月曜日, 8月 31, 2009

狛犬さん 793

2009.07.20 香川県高松市錦町 日和山神社
 境内の説明板によりますと
 
日和山神社由緒
  明暦二年(一六五六)高松藩が御船蔵を築いたとき
  ほりおこした土砂をもりあげて丘をつくり、
  そこへ航海の守護神といわれる。
  金毘羅大権現(大物主命)を勧請して
  祀ったもの、俗に「お船蔵のこんぴらさん」
  「日和山のこんぴらさん」などいわれて、
  庶民に親しまれた。
  日和山とは、このかたわらに藩の日和見番所があったからで
  この番所は、藩主が、参勤交代で江戸に出府するさい
  けらいが当社につかわされ、航海安全を祈願するいっぽう
  その出航前後には、ここから刻々城内へ海の模様が報告された
  当社は藩主の社であったから、一般には参拝をゆるさなかった。
  八代藩主松平頼儀の文化年間(一八〇四~一八)
  初めて庶民に公開された
     (高松市史巻二 日和山神社の章より)
  御祭神 大物主命 上筒男命 中筒男命
      底筒男命 大山咋命 菅原道真公
  社殿建築様式 本殿ー流造り 拝殿ー入母屋造り
  
   当社は現在の浜ノ丁鉄道資材部倉庫付近に
   祭祀されていたものだが 鉄道用地拡張の為、
   昭和三十二年八月当所に遷宮されたものである。
   戦前の夏季大祭には市内は勿論近郷近在の
   善男善女が終日列をなして参拝其の数、数千に
   及ぶと言う実に高松随一の夏季大祭が
   盛大に行われていた

 狛犬さんの詳細は分かりません

日曜日, 8月 30, 2009

狛犬さん 792

2009.07.20 香川県高松市宮脇町 蜂穴神社
 室町幕府三代将軍足利義満の管領細川頼之は讃岐守護でした
 その頼之が 伊予の河野通盛と合戦となった時
 お参りした処 祠の穴から 数百匹の蜂が飛び出し
 敵方を襲い 頼之は戦に勝つことが出来たことに因んで
 この名前が付いたそうです
 説明板によりますと
 
蜂穴神社
  祭神 大山祇命
  御由緒 傳ふる所によれば貞治元年(1362)
   細川頼之伊豫の河野氏と
   戦ひし時神夢あり
   戦勝凱旋の後石清尾山麓に
   伊豫三島明神を勧請して
   奉齋せりと云ふ
   其の後社殿火災に罹り
   明治四拾参年改築せり
  境内合祀
   白龍大神
   大日大聖不動明王
   大黒天

 狛犬さんの台座には 平成拾八年(2006)参月吉日
    と刻まれていました 

 同じ境内に祀られている 髪授神祠です
 説明板によりますと
 
日本一社 髪授神祠
  髪授神祠は、昭和三十一年四月に建立されました
  全国唯一の神社であります
  その神威は乳児の初毛を供え祈願する時は
  其の子は一生美髪に恵まれ、若禿、白毛の防止、
  体毛の発育にも霊験あらたかであると
  古来より言伝えられて居ります。
  祭神は二神あり、飽昨能宇斯神(アキグヒノ ウシノ神)
  と申し八百諸神の内、私達日本人に髪を授けられ、
  髪を御守り下さる日本最古の神様であります
  又、理容業の業祖、北小路采女亮藤原政之を
  お祭りしてあります。
  尚、毛髪の霊を供養する「毛魂碑」が
  境内に建立されております

水曜日, 8月 26, 2009

狛犬さん 791

2009.07.20 香川県高松市宮脇町 石清尾八幡神社
 境内社の 神明社・若宮神社に
    上がる階段の途中にいました
 神明社の御祭神は 天照大神
   底筒男命、中筒男命、表筒男命、藤原鎌足公を
   合祀してあるそうです
 若宮神社の御祭神は 仁徳天皇

 吽形の狛犬さんの頭には 小さな角が見えています
 残念ながら 詳細については不明です

火曜日, 8月 25, 2009

狛犬さん 790

2009,07,20 香川県高松市宮脇町 石清尾八幡神社
 本殿に向かう石段の下にいた狛犬さんです
 台座には 安政五戊午年(一八五八)
      八月吉旦 藩中
   と刻まれていました
 吽形の狛犬さんの頭には 小さな角
 阿形の狛犬さんの頭には 宝珠が付いています

