入り口にある 由緒書きによりますと
延喜式に揖保郡七座の一つと記載され、宍粟郡一宮町の伊和神社
垂水の海神社とともに播磨三大社の一つです。
神社縁起によると、推古天皇二年(五九四)、当地の有力者が神託を受け、
的場山(通称・台山)の頂に祠を建て農業の守護神
天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)を祀ったのが始まりです。
その時一粒の稲の種と水田を授かり、これを耕作したところ大豊作となり
一粒万倍したという。以後この土地はイイボ(粒・揖保・飯穂)の都と
呼ばれる穀倉地帯となりました。
室町時代の嘉吉の乱(一四四一)の兵火で社殿が焼失、揖西町小神に遷座しました。
天正九年(一五八一)龍野城主となった蜂須賀小六正勝が日山(当時は樋山村と呼んだ)
の現在地へ遷座、続いて城主となった福島正則が社殿を造営しました。
寛文十二年(一六七二)に信州から城主として着任した脇坂家の藩主も尊崇厚く、
神域が拡大され、数多くの境内末社を勧請合祀しました。
平成六年には神社創立千四百年祭を執行しています。
神社は再三の火災に遭い、現在の神殿、弊殿、祝詞殿は昭和三十七年(1962)に、
拝殿、社務所は同五十六年に建立されました。
阿吽ともに 角がありません
台座に 戌
寶○
三月
寅
と刻まれた文字だけ見えました
寶の字が付く 戌寅の年は 寶暦八年(1758)だけのようです
阿形のおでこについているのは 落ち葉です
本殿の階にいた狛犬さん達です
多分木製だと思いますが 遠くて確認できていません