由来書によりますと
猪名津彦大明神由来
当猪名津彦神社は 後漢の孝献皇帝(霊帝)の聖裔 阿智王・都加王の
両人を祀る所で 延喜式に云う摂津国豊島郡鎮座の神社である
日本書紀に 応神天皇二十年(289)秋九月 阿智使主其子都加使主は
部下十七県の人達を連れて 我国に渡来し 大和国桧隈に
住居を與へられ 同天皇三十七年(306)春二月 両人を勅使として
呉国に 縫工女を求めしめんとされ 呉王より
兄媛・弟媛・烏沙架女・幾利区珥女の四婦女を與へられ
同四十一年(310)春二月 阿智使主等 呉国より筑紫に帰着したが
(胸)形大神の乞に 兄媛を差し上げ 他の三婦女を伴い
摂津国武庫に到る時に 天皇崩御の報に接し 献ずるを得ず
後仁徳天皇は 居館を豊島郡為那野に造営し
羅綾織(紝)の業を専らにされ その功績により この地を
呉服と名付け 反正天皇は 勅令を持って送り名をされ
猪名津彦大明神とし 之が倭漢直(やまとのあやのあたい)の祖である
降って允恭天皇の時 その子孫忘奴手直に 阪上姓を 弟奴留間直に秦姓を賜う
文化年間(1804~1817)に古墳の盗掘がはやり
阿智使主の古墳と傳へられた所も 其の例に漏れず行はれ
此の所より 珠塗の棺の破片人骨の若干を持帰へり
猪名津彦大明神跡に埋葬し 御霊は 現地にお祀りしものであります
右文は 伊居太神社の御文章を 書写したものであります
平成十七年十月吉日
《括弧の中の文字は 原文と異なりますが 同じ文字がないので
私が推測の上 当て字をしています
呉服は「くれは」と読みます
漢字には ほとんど振り仮名が付いていますが 省略しました》
狛犬さんの台座には 昭和三十三年(1958)十月吉日 と刻まれていました
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