水曜日, 7月 27, 2011

狛犬さん 1105

2011.05.14 高知県高知市朝倉 朝倉神社
  境内の説明板によりますと
 
縁起式内社 重要文化財
  朝倉神社のあらまし
  朝倉神社は天津羽羽神と天豊財重日足姫天皇を祭り
  福寿延命の神、文化の神治政の神であります。
  上古社の御山は開発の神である天津羽羽神の
  ヒモロギ(神体山)として御山全体を崇敬の
  対象として畏敬せられ、やがて文化に伴い朝日さす
  南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を
  建てられたので此の赤鬼山こそが古代宗教の
  名残で県指定の史跡地で西南隅麓の古墳と共に
  ゆるがせに出来ない土地柄であります。天津羽羽神は
  古来より此処に鎮座まします国中稀な古社で、
  後の世の遷座とか御分神とかではなく極めて深い
  由緒をもち土佐の国風土記や、日本書紀等の古典にも
  載せられ、又延喜年間の神名帳にも国幣として
  登載せられた所諭式社であります。
  斉明天皇七年朝倉宮に行幸せられ仮の御殿を丸木で
  造られたので木の丸殿と申されました。
  御子天智天皇は「朝倉や木の丸殿に我居れば
  名乗りをしつつ行くはたが子ぞ」と御詠みになられて
  おります。そしてのち天智天皇の勅語により
  斉明天皇を朝倉の宮に合せ祀られたとの事であります。
  又土佐物語には朝倉神社の事と題し一巻を面白く
  物語っております。 当神社はもと勅願所で
  当時使用せられた勅使石は今に残って居りますし、
  又国の祈願所で正一位高加茂大明神橘の広庭の宮とも
  申しました。又武家の崇敬もあつく現在の社殿は
  二代忠義公が明暦四年(1658)に傾いたのを
  興されたものであります。建築は室町時代の手法を
  含む江戸初期の建物で、日本古来の様式に天竺の
  様式を加味して絶頂の技をつくし極彩色の
  ところなどは日光東照宮の例でその優美さは
  「馬に目かくしをしなければ・まばゆさに驚き通れなかった」
  と伝えられ地方には珍しい模範的建物であります。
  昭和二十四年(1949)二月十八日国宝に指定され
  同二十五年八月二十九日重要文化財に指定されました。
  先賢谷泰山先生は式社考で深く考証せられ、
  又藤原雅澄先生は「天津羽羽神のちはひと千世はへむのむみ
  民等の心足らひに」と其の神徳を高く尊く詠まれております。
  夏祭りは七月廿四日で当日参道に設けられる明治初期
  画匠巨作の台提灯と祭神女神にちなむ活花奉納演芸当は
  夏の夜の美しい饗応であります。例祭は十一月十日で
  行事があります。
    だそうです

 長い参道がありましたが 鳥居(台輪両部鳥居)を
 くぐってすぐの 手水所の横に居た狛犬さんたちです
 台座に 大正十五年(1926)十月吉祥日
     石工 前田嘉之・・・
 嘉以下の字は上を覆っているコケで読み取れませんが
 之は 間違いないと思います


















 馬に目かくしをしなければいけなかった
 まばゆさは 今に俤を残しています





 

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