2010.10.17 愛媛県新居浜市星原町 真星神社
このお宮さんは 新居浜市にある浦渡神社の
境外神社だそうです
真星の二文字で 「ほし」と読むようです
昔隕石が落ちてそれが御祭神になっているようですね
御祭神は 天津甕星命
住古この地に隕石が落下し 里人は一小祠を建立して
星の宮真星神社,星原神社等と呼称して信仰し
平安時代以降 この神社の祭典の日に
物々交換の市が行われるに至り
毎年七月十四日より二十六日までと,
十二月十四日より二十八日まで市が開かれ
近郷近在より 数千人の人々が訪れ賑わいを呈し
星原市として世に知られ 一般庶民から喜ばれていたが
大正初年から市が廃止された.
昔この地方は法隆寺及び東大寺の庄園となり
東大寺の庄官が東台神社の東側に住居し
余剰物資を里人と交換するためこの星原神社の
祭典の日に境内に於て市を開いたことに起因し
古代商業発生の地として 新居浜市が史跡に指定したもの
である.
昭和五十二年四月七日
新居浜市教育委員会
だそうです
狛犬さんの傍に石碑があり
狛犬奉納 施工 高橋恒雄
平成十三年(2001)一月吉日
と刻まれていました
陶器の狛犬さんですが 何焼なのでしょうね
本殿の後ろに
星の宮のお狸さん
隕石が落下して千三百年近くになると言われている。
古くからこの辺りに市が立ち、商売発祥の地でした。
この境内にあった楠の大木に雷が落ちて、
焼け木の中に狸が住み着き、近くの岡田さん夫婦に
聞いた話によると早朝「オバヤン、オイヤン」と
声をかけるので出てみると、表に野菜を置いてくれていて、
カラン、コロンと下駄をならして、星の宮の方へ
帰って行く後姿をよく見かけたとか。
支那事変で、兵隊さんがコーリャン畑で、
餓死状態になっているところへ婦人会に化けて、
兵隊さんをお接待した。食べ終わって飯盆を
洗ったら星の宮と書いてあったので、
隊長が皆に「星の宮を知らないか」と聞くと、
寿町の出身の人が「私所の近くのお宮です」と
言いました。星の宮の狸は人助けをする
利口なお狸さんでした。
昭和四十五年(1970)頃まで、
北内の渡辺彦吉さんと言う人が
「私が星の宮を掃除していると、正さん、遅くなると
狸に化かされるといけないので帰ろわい」と言っていた。
平成八年(1996)五月吉日
文責 星の宮保存会委員会 会長 下川正
書 沼田浩夫
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