月曜日, 12月 31, 2007

狛犬さん 373 

2007.11.24 神戸市兵庫区祇園 祇園神社
 由緒書きによりますと
  
ご祭神 素戔嗚命 櫛稲田媛命
    第五十六代清和天皇の御代 貞観十一年(平安時代後期。西暦八六九年)
   京の都では 大雨が降り続いて川が氾濫したため 疫病が流行り
   多くの犠牲者が出ました。この疫病をおさめるため 
   京都の北白川に祇園さんを建てる事になり
   姫路市の城北にある 広峯神社より素戔嗚命のご分霊を頂き
   京都におうつししました
    その時みこしが この平野の地に一泊され 霊験あらたかなのを仰ぎ
   お社を建てておまつりしたのが 始まりと伝えられています
   


 吽形が足元で押さえているのは 宝珠のようです
 台座には 天保五(1834)甲午年
      六月吉日          と刻まれています

 狛犬さんの頭なのですが
  吽形のほうは 大きな角がありますが
  阿形の方は 何故か大きな穴があるんです
 どうしてなのか 
    神主さんにお聞きしたかったのですが 来客中で聞くことは出来ませんでした

日曜日, 12月 30, 2007

狛犬さん 372

2007.11.24 神戸市中央区中山手 熊野神社
 由緒書きによりますと
  
神戸宇治野山
      熊野神社由緒略記
  鎮座地 神戸市中央区中山手通七丁目宇治野山
  社名 熊野神社
  祭神 いざなぎ大神
     いざなみ大神
        (共に夫婦の道を始められた神)
  境内社 稲荷神社
  境内敷地 一,六〇〇平米
  氏子区域 中山手通 七、八丁目
       下山手通 七,八、九丁目
       北長狭通 七丁目
  由緒
  遠い昔宇治物部(もののべ)族の創建で 平安朝時代福原に遷都の際
  五条大納言藤原邦綱これを再建した との伝承がある
  降って延宝三年(1675)の石灯籠があったのであるが
  現存の石鳥居には 元禄三年(1690)の銘があり 正徳元年(1711)から
  明治初年に至る社寺改帳には 境内地五反三畝二十二歩古来余地とある
  宇治野山付近は 奈良時代天平十九年(747)大和法隆寺流記資材帳に
  「摂津国雄供(おほとも)郡宇治郷」とあり 同時代の条里図にも記され
  古くから開発せられていた事がわかる
  五条大納言邦綱の宇治新亭を花亭とも称し 治承四年(1180)十一月二十三日
  安徳天皇が 行幸されたと吉田経義の古記に記されている
  享保年間(1716~1736)の摂津誌には「宇治野渓ノ源ハ宇治野山中ヨリ
  走水ヲ歴テ海ニ注グ」とあり 豊臣秀吉の直轄領から戸田青山領となり
  更に土井大炊頭の所領と改まって 明治維新に至ったが 村高は一七〇石であった

 五反三畝二十二歩って 約5329平方メートルだそうで
  現在は三分の一の面積しかないことになります

 狛犬さんの台座には 昭和十六年七月竣工 
           紀元二千六百年記念 と刻まれていました

土曜日, 12月 29, 2007

狛犬さん 371

2007.11.22 兵庫県たつの市龍野町日山 粒坐天照神社内揄伽神社
 お社の階に居た狛犬さんです
 これも制作年代が判りませんが ちょっと古そうな気がします
 それにしても この狛犬さん達も満身創痍です

 広い境内の片隅に 牛さんがいました
 お腹に梅鉢の紋がついていますが どうしてこんな林の中にいるのでしょう

金曜日, 12月 28, 2007

狛犬さん 370

2007.11.22 兵庫県たつの市龍野町日山 粒坐天照神社内揄伽神社
 ご祭神の名前がわかりません
 写真を撮ったのですが ボケていて文字が読み取れないんです
 しかし「揄伽」を調べると 
  “宇賀御魂神と同じで風神(天神=太神)である稲荷神(=荼枳尼天)のこと”とありました
 このお宮さんには 若年神社も合祀されています

