日曜日, 7月 31, 2011

狛犬さん 1109

2011.05.14 高知県高知市朝倉 朝倉神社忠魂社
 忠魂社は 戦争で亡くなった英霊が御祭神
 
 狛犬さんの台座には 大正八年(1919)
   と刻まれていました

 この狛犬さんのしっぽに特徴があります
 吽形の方は 渦巻きですが
 阿形のしっぽの先 宝珠を巻き込んでと言うか
  乗せているように見えます
 どちらも前足を岩の上に乗せたスタイルです 
 江戸風より高知西部風ですね

土曜日, 7月 30, 2011

狛犬さん 1108

2011.05.14 高知県高知市朝倉 朝倉神社倉稲神社
 このお宮さんの御祭神もわかりません
 倉稲魂神だとすると この神様もお稲荷さんとして
  祀られている神様ですね
 稲に関係のある 五穀豊穣を与えてくれる神様
  ですが あっているのでしょうか

 狛犬さんの台座には
   嘉永元(1848)
   申九月
    と刻まれていました

 嘉永元年生まれは 荒倉神社の狛犬さんと同じです
 よく見ると 石工さんも同じではないかと
  よく似ています
 かわいそうに阿形の方は 半分かけています
 きっと右足は岩にかけたデザインだったのでしょう

金曜日, 7月 29, 2011

狛犬さん 1107

2011.05.14 高知県高知市朝倉 朝倉神社荒倉神社
 山形県鶴岡市に荒倉神社があるそうです
 御祭神は 保食大神(うけもちのおおかみ)
       大冝津比売神(おおげつひめのかみ)
古伝によれば大国主大神、事代主神とともあるそうです
 それ以外に 京都府綾部市にも荒倉神社があり
 こちらの御祭神は 素盞鳴命

 もっと調べれば荒倉神社がありそうですね
 こちらのお宮さんの御祭神は 保食大神でしょうか
 それとも 素盞鳴命でしょうか

 保食大神は宇迦之御魂神と同一視され
 お稲荷さんとして祀られていることが多いですよね

 台座に 嘉永元年(1848)
     歳次戊申
     五月令艮←(この字に厂が付いています)

 この狛犬さんたちも江戸風ですね




















 この狛犬さんたちも子連れです
 吽形はしっぽの上に 阿形は前足の下に子犬がいます
 吽形の前足を岩?の上に置いているのも
   よく見かけるデザインです



   

木曜日, 7月 28, 2011

狛犬さん 1106

2011.05.14 高知県高知市朝倉 朝倉神社
 本殿の前にいた狛犬さんたちです
 高知西部の特徴の狛犬さんたちですが
 全体に関東風と言うか江戸風の
  特徴を感じます

 台座には 弘化
      四丁(1847)
      未年
      八月
      吉日
   と刻まれていました



















 前から見ると分かりにくいのですが
 吽形はしっぽに 阿形は足元に
 子犬を連れています












 

