日曜日, 8月 23, 2009

狛犬さん 788

2009,07,20 香川県高松市宮脇町 石清尾八幡神社(いわせをはちまんじんじゃ)
 境内の説明の石碑によりますと
 
石清尾八幡宮
  祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
  由緒 社伝によると、延喜一八年(九一八年)
   八幡大神が 亀命山山上に現れ、
   時の国司が山上に祠を建てて祭ったと言われる。
   また、石清尾八幡宮の分霊を祭ったともいう
   別に社の由緒に関しては、当社の縁起は
   年歴久遠にしてその濫觴定かならずとも云う。
    貞治年間(一三六二~一三六八)
   細川右馬頭頼之が戦勝を祈願して
   霊験をこうむり、社殿を拡築し武具を奉納し
   毎年四月三日に祭礼を行った。
   これを右馬頭市という。
    天正一六年(一五八八年)生駒親正が
   讃岐に封じられると、高松城を築き、
   当社を城の鎮守と定め、社殿を改築し、
   高松の産土神とした
    松平頼重も当社を崇敬し寛永二一年(一六四四年)
   には社殿を造営して現在地にうつし、
   社領二〇二石余りを寄進
   石灯籠、三十六歌仙の扁額等を奉納した。
   その後、宝永二年(一七〇五年)三代藩主頼豊が
   改修、以来歴代藩主は毎年社参を通例とした
    爾来改修をくり返し、すぐる大戦にも
   一部被害を受けたのみであったが
   昭和六十一年十月、不測の火災により
   本殿、上拝殿は炎上、烏有に帰した。
    平成元年九月。遠方近郊の崇敬者及び
   氏子、市内有力企業の奉賛を得て、
   本殿、上拝殿其の他社殿を改築整備し、
   神門、下拝殿を修復して、焼失前より
   更に規模を広げ、平成の復興は終了した

 狛犬さんの台座には 
   天保十二歳(一八四一)丑十二月吉日 
    と刻まれていました
  それ以外にも 庵治
         石工 の文字が見えるのですが
  下の方は埋まってしまっていて 見えませんでした

 これがお社です
 壮麗な建築ですね

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