火曜日, 8月 04, 2009

狛犬さん 770

2009.06.14 愛媛県伊予郡松前町西古泉 玉生八幡神社
 説明板によりますと
 
玉生八幡大神社
  主祭神 誉田別命(大一五代応神天皇)
  配神 三女神 市杵嶋姫命 田心姫命 瑞津姫命
     足仲彦命(第一四代仲哀天皇)
     気長足姫命(神功皇后)
     玉生石神
  仲哀天皇の九年(二〇〇)ころ 神功皇后が
  三韓におもむかれる時、当地を逍遥して、
  湧き出でる清泉に戦勝を占い、布が濃紺に染まる
  吉兆にちなんでこの地を「濃染の里」と命名した
  帰途、また船をとどめられ、天神の神託によって
久斯美玉を玉生杯(?)にまつったが、後世、郡司が
  ここに社殿を造営して久斯美玉宮と称して崇拝した
  文武天皇の慶雲四(七〇七)年六月十七日
  伊予の豪族小千玉興、玉純が厳島神社より三女神を
  勧請して久斯美玉宮に合祀し 日女宮と称した
  古事記、日本書紀によると 三女神は 天照大神が
  素戔鳴と八坂瓊の曲玉に誓ってうまれた神で
  海の神となっている 海上交通が盛んで航海安全の
  祈願が行われたのであろう
  清和天皇の貞観元(八五九)年の宇佐八幡宮の神霊を勧請し
  うれしくも 松の梢に 立ち寄りて
        久しくここに 民を守らん
  との御神詠により 日之宮に合祀して、玉生八幡大神宮と
  改め、後、玉生八幡大神社と改称した
  境内神社の玉生古宮は、誉田別命をまつるが
  一二世紀から一六世紀にかけて約四〇〇年間
  昌農内玉生にあった石清水八幡東宝塔院領荘園
  「玉生荘」に勧請していた古社である
  玉生八幡は 加藤嘉明の崇敬篤く、嘉明の松前城より
  松山城への移転は、玉生八幡の御託宣の夢占いに
  よるものともいわれている
  もとは、南面していたが、このころ西向きに改修されたという
  以来、産土大神として地域の尊崇がきわめて篤い。
      松前町教育委員会

 ここ松前町では小さなお宮さんでも 教育委員会の
  説明板が設置されているのが 良いですね
 狛犬さんの台座には 明治廿五年(1892)壬辰一月
   と刻まれていました
 石工さんの名前もありましたが 読み取れませんでした

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