水曜日, 7月 27, 2011

狛犬さん 1105

2011.05.14 高知県高知市朝倉 朝倉神社
  境内の説明板によりますと
 
縁起式内社 重要文化財
  朝倉神社のあらまし
  朝倉神社は天津羽羽神と天豊財重日足姫天皇を祭り
  福寿延命の神、文化の神治政の神であります。
  上古社の御山は開発の神である天津羽羽神の
  ヒモロギ(神体山)として御山全体を崇敬の
  対象として畏敬せられ、やがて文化に伴い朝日さす
  南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を
  建てられたので此の赤鬼山こそが古代宗教の
  名残で県指定の史跡地で西南隅麓の古墳と共に
  ゆるがせに出来ない土地柄であります。天津羽羽神は
  古来より此処に鎮座まします国中稀な古社で、
  後の世の遷座とか御分神とかではなく極めて深い
  由緒をもち土佐の国風土記や、日本書紀等の古典にも
  載せられ、又延喜年間の神名帳にも国幣として
  登載せられた所諭式社であります。
  斉明天皇七年朝倉宮に行幸せられ仮の御殿を丸木で
  造られたので木の丸殿と申されました。
  御子天智天皇は「朝倉や木の丸殿に我居れば
  名乗りをしつつ行くはたが子ぞ」と御詠みになられて
  おります。そしてのち天智天皇の勅語により
  斉明天皇を朝倉の宮に合せ祀られたとの事であります。
  又土佐物語には朝倉神社の事と題し一巻を面白く
  物語っております。 当神社はもと勅願所で
  当時使用せられた勅使石は今に残って居りますし、
  又国の祈願所で正一位高加茂大明神橘の広庭の宮とも
  申しました。又武家の崇敬もあつく現在の社殿は
  二代忠義公が明暦四年(1658)に傾いたのを
  興されたものであります。建築は室町時代の手法を
  含む江戸初期の建物で、日本古来の様式に天竺の
  様式を加味して絶頂の技をつくし極彩色の
  ところなどは日光東照宮の例でその優美さは
  「馬に目かくしをしなければ・まばゆさに驚き通れなかった」
  と伝えられ地方には珍しい模範的建物であります。
  昭和二十四年(1949)二月十八日国宝に指定され
  同二十五年八月二十九日重要文化財に指定されました。
  先賢谷泰山先生は式社考で深く考証せられ、
  又藤原雅澄先生は「天津羽羽神のちはひと千世はへむのむみ
  民等の心足らひに」と其の神徳を高く尊く詠まれております。
  夏祭りは七月廿四日で当日参道に設けられる明治初期
  画匠巨作の台提灯と祭神女神にちなむ活花奉納演芸当は
  夏の夜の美しい饗応であります。例祭は十一月十日で
  行事があります。
    だそうです

 長い参道がありましたが 鳥居(台輪両部鳥居)を
 くぐってすぐの 手水所の横に居た狛犬さんたちです
 台座に 大正十五年(1926)十月吉祥日
     石工 前田嘉之・・・
 嘉以下の字は上を覆っているコケで読み取れませんが
 之は 間違いないと思います


















 馬に目かくしをしなければいけなかった
 まばゆさは 今に俤を残しています





 

金曜日, 7月 22, 2011

狛犬さん 1104

2011.05.14 高知県高岡郡日高村 小村神社
 末社として
  仁井田神社
   御祭神 山秖神・他五柱
   御利益 出世の神・商売繁盛・五穀豊穣
   福徳円満交通安全・山林農産
   大漁の守護神
  秋葉神社
   御祭神 大己貴神他
   御利益 病気平癒・他
       尚、主な祭神の他、伝承によると
       秋葉神社より御分霊を戴きて合祀。
       防火の神として氏子は崇敬している。
  剱神社 
   御祭神 曽我五郎・十郎
   由緒・御利益
       曽我五郎縁の霊験あらたかなる太刀を
       里人によってまつりあげ神体となす
       現在は御鏡を奉齎す  ・所願成就の神
       別に瀬のぼりの太刀の伝承あり
          (日高物語・土佐物語 出典)

