火曜日, 9月 30, 2008

狛犬さん 595

2008.09.14 大阪府田市室町 呉服神社(くれはじんじゃ)
 説明板によりますと
 
呉服神社の御縁起
   大阪府呉服里池田市に かしこくも鎮座まします
   日本最初「繊維」の祖神呉服大神の御由緒を左に申述べます
   人皇第十五代応神天皇の御代に 猪名津彦命を
  中国の呉の国に遣わし 機織(はたおり)裁縫(たいtぬい)の工匠を 
  お需めになりました その時 久礼波(くれは)・久礼志(くれし)の二人を
  案内役として 呉の国に趣き 呉王に乞うて 呉服(くれは)・綾織(あやはとり)・
  兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の四人を伴い 渡来する事となりました
  帰路九州の築紫潟に着きましたが 兄媛は 胸形明神のお望みにて
  この地にお留りになり 他の媛は摂津の国武庫の浦にお着きになりましたので
  猪名の港(今の唐船ヶ淵)に機殿を建て 呉服媛をお迎え致しました
  呉服の神女は 昼夜怠りなく 布帛を織り 少しも倦み給う事がなかったと
  申します この時より 機織裁縫染色の技術が我国に伝わり
  男女寒暑の服装の別が定まりました 尚四季には上妙の衣服を
  天子に献じ 下は万民に施されました
   仁徳天皇の七十六年(385)九月十八日 呉服の大神は
  御齢百三十九才という人生に倍する御長寿を以て お隠れになり
  その御遺体を 今にその跡を残す梅室姫室に お納め申し上げました
  その翌年仁徳天皇が 勅令を以て 御神祠をお建てになりました
   この大神が糸を様々にお染分けになった所を 染殿井と称し
  その糸を掛け晒しになりました松を 絹掛松と名付けて
  その跡は 今も残って居ります
   大神の御託宣に「我は衣服の神となり 人をしてその寒暑の憂なく
  養蚕機織絹布裁縫の道を守護し 且つ船路遥かに この日本に帰化せし故
  海上の難おも無からしめん」とあります
  代々の帝 殊に御崇敬篤く 円融天皇御代には
  鎮守府将軍源満仲公が 社祠を修復 又下って後陽成天皇の御代には

  豊臣秀頼公が 片桐且元を奉行に命じて 再建の事があり
  文政二年には 有栖川宮殿下の御祈願所となりました
  近年になって 昭和四十四年 新拝殿の御造営が相なりました
   因みに呉服大明神の御名は 後醍醐天皇より賜りました
  御宸翰より起り 又これによりて 我国にて絹布の類をすべて「呉服」と
  称する事となりました
   省みまするに五穀を作るすべを授け 万民に飢餓の憂の無い事は
  天照大神の御神徳であると等しく 機織裁縫の道を教えて
  寒暑の憂なきは この大神の御遺徳に他ならずと信じます
  この故を以て 衣服の業に従い 並びにその産物を商うものはおしなべて
  祖神たる呉服大神を崇敬すべき事は論を俟たぬ事であり
  古来より健康長寿家業繁栄文化経済手芸上達の神徳があるといわれています
 狛犬さんの台座には 寛政三年(1791)辛亥四月吉日
           石工 大阪 中村?   と刻まれていました
 吽形の頭には 小さな角が見えています

 本殿は 祀ってある女神にふさわしい 華麗な装飾がされています
 瓦にはお宮さんの紋として 糸巻きが付いています 

月曜日, 9月 29, 2008

狛犬さん 594

2008.09.14 大阪府池田市宇保町 猪名津彦神社
 神社の奥に 前の狛犬さんがいました
 阿形のほうは 半身ギブス状態になっています
 吽形のほうも 顔がかなり磨滅しています
 台座には 嘉永二歳(1849) 己酉四月吉? と刻まれていました

 狛犬さんの後ろに 注連縄のかかった大岩が見えています
 その大岩の後ろには 樹齢数百年の樹木の切り株があります
 何か いわくありげに見えますが 場所は本殿横の隙間です 

