境内の説明板によりますと
延喜式内社だそうです
宇治神社
御祭神 菟道稚郎子命(ウジノワキイラツコノミコト)
第十五代応神天皇の皇子
御由緒
宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは
応神天皇の離宮
(桐原日桁宮キリハラヒケタノミヤ)跡でもあり、
皇子の菟道稚郎子命の宮居の跡と伝えられている。
応神天皇が稚郎子命を天位に任命するが稚郎子命は
和仁(ワニ)博士から儒教の思想を学んでいたので
兄の大鷦鷯命(オオサザキノミコト後の仁徳天皇)を
差し置いて天位に就く事が儒教の思想(長子相続)と
違ったため、稚郎子命は天位を兄の大鷦鷯命に譲りあいの後、
死をもって節を全うした。後に兄の仁徳天皇は稚郎子命の
宮居に祠を建て神霊を祀ったのが、この神社の始まりである。
御神徳 宇治の氏神様
幼い頃より聡明にして阿直岐や和仁博士について
学問の道を極められ、我が国最初の文教の始祖であり、
学業や受験合格の神様として崇められている。
御本殿 鎌倉時代初期の建物で
三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)
桧皮葺き(ひわだぶき)で御神像と共に
国の重要文化財に指定されている。
本殿に向かう階段の下にいた狛犬さんです
台座には 天保十五(1844)
年甲辰秋
九月
と刻まれていました
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