お宮さんが鎮座しているのは 少し小高くなった処
ここは「史跡 鯨山古墳」だそうです
説明版によりますと
史跡 鯨山古墳
平地部に位置する丘上にあり、通称鯨だそうです
ヶ岡といわれる樹木に被われた古墳で
ある。
現状は、西南部が若干変形されてい
るが、北部は、ほぼ旧態をとどめ、堀
の遺構も少し残っており、かつて円筒
埴輪があったという。
この古墳は、応神天皇の御代、小千
国造として、最初に伊予の国に下向さ
れた乎至命の墳墓と伝えられ、天正七
年(1579)三月 三島大祝安任(オオホウリヤストウ)の手記に、
「小千御子御墓在馬越邑」
と記されている。
昭和二十五年十月十日指定
愛媛県教育委員会
ご由緒だそうです
当社は日吉郷の一の宮で
和銅5年(712)8月23日大三島から勧請し神護寺を置き
鐘楼二重輪塔を造立して鯨眠山安艱寺と称した
往古は串山と称したが、海中の小島の形容から
聖武天皇神亀5年に鯨眠山と改称した
又、浅瀬を馬で往来したことから馬越の村名ともなった
鳥居をくぐり階段を上がったところにいました
台座には 嘉永二年(1849)
酉八月吉日
と刻まれていました
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