木曜日, 9月 20, 2012

狛犬さん 1215

2012.08.16 愛媛県今治市馬越町 三島神社
 お宮さんが鎮座しているのは 少し小高くなった処
  ここは「史跡 鯨山古墳」だそうです
 
 説明版によりますと
史跡 鯨山古墳    
平地部に位置する丘上にあり、通称鯨
  ヶ岡といわれる樹木に被われた古墳で
  ある。
   現状は、西南部が若干変形されてい
  るが、北部は、ほぼ旧態をとどめ、堀
  の遺構も少し残っており、かつて円筒
  埴輪があったという。
   この古墳は、応神天皇の御代、小千
  国造として、最初に伊予の国に下向さ
  れた乎至命の墳墓と伝えられ、天正七
  年(1579)三月 三島大祝安任(オオホウリヤストウ)の手記に、
    「小千御子御墓在馬越邑」
  と記されている。
     昭和二十五年十月十日指定
     愛媛県教育委員会
だそうです
 
   ご由緒
当社は日吉郷の一の宮で
和銅5年(712)8月23日大三島から勧請し神護寺を置き
鐘楼二重輪塔を造立して鯨眠山安艱寺と称した
 往古は串山と称したが、海中の小島の形容から
聖武天皇神亀5年に鯨眠山と改称した
又、浅瀬を馬で往来したことから馬越の村名ともなった
              
だそうです

 鳥居をくぐり階段を上がったところにいました
 台座には  嘉永二年(1849)
         酉八月吉日
      と刻まれていました

火曜日, 9月 18, 2012

狛犬さん 1214

2012.08.16 愛媛県今治市阿方 清水天満宮
 鳥居から続く階段の途中にいた狛犬さんたちです
 
 台座に 弘化四未(1847)
      正月吉日   と刻まれていました

火曜日, 9月 11, 2012

狛犬さん 1213

2012.08.16 愛媛県今治市阿方 清水天満宮
 
 このお宮さん 訪問した記憶はありますが
 経路を覚えてないと言うか 思い出せません

 この狛犬さんたちは覚えております
 鳥居の手前にいた狛犬さんたちです
 台座に 安政二乙卯年(1855)
      十一月吉日 
   と刻まれていました

 阿形の顔はどうしたのか
  かなり欠けた痛々しい姿です

 

火曜日, 8月 28, 2012

狛犬さん 1212

2012.07.10 愛媛県西条市中野甲 伊曾乃神社
  境内社の山王神社 厳島神社 妙見神社の
   前にいた狛犬さん達です
 台座には 文久二戌年(1862)
        九月吉日
 吽形の頭には 小さなふくらみがありました

















 境内の説明版に依りますと
  西条市名水・名木50選
   伊曾乃神社の社叢
    伊曾乃神社は天照大神・武國凝別命を
   祀っていて、古い歴史を持っています。
    社殿は昭和十五年に新しく建て替えられたもので
   総ひのきの神明造りです。
    神社の回りには、うっそうと茂った木々が
   あります。
    特に境内正面にある神木と呼ばれるくすは
   目通り周り約五、五メートル、高さ約三十メ
   -トル推定樹齢七百年の大木です
          平成三年三月選定 西条市
だそうです
 写真ではわかりにくいかもしれませんが
 本当に壮大な雰囲気を持っています


   

日曜日, 8月 26, 2012

狛犬さん 1211

2012.07.10 愛媛県西条市中野甲 伊曾乃神社
 10月に行われる例大祭は有名です
 始まりは江戸時代だそうで 約300年ほど続いているそうです
  奉納される だんじり・神輿は合わせて 81台あるそうです

 御本殿に入る門の前に居る狛犬さん達です
 台座には 昭和35年(1960)7月 五百蔵作
    と刻まれていました

金曜日, 8月 24, 2012

狛犬さん 1210

2012.07.10 愛媛県西条市中野甲 伊曾乃神社
 御祭神は 伊曾乃神
  天照大神の荒魂・武國凝別命 だそうです

 御由緒は
  第十二代景行天皇の皇子の
武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は
国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ
皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました
命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏として
この地方にひろがり栄え 天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました
これが当社の創祀であります 奈良時代には伊予国第一の大社として
皇室の御崇敬もあつく 淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ
その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました
称徳天皇の御代には神戸十烟を 更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました
これはわが国における神位奉授の始めであります
延喜式内の名神大社であり その後正一位に極位致しました
崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り その後も国司領主等による
社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。
だそうです  