 狛犬さんの足を見ると はっきりと指や爪が彫られていませんね
 決して稚拙ではないけれど 素朴な感じのする狛犬さん達です
 どちらも 頭は平で 角はありません

木曜日, 12月 27, 2007

狛犬さん 369

2007.11.22 兵庫県たつの市龍野町日山 粒坐天照神社(いいぼにあまてらすじんじゃ)
 入り口にある 由緒書きによりますと
  
延喜式に揖保郡七座の一つと記載され、宍粟郡一宮町の伊和神社
  垂水の海神社とともに播磨三大社の一つです。
   神社縁起によると、推古天皇二年(五九四)、当地の有力者が神託を受け、
  的場山(通称・台山)の頂に祠を建て農業の守護神 
  天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)を祀ったのが始まりです。
  その時一粒の稲の種と水田を授かり、これを耕作したところ大豊作となり
  一粒万倍したという。以後この土地はイイボ(粒・揖保・飯穂)の都と
  呼ばれる穀倉地帯となりました。
  室町時代の嘉吉の乱(一四四一)の兵火で社殿が焼失、揖西町小神に遷座しました。
  天正九年(一五八一)龍野城主となった蜂須賀小六正勝が日山(当時は樋山村と呼んだ)
  の現在地へ遷座、続いて城主となった福島正則が社殿を造営しました。
  寛文十二年(一六七二)に信州から城主として着任した脇坂家の藩主も尊崇厚く、
  神域が拡大され、数多くの境内末社を勧請合祀しました。
  平成六年には神社創立千四百年祭を執行しています。
   神社は再三の火災に遭い、現在の神殿、弊殿、祝詞殿は昭和三十七年(1962)に、
  拝殿、社務所は同五十六年に建立されました。
  


 阿吽ともに 角がありません
  台座に 戌
      寶○
      三月
      寅
 と刻まれた文字だけ見えました
 寶の字が付く 戌寅の年は 寶暦八年(1758)だけのようです
 阿形のおでこについているのは 落ち葉です


 本殿の階にいた狛犬さん達です
 多分木製だと思いますが 遠くて確認できていません

水曜日, 12月 26, 2007

狛犬さん 368

2007.11.22 兵庫県たつの市 小宅神社内三神社
 本殿の横に小さな祠が三基
 左側から
  保食神社 ご祭神は 保食神 
            食物・衣服・住居・商業の神様
  三神社  ご祭神は 天照皇大神 天児屋根尊 猿田彦尊
  霊神社  ご祭神は 四位少将水尾民部橘朝臣以豊守神霊
            病気平癒・学問の神様
 
 台座には 平成十二年十月吉日と 刻まれていました
   まだ出来てから 7年 小学生ですね

火曜日, 12月 25, 2007

狛犬さん 367

2007.11.22 兵庫県たつの市 小宅神社
 このお宮さん 参道の先には鳥居がありますが 本殿前には隋神門が建っています
 その門の前には 本来仏教のものである石造十三重塔が建っています

 ご祭神は  品陀和氣尊 御諡名 應神天皇
       息長帯姫尊 御諡名 神功皇后
 創立 持統天皇庚寅四年九月上旬(皇紀 一千三百五拾年 西暦六百九拾年
 由緒 千八百年程前には 漢部之里と呼ばれ 里長小宅泰之公と言う人でした
    この人は 神功皇后が三韓征伐から帰る時 
    息子の應神天皇の庶兄に当たる香坂・忍熊の二王の謀反を皇后に告げました
    それを手柄とした皇后は 小宅公に 漢人を複数名預け 
    更に 一個の奇石を送ったそうです
    神功皇后が亡くなった時 神霊として祀ったそうです 
    持統天皇の頃 新しく里長に任ぜられた川原之若狭の子孫智麻呂が
    漢部之里を小宅之里と 改名したそうです
    しかし 里には神社が無かったので 智麻呂が建立したそうですが
    それが 持統天皇庚寅四年九月上旬のことだそうです