 勅使門かと思ったのですが 北門だそうです
 よく見ると前にかかっている橋は
  一枚岩を カーブさせて刻んだものなのですね

月曜日, 8月 24, 2009

狛犬さん 789

2009,07,20 香川県高松市宮脇町 石清尾八幡神社
 コンクリート製の素木鳥居をくぐり
 橋を渡った 隋身門の手前にいた狛犬さんたちです
 遠目に備前焼かと思ったのですが
 傍によると 違うようです
 台座に 夫明六年 午八月
   夫明は天明の事でしょうね
   天明六年は1786年 丙午 
  細工人 松嶋 金高山   

 社務所で 伺おうとしたのですが
 女性の方(巫女さん?)が 自分ではわからないのでと
 奥から 少しお年を召した男の方を
 わざわざ 呼んできてくださいました
 ロビーに招き入れていただき 長い間お話をさせていただきました
  あの時は 本当にありがとうございました
 お陰様で 狛犬さんの事が 少しわかりました
 利平焼の可能性が高いそうです
 現在も窯元があるそうですが 
  狛犬さんが作られた場所は不明のようです
 見せていただいた資料には 利平と書いてありましたが
 理平と書くのが正解のようです
 初代藩主 松平頼重が 京都の陶工森嶋作兵衛を招き
 焼かせた御庭焼が 最初のようです
 作兵衛は高松在住中に理兵衛と改名したため
 理兵衛焼と呼ばれるようになったとか

 狛犬さんは 200年以上たっていて
 痛みが出てきているそうですが 
 年一回 手入れをしているそうです
 写真を撮った日は 雨が降っていて 
  濡れた狛犬さんの肌がつやつやして奇麗でしたよ

 奉納された灯篭の一部です
 この写真ではよくわかりませんが 
 どの灯篭もデザインが 素敵だったんです

日曜日, 8月 23, 2009

狛犬さん 788

2009,07,20 香川県高松市宮脇町 石清尾八幡神社(いわせをはちまんじんじゃ)
 境内の説明の石碑によりますと
 
石清尾八幡宮
  祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
  由緒 社伝によると、延喜一八年(九一八年)
   八幡大神が 亀命山山上に現れ、
   時の国司が山上に祠を建てて祭ったと言われる。
   また、石清尾八幡宮の分霊を祭ったともいう
   別に社の由緒に関しては、当社の縁起は
   年歴久遠にしてその濫觴定かならずとも云う。
    貞治年間(一三六二~一三六八)
   細川右馬頭頼之が戦勝を祈願して
   霊験をこうむり、社殿を拡築し武具を奉納し
   毎年四月三日に祭礼を行った。
   これを右馬頭市という。
    天正一六年(一五八八年)生駒親正が
   讃岐に封じられると、高松城を築き、
   当社を城の鎮守と定め、社殿を改築し、
   高松の産土神とした
    松平頼重も当社を崇敬し寛永二一年(一六四四年)
   には社殿を造営して現在地にうつし、
   社領二〇二石余りを寄進
   石灯籠、三十六歌仙の扁額等を奉納した。
   その後、宝永二年(一七〇五年)三代藩主頼豊が
   改修、以来歴代藩主は毎年社参を通例とした
    爾来改修をくり返し、すぐる大戦にも
   一部被害を受けたのみであったが
   昭和六十一年十月、不測の火災により
   本殿、上拝殿は炎上、烏有に帰した。
    平成元年九月。遠方近郊の崇敬者及び
   氏子、市内有力企業の奉賛を得て、
   本殿、上拝殿其の他社殿を改築整備し、
   神門、下拝殿を修復して、焼失前より
   更に規模を広げ、平成の復興は終了した

 狛犬さんの台座には 
   天保十二歳(一八四一)丑十二月吉日 
    と刻まれていました
  それ以外にも 庵治
         石工 の文字が見えるのですが
  下の方は埋まってしまっていて 見えませんでした

 これがお社です
 壮麗な建築ですね

土曜日, 8月 22, 2009

狛犬さん 787

2009,07,19 香川県高松市北浜町 恵比須神社
 鳥居の左右にいた 狛犬さんたちです
 彼らも詳細は分かりません
 でも いい顔しているでしょう

金曜日, 8月 21, 2009

狛犬さん 786

2009.07.19 香川県高松市北浜町 恵比須神社
 本殿のお社の前にいた狛犬さんたちです
 製作年代等は分かりませんが
 かなり傷んでいます
 でも 補修してもらって 今も元気にお社を
  御守りしていますね