   伊勢鳥居をくぐると 長い参道が続きます
  御本殿近くの 〆柱の傍にいた狛犬さん達です
  台座には 嘉永二(1849)
           己酉
         四月吉日
  と刻まれていますが 狛犬さんはもっと新しく見えます
  台座にもう一つ刻まれているのが
     平成二年(1990)十一月
      十二日再建
     石工 東予市周布一色石材工業所
          でした


  

水曜日, 8月 22, 2012

狛犬さん 1210

2012.07.10 愛媛県西条市中野甲 伊曾乃神社
 奈良時代には 伊予国第一の社だったそうです
 御祭神は 天照大御神 武国凝別命(タケクニコリワケノミコト)
 武国凝別命の子孫は 東予一帯に広く栄え
 神社の氏人として氏神を支えて来たそうです

 十月十五・十六日に行われる 例大祭は有名です
 
由緒 第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命は
    国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ
    皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘めた
     命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏として
    この地方にひろがり栄え 天照皇大神に
   始祖武國凝別命をあわせ祀りました
   これが当社の創祀であります
    奈良時代には伊予国第一の大社として
   皇室の御崇敬もあつく 淳仁天皇の御代には
   新羅遠征に対する祈願がなされ 
   その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの
   奉幣祈願がなされた
   称徳天皇の御代には神戸十烟を 更に翌年五烟を奉り
   従四位下に叙せられた これはわが国における神位奉授の始めである
    延喜式内の名神大社であり その後正一位に極位致しました
   崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り
   その後も国司領主等による社地神田の寄進
   及び社殿の建立等が続きました
だそうです

 参道の途中に居た狛犬さんです
 台座に  嘉永二(1849)
       己酉
       四月吉日
       石工 東予市周布一色石材工業所
 と刻まれていましたが それにしては狛犬さんが新しい
 よく見ると  平成二年(1990)十一月十二日再建
      と刻まれていました



月曜日, 8月 20, 2012

狛犬さん 1209

2012.07.09 愛媛県西条市明屋敷 埋塚神社
 神社の詳細は不明です
 
 狛犬さんの台座には
     昭和三十四年(1959)五月吉日
   と刻まれていました

土曜日, 8月 18, 2012

狛犬さん 1208

2012.07.09 愛媛県西条市明屋敷 蛭子神社
 河口近くに在るお宮さんです
 お宮さん自体 川に向って建っています
 廻りは 漁師町の雰囲気が色濃く残ってます

 蛭子神は 伊邪那岐・伊邪那美との間に
 生まれた最初の神様ですが
 女神から声をかけたため 不具の子だったので
 葦の船に乗せ 海に流されたそうです
 恵美須神と同一視されていますね

  狛犬さんの台座には 明治丗四年
                八月吉日
                石工 北(?)町
                藤高(?)弥太郎
      と刻まれていました

 

 

木曜日, 8月 16, 2012

狛犬さん 1207

2012.07.09 愛媛県西条市明屋敷 大塚神社
 神社に就ての詳細は不明です
 境内の石柱に「大津賀神社」の文字が見えました
 しかし 大津賀神社でも わかりませんでした

 その柱の一つに
  西條置屋藝妓組合事務所 
       大正十四年五月
  西條倹場内藝妓連中の文字がありました

 このお宮さんは 海の近くにあります
 昔は 漁師さんとか船乗り相手の色町でもあったのでしょうか

 狛犬さんの台座には 昭和十一年(1936)九月
      と刻まれていました

     

土曜日, 8月 11, 2012

狛犬さん 1206

2012.07.09 愛媛県西条市東町 妙昌寺
 お寺の境内に お稲荷さんが祀られています
  最上位 経王大菩薩
 以前にも出てきた記憶がありますが
 岡山に在る日蓮宗のお寺です
 神仏習合がいまだに残っている珍しい形態ですね