日曜日, 9月 28, 2008

狛犬さん 593

2008.09.14 大阪府池田市宇保町 猪名津彦神社
 由来書によりますと
 
猪名津彦大明神由来
 当猪名津彦神社は 後漢の孝献皇帝(霊帝)の聖裔 阿智王・都加王の
 両人を祀る所で 延喜式に云う摂津国豊島郡鎮座の神社である
 日本書紀に 応神天皇二十年(289)秋九月 阿智使主其子都加使主は
 部下十七県の人達を連れて 我国に渡来し 大和国桧隈に
 住居を與へられ 同天皇三十七年(306)春二月 両人を勅使として
 呉国に 縫工女を求めしめんとされ 呉王より
 兄媛・弟媛・烏沙架女・幾利区珥女の四婦女を與へられ
 同四十一年(310)春二月 阿智使主等 呉国より筑紫に帰着したが
 (胸)形大神の乞に 兄媛を差し上げ 他の三婦女を伴い
 摂津国武庫に到る時に 天皇崩御の報に接し 献ずるを得ず
 後仁徳天皇は 居館を豊島郡為那野に造営し
 羅綾織(紝)の業を専らにされ その功績により この地を
 呉服と名付け 反正天皇は 勅令を持って送り名をされ
 猪名津彦大明神とし 之が倭漢直(やまとのあやのあたい)の祖である
 降って允恭天皇の時 その子孫忘奴手直に 阪上姓を 弟奴留間直に秦姓を賜う
 文化年間(1804~1817)に古墳の盗掘がはやり 
 阿智使主の古墳と傳へられた所も 其の例に漏れず行はれ 
 此の所より 珠塗の棺の破片人骨の若干を持帰へり
 猪名津彦大明神跡に埋葬し 御霊は 現地にお祀りしものであります

 右文は 伊居太神社の御文章を 書写したものであります
           平成十七年十月吉日


  《括弧の中の文字は 原文と異なりますが 同じ文字がないので
        私が推測の上 当て字をしています
  呉服は「くれは」と読みます
  漢字には ほとんど振り仮名が付いていますが 省略しました》

 狛犬さんの台座には 昭和三十三年(1958)十月吉日 と刻まれていました

土曜日, 9月 27, 2008

狛犬さん 592

2008.09.11 神戸市西区櫨谷町 櫨谷神社
 本殿の横に 古い狛犬さんがいました
 この狛犬さんが 大正三年(1914)十月生まれなのでしょう
 愛想よく笑ってますが 阿形の顔の後ろ側は 大きく欠けています

 手前に 欠け落ちた部分が置いてありました

金曜日, 9月 26, 2008

狛犬さん 591 

2008.09.11 神戸市西区櫨谷町 櫨谷神社
 由緒書によりますと
 
祭神 大日孁命・天児屋根命・吉備津彦命・国常立命・
  瓊々杵命・譽田別命・建御名方命
 当神社ハ 人皇第三十三代(六〇三年)推古天皇御宇十一年癸亥九月九日勧請され
 明治七年二月明石郡枦谷村、村社ニ加列 大正六年五月
 内務省令ニヨル神社指定ヲ 兵庫県知事ヨリ受ケ
 昭和二十七年宗教法人櫨谷神社ノ 法人登記ヲナシ 現在ニ至ル
 本社殿ノ外境内地内建物トシテ稲荷社・能舞台・参集殿アリ


 お宮さんの前を 新しくできた県道が走っています
 その県道を作るため お宮さんは 境内を削られたのでしょうか
 鳥居も参道の階段も 非常に新しいものです
 鳥居には 平成十二年十二月吉日建之と刻まれています
 狛犬さんの台座には 大正三年十月と刻まれていましたが
 狛犬さんは 鳥居と同じ頃 奉納されたもののようです 

 櫨谷神社のあたりには 源義経伝説が 残っており
 この石は 義経腰掛石だそうです
 説明板には
 
義経伝説
    腰掛石と弓引き祭り
 義経ヒヨドリの逆落としの途上(西暦一一八四年一月)
 義経は 兵百騎余りを駐屯させ 作戦を練る為に休憩をとった
 これが 義経の休息したと言う「腰掛石」です
 ここで各兵に弓の試し打ちをやらせ 義経 自ら監督指導を行った
 頑強な村人も此れに加わったのが 弓引きの始まりと言われています
 その後 天保の飢饉のあと 義経伝説に習い 正式な祭りとして伝えられています
           櫨谷神社

 右側にある 背の高い石に由来が彫ってあったそうですが
   今では 判りません

木曜日, 9月 25, 2008

狛犬さん 590

2008.09.07 神戸市垂水区平磯 寶ノ海神社
 記念碑があり
 
記念碑
  我が神戸市漁業協同組合が 昭和三十四年十月に合併してから
  茲に目標をはるかに凌駕する勢で 飛躍発展いたしましたことは
  組合員一人一人の辛酸研究努力と 組合役職員一致協力の賜であることは
  申すまでもありませんが 又我々が先祖から 崇敬する金刀比羅大権現・
  恵美須大神・大黒天大神の加護によるものであることを
  銘肝するものであります
  時恰かも 海洋二百海里時代を迎え 国民蛋白食糧供給確保のため
  漁業生産の向上が強く望まれる時 今回新たに社号標玉垣を奉献し
  豊漁と漁業操業の安全を祈願するものであります
             昭和五十四年八月吉日

