金曜日, 7月 22, 2011

狛犬さん 1104

2011.05.14 高知県高岡郡日高村 小村神社
 末社として
  仁井田神社
   御祭神 山秖神・他五柱
   御利益 出世の神・商売繁盛・五穀豊穣
   福徳円満交通安全・山林農産
   大漁の守護神
  秋葉神社
   御祭神 大己貴神他
   御利益 病気平癒・他
       尚、主な祭神の他、伝承によると
       秋葉神社より御分霊を戴きて合祀。
       防火の神として氏子は崇敬している。
  剱神社 
   御祭神 曽我五郎・十郎
   由緒・御利益
       曽我五郎縁の霊験あらたかなる太刀を
       里人によってまつりあげ神体となす
       現在は御鏡を奉齎す  ・所願成就の神
       別に瀬のぼりの太刀の伝承あり
          (日高物語・土佐物語 出典)

 瀬のぼりの太刀とは
  
今からおよそ八百年ぐらい前、源頼朝が鎌倉に幕府を
 開いた頃の話じゃ。伊豆国箱根権現の別当に行実という者がおったそうな。
 この行実は土佐の国高岡郡日下の庄、大和田の生まれの人で、どういう関係か
 曽我五郎の師匠じゃったと。曽我五郎というと、兄の十郎と共に、富士の
 裾野で父の仇、工藤祐経を討った仇討で有名じゃが、その兄弟が仇討の前に
 箱根権現へ別れの挨拶にやって来たそうな。その時に行実別当は宝物殿から
 太刀を二振り取り出してきて、その一つの「微塵」を兄十郎に、弟五郎には
 「髭切丸」をやったと。ところで兄弟は、富士の裾野で見事に父の仇討ったが、
 将軍の陣まで斬りこんで行って討たれてしもうた。そこで髭切丸が見つかり、
 箱根権現に納めたものが何でここにある、早々に調べよーーと頼朝の厳命が
 下った。これを聞いた行実別当は、自分のした事が知れると他の者に迷惑が
 かけると思い、曽我五郎が形見にと置いていった太刀をもって山を降り、
 生まれ故郷の土佐国日下の庄、大和田へと向こうたそうな。ところが、
 日下の江尻まで辿りつき、そこの民家で休んでおる内に中風になって病みついて
 しまい、いまわのきわに宿の主人に、「この太刀は曽我五郎が使うた名刀で、
 下々の者が扱える物ではない。なるべく早く宮を作って納めておくがよい」
 こう言い残して死んでいったと。ところが宿主は強欲な男だったので、
 「へへへ、これは金もうけになるぞ。どこぞお大家の所へ売っちゃろ」と
 思うて、太刀をさげて仁淀川の河原へ行ったそうな。すると刀がひとりでに
 サヤを抜けて川へ飛んで入り、たちまち大蛇になると、川上さして上って
 いったと。以来、仁淀川に大蛇が現れ、川をゆききする人々を恐れさしたそうな。
 そこで江尻の人たちが集まり相談をして、行実別当の言い残したとおり、
 大急ぎで宮を作って太刀のサヤを納めてお祭りしたと。すると不思議なことに、
 いつの間にか太刀はサヤに納まって、それと共に大蛇は姿を消してしもうたそうな。
 この太刀はそれから〈瀬のぼり〉と呼ぶようになったが、いまひとつこの太刀を
 有名にした話がある。今から四百年ぐらい前の戦国時代のことじゃ。伊野波川の
 城主、波川玄蕃がこの太刀を申しうけ、身から離さず信仰しておったが、
 ある時の事じゃった。仁淀川で舟遊びしていて、急に敵に襲われあわやという時に、
 この太刀がたちまちサヤから抜け出し、大蛇になって川瀬を登り敵を追い払って
 危難を救ったそうな。そこで〈瀬のぼりの太刀〉の名は再び高くなったという事じゃ。」  
                   日高物語より転載
      だそうです

 手洗所の横にいた狛犬さんたちです
 台座には 明治十二年(1879)
        九月令辰為
  「令」は 1、(神などの)お告げ。
       2、上位者による指示。 命令
       3、よい事
  「辰」 方位や月・時刻等をあらわしています
 令辰は 良い時って言うような意味なのでしょうね


















 宮司さんが教えてくださったのですが
 本殿の後ろに見えている樹木が
 「牡丹杉」
 境内の説明版によりますと
 
小村神社と牡丹杉(村文化財指定昭和三十六年)
   人皇三十一代用明帝の二年、高岡の首(郡長のこと)
  と日下氏(当時この付近を支配していた人)が、
  先祖の国常立命を祭って創建し御霊に環頭の太刀を奉納したと
  伝えられる国史現在社で、元国の安上官幣の御社であった。
  往古は土佐二の宮で、二の宮天神と称し日下の総鎮守である。
  祭神は国常立命で御神体は太刀である。御神体の
  環頭太刀は国宝に、木造の菩薩面二点は重要文化財に
  いずれも一九五七年指定された。その他の社宝に南北朝時代の
  銅鏡二面、三十六歌仙額、小野道風の書等がある。
   社殿の背後に樹齢千年の「燈明杉」又は「牡丹杉」と称する
  老杉がウッ蒼と天を摩し荘厳さを感じさせている。
  この杉の大木は下枝は杉葉であるが中ほどより上は
  檜かハクの葉様で稀に見る珍種である。伝説によると
  宝永二年(1705)七月仁淀川大氾濫の夜、
  また安政元年(1854)の大地震の前晩、日露役の時など
  何か異変がある時には杉の梢に大きな霊火が爛々と懸ったとの
  ことで、里人は神木として崇拝して来たものである。
   だそうです

 又 宮司さんのお話では この杉の根元から 
 銅鉾(約1800年前頃の物)が 
  平成七年六月五日に 発見されました
 そしてそれを発見したのは お話してくださった宮司さんだそうです
 杉の木の太い根に押し出されるように 地面の上に一部を
 覗かせていたそうです
 十一月十五日が秋季大祭で国宝を拝観できるそうです

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