 このお寺は 寛永13年(1636)に領主が母親の菩提を
 弔うために建立したものだそうです
 以降西条藩松平家の菩提寺となったそうです

 狛犬さんの台座には 安政四年 (1857)
               丁巳六月
     と刻まれていました

















 吽形の足元に居る子犬さんです
























 楼門の彫刻がとても素敵でした

火曜日, 8月 07, 2012

狛犬さん 1205

2012.07.09 愛媛県西条市大町 石鎚教本部聖天社
 お宮さんの名前はわからなかったのですが
 傍に聖天社と書かれた額が置かれていたので
 聖天社としました

 瓦製の狛犬さんです

日曜日, 8月 05, 2012

狛犬さん 1204

2012.07.09 愛媛県西条市大町 石鎚教本部
  入り口の石碑に 石土彦之命と刻まれています
 この神様は 伊邪那岐と伊邪那美との二番目の子供
 石土彦命(イシヅチヒコノミコト)のようです

 狛犬さんの詳細は不明ですが 
 どうして赤く塗られているのかも 不明です
 吽形は台座から落ちたのか 下に置かれています

金曜日, 8月 03, 2012

狛犬さん 1203

2012.07.09 愛媛県西条市朔日市 風伯神社
 御祭神は 級津彦神 級津姫神
 この二柱の神様は 風を司る神様で
 神社名の 風伯は 風の神様の事だそうです

 狛犬さんの台座には
      安政二?(1855)
      正月吉日
      石工 尾道
           敏?屋作(?)
  と刻まれていました

木曜日, 7月 19, 2012

狛犬さん 1202

2012.07.09 愛媛県西条市喜多川 荒神社
御祭神は 素盞男神 
創立等は 不明です

台座に 明治廾四年(1891)
卯 九月吉日
と刻まれていました

















境内の大銀杏です
横の石柱に依りますと
樹高約二十m 幹回り約五m 樹齢不詳
市内まれにみる銀杏の老大木である 幹から
下がっている乳柱を削り 蒸して飲むと





火曜日, 7月 17, 2012

狛犬さん 1201

2012.06.01 愛媛県松山市北条 鎮守神社
 御祭神は 大山積神
  境内社 新田神社 新田義貞公
        祇園神社

由緒
文永年中(1264~1274)に河野一遍上人の創祀によると
伝えられる
正長年間(1428)に御荘石見守が社殿を再築
永禄年中(1558~1570)河野氏より神田を寄進し
以後 河野一族の深く崇敬する社である

          だそうです

 狛犬さんの台座には 昭和十八年(1943)十月
     と刻まれていました

 

日曜日, 7月 15, 2012

狛犬さん 1200

2012.06.01 愛媛県松山市北条 金毘羅大権現
  このお宮さんは 十輪寺と云うお寺の境内と一緒になっています
  神仏混合時代の 名残でしょうね

  お寺の本堂の右手には春日神社
  本堂と春日神社の間に鳥居と階段があり
  それを上ると 金毘羅大権現のお社にたどり着きます

  お宮さんには 沢山素敵な彫刻がされていました
  その写真だけでも 20~30枚位撮りましたが
  まだまだ撮っていない部分が沢山あります

  境内の説明版に依りますと

金毘羅宮本殿・拝殿 二棟
金毘羅宮御神像   一躯
松山市指定有形文化財(建造物)
昭和五〇年十二月十一日指定
文治三(一一八七)年十月、讃岐
金光院(現讃岐金刀比羅宮)から仏法
護持神として金毘羅大権現を勧請し、
河野通信、通俊父子によって創建され
たと伝えられている。
本殿は扇垂木を用い、彫刻は竹田番
道、飛田円道の作品で、拝殿の蟇股に
は十二支の彫刻があり、好道の刻名が
ある。
御神像は、三宝剣を佩した修験者の
相をしており、両部神道を色濃く示し
ている。本地仏は不動明王で、秘仏と
されている。

            だそうです

  鳥居をくぐった所にいた狛犬さん達です
  台座に 千(?)時(?)天保十(1839)巳亥
             十月吉辰
        今治城下
           石工
           中谷元右ヱ門
  今治の石工 中谷 元右ヱ門 の作品は
  あちらこちらで 見かけています
  かなり大きな(有名な?)石工さんだったのでしょうか

