境内の石碑によりますと
延喜式内社 堤根神社だそうです
御祭神 彦八井耳命
菅原道真公
約一〇〇六年前、河内湖周辺を水害から
守るため、仁徳天皇の命により茨田宿祢が
旧淀川(古川)に日本最古の堤防、
茨田堤を築く。
この堤を守るため、茨田の先祖彦八井耳命
(神武天皇の皇子)を守護神として
奉祀したのが神社の起源である。
平安時代の延喜式神名帳にも記され、
鳥居前には河内と大和を結ぶ行基道が通じ
ており、北河内随一の古社として厚い信仰を
集めている。
また江戸時代初期、淀藩主、永井信濃守尚政により
菅原道真公を、合祀させている。
狛犬さんの台座には 文化十四(1817)丁巳
九月吉日
と刻まれていました
が 文化十四年は 私の資料では丁丑となっています
吽形の頭には小さな角が見えています
境内の横に「茨田堤」が保存されています
説明板によりますと
大阪府史跡しかし この説明板がないと築堤跡とは思えません
伝 茨田堤(マンダノツツミ)
古代河内国はほとんどが海で、
河川の土砂により河内湾から河内潟、河内湖へと
地形が変化し陸地が形成されていきました。
五世紀中ごろの河内は河道の定まらない
北の河(淀川)南の川(大和川)の氾濫に
常に悩まされる土地柄でありました。
そこで時の仁徳天皇が渡来者の土木技術を
活用し北の河の南端の支流である現在の古川に
堤を築き、農耕地を広げるわが国最古の
国家的大事業を行われました。
この堤が日本最古の築堤である
茨田堤で、古事記、日本書紀にも記されています。
この茨田堤により河内国の低湿地帯にも
農耕文化が発達し、国家の経済的な発展の基盤に
なりました。
そして堤の守護神として建立されたのが
堤根神社であります。
その後淀川の流れは数度の改修工事を経て、
茨田堤は各地で分断され、堤根神社東方に
わずかに残るのみとなりました。
そこで日本最古の築堤を後世に残そうと
保存運動が起り昭和四九年及昭和五八年に
大阪府指定の史跡に認定され永久に
保存される事となりました。
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