 瀬のぼりの太刀とは
  
今からおよそ八百年ぐらい前、源頼朝が鎌倉に幕府を
 開いた頃の話じゃ。伊豆国箱根権現の別当に行実という者がおったそうな。
 この行実は土佐の国高岡郡日下の庄、大和田の生まれの人で、どういう関係か
 曽我五郎の師匠じゃったと。曽我五郎というと、兄の十郎と共に、富士の
 裾野で父の仇、工藤祐経を討った仇討で有名じゃが、その兄弟が仇討の前に
 箱根権現へ別れの挨拶にやって来たそうな。その時に行実別当は宝物殿から
 太刀を二振り取り出してきて、その一つの「微塵」を兄十郎に、弟五郎には
 「髭切丸」をやったと。ところで兄弟は、富士の裾野で見事に父の仇討ったが、
 将軍の陣まで斬りこんで行って討たれてしもうた。そこで髭切丸が見つかり、
 箱根権現に納めたものが何でここにある、早々に調べよーーと頼朝の厳命が
 下った。これを聞いた行実別当は、自分のした事が知れると他の者に迷惑が
 かけると思い、曽我五郎が形見にと置いていった太刀をもって山を降り、
 生まれ故郷の土佐国日下の庄、大和田へと向こうたそうな。ところが、
 日下の江尻まで辿りつき、そこの民家で休んでおる内に中風になって病みついて
 しまい、いまわのきわに宿の主人に、「この太刀は曽我五郎が使うた名刀で、
 下々の者が扱える物ではない。なるべく早く宮を作って納めておくがよい」
 こう言い残して死んでいったと。ところが宿主は強欲な男だったので、
 「へへへ、これは金もうけになるぞ。どこぞお大家の所へ売っちゃろ」と
 思うて、太刀をさげて仁淀川の河原へ行ったそうな。すると刀がひとりでに
 サヤを抜けて川へ飛んで入り、たちまち大蛇になると、川上さして上って
 いったと。以来、仁淀川に大蛇が現れ、川をゆききする人々を恐れさしたそうな。
 そこで江尻の人たちが集まり相談をして、行実別当の言い残したとおり、
 大急ぎで宮を作って太刀のサヤを納めてお祭りしたと。すると不思議なことに、
 いつの間にか太刀はサヤに納まって、それと共に大蛇は姿を消してしもうたそうな。
 この太刀はそれから〈瀬のぼり〉と呼ぶようになったが、いまひとつこの太刀を
 有名にした話がある。今から四百年ぐらい前の戦国時代のことじゃ。伊野波川の
 城主、波川玄蕃がこの太刀を申しうけ、身から離さず信仰しておったが、
 ある時の事じゃった。仁淀川で舟遊びしていて、急に敵に襲われあわやという時に、
 この太刀がたちまちサヤから抜け出し、大蛇になって川瀬を登り敵を追い払って
 危難を救ったそうな。そこで〈瀬のぼりの太刀〉の名は再び高くなったという事じゃ。」  
                   日高物語より転載
      だそうです

 手洗所の横にいた狛犬さんたちです
 台座には 明治十二年(1879)
        九月令辰為
  「令」は 1、(神などの)お告げ。
       2、上位者による指示。 命令
       3、よい事
  「辰」 方位や月・時刻等をあらわしています
 令辰は 良い時って言うような意味なのでしょうね


















 宮司さんが教えてくださったのですが
 本殿の後ろに見えている樹木が
 「牡丹杉」
 境内の説明版によりますと
 
小村神社と牡丹杉(村文化財指定昭和三十六年)
   人皇三十一代用明帝の二年、高岡の首(郡長のこと)
  と日下氏(当時この付近を支配していた人)が、
  先祖の国常立命を祭って創建し御霊に環頭の太刀を奉納したと
  伝えられる国史現在社で、元国の安上官幣の御社であった。
  往古は土佐二の宮で、二の宮天神と称し日下の総鎮守である。
  祭神は国常立命で御神体は太刀である。御神体の
  環頭太刀は国宝に、木造の菩薩面二点は重要文化財に
  いずれも一九五七年指定された。その他の社宝に南北朝時代の
  銅鏡二面、三十六歌仙額、小野道風の書等がある。
   社殿の背後に樹齢千年の「燈明杉」又は「牡丹杉」と称する
  老杉がウッ蒼と天を摩し荘厳さを感じさせている。
  この杉の大木は下枝は杉葉であるが中ほどより上は
  檜かハクの葉様で稀に見る珍種である。伝説によると
  宝永二年(1705)七月仁淀川大氾濫の夜、
  また安政元年(1854)の大地震の前晩、日露役の時など
  何か異変がある時には杉の梢に大きな霊火が爛々と懸ったとの
  ことで、里人は神木として崇拝して来たものである。
   だそうです