  
















  説明板に在った 好道作の十二支の彫刻がこれです

水曜日, 7月 11, 2012

狛犬さん 1199

2012.06.01 愛媛県松山市北条 国津比古命神社
  前回の櫛玉比賣命神社の階段を降りる時
  正面に立派な楼門が見えてきます
  国津比古命神社の楼門です
  境内の説明板によりますと
国津比古命神社楼門  一棟
愛媛県指定有形文化財(建造物)
昭和二六年(1951)十一月二十七日史跡指定
昭和三二年(1957)十二月十四日史跡替
この八脚門は、慶安二(1649)年に市内
阿沼美神社に建立されたものを元禄年間
(一六八八~一七〇三)に、この地に移した
と伝えられるが、建立年については、慶長一〇
(一六〇五)年に初代松山城主加藤嘉明が
建立したものという説もある。
建築様式は、 単層、入母屋造、本瓦葺、柱は
円柱で、一部唐様をを取り入れた和様建築である。
入口の虹梁やその他の部分に後代の補修や
改築の跡があるが、虹梁の構造や蟇股などの
彫刻に創建当初の技法を残し、全体に雄大
で豪華な桃山建築の面影を伝えている。
松   山   市
松山教育委員会
だそうです

  国津比古命神社
主神  天照国照彦火明櫛玉饒速日尊
        (アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシダマニギハヤヒノミコト)
   相殿  宇麻志麻治命  物部阿佐利命  誉田別尊(応神天皇)
    国津比古命神社は古墳の上にお祭りされています。
   昔、むかし風早の郷に魂を感じた人たちがいました。
   その人たちはこの魂を国魂として素朴にお祭りしていました。
   やがて、日本の国をひとつにまとめるときがきました。
   大和朝廷は氏姓制度のなかに国造などを定めました。
   風早の郷には物部阿佐利という方があてられ、
   この方は、もともと風早にまつられていた国魂を敬い、
   なおかつ、自分の祖先である神様をも合わせておまつりし、
   櫛玉饒速日命神社と呼ばれるようになりました。
   後に、物部阿佐利命をいっしょにおまつりし、
   国津比古命神社と元の社名になりました。
    頭日(カグヒ)八幡宮と呼ばれた時期もありましたが、
   享保年間(一七一六~一七三六)に、元の社名にもどりました。
   物部氏・風早氏の氏神として発展し、河野家の崇敬厚く、
   戦火により焼失した社殿が再建されました。
   享保元年(一七四一)松山藩主の松平定喬は毎年代官を
   参拝させました。渇水のため、雨乞いの神事が行われ、
   その折、奉納された扁額が現存しています。明治四二年( 1909)、
   社格が県社になり、現在の拝殿内部は昭和六年( 1931)に
   境内拡張・斎館の整備などが行われました。
   
        そうです

  狛犬さんの台座には
  天保九戌年(1838) 
  八月吉日
 年号は 戌は読み取れたのですが  
 後は読めなかったのです
 しかし 天保年間で戌年は 九年だけのようなので
 天保九年としました
     今治石工   中谷元右ヱ門

















  楼門はお宮さんでは隋神門と言い
  門を守る神様がいらっしゃいます
  矢大臣・左大臣とも呼ばれる事があるようですが
  片方の神様は弓を持ち腰に刀を佩いた姿を
  よく見かけますが このお宮さんでは
  どちらも笏を持っております














