境内の由緒書きによりますと
愛媛縣護國神社御由緒(略)
御由緒
当神社は 明治三十二年(一八九九)
県内一八八名の有志により 私祭招魂社として
当時官有地(温泉郡持田町現東警察署地)に建立
仝年三月戊辰の役 西南の役 竹橋事件 台湾守備
日清戦争等における郷土出身戦没者四八四柱の御英霊を
御奉斎申し上げたに始まる
その後大正二年(一九一三)同地に愛媛県立農業学校を
建設することとなり多賀神社(松山市新立町)に
お遷し 昭和十四年(一九三九)現在地に御遷座
愛媛縣護國神社として御奉斎された
御祭神は右記の外 日露戦争を圣て 大東亜戦争に
至るまでの事変 戦争において護國の重任に当り
遂にその尊い生命を捧げられた愛媛県出身の戦没者の
御英霊を奉斎し その後社会公共のために尽くして
県民に恩恵をもたらされた先賢諸士 即ち松山城を
築城された加藤嘉明命 宇和島今治城主藤堂高虎命
松山初代藩主久松定行命 宇和島初代藩主伊達秀宗命
その他藩主及び公共事業に功労のあった足立重信命
又建武中興(一三三四)より明治維新(一八六八)に
至るまでの国事に殉じて御贈位になった方々
産業功労者としては 義農作兵衛命 下見吉十郎命
鍵谷カナ女命 文化人として尾藤二洲命 近藤篤山命
矢野玄道命 正岡子規命等を合祀 さらに軍属
女子学徒 看護婦 電話交換手 報国隊 義勇隊
富山丸 東予丸犠牲者 警察官 消防団 自衛隊等の
公務殉職者を併せて御祭神数は四九七二一柱を
御奉斎申してあります
狛犬さんの台座に 昭和十四年(1939)五月 と刻まれていました
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