土曜日, 10月 23, 2010

狛犬さん 957

2010.09.25 大阪府寝屋川市仁和寺本町 仁和寺氏神社(にわじうじがみしゃ)
仁和寺庄の古跡
仁和寺は、「にわじ」または「にわいじ」と
呼ばれています。地名は、京都の仁和寺(にんなじ)の
所領であったことに由来すると考えられます
鎌倉時代初期に後鳥羽・御高倉院の生母であった
七条院が京都仁和寺を管領(寺務を司る権利)したことによって、
仁和寺庄も七条院領となり、のち地頭職(地頭としての権利)は
室町院(暉子内親王)へ寄進され、北朝方の持明院統の
所領になりました。この時『室町院御領目録』を見ると、
上仁和寺庄・下仁和寺庄の二つに分かれており、
以後、上下二庄として史料に表れます。
南北朝時代に入って持明院統の花園上皇は
暦応五年(一三四二)に妙心寺を再興したとき、
上仁和寺庄と下仁和寺庄の地頭職を妙心寺に寄進しました。
しかし、応永六年(一三九九)大内義弘が
将軍足利義満に謀反を起こした応永の乱が勃発し、
敗死した大内義弘と妙心寺の住持拙堂が親しかったために
妙心寺領は室町幕府に没収され事実上の幕府御料所となりました。
江戸時代の仁和寺村は、延宝二年(一六七四)と
享和二年(一八〇二)に二回の大洪水があり、
淀川の堤防が決壊しました。特に享和二年の決壊の時には
堤防が百五間(約一九〇m)にわたって切れたため、
浸水は遠く現在の八尾市や大阪市生野区・平野区まで及びました。
俗に「仁和寺・点野(シメノ)切れといわれている大災害です。
ここ、旧仁和寺村の氏神である仁和寺氏神社の創建は
室町時代の初期と伝えられ、もとは白山権現社でしたが、
寛永十年(一六三三)永井信濃守の支配に伴い天満宮となりました。
延宝二年の堤防決壊時に社殿が流失してしまったため、
現在の位置に移されました。
寝屋川市 
だそうです
昭和六十二年に災害に会い平成に再建したとのことですが
その昭和までの神殿のあった場所なのでしょう
「旧御神殿跡」の石碑が建っています
その石碑の前に居た狛犬さんたちです
詳細は不明です

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