 
 狛犬さんの台座には 昭和五十三年(1978)五月吉日 と刻まれていました

水曜日, 9月 24, 2008

狛犬さん 589

2008.09.07 神戸市垂水区高丸 瑞丘八幡神社
 本殿に近いほうにいた狛犬さんです
 狛犬さんの台座に
  嘉永七甲寅(1854) 十一月吉日
  石工 長兵衛
 嘉永七年は 十一月二十七日に 安政元年になります

 石工 長兵衛の名前は 海神社の狛犬さんにも見られました

火曜日, 9月 23, 2008

狛犬さん 588

2008.09.07 神戸市垂水区高丸 瑞丘八幡神社
 垂水厄除八幡神社とも呼ばれているようです
 御祭神は 八幡大神・神宮皇后・比売神・菅原道真・荒神さま・豊太閤
 創立年代は 不詳だそうですが 海神社の社史に 元和六年(1620)十月
  「垂水の郷 八幡宮 日向大明神(海神社)・・・・」との記載があるそうです
 それにしても何故 豊臣秀吉を祀っているのでしょう

 吽形の足元に纏わりついている 子犬さんが可愛いですね
 台座には 大阪 石工 飯田  と刻まれていました
 製作年代は わかりませんでした 

月曜日, 9月 22, 2008

狛犬さん 587

2008.09.07 神戸市垂水区御霊町 御霊神社
 住宅街の中にあり 探すのに苦労したお宮さんです
 境内には セメント造らしい五重の塔や 日蓮宗の髭文字の名号の碑がありました
 
 お宮さんの名前は御霊神社ですが 御祭神・創立年代等はわかりません
 御霊神社には
   怨霊を祀ったもの・五柱の神様を祀ったもの・先祖神を祀ったものなどがあります 

 小さな狛犬さんですが しっかり本殿をお守りしていました

 境内社がいくつかありましたが 御祭神のわからないお宮さんの中にいました

日曜日, 9月 21, 2008

狛犬さん 586

2008.09.07 神戸市垂水区宮本町 海神社内稲荷神社
 海神社の狛犬さんは 以前にご紹介しましたが その時 稲荷神社は寄っていませんでした
 今回 寄ってみましたが いちばん外側の鳥居の額には
  猿田彦大神・蛭子大神・稲荷大神と三柱の神様が書かれていますが
  内側の鳥居には 稲荷社・猿田彦社 としか書いてありません
 
 狛犬さんの台座には 昭和五十一年(1976)二月吉日と刻まれていました

 この狛犬さんは お稲荷さんの狐さんと 並んで座っています

土曜日, 9月 20, 2008

狛犬さん 585

2008.08.29 兵庫県淡路市岩屋 岩屋八幡宮
 御祭神は 応神天皇・神功皇后
 楠木正成が湊川で討ち死にした時 淡路に落ち延びた片山養軒が
 持っていたご神体を 祀ったと言う言い伝えがあるそうです

 台座には 昭和四十四年十二月吉日建?

 狛犬さんの頭の上に 宝珠なのでしょうか
 まるで ソフトクリームのようなものが付いています

金曜日, 9月 19, 2008

狛犬さん 584

2008.08.29 兵庫県淡路市岩屋神ノ前 岩屋神社(天地大明神)
 由緒書によりますと
 
由緒
   延喜式内社
   岩屋神社(通称 天地大明神 と云う)
   御祭神 国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊・伊弉冊尊
   御神徳 開運・厄除・えんむすび・航海安全
    淡路で最も古い神社で 第十代天皇(崇神)(紀元元年)の御代
    三対山(さんたいざん)に鎮座
    戦国時代 永正七年(一五一〇)大内義興が
    将軍義植(よしたね)を奉じて京都へ入ろうとした時 岩屋に軍を進め
    三対山に城を築くため 現在の地に社殿を遷座された

 国常立尊という神様は 天地開闢の時 一番最初か二番目に表れた神様
 しかし そのまま何処かに隠れてしまった 神様です

 お宮さんの入口が まるで武家住宅の長屋門のような作りです
 あまりお宮さんのように見えない 変わった建物です
 
 狛犬さんの台座には 平成二年一月吉日 岩屋船曳会一同 と刻まれていました
 阿形・吽形ともに 頭に立派な角がみえています
  両方に角が付いているのは かなり珍しいと思います

