火曜日, 11月 09, 2010

狛犬さん 974

2010.09.26 大阪府門真市宮野町 堤根神社
境内の石碑によりますと
延喜式内社 堤根神社
御祭神 彦八井耳命
菅原道真公
約一〇〇六年前、河内湖周辺を水害から
守るため、仁徳天皇の命により茨田宿祢が
旧淀川(古川)に日本最古の堤防、
茨田堤を築く。
この堤を守るため、茨田の先祖彦八井耳命
(神武天皇の皇子)を守護神として
奉祀したのが神社の起源である。
平安時代の延喜式神名帳にも記され、
鳥居前には河内と大和を結ぶ行基道が通じ
ており、北河内随一の古社として厚い信仰を
集めている。
また江戸時代初期、淀藩主、永井信濃守尚政により
菅原道真公を、合祀させている。
だそうです

狛犬さんの台座には 文化十四(1817)丁巳
九月吉日
と刻まれていました
が 文化十四年は 私の資料では丁丑となっています
吽形の頭には小さな角が見えています
















境内の横に「茨田堤」が保存されています
説明板によりますと
大阪府史跡
伝 茨田堤(マンダノツツミ)
古代河内国はほとんどが海で、
河川の土砂により河内湾から河内潟、河内湖へと
地形が変化し陸地が形成されていきました。
五世紀中ごろの河内は河道の定まらない
北の河(淀川)南の川(大和川)の氾濫に
常に悩まされる土地柄でありました。
そこで時の仁徳天皇が渡来者の土木技術を
活用し北の河の南端の支流である現在の古川に
堤を築き、農耕地を広げるわが国最古の
国家的大事業を行われました。
この堤が日本最古の築堤である
茨田堤で、古事記、日本書紀にも記されています。
この茨田堤により河内国の低湿地帯にも
農耕文化が発達し、国家の経済的な発展の基盤に
なりました。
そして堤の守護神として建立されたのが
堤根神社であります。
その後淀川の流れは数度の改修工事を経て、
茨田堤は各地で分断され、堤根神社東方に
わずかに残るのみとなりました。
そこで日本最古の築堤を後世に残そうと
保存運動が起り昭和四九年及昭和五八年に
大阪府指定の史跡に認定され永久に
保存される事となりました。
しかし この説明板がないと築堤跡とは思えません

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