    神社の重要書類は 赤松一族による 嘉吉の乱(皇紀二一〇一年 西暦一四四一)で
    悉く焼失したそうです    
   
    狛犬さんの台座には
     天保十二(1841)三月と刻まれていました
    吽形の頭には 小さな角のようなふくらみが ありました

月曜日, 12月 24, 2007

狛犬さん 366

2007.11.21 神戸市東灘区本山北町 鷺宮神社
 由緒書きによりますと
 
ご祭神
    天照皇大神・八幡大神・春日大神
  古くより鷺宮八幡宮、鷺宮、産宮と親しまれ、大和、貞享、元禄五年(一六九二)の
  寺社改帳に記載されております
  総氏神保久良神社のお旅所として境外末社の前社にして
  後社の境外末社である 熊野、古山、山、塞の神々を合祀申し上げ、
  北畑を中心に崇敬されております


 東灘区の山のほうにあるお宮さんには このタイプの狛犬さんが多いようです
 台座には 明治廿五年(1892) 十二月建立 と刻まれていました

日曜日, 12月 23, 2007

狛犬さん 365

2007.11.03 徳島県阿南市福井町 金刀比羅神社内境内社
 何をお祭りしているのか 石の土台の上にお社が二基
 お社とお社との間に 何か仏像が置かれています
  右手に剣のようなもの 左手に宝珠 背には火炎 中に宝珠が三つ
 その足元に 大黒様が倒れ掛かっていました
 その左右に 小さな狛犬さんが居ました
 神主さんのお話によると
  「他のお宮さんに 奉納しようとして作ったが 
     奉納を断られ うちで預かっています」
 狛犬さんの前においてある銘板に
   平成元年五月五日と刻まれていました 

土曜日, 12月 22, 2007

狛犬さん 364

2007.11.21 神戸市東灘区本山北町 中野八幡神社
 由緒書きによりますと
  
ご祭神 
   天照皇大神・八幡大神・奥津比古神・奥津比売神・大山祇神 
  由緒
   創立年代不詳なれど 中野村の鎮守社として氏子人により奉斎された
   古記録によれば暦応二年(一三三九)大山崎八幡宮より勧請され
   社殿の棟札石灯籠の寄進など明暦三年(一六五七)元禄五年(一六九二)の
   寺社吟味帳やお祷講の古文書に記載されている明治六年(1873)村社に列し
   同四十年境外社の山神社竈神社を合祀する

   境内社 琴浦社  ご祭神   融大臣
     由緒 氏子人より「琴浦さん」と崇敬され「マムシ」の神様として
     毎年六月六日 祭事を行い子供等に夏の安全を祈願したと古記録にある

 融大臣とは嵯峨天皇の息子で 臣籍に下された一人 源融
 源氏物語の主人公 光源氏のモデルとも言われている人です
 有名な宇治の平等院は この人の別荘だったものです
 尼崎にある琴浦神社のご祭神で 境内の白砂は毒蛇を防ぐとされているそうです
  がしかし どうしてなのかは 解りません

 台座には 大正十三年(1924)五月と刻まれていました  

金曜日, 12月 21, 2007

狛犬さん 363

2007.11.21 神戸市東灘区本山北町 小路八幡神社
 住宅街の細い横道を入ったところに お宮さんは在りました
 鳥居をくぐってすぐのところに 「尼崎領」の石碑が建っています
 江戸時代には 神戸市の東側 灘・東灘区は尼崎(領)だったんですね

 台座には 大正十三年(1924)七月六日と刻まれていました

木曜日, 12月 20, 2007

狛犬さん 362

2007.11.21 神戸市東灘区西岡本 大日女尊神社
 ご祭神は 神社の名前にもなっている
  大日女尊(天照大神の別名)
  素盞嗚命・若年神・大山衹神・金山彦神 以上四柱の神様が祀られています
 金山彦神は 名前どおり 鉱山・金属・鋳物の神様
  六甲山に 鉱山があったなんて話聞いたことがないと思うんですが
  どうして 祀られているのでしょう

