境内にあった説明板によりますと
高幢神社(こうどうじんじゃ)の由緒この写真では判りにくいでしょうが
祭神(まつりかみ) 息長帯日賣命 武内宿禰命
表筒男命 中筒男命 底筒男命
猿田彦命 素盞鳴命 天通彦神
大山祇命 天照皇太神 埴山姫命
宇迦多御魂神 大己貴命 市杵嶋姫命
由緒 貞観年間の創祀という 社伝によれば
貞観年間多度の人 正六位上左少史讃岐朝臣時雄
住吉大神を迎え祀りて高幢大明神(たかはただいみょうじん)と稱す
その後 荒廃して原野に御霊石の円き石相残れり
西行法師巡錫の途 この地に来り 御霊石の円石を見て
里人に尋ぬるに 住吉四社を祀り高幢大明神と
稱する由 と答ふ 西行 乃(すなわち) この神は
本朝和歌の太祖子安の神なり とて社辺に小松三本を植えて奉る
後年大木となり西行三本松の稱ありといへり
今は枯損じて僅かに五尺余の古木二株を残せり
安永二年国司 中納言藤原家成再建あり
家成の後裔 福崎宗賢社殿を造営せりと云う
(古今名勝圖絵 仲多度郡史神社考)
※貞観は中国唐の時代(六百二十七年~六百四十五年)飛鳥時代
台座の方が 新しいように見えます
狛犬さんは江戸時代まで遡っても良いように見えます
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