, 10月 01, 2008

狛犬さん 596

2008.09.14 大阪府池田市室町 呉服神社内恵美須神社
 本殿の横に この恵美須神社はあります
 狛犬さんの台座には 明治二十三年(1890)五月吉日  と刻まれていました

 案内板は一応ありますが 境内の片隅に ひっそりと建っていました
 「姫室」の碑です
 大正二年(1913)と 刻まれていました