 又 宮司さんのお話では この杉の根元から 
 銅鉾(約1800年前頃の物)が 
  平成七年六月五日に 発見されました
 そしてそれを発見したのは お話してくださった宮司さんだそうです
 杉の木の太い根に押し出されるように 地面の上に一部を
 覗かせていたそうです
 十一月十五日が秋季大祭で国宝を拝観できるそうです

木曜日, 7月 21, 2011

狛犬さん 1103

2011.05.14 高知県高岡郡日高村 小村神社
 戴いたリーフレットによりますと
 
小村神社の歴史と文化財
  国宝 金銅荘環頭太刀拵・太刀身(古墳時代・7世紀前半)
   今より千四百年程昔から小村神社の御霊代として奉祀された
   ものであり今日迄完全な姿で伝わっている日本で唯一の
   伝世品であり最古の宝剣である。鞘は金銅と板金で
   作られており昭和三十三年国宝に指定された。
  重要文化財 木造菩薩面・二面(平安時代後期)
   平安時代(今から約千年前)のもので材質は樟で出来ている。
   かっての神仏習合時代の歴史を伝える貴重なものである。
   小村神社の社宝として伝わっているもので昭和三十年
   重要文化財に指定されました。その他、数点の文化財を所蔵。
     だそうです

 二の鳥居をくぐろうとすると 何やら左手の方から
 気になる気配を感じます
 古い石材が置いてある 端っこに何やら見慣れたものが

 そばに寄ってみると 古い狛犬さんたちです
 後で宮司さんに伺ったことですが
 古い狛犬さんたちは 長年飼ったペットと同じで
 いらなくなったからと言って 捨てられない
 と言う氏子さんたちからの意見で 保存してあるそうです
    良いお話ですよねぇ

 狛犬さんの詳細は不明です

水曜日, 7月 20, 2011

狛犬さん 1102

2011.05.14 高知県高岡郡日高村 小村神社
 戴いたリーフレットによりますと
 
小村神社の歴史と文化財
  ご祭神 国常立尊
  ご由緒・御神徳 用明天皇二年587年鎮座
   小村神社は『日本産第実録』貞観二年(870年)三月五日
   条の授位記事に『小村神従五位上』とみえる国史現在社で
   御祭神は国常立尊である。7世紀前半頃の環頭太刀(国宝)を
   御神体とする。境内からは県下では最古の部類となる銅鉾を
   御神木(牡丹杉)の根元より神職が発見出土しており
   神社成立以前から土地の祭祀が行われる特別な場所であったと
   考えられている。社に伝わる仁治元(1240)年、
   貞和三(1347)年の棟札からは国衙が宮の造営に
   あたっていた記録がみえ、二の宮として尊重されていた事が
   知られる。尚参道に沿って千本杉遺跡の調査が実施されており
   古代~近世の掘建柱様式の建物跡が検出されている。社宝には
   弥生時代から中世にわたる多くの文化財があり篤い信仰に
   支えられた歴史を感じ取ることができる。また神社の社殿の
   造りについては本殿が流造、幣殿、拝殿は中央部に高屋根を
   持つトンボ様式となっており訳10年経っている。高知市
   一宮に鎮座する一の宮土佐神社に竝び土佐人の崇敬深い神社で
   国家安康・家内安全・五穀豊穣・諸祈願にご利益のある
   所願成就のかみさまである。

  国史現在社…六国史即ち「日本書紀」「続日本紀」「日本後紀」
        「文徳実録」「三代実録」にその名の見える神社。
  国常立尊…日本書紀本文の中で最初に現れる神。(国の永遠の
       安定を祝福する意がこめられた神名とする説がある)
      だそうです