木曜日, 9月 18, 2008

狛犬さん 583

2008.08.27 神戸市垂水区多聞台 吉祥山多聞寺内大黒天神社
 天台宗のお寺で 本尊は毘沙門天だそうですが
 木造阿弥陀如来座像・木造日光菩薩、月光菩薩は 重要文化財です
 このお寺の創建はよく分からないようですが 平安時代(840年頃)
 最澄(伝教大師)の弟子 円仁(慈覚大師)が開基したと伝えられているそうです

 境内の片隅に 大黒天を祀った小さな祠がありました
 その祠の前に 小振りの狛犬さんが居ました
 製作年代等はわかりませんが 良い顔をした狛犬さんたちです

水曜日, 9月 17, 2008

狛犬さん 582

2008.08.27 神戸市垂水区多聞町 六神社
 この狛犬さん達が 由緒書にあった 
 嘉永四年亥牛年(1851)五月吉日の銘が入った狛犬さんでしょう
  年号の中にある「牛」は「辛」の間違いだと思います
 狛犬さんの後ろにある 銘板には 
 
震災復興記念碑
  平成七年一月十七日 午前五時四十六分頃 淡路島北部の地下
  活断層を震源とした マグニチュード7,2 震度7という激震が
  突如 神戸を中心に 阪神・淡路地方を襲いかかり
  甚大な被害をもたらした
  高層ビルをはじめ あらゆる構築物は倒壊 又は 破損
  市街地を走る高架の高速道路は崩れ落ち 各地では火災が発生!
  多数の死傷者が出た
      僅か二十秒の揺れである・・・・・・
  県下の被害規模は
   人身被災  死者   六千三百余人
         負傷者  四万三千余人
   住宅に至っては
         全半壊  二万四千八百戸余
         全半焼  七千一百戸余という
              想像を絶する破壊力!
  当多聞六神社も 本殿の壁面は亀裂 社務所は全壊 敷地は沈下 地割れ 
  境内の狛犬や石灯籠 石鳥居 石瑞垣などは 
  倒壊又は破損という多大の被害を受けた

   よって ここに当六神社の復興を記念し
    鎮魂の想いを刻むものである

    平成八年十月吉日
        多聞六神社  復興委員会

 狛犬さん達も 足や頭にヒビが入り 尻尾も欠けたりしています

 狛犬さんの左手に写っている石柱には 
 
この碑は震災で倒壊破損した
       鳥居の貫(有姿のまゝ)である

    と刻まれています

火曜日, 9月 16, 2008

狛犬さん 581

2008.08.27 神戸市垂水区多聞町 六神社
 由緒書によりますと
 
明石郡多聞村 鎮座村社 六神社
  祭神 伊弉諾命・伊弉冊命・大日霎命・素盞鳴命・月読命・蛭子命・大山咋命・天鈿女命
  由緒 一、当社は貞観五年(八六三)の創立にして 明治七年二月村社に列し
       同二十三年七月三十日社殿焼失せしかば 直に再建す
     一、明治三十七年(1904)七月九日多聞鎮座の無格社 
       日吉神社を合祀せり
     一、往古より 百姓の神として崇敬厚く 七月二十四日の總祈祷は
       特殊神事として 遠近に有名にして 殊に十月八・九日の
       秋祭には 神幸式ありて 此日は多聞町出身の人々は
       遠近の別無く帰国して 此の神事奉仕を楽しむを常とせり
       現今も多聞町の總氏神たり
  右ハ兵庫県神社誌及び海神社所蔵文書
        明治五年(1872)(明石郡美嚢郡)神社調記の記事より移記せり
  ※(イ)本殿 老朽化激しく昭和五十九年(1984)九月三十日建替
   (ロ)平成七年一月十七日阪神大震災の激震により 当神社被害甚大
      本殿境内は修理及び社務所は全壊のため 平成八年十月吉日新築せり

 狛犬さんの台座には 平成七年(1995)十月吉日  と刻まれていました

月曜日, 9月 15, 2008

狛犬さん 580

2008.08.08 兵庫県宝塚市宮の町 川面神社
 宝塚歌劇場に近く 宝塚歌劇・宝塚音楽学校の生徒達から「出世神社」と言われ
  信仰を集めているそうです
 御祭神は 高皇産霊神・神皇産霊神・天照大御神
 天地開闢の時 一番最初に 天御中主神が現れ 高皇産霊神・神皇産霊神と
  順番に現われてきますが すぐに姿を隠してしまった神様たちです
 天照大御神は 伊邪那伎命の禊から生まれた神様ですね
  