木曜日, 8月 20, 2009

狛犬さん 785

2009.07.19 香川県高松市番町 中野天満神社
 お宮さんのそばにある説明板によりますと
 
中野天満神社(通称大天神)
  祭神 学問の神様、菅原道真公 
     自 八四五年 至 九〇三年
   幼少より学芸(とくに詩歌、書)に秀いで
   神童の名があった。朝廷に出仕して、文童博士・讃岐守などを
   歴任して治績を挙げ更に右大臣にまで進められたが
   藤原氏の嫉むところとなり、九州大宰府に貶ぜられ、
   その地で薨去した。
   純粋で誠に徹した生涯を景仰し神となす
  由緒 初め中ノ村天神と称し香川郡中ノ村に鎮座していたが
   慶長六年(一六〇一年)現在地に遷座された
   松平頼重公(讃岐松平の藩祖)は
   菅神尊崇の念厚く 藩学振興の拠り所として
   神域の拡張、祭田寄進と共に輪奐を整え 
   社号も現在の中野天満神社に改めた。
   昭和二十年(1945)七月高松大空襲によって
   これら建造物はことごとく烏有に帰したが
   崇敬者有志により昭和四十四年(1969)
   現在の社容に再建された

 狛犬さんの台座には 
   安政五戊午年(1858)七月吉旦 藩中
      と刻まれていました
 他に灯篭や水盤には 元禄の年号が付いていました

 この牛さんは「777」の狛犬さんの作者と同じ
  大島克文さんの作です

水曜日, 8月 19, 2009

狛犬さん 784

2009.07.19 香川県高松市東田町 琴平神社
 小さなお社の台座に「琴平神」と刻まれ
  後ろに 昭和三十二年元旦 建立者 何某と
  刻まれていました
 小さなお社の 小さな狛犬さんです

これがお社の全景です

火曜日, 8月 18, 2009

狛犬さん 783

2009.07.19 香川県高松市多賀町 多賀神社
 本殿脇のお社の前にいた狛犬さんです
 この狛犬さんも新しいようですね

月曜日, 8月 17, 2009

狛犬さん 782

2009.07.19 香川県高松市多賀町 多賀神社
 境内の案内板によりますと
 
多賀神社の由来
  当、多賀神社は、天正三年(一五七五年)四月十二日
  豊臣秀吉の重臣、仙石権兵衛秀久が、
  近江の国(現在の滋賀県)の多賀神社の御霊をお迎えし
  この地に、お祀りしたものです
  それ以来、四百年あまりにわたって、
  地域の氏神様として、人々に愛されてきました
  お祀りしている神様は、伊邪那岐命、伊邪那美命の
  二柱で、昔から、長生きの神様として、
  信仰を集めています
  お祭りは、七月の夏の例大祭と
  十二月暮の庭燎祭(みかん焼き)です

 狛犬さんは 新しいようです

 徳島県でよく見られる「社日」の石碑です
 高松にあるとは知りませんでした

日曜日, 8月 16, 2009

狛犬さん 781

2009.07.19 香川県高松市 多賀神社
 キンピカの狛犬さんかと思ったら 唐獅子でした
 大切そうに ケースに入っていました 
  まさか 純金の獅子さんたちでしょうか

土曜日, 8月 15, 2009

狛犬さん 780

2009.07.19 香川県高松市城東町 惠美須神社
 境内の石碑によりますと
 
當社は国家肇造の功神 事代主命大己貴命
  及市杵嶋姫命を祀る 自往古篦原郷八輪島に鎮座
  天正十六年秋生駒弘憲公高松城を築かん為
  東方に奉遷 今の井口町 天和二年(1682)
  源英公豊麗崇高なる神像を奉納 
  藩主歴代崇敬篤く享和の初め東濱に
  新地を築き神域を定め宮殿を營み
  同三年(1683)二月廾日遷座
  政所木村善兵衛竝灘波助六等關與之有力
  明治三年(1870)惠美須社を東濱神社と改稱す
  霊験常に顕著にして春礿秋嘗者雲集す
  今次----に際し???赫奕遠近其徳を仰ぐ
  茲に社碑を建て紀元二千六百年を??
  神恩を謝し 天業翼賛を誓ひ奉る

