月曜日, 11月 10, 2008

狛犬さん 632

2008.10.25 大阪府高槻市天神町 上宮八幡神社
 由緒書きによりますと
 
御祭神 武日照命・野身宿禰命・菅原道真命
  日の神 武日照命の天降って鎮座された此れの太古の社
  日神山一帯は 弥生人の住居跡として 銅鐸も出土し
  南北に並ぶ四古墳のうち 中央の円墳上には 式内古社の
  野身神社がある
  此地は「日本書紀」が古代祭儀としての埴輪や相撲の逸話を
  記した野身宿禰を 千数百年も前から斎き祀ってきた
  島上郡野身里である
  彼の率いる祭祀者一族 土師氏は何百年か後に
  菅原道真・大江匡房始め平安時代に於ける史学・文芸学者たちを
  次々に生み出すが 殊に右大臣まで昇った道真公は
  然しその後天皇廃立に関わったとされ 九州に追放される
  その死後百年近い頃 正暦四年(九九四)に正一位左大臣の位を
  遺贈する勅使として 菅原為理が大宰府へと赴いた
  御霊代などを奉じての帰途 芥川を溯り 当地の上田部(市役所西)
  に上陸し 領主近藤氏の城館に宿った
  ところがいざ出立となると輿が動かず 
  これを先祖と共に留まりたい霊意と拝察して
  里人が日神山上に天満宮本殿を造営し 改めて三神を併祭し奉った
  実際の創建はこれより五十年も早く 京都北野神社鎮座以前であり
  全国の天神社のうち二番目の古社とされている
   戦国の天正年間 豊臣秀吉は当社参道「天神馬場」に
  本陣を置き 明智勢を山崎天王山に討った
  その戦勝を感謝して 後に秀吉は社殿を美々しく修造する
  これは平成八年に事故により失われた
   江戸時代初期には 高槻藩主永井直清が拝殿を設け
  大鳥居も建立 時の天台座主親王天松院筆の神額を奉納した
   古来 近郷の三島地方はもとより 遠く京都・大阪を始め
  北摂野勢や北河内方面の崇敬を集め 今に至る例祭「初天神」は
  延々を露天の連なる京阪神きっての民衆的大祭である


 狛犬さんの台座には 宝暦?歳十一月吉日
    谷(大?) 石大工
        西田新九郎正義 と刻まれていました
    宝暦は1751~1764年の 十四年間です 

 境内には「天神基菌」が栽培されていました
 これは 境内で大量発生する落葉枝葉を利用した 肥料のことだそうです
 この天神基菌を作ったり 周りの竹藪を整備したりと言ったことは
 すべて ボランティアの人々が なさっているそうです
 平成八年 本殿は焼失したそうですが 現在再建されている本殿は
 全て竹で 出来ています
 内部の床には 玉砂利と竹炭が 使われているそうです

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