由緒書きによりますと
金刀比羅神社御由緒略
御祭神 大物主大神(大国主神の和魂)
第七十五代崇徳天皇
大物主大神は天照皇大神の御弟建速盞鳴神の
御子に?して 国津神の大崇にして 日本國を造り開き
農業殖産漁業航海医薬 福徳に御力を注がれ
国民の豊で平和な生活の向上に御心を傾けさせ給ひ
今に至るまで我が大神の御余徳に預からぬものは
一物もないといわれております
御相殿には 第七十五代崇徳天皇を合祀されております
御由緒
このご祭神の偉大で高大な御神徳を戴き奉らんと
徳川時代には全国津々浦々に全金刀比羅信仰が広まり
御分霊が勧請されました 当社もその一社で
最初松山城下の讃岐街道の出入口のこの地に本宮
遥拝所處として建立され 以後藩主を始め庶民
に至る厚い崇敬を集めて発展を重ね現代全国に
千余社県下にも一五〇社に及ぶ全金刀比羅神社が有る
中 全国唯六社の内に数えられる本宮直轄分社として
格式高く人々に明るい希望と幸福の道を開いている
だそうです
狛犬さんの台座には 元治元子年(1864)
甲三月吉日
石工
田野屋好五郎 と刻まれていました
この狛犬さんたち 正面から見ているだけですと 可愛いのですが
後ろに廻ると 足の間から 男性・女性のシンボルだけでなく
お尻の穴まで 丁寧に刻まれていました
他のお宮さんでも その様な狛犬さんを見かけました
どうして そこまでリアルにする必要があったのでしょうか
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