 ---のところは 文字が削られていました
 ?は 下草の影になっていて読み取れませんでした
 狛犬さんの台座には
  御再建 昭和五十一年(1976)十一月十日建之
    石匠 新田武雄 と刻まれていました

金曜日, 8月 14, 2009

狛犬さん 779

2009.07.19 香川県高松市栗林町 神木神社
 詳しくは分からないのですが 
 御祭神は 稚産霊神 豊受姫神
 石清尾八幡神社境外末社で
  寛政二年(1790)の古地図に「若宮」とあり
 と書かれているそうです
 境内の灯篭の年代が 
  天明六(1786)丙歳午三月十日と
 刻まれていたので かなり古いお宮さんですね
 狛犬さんの台座には 
   昭和十八年(1943)三月吉日 
     石工 小山源之助
  と刻まれていました

木曜日, 8月 13, 2009

狛犬さん 778

2009.07.19 香川県高松市栗林町 諏訪神社
 境内の石碑によりますと
 
諏訪神社の記
  玉藻の浦ゆ 紫雲に高く 松の緑の三つもも年の
  長き栄えを拓きて今に 町はらからの幸匂う
  藩の守りの諏訪大神は 頼重公の命かしこみ
  高橋與左衛門のまつらいて 城のたつみに
  神鎮まりぬ この国人の安らけく 仰ぐ心に
  恵みも深く ゆかりの社を移してここに
  伝える文に
   祭神 建御名方神 大物主神 崇徳天皇
   社記 奉勧請諏訪大明神政頼明神根津明神神武運長
      久祈處享保十四己酉歳四月始勧請於上邑妙
      見安置之境内高橋與左衛門宝暦九己卯夏六
      月移干今之地鷹匠中
   遷座 明治十二年三月栗林千五百二十一番地
   改築 大正十五年五月
  とことあれ とわにあまねき氏人の 願いに代りて
  こたみ遷し祠る新殿のことの由を誌し奉る
    新築 遷座 昭和三十六年四月

 狛犬さんは 新築した昭和三十六年の時
  奉納されたのかもしれませんね

水曜日, 8月 12, 2009

狛犬さん 777

2009.07.19 香川県高松市亀岡町 道祖神社
 看板によりますと
 
道祖神社の由来
  道祖神社は猿田彦を御祭神と戴き
  寛文六年(一六六六)十一月十一日
  松平初代藩主、松平頼重公によって
  高松市の総氏神様である石清尾八幡宮の
  境外末社として創祀されました
  道ひらきの神様であられる猿田彦命を
  御祭神に戴きましたのは、江戸までの
  参勤交代の道中のつつがない平安を
  祈願される為でありました
  猿田彦命は天孫を天八衢にお迎えし
  道ひらきをされ、伊勢に至って
  国土を拓された地主の大神と
  古文書に記されて居ります
  大神はすべての物の初めに災害を
  祓い清め全てを善い方へ導き給うとされ
  特に旅の安全、地鎮祭、建築、開業、商工の繁栄
  豊産、豊魚、開運を司られて居られます
  当時の社殿は昭和二十年七月四日
  高松市の空襲によりことごとく焼失致しましたが
  今年創祀三百三十年の記念すべき歳を迎えるに当たり
  昨今の交通事故の多発を憂い
  大神の御被護を祈って
  新しく御社殿を改築申し上げた次第であります
    平成八年十一月十一日
        石清尾八幡宮

 777回記念にふさわしい狛犬さんでしょう
 彫刻家 大島克文さんの作だそうです

火曜日, 8月 11, 2009

狛犬さん 776

2009.07.19 香川県高松市観光通 琴平神社
 松山市でよく見かけた 
  大玉ころがしを楽しむ狛犬さんです
 台座に 石工 ??粂冶 と刻まれていました

月曜日, 8月 10, 2009

狛犬さん 775

2009.07.19 香川県高松市塩上町 八坂神社
 私も少し歩き疲れたころあった狛犬さんです
 阿形の法の狛犬さんもお疲れなのか 
 少し隣の家の方に倒れ掛かっています
 台座には 再建 昭和三十一年(1956)?月吉日
     と刻まれていました

