2007.10.05 神戸市兵庫区和田宮通 三石神社
三石神社が鎮座している和田岬は 神功皇后が三韓征伐の凱旋途中 上陸したところだそうです
三つの石を立てて神占いをした結果 廣田・生田・長田・住吉の神々を祀らせた儀式の地だそうです
後に 推古天皇(602)がこの地を訪れ 禊をしたので祓殿塚(はらいどののつか)と言い
玉座とした石を 三石と言う事にしたそうです
平安時代には 西宮の廣田・西宮・南宮3社の祭礼で 御神幸が 和田岬まで来たと言う記録が
西宮神社に残っているそうです
狛犬さんの台座には 平成五年十一月吉日と刻まれていますが
入り口にある 手水鉢には 安永八年(1779)亥九月吉日とか
元禄四(1691)未六月と刻まれた文字が見えています
本殿の中にも狛犬さんがいましたが 私のカメラではほとんど写っていませんでした
火曜日, 10月 30, 2007
狛犬さん 330
2007・10・05 神戸市兵庫区門口町 山王神社
入り口に建っている 山王神社由緒記によりますと
参拾参坪七合五勺は 約111.57㎡になるようです
本当に小さなお宮さんですが 大事に祭られていました
狛犬さんの建立年代はわかりませんが まだ若いですね
入り口に建っている 山王神社由緒記によりますと
門口町に鎮座まします山王神社は、近江国(滋賀県)の
日吉神社(祭神、大山咋神、大巳貴神の御分霊を
この地に勧請されたもので、創立年代は未詳であるが
門口町の守護神として、地域の人達に深く信仰され
ている
山王とは、近江国比叡山の山麓に鎮座する日吉神社
のことで、山王の名は平安時代からある。山の守護神
山麓村落の守護神国生み、国づくり、地主の神として
の信仰をさす。山王の「山」は商大不動の義で「王」は
天地人三才経緯の徳を表わすといわれている。
神社境内地 参拾参坪七合五勺
元禄五年十月の摂州矢田部郡兵庫津神社御改帳によると左記の如く記されている。
一、山王社除地 門口町中支配
昭和五十九年七月吉日 記
参拾参坪七合五勺は 約111.57㎡になるようです
本当に小さなお宮さんですが 大事に祭られていました
狛犬さんの建立年代はわかりませんが まだ若いですね
月曜日, 10月 29, 2007
狛犬さん 329
2007.10,05 神戸市兵庫区東柳原町 柳原天神社
ご祭神は 菅原道真公
天之菩卑能命(あめのひほこ)
天穂日命とも書き 天照大神の髪に飾られた勾玉より生まれた神様
古事記・日本書紀によると 天照大神の命令で 地上を統治していた
大国主命を説得に行かされたが 逆に大国主命に心服し
三年間高天原には なんの連絡もしなかったので 役目をサボった
不忠物と言う見方があるそうです
しかし「出雲国造神賀詞(イズモノクニノミヤツコノカムヨゴト)」には
自分の息子を派遣して 見事に地上の乱れを治めた事になっているそうです この出雲国造神賀詞は
天穂日命を祖神とする出雲氏に関係しているそうですから
褒めて書くのは 当然でしょうね
農業・稲穂の神様
野見宿禰命
天之菩卑能命(天穂日命)の十四世の子孫になるそうです
垂仁天皇の命により 当麻蹴速と角力をとった話は有名ですね
互いに蹴り合い腰を踏み折って 勝ったそうで 当麻蹴速が持っていた
大和国当麻の地を与えられ 朝廷に仕えたそうです
この人は 皇后の葬儀の時 それまでの殉死に代えて 埴輪を使ったので
土師臣の姓を 与えられたそうです
考古学的には 伝説だそうです
土師氏は後に姓を 菅原・大江に改めたそうで
菅原道真は子孫に当たることになります
相撲の神様
狛犬さんの台座には 昭和四五庚戌年十一月吉日と刻まれています
境内には慰霊碑がありそれには こう刻まれています
神戸市も 昭和20年2月4日からアメリカ軍の無差別焼夷弾爆撃を受け
3月10日の東京大空襲を皮切りに 名古屋・大阪に引き続き
神戸も3月17日に攻撃を受けました
3月17日・5月11日・6月5日の3回の無差別焼夷弾爆撃により
神戸の東半分は壊滅しました
ご祭神は 菅原道真公
天之菩卑能命(あめのひほこ)
天穂日命とも書き 天照大神の髪に飾られた勾玉より生まれた神様
古事記・日本書紀によると 天照大神の命令で 地上を統治していた
大国主命を説得に行かされたが 逆に大国主命に心服し
