お宮さんの前は 綺麗な松林と砂浜
文字通り白砂青松の地にありました
ここには3000本の松の木があるそうです
中には樹齢600年を超えるものもあるとか
そんな古い松の木の下に 七福神が祀ってありました
吽形の頭には小さな角が見えています
阿吽どちらの前足にも 紐が結んでありますが 誰がどんな願いを込めているのでしょう
日本赤十字社 創建者をおまつりする神社
明治十年(1877)明治政府軍と西郷隆盛軍との間で西南戦争が始まり、日を追うごとに負傷者の数は増え、その上、コレラが蔓延していました。
この惨状を聞き及んだ櫻井忠興公(尼崎藩最後の藩主)は、
有志救護団体「博愛社」結社に尽力し、自宅を事務所に提供すると共に
私財をもって医師、看護夫を現地に派遣し、病院を設立。
自らも博愛の精神を以って敵味方の区別無く、負傷兵の手当てをしました。
後に、この功績が明治政府に認められ、明治二十年(1887)日本赤十字社が誕生しました。
日本赤十字社 祖神を祀る
櫻井神社
当神社は、廃城後、藩主桜井家の治績を偲び永く遺徳を讃えんものと、
創建団体、信愛社を結び、旧尼崎町、別所を中心に、旧藩地内の有志を募り、
明治十五年、西二の丸跡に建立したのを、昭和三十六年、現在地、西三の丸跡へ遷宮した。
本社には、郷土開拓の祖ともいうべき歴代の尼崎城主の御霊をおまつりしている。
又、十二代城主忠告公(亀文と号す)の歌碑や、天守閣の棟瓦、巽櫓のシャチ瓦、
尼崎市市章の原形の槍の鞘等、その創建の由来にかゝわる諸種の文化財が保存されている。
末社に、尼崎瓢箪山稲荷社等が有る。
ご祭神天照大神荒魂は
日本書紀巻九に神功皇后摂政元年(西暦二〇一年)
皇后新羅より御凱旋の途海路難波に向かわんとして
務古の水門(西宮)に至り給うたとき船海上で廻り進ます
御神慮を問われ給ひ
「わが荒魂は皇后に近づく可からず 當に御心廣田の國に居らしむべし」
との天照大神の御心誨により葉山媛を齋宮として
この地に国土の鎮め外難の守りとして奉祀せられた
吾妹子(わぎもこ)に 猪名野(いなの)は見せつ 名次山(なすぎやま)
角(つぬ)の松原 いつか示さむ