 創建は延暦十三年(794)三月創建と言われているそうですが
    創建時の社名はわからないそうです
 戦国時代 豊臣秀吉の命を受けた片桐且元により復興したそうです
  境内にある御手洗池は 片桐且元の寄進したものと伝えられているそうです
 その時 大梵天王社と改称しました
 江戸時代には 別当寺の真言宗法楽寺が置かれるほど勢力があったが
 慶応四年(1868)の廃仏毀釈令により 法楽寺を廃寺し 皇大神社に改名
 大正四年(1915)川面神社に改称したそうです
  社名の由来は 武庫川に面していたからとか

 狛犬さんの台座には 弘化四未年(1847)十二月吉日 と刻まれていました  

 境内社の素盞鳴神社の横にあった狛犬さんで 多分阿形だと思います
 吽形の方は 探しましたが ありませんでした

日曜日, 9月 14, 2008

狛犬さん 579

2008.08.08 兵庫県宝塚市伊孑志 伊和志津神社
 本殿のすぐ前に居た狛犬さんです
 台座には 天保十二年(1841) 丑六月吉日 と刻まれていました

土曜日, 9月 13, 2008

狛犬さん 578

2008.08.08 兵庫県宝塚市伊孑志 伊和志津神社
 由緒書によりますと
 
伊和志津神社
     延喜式内の大社・宝塚随一の古社
  当社は 延喜の御代(約1060年前)式内の官幣大社として
  近郷の尊崇をあつめた古社 御祭神の須佐男命(すさのおのみこと)は
  和歌の祖神 学問の守護神 縁結びの神 開発の神 
  迦具土神(かぐつちのかみ)は火の守り神である愛宕(あたご)の神
  又末社 宝塚水天宮は安産の神 水商売の神
   伊孑志(いそし)・小林(おばやし)・蔵人(くろうど)・鹿塩(かしお)
  四村を領家ノ荘(りょうげのしょう)と呼ばれ(摂津志)
  当社の小字 良元ノ庄が旧良元村の発生地
  古来宝塚の総鎮守であります
  (本殿は市指定の文化財・境内は市指定の保存樹林)

 延喜式神名帳で大社として載っているそうで 創建は9世紀以前だと思われる
 この地域一帯は 8世紀後半から伊蘇志臣(いそしのおみ)が 拠点としていたそうで
 伊蘇志臣が 創建した可能性があるそうです
 安土桃山時代 加藤清正が文禄・慶長の役で 朝鮮から持ち帰った虎を
  境内で飼育したと伝えられているそうです
 説明板に
  
【宝塚市指定文化財 伊和志津神社本殿】
       指定年月日  昭和56年3月6日
   一間社春日造 杮葺(いっけんしゃこすがづくり こけらぶき)
    この神社は 10世紀初頭に編纂された『延喜式』に記載がある大社で
   市内の神社の中で創建が最も古いものの一つである
    現在の本殿は建立年代が不明であるが 細部手法から
   江戸時代中期(17世紀末~18世紀初頭)の建築と考えられる
    小規模な建物であるが 江戸時代中期の典型的な手法を用い
   細部においてもその特徴がよく表れている

 狛犬さんの台座には 平成八年正月  石政  と刻まれていました

金曜日, 9月 12, 2008

狛犬さん 577

2008.06.30 兵庫県明石市材木町 金毘羅神社(瑞雲山 竜谷寺)
 お寺の傍を通りかかると 塀の上に見えた屋根が 流造
 何かお宮さんが 有りそうで 入ってみました
 このお寺は 古くは浄土宗に属する寺で 今は 臨済宗妙心寺派だそうです  
 元和5年(1619)に 小笠原忠真が明石藩主として国入りした
 その母の菩提寺として 境内を拡張して壮大な寺院とし 
   その名も峯高寺と改めたそうです
 小笠原氏に代わって国入りした松平氏(戸田)の二代目丹波守光重の時期に
 峯高寺の跡地に開山し 寺号も瑞雲山龍谷寺と改めたという
 
 狛犬さん達は 風雨に晒され かなり傷んでいます
 吽形の方は 何かに飛びかかろうとしていますね
  頭に角の痕跡が残っているようにも見えますが よくわかりません
 阿形の足元にあるのは 子犬さんです
  右足の方が 尻尾になっていますが 頭の方はどうなっているのか
  分かりません

