境内の説明板によりますと
日和山神社由緒
明暦二年(一六五六)高松藩が御船蔵を築いたとき
ほりおこした土砂をもりあげて丘をつくり、
そこへ航海の守護神といわれる。
金毘羅大権現(大物主命)を勧請して
祀ったもの、俗に「お船蔵のこんぴらさん」
「日和山のこんぴらさん」などいわれて、
庶民に親しまれた。
日和山とは、このかたわらに藩の日和見番所があったからで
この番所は、藩主が、参勤交代で江戸に出府するさい
けらいが当社につかわされ、航海安全を祈願するいっぽう
その出航前後には、ここから刻々城内へ海の模様が報告された
当社は藩主の社であったから、一般には参拝をゆるさなかった。
八代藩主松平頼儀の文化年間(一八〇四~一八)
初めて庶民に公開された
(高松市史巻二 日和山神社の章より)
御祭神 大物主命 上筒男命 中筒男命
底筒男命 大山咋命 菅原道真公
社殿建築様式 本殿ー流造り 拝殿ー入母屋造り
当社は現在の浜ノ丁鉄道資材部倉庫付近に
祭祀されていたものだが 鉄道用地拡張の為、
昭和三十二年八月当所に遷宮されたものである。
戦前の夏季大祭には市内は勿論近郷近在の
善男善女が終日列をなして参拝其の数、数千に
及ぶと言う実に高松随一の夏季大祭が
盛大に行われていた
狛犬さんの詳細は分かりません