境内の説明板によりますと
三嶋神社 縁起だそうです
和霊神社 縁起
稲荷神社 縁起
三嶋神社は、今から約千二百年前、
河野家崇敬の大山祇神社(大山積神)を
勧請し、三嶋神社として朝生田の鎮守と定めました。
その時、大三島の本社から弓矢、刀剣、兜、
鉄砲、馬具、薙刀、具足など沢山の宝物を贈られました。
申すまでもなく、大山積神は、天孫瓊々杵尊の皇妃として
迎えられた木花開耶姫の父にあたり、天照大神の
兄神様で日本建国の功労者であり、
日本全土の総鎮守であります。
和霊神社は、宇和島の和霊神社を勧請したものですが、
その和霊神社は、仙台藩主伊達政宗の長男秀宗が
大阪冬の陣の戦功により、宇和島藩十万石の領主として
新封を受け、その家臣である総奉行の
山家清兵衛公頼を祀っております。
山家清兵衛は、宇和島藩の財政再建を図る途上、
俗に云う宇和島騒動で非業の死を遂げた訳ですが、
後年藩主伊達秀宗がその忠節を称え、
清兵衛の至誠奉公の行績は、万世の後までも
輝いているのであります。
お稲荷さんの御祭神については、古来から
色々と云われておりますが、伊勢外宮の豊受大神即ち、
五穀を作る生産の神様とか、或はスサノオノ命の御子だあるとか、
或は豊川稲荷の如く仏教に云う語法の神とか諸説がありますが、
稲荷信仰は古くから伝えられ、要するに生産の神として
崇められ、今日では広く商売繁盛、開運安全から
諸願成就まで幅広く行きわたって信仰されているので、
吾郷土の産業発展を祈願して、京都伏見稲荷を
勧請したものであります。
このようにして私たちの祖先は、日本全土の総鎮守たる
大山積神、至誠奉公の義人山家清兵衛公頼、
生産興業の実力者稲荷神の教える精神と行績をたたえ、
更に郷土の安泰を祈願して、合祀したものであります。
末永く、和光同慶の里として平和と繁栄を祈念いたします。
狛犬さんの台座には 昭和六十二年(1987)四月吉日
伊予松山
石匠 相原誠鳳
と刻まれていました
2 件のコメント:
頭が平べったいです!
忠すけ様
頭の部分は ペタンコで
体が 異様に細長い
最近の狛犬さんですが デザインが面白いですよね
お正月にこのお宮さんに行ったのですが
誰も 参拝していない
忘れられたような小さなお宮さんです
本文に書き忘れていましたが 阿形の口中珠は 動きました
コメントを投稿