境内の石碑によりますと
社殿御修造由来
三島大明神社は 余戸(ようご)の里の北隅に
神亀五年(七二八年) 大三島の大山祇神社から
大山積神を勧請して 創建され
配神として 雷神 高良神 猿田彦神を祭祀する 旧村社である
中殿 拝殿は 明治六年(一八七二年)の 建造物であったが
?き 雨漏り等が 著しくなり 神殿尊厳の維持が困難となり
平成三年三月御修造奉賛会を結成
御大典記念事業として 新築することとし
平成三年七月から 募金活動を行った結果
氏子の方々の浄財が寄せられ 平成四年二月
社殿一棟 倉庫一棟の新築工事に着工し
同年八月完成したものである
この狛犬さんたちが 抱えている大きな珠は 牡丹の花と雲が
デザインされた ステキなものです
お尻尾は 頭にくっついています
台座に刻まれている制作年月ですが
安政五年(1858) 八月 と読めるような気がしました
これは「手引の松」
説明板にによると
手引の松
手引の松は 目通2,5mほどの松が 地上6mのところで
H形につながり 手を引き合った姿にみえるところから
いつとはなく手引の松と呼ばれるようになったもので
余戸の象徴として 広く人々に親しまれてきた
樹齢は推定200年位 学術的にも貴重なものとされ
昭和三十七年には 松山市の天然記念物の指定を受けた
松の保護には意が尽くされたが 昭和五十四年秋
松くい虫の被害で枯死した
正岡子規は『散策集』明治二十八年十月七日の項に
「をさなき時の戯れも思ひ出されたり 竹の宮の手引松は
今猶残りて二十年の昔にくらべて太りたる体も見えず」と記し
「行く秋や 手を引きあひし 松二本」と詠んでいる
かって人々が敬愛し 子規が幼時に戯れた手引の松の枯死を悲しみ
ここにそのこんせきを保存して 記録をとどめる
本当に 不思議な姿です
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