正面からでは分かりませんが 
横から見ると 厚みが無くペタンコなのです




月曜日, 7月 09, 2012

狛犬さん 1198

2012.06.01 愛媛県松山市北条 櫛玉比賣命神社
境内の説明板に依りますと
櫛玉比賣命神社のいわれ
主神 天道日御名命
     相殿 御炊屋姫命
  国津比古命神社の主神である
  クシダマニギハヤヒノミコトの后神(奥様)を
  おまつりしているのが櫛玉比賣命神社です。
  櫛玉は、ニギハヤヒノミコトを形容する言葉です。
  その方の比売神ですから、「櫛玉の比売の命の神社」です。
  風早の先人が国津比古命神社にこの郷の国魂をまつり、
  のちに、物部阿佐利命がこの国魂も敬い、
  合わせて祖神であるニギハヤヒノミコトをおまつりしたおり、
  現在地より南方の小山に后神をおまつりしたと考えられます。
  社伝によると、寛永年間(一六一一~一六二九)に
  前方後円墳のそばに遷されました。このことから考えると、
  動座祭からの一連の神事は最大限ここまでさかのぼることが
  できます。櫛玉比売命神社は「祓座大明神」ともいわれました。
  これは当社が国津比古命神社の祓いをつかさどったなごりだと
  考えられます。動座祭に限り、櫛玉比売命神社から始まるのも
  このためです。
  享保年間、元の社名にもどりました。特殊神事として動座祭のあと
  「宵の明星」があります。
  明治四二年、社格が郷社になり、現在の社殿は
  昭和六二年(1987)に新築されました。

  両社とも風早の大氏神として多くの老若男女に
  厚く崇敬されています。特に、秋祭りに行われる「風早の火事祭」での
  動座祭から神輿落としにいたる一連の神事・行事には
  両社の特性がよくあらわれています。
  
      だそうです
  境内の石碑には 延喜式内社と書かれています

  狛犬さんは新しいもので 台座には
    一九九〇年 
    平成二年十月建立
   と刻まれていました

木曜日, 6月 28, 2012

狛犬さん 1197

2012.03.22 愛媛県宇和島市本九島 住吉神社
 本殿をぐるっと回っていると 
   塀の内側にも狛犬さんがいました

  狛犬さんの詳細は不明です
 吽形の狛犬さんの頭の上に 石が乗っていますが
 宝珠の替りなのでしょうか

















 本殿の柱の先の竜の彫刻です
 外にも色々な彫刻がありましたが どれも素敵でした


火曜日, 6月 26, 2012

狛犬さん 1196

2012.03.22 愛媛県宇和島市本九島 住吉神社
 鳥居をくぐり階段を上がった所に居ました
 この狛犬さんも 相撲の廻しのようなしめ縄が
 首に 掛けられています
 台座には 平成五年(1993)一月吉日
    と刻まれていました


















  本殿正面に 立派な角?のついた力士でしょうか
  変わった木像が 付いていました

日曜日, 6月 24, 2012

狛犬さん 1195

2012.03.22 愛媛県宇和島市本九島 住吉神社
 お宮さんの手前に在る電信柱に手書きの看板がありました
 「住吉神社 二十四輩様 ようこそ!」
 親鸞聖人の弟子24人を祀ったものだそうです
 島中に在る 小さな祠や小さな仏像の事だそうです
 120年ほど前から作られ 信仰されているそうです

 御祭神は 表筒男神 中筒男神 底筒男神
    の三柱の海の神々です
 大坂の住吉神社から 分霊してきたものでしょうね
 神社の創立等は未詳だそうです

 狛犬さん達は 赤い鳥居の手前に居ました
  台座には 大正九年(1920)九月
    と刻まれていました

金曜日, 6月 22, 2012

狛犬さん 1194

2012.03.22 愛媛県宇和島市百之浦 白王神社
   長い階段を上がった所にいた狛犬さん達です
  吽形の狛犬さんは愛嬌のある顔をしています
  しかし阿形の狛犬さんの顔は 崩れかけています
  前足は 折れてしまったのか 違う石材がかましてあります

  台座には 慶応二(1866)丙寅
         十二月吉日
    と刻んでありました

水曜日, 6月 20, 2012

狛犬さん 1193

2012.03.22 愛媛県宇和島市百之浦 白王神社
 御祭神は 伊邪那岐命 菊理姫命
  階段の下にいた狛犬さん達です
  台座に 平成二年(1990)三月吉日
    と刻まれていました

月曜日, 6月 18, 2012

狛犬さん 1192

2012.03.22 愛媛県宇和島市蛤 天満神社
階段を上がり切った所にいた狛犬さん達です

台座に 明治十四年(1881) 九月吉日
と刻まれていました

宇和島市内でよく見かけた 体を精一杯伸ばした様な
デザインの狛犬さん達です


土曜日, 6月 16, 2012

狛犬さん 1191

2012.03.22 愛媛県宇和島市蛤 天満神社
 宇和島の港から 船で20~30分で到着します
 自転車に乗れば 1時間ほどで一周出来る
  小さな島ですが 島の人々は明るく親切な方々でした
 