 沿革は 
 
元禄五年(1692)の寺社帳に
 「大日堂」「古来より有り候え共建立年歴知れ申さず」と記され
 相当古い時代からあったもので、大日如来を本尊とする両部神道のお堂で
 住吉神社、神宮寺の僧が大般若経を転読していました
 慶応四年(1868)の神仏分離令を受け 明治三年大日女尊を祀る神社となりました
 境内には松の木がよく茂り「大日さんの森」と 地元民に親しまれておりました
 昭和十三年の山津波により 住吉川が決壊の為に 大量の土砂が境内に流れ込み
 又 戦災と合せ甚大な被害を蒙り昭和三十八年 念願の再建により
 現在の社殿が完成しましたが 昔日の面影を偲ぶものはありません
 

 その上更に平成七年(1995)一月十七日に発生した 阪神大震災の被害も受けています

 狛犬さんの台座には 大正十一年(1922)九月吉日と刻まれています
 そういえば このタイプの狛犬さん 神戸市内でよく見かけるような気がします

水曜日, 12月 19, 2007

狛犬さん 361

2007.11.21 神戸市東灘区住吉山手 若宮八幡神社
 ご祭神は 応神天皇と仁徳天皇
  この二人は 親子になります
 此のお宮さんは 山田地区と言われるこの地域の鎮守さんです
 山田の里は 約500年前 応仁の乱の後あたりに 開かれたそうです

 この“山田地区”と言う地域名は お祭りのときには 今でも使ってます
 山田地区の地車が 今も参加しているんです
 お祭りのときは 全地域 古い地区名を使っているようです

火曜日, 12月 18, 2007

狛犬さん 360

2007.11.10 徳島県那賀郡木沢村 十二所神社
 かなり山の中のお宮さんです
 どこやらに行く途中で 通りかかったのですが 詳しくはよくわかりません

 偶に このような高い台の上に乗ってる狛犬さんがいます
  台座には 昭和三年(1928)三月と刻まれていました

 狛犬さんの顔は 徳島県でよく見かけるタイプです
 スタイルが お座りじゃないのが 少し珍しいですね
 

月曜日, 12月 17, 2007

狛犬さん 358

2007.11.03 徳島県阿南市福井町 金刀比羅神社
 写真を撮っていると 神主さんがいらっしゃって いろんなお話をしました
 その時 翌日がお祭りだと教えていただき 翌日も伺いました
   子供神楽が奉納されるのです
  「博学狸こんぴら3本足狸問答」
 詳しくは 金刀比羅神社のサイトをご覧ください 


 その時神主さんが 黄色粒状のものを下さったので 舐めてみると鹹い
 サイトの中に詳しく載っている「災い除けの黄色い塩」だったのです

 狛犬さんは偶に写真と撮りに来る人がいるそうです
  また “狛犬さんの顔が良い”と石工の人が来ることもあるとか
 残念ながら 制作年代はわかりません


 これが「博学狸 金ひら3本足松雲斎之祠」です
 この石の後ろ側が丸くなっていて まるで狸のお腹のようだそうです
 昔はお宮さんの下を土佐街道が走っていて そこを通る漁師さんが
  新鮮なお魚を 奉納して行ったそうです
 神主さんも子供の頃 そういう光景を経験していたそうです

日曜日, 12月 16, 2007

狛犬さん 357

2007.10.29 徳島県阿南市富岡町 八幡神社
 本殿の前に居る狛犬さんです
 台座に  寛政九己(巳?)歳(1797)
        八月吉日
  それと
石工徳○・・
      市○・・・・
      平右・・・・ 
 台座の石がかけていて・・・の部分が無くなっているんです   