三年間高天原には なんの連絡もしなかったので 役目をサボった
不忠物と言う見方があるそうです
しかし「出雲国造神賀詞(イズモノクニノミヤツコノカムヨゴト)」には
自分の息子を派遣して 見事に地上の乱れを治めた事になっているそうです この出雲国造神賀詞は
天穂日命を祖神とする出雲氏に関係しているそうですから
褒めて書くのは 当然でしょうね
農業・稲穂の神様
野見宿禰命
天之菩卑能命(天穂日命)の十四世の子孫になるそうです
垂仁天皇の命により 当麻蹴速と角力をとった話は有名ですね
互いに蹴り合い腰を踏み折って 勝ったそうで 当麻蹴速が持っていた
大和国当麻の地を与えられ 朝廷に仕えたそうです
この人は 皇后の葬儀の時 それまでの殉死に代えて 埴輪を使ったので
土師臣の姓を 与えられたそうです
考古学的には 伝説だそうです
土師氏は後に姓を 菅原・大江に改めたそうで
菅原道真は子孫に当たることになります
相撲の神様
狛犬さんの台座には 昭和四五庚戌年十一月吉日と刻まれています
境内には慰霊碑がありそれには こう刻まれています
平井とよ子
斉藤きよ子
藤木和江
角谷笑子
中島一枝
昭和20年3月17日未明の空襲により、この地に
おいて職に殉じた神戸中央電話局兵庫分局職員の
霊をまつる
なお、このレリーフは神戸中央電話局兵庫分局
の壁面に取り付けられていたもので大正11年頃
時の分離派建築会の作といわれており大正ロマン
チシズムの薫りを今に伝えている
神戸市も 昭和20年2月4日からアメリカ軍の無差別焼夷弾爆撃を受け
3月10日の東京大空襲を皮切りに 名古屋・大阪に引き続き
神戸も3月17日に攻撃を受けました
3月17日・5月11日・6月5日の3回の無差別焼夷弾爆撃により
神戸の東半分は壊滅しました
日曜日, 10月 28, 2007
狛犬さん 328
2007.10.05 神戸市兵庫区大開通 生田神社兵庫宮
中央区にある生田神社の御旅所だそうです
古くは和田岬にあったそうですが 安永三年(1774)に湊川に移り
明治26年(1893)新たに水木通が増えて 御旅所が二箇所になり
その後湊川が廃止され 戦後大開通に移ったのが 現在のお宮さんです
生田神社の氏子地は 中央区から兵庫区まであるんですね
その広い氏子地を 12地区に分けてあるそうです
1.宮元 2.三宮 3.東山 4.元町・栄町・海岸通 5.兵庫地方中部 6.諏訪
7.兵庫地方南部 8.下山手 9.兵庫地方北部 10.葺合 11.岡方 12.湊
平成19年度は 東山地区だったそうです
お祭りは 生田神社で行いますが 御旅所までの道中は 最近は車を使うそうです
歩いていると 危険だからだそうですよ
参加人数は 1000人に及ぶそうです
狛犬さんの台座には 昭和三十年(1955)九月五日と刻まれています
他に 原型 藤庭賢一
製作 石松石材工業所
吽形の足元の台座には 高島彦市 彫
阿形の足元の台座には 牧野乙吉 彫 とありました
吽形には 立派な角が見えています
中央区にある生田神社の御旅所だそうです
古くは和田岬にあったそうですが 安永三年(1774)に湊川に移り
明治26年(1893)新たに水木通が増えて 御旅所が二箇所になり
その後湊川が廃止され 戦後大開通に移ったのが 現在のお宮さんです
生田神社の氏子地は 中央区から兵庫区まであるんですね
その広い氏子地を 12地区に分けてあるそうです
1.宮元 2.三宮 3.東山 4.元町・栄町・海岸通 5.兵庫地方中部 6.諏訪
7.兵庫地方南部 8.下山手 9.兵庫地方北部 10.葺合 11.岡方 12.湊
平成19年度は 東山地区だったそうです
お祭りは 生田神社で行いますが 御旅所までの道中は 最近は車を使うそうです
歩いていると 危険だからだそうですよ
参加人数は 1000人に及ぶそうです
狛犬さんの台座には 昭和三十年(1955)九月五日と刻まれています
他に 原型 藤庭賢一
製作 石松石材工業所
吽形の足元の台座には 高島彦市 彫
阿形の足元の台座には 牧野乙吉 彫 とありました
吽形には 立派な角が見えています
土曜日, 10月 27, 2007
狛犬さん 327
2007.10.05 神戸市兵庫区西柳原 蛭子神社
