境内の由緒書きによりますと
天山神社略縁起
祭神 天照皇太神
天櫛眞知命
社伝に云う天山神社は 人皇十代崇神天皇五年(紀元前九十一年)
天下餓疫す 天皇大いに懼れ群神を祀り給う時
久米麿「三輪田の祖」に勅して 天櫛眞知命を
久米吉井郷天山に祀らしめ 神地神戸を給うとあり
続日本紀に称徳天皇天平神護元年(七六五年)十一月
使を天下諸国の神社に遣わすと在り続いて
神護景雲元年(七六七年)二月天下諸社に
神服を奉ると在り 此の時の例に與り給う
徳川氏大政を奉還し王政復古 明治五年(一、八七一年)五月
神社沿革の際に当り村社に列せられる
平成四年五月吉日
天山と言う地名も変わっていると思いますが
是に関しても 説明板がありました
天山(あまやま)
八世紀前半に編集されたと言う地誌『伊予国風土記』逸文に
「伊予の郡郡家より東北のかたに天山あり
天山と名づくる由は 倭に天の香久山(あめのかぐやま)あり
天より天降りし時に 二つに分かれて 片端は倭の国に天降り
片端はこの土(くに)に天降りき よりて天山といふ
本(ことのもと)なり その御影を敬礼(みやま)ひて
久米寺に奉れり」と書かれている
この記述によると まず 「天山」は伊予郡にあり
郡役所の東北にある また 名前の由来は もと天上にあった山が
地上へ落ちてきたところ 途中で二つに分割されて
他の一つが天山になったという その時の天山の絵図を
久米寺に奉納したというのである
この久米寺の位置については 中ノ子廃寺跡
或いは国指定史跡来住廃寺跡の二説がある
この天山の周辺には小丘陵が点在していて
皿ヶ嶺を背景にして眺める風景は 奈良県の
大和三山に似ているともいわれている
松 山 市
松山市教育委員会
狛犬さんの台座には 平成四年(1992)五月吉日 と刻まれていました
境内に不思議なものがありました
木の根元に結び付けられていたのですが
仏教の独鈷杵かと思ったのですが どう見ても違いますよね
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