内の説明板によりますと
宇治上神社又 別の説明板には
宇治上神社は、明治維新までは隣接する
宇治神社と二社一体で、それぞれ、
離宮上社、離宮下社と呼ばれていました。
祭神は宇治神社の祭神でもある悲運の皇子
菟道稚郎子(ウジノワケイラツコ)のほか、父の
応神天皇と兄の仁徳天皇を祀っています。
本殿は平安時代後期の、神社建築としては
最古のものに属する建造物で、一間社流造の
内殿三棟を左右一列に並べ、後世これらに
共通の覆屋をかけたものです。また、
その身舎(モヤ)の扉には、建立当時の
絵画が遺されています。なお、境内に
湧き出ている桐原水は、宇治七名水の一つと
されています。
宇治上神社は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で
採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、
「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。
このことは、人類全体の利益の為に保護する価値のある文化遺産として、
とくにすぐれて普遍的価値を持っていることを
国際的に認められたことになります
宇治上神社の創建は古くさかのぼりますが、平安時代に平等院が
建設されるとその鎮守社となり、その後、近在住民の崇敬を集めて、
社殿が維持されてきました。
本殿は、正面一間の流造の内殿3棟を並立させ、それを流造の
覆屋で覆った特殊な形式となっています、建立年代については、
蟇股の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代の後期に
造営されたものとみられ、現存する神社本殿としては最古の建築です。
また拝殿は鎌倉時代の初めに建てられたもので、現存する最古の拝殿です。
意匠的には切妻造の母屋の左右に庇をつけた形であり、屋根はその部分が
唐破風となっていることなど住宅風となっている点に特色がみられます。
神の為の本殿に対し、人の使う拝殿には
住宅建築の様式が採用されてることが多く、ここでは、拝殿が初めて
建てられた頃の住宅建築の様式である寝殿造の軽快な手法が、鎌倉時代
の再建にも受け継がれたと考えられます。
本殿の後方は広大な森林が広がっており、
こうした環境は緩衝地帯の一部となっています
登録年月日 平成6年(1994)12月15日決定、17日登録
宇治市
狛犬さんの台座には
弘化二乙巳(1845)
八月吉日
伏見陣屋町 石工 椎之助
と刻まれていました
境内の 武本稲荷社の狐さんたちです
狐さんたちのデザインはどれもよく似ていますが
ここの狐さんは 珠を加えた方の前足が少し曲がり
吽形の方も 少し前足に動きがあります
よく読み取れませんでしたが
伏見の石工さんが作ったもののようです
明治四十四年(1911)十二月建
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