神戸市民には 柳原のえべっさんで知られています
一月九日は「宵えびす」 十日は「十日えびす」 十一日は「のこり福」
と言われ みんなお参りに行きます
但し 十日えびすは関西だけで 関東地方には無いそうですね
本家の西宮神社では 十日には 全国的に有名?な「福男選び」が 行われます
朝6時に開門されると同時に 本殿まで全速力で走り 一番になると「福男」になれます
女性は「福女」ですが まだ出ていないそうです
脚力に自信のある方 チャレンジしてみませんか
兵庫区あたりは 平安時代から「大輪田泊」と呼ばれる
良港のあるところで知られていました
平清盛が日宋貿易の拠点にするため 港の大改修を行いました
一時は 近くの福原に都を置き「福原京」と呼ばれていました
後に「兵庫津」と呼ばれるようになり 海陸要衝の地となって行きます
神社会館で2~3ヶ月に一度「やなぎはらYEBISU亭」と題して 落語の会が開催されます
台座に昭和二十八年十月吉日建立と 刻まれていますが
もし先代の狛犬さんが居たとしても 第二次世界大戦のとき
爆撃で壊されてしまったんでしょうね
神戸市民には 柳原のえべっさんで知られています
一月九日は「宵えびす」 十日は「十日えびす」 十一日は「のこり福」
と言われ みんなお参りに行きます
但し 十日えびすは関西だけで 関東地方には無いそうですね
本家の西宮神社では 十日には 全国的に有名?な「福男選び」が 行われます
朝6時に開門されると同時に 本殿まで全速力で走り 一番になると「福男」になれます
女性は「福女」ですが まだ出ていないそうです
脚力に自信のある方 チャレンジしてみませんか
兵庫区あたりは 平安時代から「大輪田泊」と呼ばれる
良港のあるところで知られていました
平清盛が日宋貿易の拠点にするため 港の大改修を行いました
一時は 近くの福原に都を置き「福原京」と呼ばれていました
後に「兵庫津」と呼ばれるようになり 海陸要衝の地となって行きます
神社会館で2~3ヶ月に一度「やなぎはらYEBISU亭」と題して 落語の会が開催されます
台座に昭和二十八年十月吉日建立と 刻まれていますが
もし先代の狛犬さんが居たとしても 第二次世界大戦のとき
爆撃で壊されてしまったんでしょうね
金曜日, 10月 26, 2007
狛犬さん 326
2007.10.05 神戸市兵庫区御崎本町 御崎八幡神社
由緒書きによりますと
だそうです
阪神大震災のとき 大きな被害を受け 折れた鳥居を記念碑として置いてありました
絵馬を掛けるところに 何故か火箸が 二膳も掛けてあります
由緒書きによりますと
当社は、清和天皇の朝、貞観年中(859~876)山城国男山(岩清水八幡宮)に
豊前国宇佐神宮より大神を奉迎鎮座と年号同時代の創建であり、
岩清水八幡宮公文所より授与の社記に
「此社は神功皇后征西帰京の時、此地を暫く皇居とす、是により手貞観神託あり、
宮社を建立する云々」とある。
このため当社は 岩清水八幡宮と最も古く関係あることにより
岩清水八幡宮公文所御鍵預り役に補任せられ、慶長十一年(1606)(焼失)から
嘉永六年(1853)までの役向に対する補任状を有す。
又、鍵預り役として、毎年春秋の例祭には男山へ鍵を捧持して神役に奉仕し、
又、御崎神馬秣を奉る嘉例があったと古書に載っている
だそうです
阪神大震災のとき 大きな被害を受け 折れた鳥居を記念碑として置いてありました
絵馬を掛けるところに 何故か火箸が 二膳も掛けてあります
木曜日, 10月 25, 2007
水曜日, 10月 24, 2007
火曜日, 10月 23, 2007
狛犬さん 323
2007.10.03 神戸市垂水区名谷町 東名奥津神社
台座に 権行司水利組合
昭和五拾五年(1980)五月吉日 と刻まれています
「権行司」が気になって 調べてみると
神戸市立福田中学校のサイトに 「校区の歴史紹介と地名の由来」と言うところに
下記のような 由来が載っていました
この「校区の歴史紹介と地名の由来」は とっても面白いですよ
狛犬さん まだ27歳の青年ですね
吽形の角も もしかしてツッパリスタイルかも知れません
台座に 権行司水利組合
昭和五拾五年(1980)五月吉日 と刻まれています