 お尻尾なんですけれど 何度も何度も見直したんですが 微妙に違いますよね
 石工が二人居て それぞれが尻尾を彫ったのでしょうか

 何故か狛犬さんが紅く染まっています
  是も何故なのでしょうね

土曜日, 12月 15, 2007

狛犬さん 356

2007.10.29 徳島県阿南市富岡町 八幡神社
 案内板によりますと
  
創立年代は不詳であるが、足利時代新開忠之が富岡城主であった時の
  創建と伝えられ、以来天正十三年(約四百年前)蜂須賀家政当阿波国を領した時、
  家老の賀島長政本社を深く崇敬し、御供米を献納社殿を造営した
  古来近郷十一ヶ村の産土神として衆庶の崇敬を聚めている
   ご祭神は誉田別命・足仲彦命・大鷦鷯命の三柱の神様で応神天皇様
  仲哀天皇(応神天皇御父)仁徳天皇(応神天皇の御子)様の御神霊をお祭り申し上げる
   応神天皇・神功皇后(御母)は大陸の文化を積極的に取り入れられ、
  古代日本における文化の向上、国家の発展につくされました
  仁徳陵に次ぐ我国第二の応神天皇陵が大阪府羽曳野市にあります
   

 神様の名前と天皇の名前が出てきてますが
   誉田別命 = 応神天皇
   足仲彦命 = 仲哀天皇
   大鷦鷯命 = 仁徳天皇  なんですよね

 此の狛犬さんは 階段下 鳥居前に居ました
  台座には 寛政十二年(1800)庚申八月吉祥日と刻まれていました
 吽形の頭には角が見えています
 阿形の方は可哀相に口が欠けていますね

金曜日, 12月 14, 2007

狛犬さん 358

2007.10.08 兵庫県姫路市飾磨区須加 浜の宮神社内厳島神社
 厳島神社といえば 広島県が有名ですよね
 ご祭神は 宗像三女神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
            田心姫命 (たごりひめのみこと)
            湍津姫命 (たぎつひめのみこと)
  海・航海の神様ですね

 狛犬さんは台座に 平成七年(1995)十月吉日と刻まれています
  狛犬さん自身は 
   香川県牟礼町  牟礼和幸作
 両方のスタイルが違うなんて 始めてみました
  阿形の方は 口の中の玉が コロコロ動きます

木曜日, 12月 13, 2007

狛犬さん 357

2007.10.08 兵庫県姫路市飾磨区須加 浜の宮神社内住吉神社
 ご祭神は 底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后
  最初の三柱の神様を総称して“住吉大神”と言うそうです
  父親は伊邪那岐命で 伊邪那岐命が黄泉の国から帰って 海に入り禊をします
  その時に 生まれたのが住吉大神です
  その為でしょうか 
    この神様は お祓い・航海安全・和歌の道・産業育成を守護するそうです
   和歌の道などは 後世の人が勝手に付け加えてのでしょうかね
  筒(つつ)とは 星の事で オリオン座の三ツ星の事だとか
  昔の航海では 自分の位置を知るために 重要な目印だったのですね

 最後の神功皇后は息長足姫命とも呼ばれ 第十四代仲哀天皇の皇后だった人です

 住吉は普通「すみよし」と読みますが 平安時代までは「すみのえ」と言ったそうです
  今でも文字は違いますが 住之江と言う地名がありますね
  「すみのえ」とは 澄んだ入り江の事だそうです

 狛犬さんの台座には
   昭和五十五年(1980)七月吉日と刻まれていました
   まだ27歳の若人です

水曜日, 12月 12, 2007

狛犬さん 356

2007.10.08 兵庫県姫路市飾磨区須加 浜の宮神社内神明神社
 神明神社って始めて見た様な気がして 調べてみました
 神明神社は 天照大神を主祭神とし 伊勢神宮内宮を 総本社とするそうです
  通称としては “お伊勢さん”と呼ばれるそうです

 お社の土台に
   文化九壬申(1812)歳
      六月上旬

     彌 衛      と刻まれています
 それともう一つ
   明治十一戌(1878)年
      寅五月吉日
   御幸町
     石工
       与三兵ヱ   と刻まれていました

