由緒書によりますと
祭神 大日孁命・天児屋根命・吉備津彦命・国常立命・
瓊々杵命・譽田別命・建御名方命
当神社ハ 人皇第三十三代(六〇三年)推古天皇御宇十一年癸亥九月九日勧請され
明治七年二月明石郡枦谷村、村社ニ加列 大正六年五月
内務省令ニヨル神社指定ヲ 兵庫県知事ヨリ受ケ
昭和二十七年宗教法人櫨谷神社ノ 法人登記ヲナシ 現在ニ至ル
本社殿ノ外境内地内建物トシテ稲荷社・能舞台・参集殿アリ
お宮さんの前を 新しくできた県道が走っています
その県道を作るため お宮さんは 境内を削られたのでしょうか
鳥居も参道の階段も 非常に新しいものです
鳥居には 平成十二年十二月吉日建之と刻まれています
狛犬さんの台座には 大正三年十月と刻まれていましたが
狛犬さんは 鳥居と同じ頃 奉納されたもののようです
櫨谷神社のあたりには 源義経伝説が 残っており
この石は 義経腰掛石だそうです
説明板には
義経伝説
腰掛石と弓引き祭り
義経ヒヨドリの逆落としの途上(西暦一一八四年一月)
義経は 兵百騎余りを駐屯させ 作戦を練る為に休憩をとった
これが 義経の休息したと言う「腰掛石」です
ここで各兵に弓の試し打ちをやらせ 義経 自ら監督指導を行った
頑強な村人も此れに加わったのが 弓引きの始まりと言われています
その後 天保の飢饉のあと 義経伝説に習い 正式な祭りとして伝えられています
櫨谷神社
右側にある 背の高い石に由来が彫ってあったそうですが
今では 判りません
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