「権行司」が気になって 調べてみると
神戸市立福田中学校のサイトに 「校区の歴史紹介と地名の由来」と言うところに
下記のような 由来が載っていました
東名〈村〉には
権行司(ごんぎょうじ)・社谷・八代谷・室ノ山・古蔵(ふるぞう)などがある。
『旧押部谷村古文書集』に近江寺行事坊という文字があり、
東名の権行司も寺院に関係する小字名か。
社谷と八代谷は隣接し、そばにある奥津神社に由来するものか。
この「校区の歴史紹介と地名の由来」は とっても面白いですよ
狛犬さん まだ27歳の青年ですね
吽形の角も もしかしてツッパリスタイルかも知れません
月曜日, 10月 22, 2007
日曜日, 10月 21, 2007
土曜日, 10月 20, 2007
金曜日, 10月 19, 2007
木曜日, 10月 18, 2007
水曜日, 10月 17, 2007
狛犬さん 317
2007.10.03 神戸市垂水区下畑町 下畑海神社
ご祭神は
綿津見三神 上津綿津見神(うわつわたつみ)
中津綿津見神(なかつわたつみ)
底津綿津見神(そこつわたつみ)
大日霊貴神(おおひるめきしん) の四柱
綿津見三神は住吉三神の底筒男命、中筒男命、表筒男命と同じように
海・航海の神様ですが お宮さんがあるのは かなり海から離れたところです
大日霊貴神は天照大神のことですね
ブルーシートが掛けられていてはっきりとは解らないのですが
本殿の前に相撲の土俵のようなものがありました
後で調べると 秋祭りに「神相撲」という子供相撲が 行われるそうです
昔は その家の長男が出ていたそうですが 最近の少子化の影響で
数揃えに次男でも出場するようになったそうです
狛犬さんは新しいものですね
台座には 昭和四十年十二月吉日
施主 下畑町民氏子一同と刻まれていました
ご祭神は
綿津見三神 上津綿津見神(うわつわたつみ)
中津綿津見神(なかつわたつみ)
底津綿津見神(そこつわたつみ)
大日霊貴神(おおひるめきしん) の四柱
綿津見三神は住吉三神の底筒男命、中筒男命、表筒男命と同じように
海・航海の神様ですが お宮さんがあるのは かなり海から離れたところです
大日霊貴神は天照大神のことですね
ブルーシートが掛けられていてはっきりとは解らないのですが
本殿の前に相撲の土俵のようなものがありました
後で調べると 秋祭りに「神相撲」という子供相撲が 行われるそうです
昔は その家の長男が出ていたそうですが 最近の少子化の影響で
数揃えに次男でも出場するようになったそうです
狛犬さんは新しいものですね
台座には 昭和四十年十二月吉日
施主 下畑町民氏子一同と刻まれていました
火曜日, 10月 16, 2007
狛犬さん 316
2007.10.02 神戸市東灘区深江 大日霊女神社
昭和四十七年まで 藩新深江駅の西のほうに 薬王寺という地名があったそうです
真言宗に属したお寺で 大日如来を本尊としていたそうですが
文明十三年(1481)に その時の住職が 浄土真宗に改宗し
ご本尊も阿弥陀如来に代えてしまってそうです
寺名も 延寿寺と変えてしまったそうですが そのお寺も今はありません
お寺があったと思われる場所に 大きな墓地がありますが それがお寺のあとでしょうか
寺を出された大日如来を 村人が引き取り 現在の地に祀ったのが
この神社の 創建だと伝えられているそうです
明治の神仏分離令により 明治六年(1873)村社に列格されたそうです
太平洋戦争(第二次世界大戦)の大空襲で 本殿以外は全て焼失してしまいました
残っていた 本殿も平成七年の阪神大震災で倒壊
平成十二年十一月に新築再建したものです
高橋川に架かっていた高橋の礎石とか 境内にいろいろのものが置かれていて
このお宮さんにいるだけで 歴史が全てわかるような気がしました
狛犬さんも台座に 大正十三年五月
岡田正蔵
仝 いく
と刻まれていますが 裏側に
奉献
平成七年一月十七日の阪神大震災により倒壊いたしました狛犬を再建奉納す
平成八年十二月吉日
東京都 岡田茂義
大正時代に狛犬さんを奉納した方のご家族が 奉納してくださったのですね
まだまだ新人の狛犬さんです
昭和四十七年まで 藩新深江駅の西のほうに 薬王寺という地名があったそうです
