水曜日, 8月 27, 2008

狛犬さん 560

2008.06.11 京都府宮津市伊根浦 新井埼神社
 秦の始皇帝からの命令で 不老長寿の霊薬を求めて 蓬莱国に船出し
 到着したのが このお宮さんのある所だとか
 「京都の自然二百選 徐福伝説の地(新井埼神社)」だそうです
 入口に石碑があり その裏側にこんな文章が
 
新大明神口碑記の由来
   安政六年新井の村で四十六人が亡くなった
   村人は祖先神新大明神を祀り この難局窮地からの脱出逃避を祈願した
   時の玉林寺住職延利氷峯子需に応じて 口碑記を著わし
   初めに新大明神を始皇帝奉侍の童男女であるとし
   その時を人皇七代孝霊天皇の御宇と断じている
   更に始皇帝の命を受け眞人不死の神薬を求める史記に触れる
   次いで来意をきくに村長との問答の中で 咸陽宮や竜宮城の體為が語られ
   最後に古伝に倣って 素盞鳴尊と牛頭天王を習合
   その上に新大明神を重ねて 避邪避病の神を出現させている
   これには贅記があるが省畧した
   尚 碑文中延利氷峯子とあるのは 振宗三十三世玉林法地開山玉峯大和尚をいう
      建立 平成十九年丁亥弥生
      奉納 蓬莱庵 石倉昭重
      石工 峰山町 平井雄一     文責 奉納者

 安政六年(1859)に四十六人亡くなったそうですが 何が原因なのでしょう
 安政の大地震は安政元年(1854)のことですから 原因とは思えません
 前年 安政五年に江戸でコレラが 流行ったそうですが
   何かつながりがあるのでしょうか
 “振宗三十三世”は 振宗寺の三十三世住職の事のようですね
 この文章 私にはよく理解できません

 かなり大きな狛犬さんですが 一応屋根はありますが
       風雨にさらされ 今にも崩れ落ちそうです
 阿形の前足 ものすごく細くなっているのが分かりますでしょう
  口の中の球も 削られていました
 台座も 痛んでいて 奉納の年代も何もわかりませんでした
 他の所に 大狛犬 明治四十五年(1912)とありますが この狛犬さんのことでしょうか
 阿形の頭の上には 角があります

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