 お社の土台の石と 狛犬さんの石は 同じ素材のように見えます
  少し緑がかった石でした
     

ない

火曜日, 12月 11, 2007

狛犬さん 355

2007.10.08 兵庫県姫路市飾磨区須加 浜の宮神社内金刀比羅神社
 阿形の顔と足が痛々しいですね
 尻尾の先も無くなっています
 その上 土台が欠けているので 落ちないように紐で括りつけられています
 満身創痍の阿形に比べ 吽形のほうはほとんど傷がありません
  吽形の足の紐は 何か願掛けでしょうか
 大きさはせいぜい40cmくらいですが とても迫力のある顔をしています

 お社の横に 社殿御造営 昭和十一年十月吉日 
  お社の後ろの土台にも 昭和十一年の文字が刻まれています

月曜日, 12月 10, 2007

狛犬さん 354

2007.10.08 兵庫県姫路市飾磨区須加 浜の宮神社
 説明板に
   
天満社(浜の宮)祭神・菅原道真
   もと宮町にあってその町名の起源となったが、
   江戸時代初頭に当地に移設されたという。
   当時、神社の南は松林で近くまで海が迫っていたようで
   榊原政邦の飾磨江亭八景詩の中にも
   「菅祠青松」と題して詠まれている。
   境内には、燈籠・狛犬・常夜燈など江戸期の石造品があり、
   漁業関係者の銘が多く見られる。
   力石は恵美酒宮のものと同形で同一人の奉納品。
   また社前の石造霊牛(東側)は、明治十一年に
   越前(福井県)や加賀(石川県)の北前船船主たちが奉納したもので、
   飾磨津が北前船の寄港地であったことを物語る貴重な遺品である。
    秋祭りには屋台の「台場さし」で名高い。

 この説明板に書かれている「江戸期の狛犬」さんです
  但し 年代は解りません

 神主さんのお話によると 
      「胴体にひびが入り危険なので 中に入れました」
 本殿のすぐ傍 垣根の中に置かれていました


 顔のアップですが 好い顔していますね

日曜日, 12月 09, 2007

狛犬さん 353

2007.10.08 兵庫県姫路市飾磨区須加 浜の宮神社
 ご祭神は 菅原道真

 狛犬さんの台座に「奉齋之詞」が刻まれています
  當社者鎮護国家五穀豊穣硯学勧奨諸人快楽尊神也
  吾顧菲才宮総代度幾秋 氏子亦是呼應至今日
  爰其任託後昆際辞 祈念神籬清浄静謐安置狛犬双軀為謝意
  神霊徳功日新
     昭和六十四年己巳年正月吉祥日

  狛犬彫刻
    岡崎市稲熊町
    二科会会友 石田榮一
  施工
    神崎郡大河内町
    兵庫クレー(株)石材場

 写真はお祭りの日に撮ったので 後ろに幟が見えています

土曜日, 12月 08, 2007

狛犬さん 352

2007.10.08 兵庫県姫路市飾磨区恵美酒 恵美酒神社
 この狛犬さん お宮さんの前でなくて横においてあります
 お宮さんは猿田彦神社
 狛犬さんの横には 牛さんも置いてあるんですよ

 狛犬さんの台座には
    天保十五年(1844)甲辰
      十一月吉日       
    尾道 石工 嶋居 勘十良
                作
                  と刻まれていました


 牛のほうの台座には 
   弘化三年(1846)丙午九月
                 と刻まれています

金曜日, 12月 07, 2007

狛犬さん 351

2007.10.08 兵庫県姫路市飾磨区恵美酒 恵美酒神社
 もともと戎さんを祀った神社だったのですが 後に天満宮を勧請して合祀したそうです
 今ではかなり海から離れていますが 昔はお宮さんの南側に海があり
  江戸時代には船だまりになっていたそうです
 対岸には姫路藩の米蔵が建てられ 飾磨津と城下を結ぶ高瀬舟が往来していたそうです

 ここは毎年10月8.9日に行われる秋祭りで有名です
  隋神門の中にも狛犬さんがいますが 残念ながら撮れませんでした
 本殿の前にいる狛犬さんは新しいものです
  台座に 平成十六年一月吉日建立と刻まれていました