木曜日, 2月 05, 2009

狛犬さん 659

2009.02.03 愛媛県松山市保免西 日招八幡大神社
 境内の説明板によりますと
 
日招八幡大神社(ひまねきはちまんだいじんじゃ)
   松山の八社八幡の五番社
  祭神は 品陀和気命 息長帯姫命 宗像三女神 である
   社伝によれば 越智益躬(おちますみ)が筑紫国から勧請したが
  大同年間(八百六~八一〇)大納言雄友卿が痘瘡を患って
  この社に祈り平癒したので 伊予痘瘡宮として民間の信仰を集めた
  元慶年間(八七七~八八五)に 八幡神を合祀し
  岩清水八幡宮と号したという
   元暦元(一一八四)年 佐々木四郎高綱が入国し
  砥部荏原の城主森山・大野の一族と戦った時 勝利目前に日が傾くのを嘆き 
  八幡神に祈願をして 太陽を呼び返し 大勝した
  高綱は 日招八幡宮と改称し 社殿の改築 神領の寄進をしたと伝えられる
  『伊予古蹟志』では 高綱ではなく 佐々木三郎盛綱のこととしている
   松山城築城のとき 石を頭に載せて 松前から運んだ
  「おたたさん」のひとりであるお豊さんが この地まで来て倒れた
  そのとき運んでいたという 丸に二の字の印を刻んだ大きな石が境内にある
             松  山  市
             松山市教育委員会


 随身門を潜り さぞ立派な社殿があるだろうと 思ったのですが
 有ったのは 小さな仮宮だけ
  本当かどうかは知りませんが ある日宮司さんが拝殿で焼身自殺
  そのため 本殿も燃えてしまったとか

 狛犬さんは 大きな珠の上に乗った形ですが 
 その珠に牡丹の花と雲が 彫りこまれていました
 こんな華麗な珠は 始めて見ました
 吽形の珠には 子犬さんが乗っていて 親の顔を見上げています

 台座には 嘉永七年(1854)四月吉日  
      松前 石工 ???     と刻まれていました
  石工さんの名前が どうしても読み取れませんでした
 松前は 松山市の地名で「まさき」と読みます

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