日曜日, 8月 09, 2009

狛犬さん 774

2009・07・19 香川県高松市井口町 金刀比羅神社
 彫刻の隙間から 中を覗くと 狛犬さんたちがいました
 吽形は前足が無くなっているようですし
 阿形は 顔が欠けてしまっています
 今でも本殿の左右におかれ お宮さんを御守りしています

金曜日, 8月 07, 2009

狛犬さん 773

2009・07・19 香川県高松市井口町 金刀比羅神社
 小さなお宮さんでした
 通りかかった近所の方のお話によると
 「長いことすぐそばに住んですけど
   お参りしている人見たことない」なんて・・・
 規模は小さなお宮さんですが 建物の彫刻が見事だったんです
 しめ縄も新しくなっていて 
 参拝する方は見かけなくても お世話はされているようでした

木曜日, 8月 06, 2009

狛犬さん 772

2009.06.14 愛媛県伊予郡松前町浜 住吉神社
 境内の説明板によりますと
 
住吉神社
  主祭神 和田積神 素戔鳴神
  境内末社(金刀比羅神社) 大己貴命
   「和田積神」は『古事記』『日本書紀』によると
   天地創造の神。伊弉諾神が海底・海中・海面で
   「身楔(みぞぎ)」された時に出現した
   「海(わた)」を主宰する住吉の大神
   (底筒男命・中筒男命・上筒男命)である。
   第一四代仲哀天皇の九年 神功皇后(?~二六九)の
   御乗船と守護して神威を顕し、皇后は
   その夢告により 九本の藤の枝を流して
   漂着地を住吉の大神の奉齋地としたといわれ
   当地がその一とされている
    慶長年間(一五九六~一六一五)改めて
   大阪の住吉神社を勧請。明治四三年一月
   信徒相寄り神殿を寄進して 篤く奉齋した
   本殿は総本宮と同じく切妻造り
   「妻」を正面にした住吉造りである
    素戔鳴神は 「建速須佐之男神」とも
   申し上げ 伊弉諾神が左右の御目を
   「身楔」されて天照大神・月読神が出現し
   ついで御鼻を「身楔」された時に出現した
   神で 出雲国に降下し 国土開発 農耕指導
   平和 正直 清浄の人文神であると共に
   それらを破壊する自然神でもあり
   「お須賀様」と畏敬奉齋されてきた。
    境内末社御祭神の「大己貴命」は
   素戔鳴神の御子または 六世の御子孫ともいわれ
   「大物主神」「大国主神」「顕国玉神」
   「葺原醜男神」「八千戈神」「大穴牟遅神」とも
   申し上げ「少彦名命」と共に 天下を巡遊して
   国土開拓 農耕指導 温泉開発 医療 禁厭の法を
   制定され 「出雲の神様」「大黒様」と親しまれ
   尊崇されてきた神である
    住吉神社は 往古より海上の安全守護の神として
   漁民を護り 豊漁を授け 沃上の開発と
   療養健康保持 家内安全幸福を護る神として
   尊崇奉齋されてきた 宝物に具足一具 奉納獅子舞の
   獅子頭は 明治六年製作の物 近辺で
   最も古く秀作である
    境内の「寄附芳名碑」は 松前商人が
   砥部焼全量を「からつ船」で販売したことへの
   感謝をこめ 砥部窯元全員が 寄進した芳名録である
           松前町教育委員会

     だそうです
 阿形の頭に小さな角が見えます

水曜日, 8月 05, 2009

狛犬さん 771

2009.06.14 愛媛県伊予郡松前町西古泉 玉生八幡神社
 参道の途中に居た狛犬さんです
 詳細については分かりませんが
 吽形の頭には角があるタイプです
 どちらもいい顔 してますよね

