境内にある説明版によりますと
椙本神社由緒だそうです
ご祭神は、大国主命 素盞鳴命
奇稲田姫命の三柱です。
ご祭神の事蹟は、寛文六年(一六六六)
の仁淀川洪水で古記録が流出した
ため明瞭を欠いでいますが、大和の国
三輪から神像を奉じて、阿波を経て
吉野川を遡り伊予国東川の山中に
至り、その後、仁淀川洪水の時に河畔に
流着したのを加治屋谷斎き祀ったといわ
れます。また三輪の国から直接に神像
を奉遷したという別伝もあります。
その後、元慶年間(八八〇年代)に現在
地へ、まつられるようになりました。
いのの大黒さまと称されて、古くから信
仰を受けていますが、慶長九年山内
一豊自筆の文書が現存し、それ以来
社殿の造営は、手元普請となり、江戸
時代六回の修築が行われました。明治十五
年に一千年祭・昭和五十七年に一千百年祭が、
行われました。
又 別の説明版には
国民休暇県・高知 紙の町伊野だそうです
椙本神社
「いのの大国さま」で名高い椙本神社の御祭神は、大国
主命、素盞鳴命、奇稲田姫命の三柱で、御神徳は、福徳
開運、家内安全、商業繁栄、病気平癒等、多岐にわたって
いる。
八角形漆塗神輿の建造は古く、鎌倉時代・弘長三年
(1263)藤原助影奉献の銘文が残っている。特に棟の鳳凰は
秀作で、国の重要文化財に指定されている。
土佐勤王党首領の武市瑞山、絵金で知られる広瀬洞意、
長谷川信秋、紙業の先覚者吉井源太翁等の貴重な絵馬も
数多く残っている。
境内には、高浜虚子の「紙を漉く女もかざす珊瑚かな」
の句碑や、釈超空(折口信夫)の歌碑等があり、おがたま
の木には、みかどあげはも生息する。
吾川郡で見かける鳥居は ほとんどが台輪鳥居
狛犬さんは 耳の下に渦巻き髪で横流れ尾
以前に高知市内を回った時には
ここまでの特徴はありませんでした
鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
台座には 明治十一年(1878)寅
九月吉日
と台座に刻まれていました
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