真言宗に属したお寺で 大日如来を本尊としていたそうですが
文明十三年(1481)に その時の住職が 浄土真宗に改宗し
ご本尊も阿弥陀如来に代えてしまってそうです
寺名も 延寿寺と変えてしまったそうですが そのお寺も今はありません
お寺があったと思われる場所に 大きな墓地がありますが それがお寺のあとでしょうか
寺を出された大日如来を 村人が引き取り 現在の地に祀ったのが
この神社の 創建だと伝えられているそうです
明治の神仏分離令により 明治六年(1873)村社に列格されたそうです
太平洋戦争(第二次世界大戦)の大空襲で 本殿以外は全て焼失してしまいました
残っていた 本殿も平成七年の阪神大震災で倒壊
平成十二年十一月に新築再建したものです
高橋川に架かっていた高橋の礎石とか 境内にいろいろのものが置かれていて
このお宮さんにいるだけで 歴史が全てわかるような気がしました
狛犬さんも台座に 大正十三年五月
岡田正蔵
仝 いく
と刻まれていますが 裏側に
奉献
平成七年一月十七日の阪神大震災により倒壊いたしました狛犬を再建奉納す
平成八年十二月吉日
東京都 岡田茂義
大正時代に狛犬さんを奉納した方のご家族が 奉納してくださったのですね
まだまだ新人の狛犬さんです
月曜日, 10月 15, 2007
狛犬さん 315
日曜日, 10月 14, 2007
土曜日, 10月 13, 2007
金曜日, 10月 12, 2007
狛犬さん 312
2007.08.22 兵庫県尼崎市西本町 貴布弥神社
このお宮さんのご祭神は
高龗神(たかおかみのかみ)
この神様は 水・雨の神様だそうです
古事記では「淤加美神」 日本書紀では「龗神」と書くそうです
高龗神と闇龗神の二柱の神様がいて 別々の神様だとか
同一の神様で「龗神」は総称だとか言われるようです
高龗神は高い山の峰にあって雨を降らせ 闇龗神は峰から下る渓流の神様だとか
京都 貴船神社のご祭神だそうです
賀茂別雷神(かものわけいかずちのかみ)
丹塗の矢に化身した大山咋神と玉依姫(賀茂建角身命の娘)の間に
生まれた子だそうで 名前があらわすように 雷神です
雷神は竜神であり 水にも関係した神様です
その為 治水・農業の神様でもあるようです
京都 上賀茂神社の神様
賀茂御祖神(かものみおやのかみ)
賀茂別雷神のお母さんで 下賀茂神社に祭られているそうです
母親なので「御祖神」と呼ばれるのです
京都の貴船神社に
「反正天皇の頃 尊い神様が瀬戸内から 尼崎に上陸し
京都の貴布弥川の川上に鎮座した」と言う伝説があり
このお宮さんの旧地長洲が上陸地だと考えられるそうです
江戸時代に 現在の場所に移ったそうです
吽形のほうには 可愛い角が見えています
台座には 昭和二十五年(1950)七月吉日と刻まれています
新しく見えますが すでに60年近く昔の狛犬さんです
このお宮さんのご祭神は
高龗神(たかおかみのかみ)
この神様は 水・雨の神様だそうです
古事記では「淤加美神」 日本書紀では「龗神」と書くそうです
高龗神と闇龗神の二柱の神様がいて 別々の神様だとか
同一の神様で「龗神」は総称だとか言われるようです
高龗神は高い山の峰にあって雨を降らせ 闇龗神は峰から下る渓流の神様だとか
京都 貴船神社のご祭神だそうです
賀茂別雷神(かものわけいかずちのかみ)
丹塗の矢に化身した大山咋神と玉依姫(賀茂建角身命の娘)の間に
生まれた子だそうで 名前があらわすように 雷神です
雷神は竜神であり 水にも関係した神様です
その為 治水・農業の神様でもあるようです
京都 上賀茂神社の神様
賀茂御祖神(かものみおやのかみ)
賀茂別雷神のお母さんで 下賀茂神社に祭られているそうです
母親なので「御祖神」と呼ばれるのです
京都の貴船神社に
「反正天皇の頃 尊い神様が瀬戸内から 尼崎に上陸し
京都の貴布弥川の川上に鎮座した」と言う伝説があり
このお宮さんの旧地長洲が上陸地だと考えられるそうです
江戸時代に 現在の場所に移ったそうです
吽形のほうには 可愛い角が見えています
台座には 昭和二十五年(1950)七月吉日と刻まれています
新しく見えますが すでに60年近く昔の狛犬さんです
登録:
投稿 (Atom)