 隣にあった境内社の中に居た狛犬さんたちです
 吽形の方は 二体いますが 阿形の方は 白い狛犬さんがいませんでした

木曜日, 9月 11, 2008

狛犬さん 576

2008.06.30 兵庫県明石市材木町 岩屋神社
 由緒書によりますと
 
式内社 岩屋神社(元県社)
  御祭神 伊弉諾尊・伊弉冊尊・大日孁尊(天照皇大神)・蛭子尊(ゑびすさん)
   素戔鳴尊(ぎおんさん)・月読尊
  御由緒 成務天皇十三年九月十五日天皇の勅令により
   淡路島岩屋より御遷になりし 東播の古大社として
   古くより崇敬篤く 明石城主の産土神として尊ばれ
   社領十二石五斗を賜れる 亦当社は式内社伊和都比売神社に比定される
  御神徳 家内安全・商売繁盛・招福の神・災厄消除・縁結びの神として
   御神徳広く崇敬される
  オシャタカ舟神事(明石市指定無形文化財)
   淡路岩屋より 御遷なりし当時を偲ぶため それ以降連綿として
   行われている神事で 夏大祭に行われている神事で
   当浜の名主(六人衆という)が新船を造り 一族郎党を引連れ
   淡路に渡り 御皇神を船に遷し奉り帰路についた所
   途中八百潮早く 波風高く 船を当浜に着ける事が出来ず
   西の方 林崎前の赤石(明石の起源)の所で一夜の泊りをなし
   その時 神前に御供へしたのが 現在も特殊神饌として伝わっている
   (現在も宵宮の朝松江海岸にて行われている)朝旦に至って波風も
   おさまり 今の地に鎮座されたのである行事の内容は
   明石浦の漁業青年達が 一艘の船に五名約三十名が選出され
   神船に神々を奉鎮し立泳しつつ 頭上高く持ち上げ「オシャタカー」
   (よくおいで下さいました)と唱へつつ 前方に押し進め
   御渡式を行う 往時は岩屋まで行われしが 近年は 松江海岸(赤石)まで
   行われる 旧暦六月十五日に行われていたが 
   近年は七月第三日曜日に 行われる

 狛犬さんの台座には 昭和四十二丁未年 四月吉日建立 安井石材 刻

水曜日, 9月 10, 2008

狛犬さん 575

2008.06.30 兵庫県明石市岬町 伊弉冊神社(いざなみじんじゃ)
 御祭神は 伊弉冊大神    相殿  須佐之男大神
 当社の由緒書によりますと
 
当社は 延喜式神名帳に云う 明石郡産土 伊知都比売神社にて
   人皇十代崇神天皇御宇六年(BC91)九月十日勧請せられた式内社であり
   人皇四十九代光仁天皇御宇宝亀二年(771)境内地四町四方赦免地となり
   降りて別所氏三木城主たる時崇敬厚く 社領五十石を寄進
   祭典営繕に当たったと云われ 其後天正年間(1573~1591)減地となるも
   東域に小祠を建て お旅所と名づく 元の祇園さん
   西域にも小祠を建て「賀神社」旧境内東西の境界の遺跡とする
   この頃の境内地域は東西に連る松林にて「さなぎの森」と呼ばれた
   嘉吉年間(1441~1443)赤松氏の和阪ノ戦 天文年中町野入道の放火
   天文年間羽柴氏三木城攻め等しばしば兵火に罹り
   社殿 旧記をことごとく焼失すると伝う
   明治十二年(1879)七月二日県社に列せられる
    昭和二十年(1945)六月太平洋戦争の戦災にて社殿 社務所一切の建物を焼失
   昭和三十七年(1962)社殿再建ご現在に至る

 狛犬さんの台座には 平成十年(1998)十二月吉日 寄進 加古川市 某
    と 刻まれていました 

火曜日, 9月 09, 2008

狛犬さん 574

2008.03.29 兵庫県姫路市飾磨区垣内本町 武大神社
 由緒書によりますと
 
武大神社由緒記
  祭神 彦狭知命・事代主命・倉稲魂命
  由緒沿革 創立年代については 今や知ることはできないが
   この垣内村落発生とともに いつしか産土神として
   この地に祭られ 村人たちの厚い崇敬を受け 
   郷土垣内の発展と平和の祖神(守護神)と 
   又心のふるさととして 維持されてきた
  御神徳 
  彦狭知命 天照大神が天岩戸にお隠れになった時
   御殿を造営された神で 今日では大工(建築)守護の祖神として信仰されている
  事代主命 大国主命の御子で 古事記国譲りの神話に登場する神で
   「ものしり」の神と称せられ 後には 豊漁 
   廷いてはあらゆる生産商売の守り神として 恵美酒さんと親しまれ
   厚い信仰がある
  倉稲魂命 稲荷大神 古来五穀をはじめとする全ての食物の事を
   司る神として 信仰され 今日では商売繁盛・産業隆昌・家内安全等に
   厚い信仰がある