 二の鳥居の手前にいた狛犬さんたちです
 台座には 平成十四年(2002)十一月吉日
    と刻まれていました

火曜日, 7月 19, 2011

狛犬さん 1101

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 和田神社・天満宮
 本殿の手前にいた狛犬さんです
 
 台座に 明治十七申年(1884)
     旧六月吉日
     塚地村
     工
     井上金次
  と刻まれていました

 前回の参道途中の狛犬さんと同じ作者・年代です

月曜日, 7月 18, 2011

狛犬さん 1100

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 和田神社・天満宮
 このお宮さんは浄水苑の傍にあります
 最初の鳥居をくぐり 〆柱の間を通り抜けて行くと
 次第に山道のような雰囲気になっていきます
 そこにも台輪鳥居があります
 その鳥居をくぐったところにいた狛犬さんたちです

 台座に明治十七申年(1884)
     六月吉日
   と刻まれていました

 塚地村
   工
  井上金次
 とも刻まれていました
 これは石工さんの 名前だと思います 


 

日曜日, 7月 17, 2011

狛犬さん 1099

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 和田神社・天満宮
 和田神社についての詳細は不明です
 神戸市や大津市にも 和田神社はありますが
  それぞれご祭神が違っています
 「和田」という地名から神社名が付いたとすれば
 他の和田神社から ご祭神を推測することは出来ませんね

 天満宮の御祭神は菅原道真公
  これは間違いないでしょう

 鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
 製作年代は刻まれていませんが
 平成の可能性 大ですね
  しかも 外国生まれの可能性も

土曜日, 7月 16, 2011

狛犬さん 1098

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 琴平神社
 土佐電 伊野駅のすぐ横に鳥居があります
 鳥居は 台輪鳥居です

 狛犬さんの台座には 明治十三辰(1889)年
             六月吉日
  と刻まれていました
 

















 ここにも 面白い手洗鉢がありました

金曜日, 7月 15, 2011

狛犬さん 1097

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 天王神社
 本殿の前にいた狛犬さんたちです
 阿形の口の中には 珠が見えています
 狛犬さんの詳細については不明です

木曜日, 7月 14, 2011

狛犬さん 1096

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 天王神社・天神社
 拝殿にあった額によりますと
 
天王神社
 天神社
   村社として寛文十一年十月二十一日
         紀元二二三一年
         西暦一六七一年
   第一一二代霊元天皇
     (徳川将軍四代目家綱時代)
   祭神は (一)素戔嗚神
       (二)少彦名神
   其の后 昭和二十一年(1926)五月二十四日に宗教法人
       となり現在に至る
 そうですが 天神社の名前もあるので
 ご祭神には 菅原道真公が 入っていてもいいのでは ないかと思います
 
 鳥居の前 道路沿いにいた狛犬さんたちです
 台座には 明治十二年(1879)四月令日
   と刻まれていました

 耳の下に渦巻きがあり 尾の先も横に流れている
 高知西部スタイルの狛犬さんたちです

水曜日, 7月 13, 2011

狛犬さん 1095

2011.05・14 高知県吾川郡いの町 光宜神社
 ご祭神他 詳細は不明です

 
 境内は 雑草が茂り あまり人が訪れていないように見える
  お宮さんでした
 鳥居は全て 台輪鳥居
  亀腹の無い鳥居もありました

 台座には 昭和六年(1931)
       八月吉日
  と刻まれていました



















 高知西部スタイルの狛犬さんたちですが
 顔も 高知西部顔ですね
 少し離れて見ると 鼻が無いように見えるんです

 










 

月曜日, 7月 11, 2011

狛犬さん 1094

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 椙本神社
 前回の狛犬さんの前の階段を上がったところ
 本殿のすぐ前にいた狛犬さんたちです
 
 台座には 萬延元(1860)
      申年九
      月吉日
   と刻まれていました

 このお宮さんの狛犬さんたちは全部
 高知西部型と私が名づけた形の狛犬さんたちです

日曜日, 7月 10, 2011

狛犬さん 1093

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 椙本神社
 このお宮さんの名前ですが
 鳥居の額は「杉本神社」ですが
 それ以外では「椙本神社」の文字が使われています

