境内の説明板によりますと
日招八幡大神社(ひまねきはちまんだいじんじゃ)
松山の八社八幡の五番社
祭神は 品陀和気命 息長帯姫命 宗像三女神 である
社伝によれば 越智益躬(おちますみ)が筑紫国から勧請したが
大同年間(八百六~八一〇)大納言雄友卿が痘瘡を患って
この社に祈り平癒したので 伊予痘瘡宮として民間の信仰を集めた
元慶年間(八七七~八八五)に 八幡神を合祀し
岩清水八幡宮と号したという
元暦元(一一八四)年 佐々木四郎高綱が入国し
砥部荏原の城主森山・大野の一族と戦った時 勝利目前に日が傾くのを嘆き
八幡神に祈願をして 太陽を呼び返し 大勝した
高綱は 日招八幡宮と改称し 社殿の改築 神領の寄進をしたと伝えられる
『伊予古蹟志』では 高綱ではなく 佐々木三郎盛綱のこととしている
松山城築城のとき 石を頭に載せて 松前から運んだ
「おたたさん」のひとりであるお豊さんが この地まで来て倒れた
そのとき運んでいたという 丸に二の字の印を刻んだ大きな石が境内にある
松 山 市
松山市教育委員会
随身門を潜り さぞ立派な社殿があるだろうと 思ったのですが
有ったのは 小さな仮宮だけ
本当かどうかは知りませんが ある日宮司さんが拝殿で焼身自殺
そのため 本殿も燃えてしまったとか
狛犬さんは 大きな珠の上に乗った形ですが
その珠に牡丹の花と雲が 彫りこまれていました
こんな華麗な珠は 始めて見ました
吽形の珠には 子犬さんが乗っていて 親の顔を見上げています
台座には 嘉永七年(1854)四月吉日
松前 石工 ??? と刻まれていました
石工さんの名前が どうしても読み取れませんでした
松前は 松山市の地名で「まさき」と読みます
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