 少し山の方に上った所にありました

 階段の途中に居た狛犬さん達です
  台座に 昭和九年(1934)四月
   と刻まれていました

火曜日, 6月 12, 2012

狛犬さん 1190

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社境内社  
本殿に向い左手に 鳥居と手洗い鉢と灯篭
その更に後ろは 住宅街
鳥居の左右にはちゃんと狛犬さんもいます
一体何を お祀りしているのかと 社務所の方に伺いました
「以前 あそこには境内社があったのですが
壊れたので あのような形になっています」

肝心の境内社には何をお祀りしていたのか
伺うのを忘れていました

狛犬さんの台座には 安政四(1857)丁巳九月吉日
と刻まれていました


















これが 境内社跡です

日曜日, 6月 10, 2012

狛犬さん 1189

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社
二つ目の階段を上がった所にいた狛犬さん達です
台座には 昭和四年(1935)十月 
と刻まれていました


















このお宮さんの彫刻はとても素敵です

金曜日, 6月 08, 2012

狛犬さん 1188

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社
最初の階段を上がった所が広場になっています
そこに石碑があります
横の説明版に依りますと
兒島惟謙(コジマコレカタ)(元老に屈せず法守る)
天保八年(一八三七)宇和島藩(現同市)に生まれた。大審院長(現
最高裁長官)。のち貴族院議員、代議士。大津事件で”護法の神”の称
をうける。関西大学を創立。明治四十一年没、七十二歳。
明治二十四年五月十二日の早朝、首相官邸の一室へ大審院長兒島惟謙
が大阪控訴院長北鼻治房とともに入ってくる。惟謙らはたった今、前日
滋賀県大津で警備巡査・津田三蔵の凶刃に遭難のロシア皇太子(ニコラ
ス二世)を見舞われるため、京都へ行幸される明治天皇を新橋駅にお見
送りしての帰りだった。
いわゆる大津事件。津田三蔵が皇国を危うくするものと愛国者流に思
いつめての凶行だったが、相手が大国のロシアだけに朝野はふるえあが
った。政府・元老は津田を『日本皇室に対する犯罪と同じ扱いで極刑に
せよ』と決めたばかりだった。
惟謙らは別室で松方首相、陸奥農商務相と会った。大国ロシアの感情
を害さないよう”極刑”論を迫る首相らに対し『まだ電報だけで事件の
詳細がわからないが、たぶん謀殺か故殺未遂でしょう。そうだとすれば
普通人の法律でさばくより方法がない。内閣がどんな評決をされても、
法の精神に反する解決は断じてできません』
松方は『法律の解釈はそうかもしれんが国家あっての法律だ。法律が
国家より大事な理由はない。国家の重大事に区々たる法律の文字にこだ
わってはおれん』
真っ向から対立のまま会見は打ち切られたが、世界中が注視のこの
事件で、惟謙は政府・元老・議会など、時の権力による一切の干渉、圧
迫と対決し”三権分立”の信念を貫きとおし、犯人津田三蔵を無期懲役
とした。
平成十八年十月吉日
この事件の裁判に就ての話は知っていましたが
裁判官が宇和島出身だったとは知りませんでした