 境内の説明版によりますと
 
 伊野町保護文化財
 第四三号 平成元年二月九日指定
 (民俗 無形)
 椙本神社ご神幸 及び 古式神事
 椙本神社のお祭りは土佐の三大祭りの一つ
 として、あまねく県内外に知られています。
 特に十一月二三日の秋大祭のご神幸は一
 般に「大国さまのオナバレで親しまれ、
 厳粛にして華麗、まさに仁淀河畔を染める
 古色豊かな一大絵巻でもあります。
 また「お葉毛立」から始まる一連の古式神事
 は、「お葉毛下ろし」に終る八日間、古来から
 の作法、仕来りを再現していとも荘厳幽玄、
 他に比を見ぬ大祭行事であります。
 これらはいずれも古い時代から長い伝統を
 よく守り、現在に受け継いできたもので、
 住民の生活、文化、信仰の歴史を理解する
 うえで貴重なものがあると言えましょう。
 伊野町教育委員会
 
 
 また別の説明版によると
 
 重要文化財 国指定 昭和三一年六月二八日
(工芸品) 八角形漆塗神輿 所有者 椙本神社
   この神輿が建立されたのは古く鎌倉時代で、
  弘長三年(一二六三)藤原助影奉献の銘文が神
  輿の屋根の棟木にある。その後、元禄年間と享
  保二〇年(一七三五)の二回にわたって修補さ
  れている。享保の修理は八方吹きの部分にはめ
  板及び扉を入れ、屋根に改造を加え、絵具彩
  色から漆塗りに改造した記録が、神輿内部の
  底板に墨書されている。したがって弘長制作当
  初のものは隅木と軒の一部、柱、桁、欄間の横
  連子と隅木鼻の青銅製の小鳥、棟の鳳凰である。
  これらはいずれも鎌倉時代の特色をあらわし、
  特に棟を飾る鳳凰は(尾及び羽根は後補)美術
  工芸の発達した鎌倉時代でも稀な秀作で、全国
  でも類例の少ないものである。
  なお全国で重文神輿の指定を現在受けているの
  は二八基で、うち二七基が四角形であり、八角
  形は実に当神社のものだけである。
     平成二年三月  伊野町教育委員会
  だそうです
 一度是非お祭りに来たいですね

 本殿の前にいた狛犬さんたちです
 台座に明治十一年寅(1878)
    九月令日
 と刻まれていました
 「令日」とは 佳き日という意味でしょうね



















 阿形の狛犬さんの足元には太鼓の撥
 吽形の狛犬さんの足元には太鼓が
   彫り込まれています

土曜日, 7月 09, 2011

狛犬さん 1092

2011・05.14 高知県吾川郡いの町 椙本神社
 境内にある説明版によりますと
 
椙本神社由緒
  ご祭神は、大国主命 素盞鳴命
  奇稲田姫命の三柱です。
  ご祭神の事蹟は、寛文六年(一六六六)
  の仁淀川洪水で古記録が流出した
  ため明瞭を欠いでいますが、大和の国
  三輪から神像を奉じて、阿波を経て
  吉野川を遡り伊予国東川の山中に
  至り、その後、仁淀川洪水の時に河畔に
  流着したのを加治屋谷斎き祀ったといわ
  れます。また三輪の国から直接に神像
  を奉遷したという別伝もあります。
  その後、元慶年間(八八〇年代)に現在
  地へ、まつられるようになりました。
  いのの大黒さまと称されて、古くから信
  仰を受けていますが、慶長九年山内
  一豊自筆の文書が現存し、それ以来
  社殿の造営は、手元普請となり、江戸
  時代六回の修築が行われました。明治十五
  年に一千年祭・昭和五十七年に一千百年祭が、
  行われました。
    だそうです