 手水舎に居た亀さんたちです
 ただ「亀」と云うより 「玄武」という方がいいですね

火曜日, 8月 04, 2009

狛犬さん 770

2009.06.14 愛媛県伊予郡松前町西古泉 玉生八幡神社
 説明板によりますと
 
玉生八幡大神社
  主祭神 誉田別命(大一五代応神天皇)
  配神 三女神 市杵嶋姫命 田心姫命 瑞津姫命
     足仲彦命(第一四代仲哀天皇)
     気長足姫命(神功皇后)
     玉生石神
  仲哀天皇の九年(二〇〇)ころ 神功皇后が
  三韓におもむかれる時、当地を逍遥して、
  湧き出でる清泉に戦勝を占い、布が濃紺に染まる
  吉兆にちなんでこの地を「濃染の里」と命名した
  帰途、また船をとどめられ、天神の神託によって
久斯美玉を玉生杯(?)にまつったが、後世、郡司が
  ここに社殿を造営して久斯美玉宮と称して崇拝した
  文武天皇の慶雲四(七〇七)年六月十七日
  伊予の豪族小千玉興、玉純が厳島神社より三女神を
  勧請して久斯美玉宮に合祀し 日女宮と称した
  古事記、日本書紀によると 三女神は 天照大神が
  素戔鳴と八坂瓊の曲玉に誓ってうまれた神で
  海の神となっている 海上交通が盛んで航海安全の
  祈願が行われたのであろう
  清和天皇の貞観元(八五九)年の宇佐八幡宮の神霊を勧請し
  うれしくも 松の梢に 立ち寄りて
        久しくここに 民を守らん
  との御神詠により 日之宮に合祀して、玉生八幡大神宮と
  改め、後、玉生八幡大神社と改称した
  境内神社の玉生古宮は、誉田別命をまつるが
  一二世紀から一六世紀にかけて約四〇〇年間
  昌農内玉生にあった石清水八幡東宝塔院領荘園
  「玉生荘」に勧請していた古社である
  玉生八幡は 加藤嘉明の崇敬篤く、嘉明の松前城より
  松山城への移転は、玉生八幡の御託宣の夢占いに
  よるものともいわれている
  もとは、南面していたが、このころ西向きに改修されたという
  以来、産土大神として地域の尊崇がきわめて篤い。
      松前町教育委員会

 ここ松前町では小さなお宮さんでも 教育委員会の
  説明板が設置されているのが 良いですね
 狛犬さんの台座には 明治廿五年(1892)壬辰一月
   と刻まれていました
 石工さんの名前もありましたが 読み取れませんでした

月曜日, 8月 03, 2009

狛犬さん 769

2009.06.14 愛媛県伊予郡松前町 永田鎮守神社
 説明板によりますと
 
鎮守神社
  主祭神 猿田彦神(八衢之神)
  配神  菅原道真公 金刀比羅神 若宮神
      素盞鳴命 稲荷神 大松神(末社)
  由緒・沿革 鎮守神社は藩政時代に「大下」から
   「樋ノ口」に遷宮した(文化八年頃、チンヂンサン)。
   続いて明治末期 現在地の「岩鋪天満宮」に
   主祭神として合祀された。それまで永田には
   二つの神社があった。
   慶長年間に勧請された疫病を鎮める祇園社は
   鎮守神社に合祀されたのだろうが 神社名の変更はなく
   従来のままだった
   鎮守神社は 中世にあったと言われる
   「長蓮寺」の守護神とも考えられる。根拠は
   「金突、油田」などがホノギとして残っている
   岩鋪天満宮は 正和二年(一三一三)、松前の漁師が
   神のお告げによって 南東の原(現在地)に
   鎮祭したといわれている
       松前町教育委員会

 地名の「松前」は「まさき」
 神名の「八衢」は「やちまた」と読みます
 「チンヂンサン」は「チンジュサン」は訛ったもののようです
 一番謎だったのは「ホノギ」
   分かりやすく言えば「小字」?でしょうか

 リンク先の20ページに詳しく載っております

 狛犬さんは 尻尾をピンと立て 凛々しい姿です

日曜日, 8月 02, 2009

狛犬さん 768

2009.06.07 高知県高知市幸町 小津神社
 此のお宮さんは 地球物理学者・随筆家で有名な
 寺田寅彦の氏神さまだったそうです
 青年時代 病気平癒の願を掛け 石灯籠・石橋を奉納したそうです
 狛犬さんの詳細は分かりませんが
 赤と黒の前垂れに 鈴のペンダント
  なかなかおしゃれな狛犬さんですね

土曜日, 8月 01, 2009

狛犬さん 767

2009.06.07 高知県高知市幸町 小津神社
 御祭神は 須佐之男命 大綿津見命
 狛犬さんの台座には 明治三五年(1902)十一月吉日
     と刻まれていました
 片方は お座りしていて 
   もう片方は 今にも飛びかからんとしている
 デザインが阿吽で違うのは ちょっと珍しいですね