                   だそうです
 阿形の口の中の球は 確か動いていたと思います

月曜日, 9月 08, 2008

狛犬さん 573

2008.06.26 滋賀県東近江市蒲生大森町 廣田神社
 残念ながら 御祭神等はわかりませんでした
 しかし 狛犬さんの台座に 三百記念 昭和五年(1930)十月建立と刻まれています
 もしこの「三百記念」と言うのが 「三百年記念」だとすると
 1630年(寛永七年)が 創建になるのでしょうか

日曜日, 9月 07, 2008

狛犬さん 572

2008.06.26 滋賀県東近江市蒲生町 八幡神社
 本殿の前に居た 狛犬さんです
 鳥居の前に居た狛犬さんは 愛想の良い顔をしていますが
 この狛犬さん達は 怖い顔ですね
 吽形の頭には 角が付いています

土曜日, 9月 06, 2008

狛犬さん 571

2008.06.26 滋賀県東近江市蒲生町 八幡神社
 創立年代等はよく分からないのですが 建物は 室町時代中期のもののようです
 
 吽形の足元に 珠がありますが その位置が問題です
 まるで サッカーをしているように見えませんか
 顔は ニッっと笑っていて まるで「行くぞ!!」と言っているみたいです
 吽形の頭には 小さな角のような物が付いています
 台座に 近江線櫻川驛前 石萬作 と書かれた板が 張り付けてありました

金曜日, 9月 05, 2008

狛犬さん 570

2008.06.26 滋賀県東近江市蒲生町 山部神社
 このお宮さんは 万葉歌人「山部赤人」に縁があります
 説明板によりますと
 
山部赤人伝説
   当地は万葉歌人・山部赤人の終焉の地と伝えられ
  赤人伝説にまつわる史跡が多く残されています
  ◇赤人廟碑・慶応元年(1865年)に高島郡の歌人渡忠秋の
   勧めにより碑文が刻まれたもので 赤人寺は山部赤人の創建で
   小松社(山部神社)が赤人の廟にあたり 近くには赤人墓や
   赤人桜があった事など 赤人と当地の関係が詳しく記されています
  ◇赤人歌碑
   「春野の 寿みれ摘みにと こし我は野をなつかしみ 一夜寝た計る」
                 (明治十二年建立)
   「田子の浦ゆ うち出でてみればま白にぞ 富士の高嶺に 雪はふりける」
                 (昭和四十二年建立)

 
山部神社縁起
   山部神社は 万葉歌人として名高い山部赤人を祭神とし
  明治九年(1876年)に小松大明神から 山部神社に改称されました
  本殿は一間社流造り桧皮葺で 室町時代末頃に建立されたとされています
   また 本社には平安時代末から 室町時代にかけての古文書63点
 (市指定文化財) が伝えられており その内容から 
  当地下麻生は 当時下七坂と称し
  麻生荘の中心的は位置にあった事がわかります

 狛犬さんの台座には 昭和十年四月
           川守 石常作  と刻まれていました

 お宮さんの隣に 養老山 赤人寺(ようろうさん しゃくにんじ)があります
 寺内に国指定重要文化財の石造七重塔があります
 この灯篭は 昭和年代に置かれたもののようですが
 笠の所に何故か 桃の実が刻まれています
  赤人と桃 何か関係あるのでしょうか 

木曜日, 9月 04, 2008

狛犬さん 569

2008.06.26 滋賀県東近江市蒲生町 高木神社内日吉神社
 説明板によりますと
 
重要文化財   高木神社境内社  日吉神社本殿
                 大正四年(1915)三月二十六日指定
  当本殿は 内陣安置の宮殿扉に 永正九年(一五一二)の墨書があり
 同年代に建てられたと考えられる
 高木神社より 規模がやや小さく 向背が一間であるほかは
 構造様式が殆んど同じである
          昭和六十三年(1988)三月   滋賀県教育委員会

 狛犬さんの台座には 平成六年(1994)十二月吉日  と刻まれていました 

水曜日, 9月 03, 2008

狛犬さん 568

2008.06.26 滋賀県東近江市蒲生町 旭野神社
 7世紀ごろ 百済からの渡来人が石造に関する高度な技術をもちこんだといわれ
 石塔や石仏が多数のこる地域として名高いそうで
 このお宮さんにも 蒲生町指定文化財になっている 鎌倉時代の石造七重塔がありました
 
 お宮さんの御祭神・創立年代等は よく分かりませんでした
 狛犬さんの台座には
  昭和十三年(? 1948)二月吉日
  陸軍少将 建川美次(?) 出郷五十周年記念
   石工 石角     と刻まれていました
 吽行には 立派な角があります

