ご祭神は 天麻比都津神
伊斯許理度売神
配祀神 市杵島姫神
御由緒だそうです
社伝によると 寛永6年(1629)蒲生町鋳物師の
竹田神社より分祀し 創祀された
配祀神は 丹波国竹田郷より
遷座したものである
旧領主有馬家より度々参拝あり
また延享5年(1748)大改修を加えた
寛永6年延享5年の棟札を存する
明治9年(1873)村社に列す
石造手水鉢に享保14年(1729)
石灯籠に安永3甲午(1774)の銘がある
境内社南宮神社は勧請年月日不詳
南宮御前と称したこともある
大字小谷の中央部に鎮座していたが
境内に移転し鎮座する
また 境内の説明板には
竹田神社だったそうです
竹田神社と円林寺の一帯は、鎌倉時代から
室町時代にかけての日野谷の領主
蒲生氏の居城小谷城の城域といわれている。
その頃にほど近い鋳物師村の竹田大明神を
勧請したのが創建と考えられる。
室町時代中期蒲生氏の本城が音羽城へ
移された以降は、蒲生氏の分家であった
小谷氏を中心とした村人達が、村の鎮守として
崇敬護持してきた。明治の末年にこの付近一帯が
蚊屋野公園として整備され遊客でにぎわった。
日野観光協会・必佐公民館
狛犬さんの台座には
大正六?(1917)八月
と刻まれていました
本殿の前の柱の上に 不思議なものがありました
御神紋が真向兎なので 兎でしょうか
しかし どう見ても兎に見えません
最初見た時 イタチかと思ったのですが
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