 又 別の説明版には
  
国民休暇県・高知 紙の町伊野
     椙本神社
   「いのの大国さま」で名高い椙本神社の御祭神は、大国
  主命、素盞鳴命、奇稲田姫命の三柱で、御神徳は、福徳
  開運、家内安全、商業繁栄、病気平癒等、多岐にわたって
  いる。
   八角形漆塗神輿の建造は古く、鎌倉時代・弘長三年
  (1263)藤原助影奉献の銘文が残っている。特に棟の鳳凰は
  秀作で、国の重要文化財に指定されている。
   土佐勤王党首領の武市瑞山、絵金で知られる広瀬洞意、
  長谷川信秋、紙業の先覚者吉井源太翁等の貴重な絵馬も
  数多く残っている。
   境内には、高浜虚子の「紙を漉く女もかざす珊瑚かな」
  の句碑や、釈超空(折口信夫)の歌碑等があり、おがたま
  の木には、みかどあげはも生息する。
     だそうです

 吾川郡で見かける鳥居は ほとんどが台輪鳥居
 狛犬さんは 耳の下に渦巻き髪で横流れ尾
  以前に高知市内を回った時には
 ここまでの特徴はありませんでした

 鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
 台座には 明治十一年(1878)寅
       九月吉日
   と台座に刻まれていました


 

金曜日, 7月 08, 2011

狛犬さん 1091

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 月田上神社
 このお宮さんにたどり着いた道を さらに進むと
 それが参道でした
 参道に入る鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
 阿形吽形の前足は 岩?の上に乗せています
 
 台座には 明治十五年(1882)
      壬午九月
      吉日献之
   と刻まれていました

 以前高知市内を回った時にも 
  何か所かこのタイプに狛犬さんがいましたが
    左程 気にするほど目立ってはいませんでした
 今回 回った高知県西部で このタイプの狛犬さんによく逢いました
   耳の下の毛が渦巻き状になっていて
   狛尾の先が 体の側面に流れている
 これが高知県の狛犬さんの特徴でしょうか

木曜日, 7月 07, 2011

狛犬さん 1090

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 月田上神社
 御祭神は 天御中主神
   天地創造の神で 
   諸祈願にご利益があります
 境内社
   蟻宮神社

 階段の上り口にいた狛犬さんです
 台座には 昭和四年(1929)十月吉日
    と刻まれていました


















 お宮さんには 手洗い用の水鉢がありますが
 こんなデザインは 初めて見ました

 天保九戌(1838)年と刻まれていました

水曜日, 7月 06, 2011

狛犬さん 1089

2011.05.14 高知県吾川郡いの町 蘇我神社・八幡神社
 蘇我神社の御祭神は 石川宿祢命
  石川宿祢は蘇我一族の祖先にあたるようです
  蘇我の子孫の一人 蘇我国光が 
  鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に 
  幕府から土佐に派遣です
  その後 波川氏を名乗るようになり
  天正八年(1580)まで 代々波川氏の統治が続いたそうです
  波川玄蕃城主・清宗は長宗我部元親軍と戦かって
  一族は滅ぼされたそうです
 八幡神社の御祭神は 仲哀天皇・応神天皇

 狛犬さんの台座には 明治十九年戌(1886)
            九月吉日
   と刻まれていました

月曜日, 7月 04, 2011

狛犬さん 1088

2011.05.13 高知県高岡郡中土佐町久礼 久礼八幡神社
 このお宮さんに初めて行ったのは
 2006年7月かなり昔の事です
 ちょっと気になることがあったので また行ってきました

 前回見落としていた狛犬さんを発見しました
 海岸に向いた正面の鳥居の傍にいました

 台座には 明治四十一年(1908)
          十月吉日
       久禮郷婦人中
  と刻まれていました
 狛犬さんたちの足の下にあるのは
  太鼓ではないかと思いますが
 表面が欠け落ちていて よくわかりません  
 
 以前に投降した狛犬さんは「狛犬さん 29」から「狛犬さん 33」までです