狛犬さん 567

2008.06.26 滋賀県東近江市蒲生町 高木神社
 天智天皇の第二皇子梵天王は 高岡宮を建て28歳の若さで亡くなり
 付き人に麻生庄が譲られた 
 高木神社は、神亀元年(724年)に創建され 
 御祭神は高皇産霊神・大己貴命
 本殿で行われるケンケト祭は 養老7年(773年)4月の聖武天皇御幸のときに
 日野川洪水で橋が流されたため 橋に代わるものとして帯を持ちより
 木太刀に結びつけたものを7本用意して仮橋を造り渡したのが起源とされており 
 国の無形民俗文化財に指定されているのだそうです
 行基が麻生庄に来て一院を建て高木神社の守護寺としたが 兵火で焼かれたため
 今から約400年前に 現在の位置に再建されたとのことです
 説明板によりますと
 
重要文化財  高木神社本殿
               大正四年三月二十六日指定
  高木神社は麻生庄 五郷の総社で 祭神は高産霊神(タカミムスビノカミ)を祀る
  現在の本殿は 隣接する日吉神社本殿と様式がよく類似しており
 永正頃に建てられたと考えられる
 形式は前室付三間社流造
 繊細で優美な三間社本殿の好例である


 狛犬さんの台座には 昭和六年(1931)九月吉日   と刻まれていました

 鳥居の前に 注連縄が張られていると思ったのですが
    これは 「勧請縄」と言うもののようです
 勧請縄とは 集落の出入り口の道上に掛けられ 
  集落に悪疫や災難が入ってこないよう 地区の宝が外に流れ出ないように
 祈願の一つの方法として 「道切り」をしている 結界のような意味があるとか
 山の神様を里に迎える神事の一部だとか 言われているようです
 どうも 注連縄と勧請縄の区別は 注連縄はお正月と言う期間限定ですが
 勧請縄は 通年で 張っているくらいの違いのようです

火曜日, 9月 02, 2008

狛犬さん 566 

2008.06.13 兵庫県明石市大蔵八幡町 穂蓼八幡宮
 由緒書によりますと
 
八幡神社     
  祭神 鴨部の大神(越智益躬)・息長足姫命・玉依姫命・応神天皇
  由緒 
  推古天皇の御代に 人皇第七代孝霊天皇第三の御子伊予の皇子より
  十七代の嫡葉の小千の益躬(マスミ)が 鉄人を和坂にて撃ち
  益躬 伊予三嶋大明神を 大蔵谷に祀る(稲爪神社)
  其の後 益躬の子武男 稲爪神社の辰巳の方角に一社を建て
  益躬を祭る(越智神社)
   さきに鉄人九州を通過せし時 これを防ぐことも得さりし者の末裔
  此社前を通過せし時 馬・籠より下り 益躬に敬意を表せり
  又 これをさけ 殊更船にて上がる諸侯あり
  明石城主これを気の毒に思い 越智神社を穂蓼八幡と改む
  尚 同時に神社を建て替をした
  この年号は 宝永二年(一七〇五)にて 城主は松平右兵衛門直常
  その後 諸大名 馬又籠のまま通行した
   又 八幡神社社領に権現山あり
  東西共宮山で 西山の小神祠は 熊野三社権現を祀る 
  西の登り口に 水を湧出る所を大蝮谷と言い 人丸小学校前の
  家の建っている谷である
   八幡神社の東に 空地あり
  八幡の森と言い 明石藩の大砲練習場にありたり
  社殿   宝永二年(1705)  造営
       大正二年(1913)  改築
       昭和四十五年(1970)改築

 鉄人が襲来したのは 推古天皇(554~628)の頃なのに
  江戸時代になっても このお宮さんの前を 避けて通っていたのですね

 狛犬さんの顔は穏やかですが 鋭い牙が見えています

月曜日, 9月 01, 2008

狛犬さん 565

2008.06.11 兵庫県丹波市柏原 柏原八幡宮内厄除神社
 柏原は織田信長の弟織田信包が 
   慶長三年に三万六千石を与えられたのが始まりだそうです

 八幡神社の傍に「木の根橋」があり 有名です
 川岸に樹齢千年といわれるケヤキあり その木の根が 対岸まで伸びています
 
 狛犬さんの台座には 石工 神辨蔵
   昭和戊寅〔昭和十三年(1938)〕中春
 タテガミのせいでしょうか
  最初見たとき ライオンを置いているのかと思いました
 阿形は大きな珠で口の中がいっぱいになっています