二番目の階段の下にいた狛犬さん達です
台座には 寛政十二年(1800)
庚申九月吉日


















この時期の狛犬さんの尻尾は まだ体に密着していますね

水曜日, 6月 06, 2012

狛犬さん 1187

2012.03.22 愛媛県宇和島市宇和津町 宇和津彦神社
鳥居の傍に遭った石碑に
人實護神
南豫総鎮守 旧縣社一ノ宮宇和津彦神社は南豫
有数の古社であります。
歴代の領主も鎮守の神として恒例・臨時の祈願
の記録があり 又南豫の人々から一宮さまと親し
まれ参拝の堪えない八代であります。
平成の時を迎え 御社殿の老朽化激しく御社頭
の尊厳護持も危うい状況となり 氏子 崇敬者有
志並びに総代相議り 大方の賛同を得 御社殿改
築奉賛会を平成六年に結成し 改築の大事業に着
手致しました
深刻な経済不況の中 非常に困難な時期にあっ
たにもかかわらず大神さまのご加護のもと 各位
の格別のご理解と関係者のご協力を戴き 所期の
目標を達成することができました 
御本殿の修理 幣拝殿の改築に合わせ境内神社
の移転 境内整備等 事業を完遂し 平成九年十
月二十六日祖先の業績を讃え ご神恩に感謝し竣
工奉告祭を斎行致しました
広大な大神威に恐懼し この奉祝の心を永遠に
伝えるため ここに記念碑を建立し御社頭の隆昌
を祈念申し上げます
平成十年十月吉日
宇和津彦神社御社頭改築奉賛会
何処のお宮さんの氏子さんたちも お宮さんの保存修理に
御苦労なさっていらっしゃいます
そのお蔭で 私たちは各地のお宮さんに
参拝することが出来るのですね

鳥居をくぐり階段を上がった所にいた狛犬さん達です
台座に 昭和六十三年(1988)四月吉日
と刻まれていました

月曜日, 6月 04, 2012

狛犬さん 1186

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
本殿の前にいた狛犬さん達です
台座には昭和 三十六年(1961)十二月
越智綱雄 謹?
と刻まれていました

奉納者名の井関 邦三郎は 井関農機の創業者の名前だそうです
この人は宇和島出身です

土曜日, 6月 02, 2012

狛犬さん 1185

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
本殿に続く階段を上がった所に居ました
台座には 文化十三年(1816)丙子年春
華始上幹
大坂 石工 いせや ?三?新三郎
と刻まれていました

「華始上幹」の意味は解りませんでしたが
春と云う言葉とつなげると なんとなくのイメージは
浮かんできましたが 正確にはどういう意味なのでしょう

木曜日, 5月 31, 2012

狛犬さん 1184

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社竃神社
   竃神社と云う名前から想像すると
  台所の神様 荒神さんをお祀りしているのでしょうか
  竃神社の御祭神は 地域によっていろいろいらっしゃるみたいです

  上半身だけの狛犬さんです
   壊れても このように保存していただいてるのを見ると
  狛犬好きにとっては 感謝感謝としか言いようがありません
  
  ちょっと高知県の香りを感じた狛犬さん達です
  台座には 大正八年(1919)四月吉日
       と刻まれていました

  

火曜日, 5月 29, 2012

狛犬さん 1183

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社三島神社
随身門を抜け左に行くと いくつかのお社が鎮座しています
そのうちの一つ 三島神社の前にいた狛犬さん達です

台座に 文政七甲申(1824)
八月吉日
と刻まれていました


















三島神社の手前に神馬社がありました
お社の中には大量のわらじが奉納して有ります
馬からの連想で 旅の安全を祈ってのことでしょうか

日曜日, 5月 27, 2012

狛犬さん 1182

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
参道の先に須賀川が流れていますが
その手前に御影石造りの鳥居が立っています
この鳥居は 御影石造りとしては日本一の大きさだそうです
その前にいた狛犬さん達です
台座には 安政四丁巳歳(1857)
と刻まれていました


















 阿吽共に後ろ足に子供が押えられています

金曜日, 5月 25, 2012

狛犬さん 1181

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
御祭神は 山家清兵衛公頼(ヤンベセイベエキンヨリ)公
丸之内の和霊神社は 山家公の住居跡に
建立されたものですが このお宮さんは
山家公殺害に関与したものが次々変死した事と
山家公無罪が判明したので 
藩主伊達秀宗が 承応二年(1653)に
山家公鎮魂の為 建立したものだそうです

広い道路に面して建っている鳥居の傍にいた
狛犬さん達です
台座には 天保四年(1833)
癸巳八月
と刻まれていました


















このお宮さんには日本最大が三つあるそうです
一つは  昭和十三年建立の御影石造の大鳥居
二つ目は鼻高面
三つ目はお多福面
   お面は 二つとも太平洋戦争で焼失したそうですが
その後復元したものだそうです