由緒書きによりますと
当社は、清和天皇の朝、貞観年中(859~876)山城国男山(岩清水八幡宮)に
豊前国宇佐神宮より大神を奉迎鎮座と年号同時代の創建であり、
岩清水八幡宮公文所より授与の社記に
「此社は神功皇后征西帰京の時、此地を暫く皇居とす、是により手貞観神託あり、
宮社を建立する云々」とある。
このため当社は 岩清水八幡宮と最も古く関係あることにより
岩清水八幡宮公文所御鍵預り役に補任せられ、慶長十一年(1606)(焼失)から
嘉永六年(1853)までの役向に対する補任状を有す。
又、鍵預り役として、毎年春秋の例祭には男山へ鍵を捧持して神役に奉仕し、
又、御崎神馬秣を奉る嘉例があったと古書に載っている
だそうです
阪神大震災のとき 大きな被害を受け 折れた鳥居を記念碑として置いてありました
絵馬を掛けるところに 何故か火箸が 二膳も掛けてあります