金曜日, 9月 25, 2009

狛犬さん 816

2008.08.23 愛媛県西条市大新田 西宮神社
海のそばにあるお宮さんです
多分御祭神は 蛭子さんでしょうね

このお宮さんは 私の狛犬好きを知っている
友達が 新聞記事(愛媛新聞だと思いますが)を
持ってきて 教えてくれました
読者の投稿のようでしたが 狛犬さんの説明に
「子犬がおっぱいを飲んでいる」とあります
おっぱいを飲んでいる珍しい狛犬さん
さっそく会いに行ってきたのですが
どう見ても 親の後足にじゃれついている
もしくは かぶりついているとしか見えません
















それより私が珍しいと思ったのは
後ろ足で 玉を抑えている姿でした
子犬も片足を掛けていますね

木曜日, 9月 24, 2009

狛犬さん 815

2008.08.23 愛媛県西条市壬生川 鷺森神社

お宮さんに近づくと 男の人がお参りです
鳥居前で深々と一礼した後 狛犬さんに
何か願い事をしています
お祈りの邪魔をしてはいけないので
しばらく待っていたのですが・・・・
その時 思い出した事があります
狛犬さんに願い事をするときは
先に阿形に祈り その後で吽形に祈る
反対にすると 願い事が 阿形の大きく開けた口から
出てしまう そうです
吽形を後にすると その願い事を
閉じた口で しっかり受け止めてくれるとか
しかし この男性は 吽形から先に
祈ってらっしゃいました
御本殿の前で 延々と御自身の苦境を
訴えていらっしゃいました
声が大きいのでよく聞こえるのですが
私の存在に気付かないのか
写真を撮り終わり 境内を一回りした後も
まだまだ 続いていました

境内の石碑に由緒と思われるものが
刻まれていましたが 読みにくいので省略します
この狛犬さんも 後ろから見ると
男女の区別がはっきりわかるタイプです
台座には 明治廿八年(1895)未六月
      石工 三津屋
         米田助太郎

水曜日, 9月 23, 2009

狛犬さん 814

2009.08.23 愛媛県西条市壬生川 宇賀神社 和霊神社
境内にあった由緒書によりますと
宇賀神社の御由緒と御神徳
御祭神 天照皇大御神 天之親神
宇賀之魂之大神 衣食住と大祖万民豊楽之神霊
建速素幸霊大神(タケハヤスサノオノオオカミ)
大地之親神
宇賀之魂乃大神亦の御名を豊受霊芽神
(トヨウケヒメノカミ=伊勢神宮外宮の神)
亦の御名を保食の神(ウケモチノカミ
=伏見稲荷大神と同神)
亦大食津霊芽神(オオゲツヒメノカミ)
亦大年之大神等何れも異名同神です
天下万民と生栄富栄之に栄え坐す衣食住の
大祖これを万民豊楽と御霊という。
伊勢外宮五部書に曰く「夫れ宇賀の魂之神霊は
衣食住の大祖にして万民豊楽の神霊也、往昔、
宇賀之魂乃神蚕と百穀(ももたなつもの)を
生し時に天照皇大大御神、之を喜びて曰く
蒼生(あおひとぐさ=万民)食して活きる者也
蚕を以て糸を抽り給う百穀を以て
陸田水田の種子と為し給う自比(これより)
始めて農業及び蚕事の道有り、因て上古今に
至る迄天下の蒼生寒凍の苦しみに堪之飢餓の患い
を凌ぐは皆宇賀之魂乃神の神恩也衣服を
まとい飽食する誰か宇賀之魂乃神を崇敬
為さざらむ乎(か)故に食する毎に
美悪を言はず珍奇を論ぜず箸を採る前
食神(みつけかみ)に奉饗(たてまつる)者は
古今通義也」云に畏くも明治天皇の詔勅に
「神祇を崇め祭祀を重んずるは皇国の大典にして
政教の基本なり」と仰せられ神祇の崇敬祭の尊重は
我国開闢以来一貫する根本精神であり、
日本民族の伝統的信念であります。
ことに我が民族の本宋である伊勢の大神宮尊崇は
鎌倉時代以後特別に盛んになり
伊勢参宮の風習は著しく普及すると同時に
各家々に伊勢大神宮の大麻(神札)を奉斎する
祖習も益々全国に行き渡って来た。
神宮大麻は即ち大神の御神徳を仰ぐ
御璽(みしるし)であって大神宮より
頒布授与せられる尊い神札である国民の
大神宮尊信念が盛んになるに及び
神宮の詞宮や御師(神主)が全国津々浦々に
出向いて神札を頒布するようになり、
地方に出向いても長期滞在するため
駐在所を設けるようになった。
我が壬生川町でも(現公民館の屋敷)駐在所を
設け社殿を造営して天照皇大大御神を奉斎し
伊勢本宮に習い、少し離れた蛭子町に小社を
建立して伊勢外宮神を奉斎し周桑郡越智郡の
一部を範囲として神宮大麻を頒布すると共に
尊信者の要望に応えて祈願祈祷祭典を行い
御神徳の取次を行っていた。
明治初年に至り全国の神社に奉仕する神職会が
組織拡充せられ神宮大麻は神職会を通じて
氏子に頒布せられる事になり神宮の御師は
引き上げてしまった。けれども大神宮の
御神徳を偲び御恵(みめぐみ)を慕い
参詣者は絶える事なく、ことに蛭子町に
外宮として宇賀之魂之大神を奉斎したお社に
特信者として御奉仕する人があり
御霊験著しく顕れ、参詣者が増加するに従い
お社も手狭になり町内有志相議り
大正十一年網敷天満宮境内へ社殿を新築して
移転御遷宮申上げ今日に至るも霊験いちじるしく
崇敬者は近郷近在は勿論ひろく東京・名古屋・
中国・九州にも及び御神徳弥々益々
盛之満ち輝いて居ります。
つかのまも などか忘れん 実(げ)にふかき
宇賀の み神の 高き恵みを
ー境内の歌碑に依るー
だそうです
又境内に説明板がありまして
 宇賀神社の玉垣から
    大正十一年蛭子町から、この地へ
   神社を移転した時に作られた玉垣の中に
   地主や商人にまぢって、「西条芸妓中」の
   名前が見られる。親に売られ、
   貧しい水商売の女達がお金を出し合って
   寄進したものと思われる。
    このことは、この神社が職業・身分に
   こだわらず、いかに多くの人達に
   崇敬されたかを物語るものであり多くの
   参拝者のなかに幸せを願い、朝に夕に
   柏手をうつ女達の姿が見られたという
 しかし その女性たちの名前を書いた玉垣は
  見つかりませんでした
 こんな説明板を立てるのなら その玉垣を
 明確にして欲しいですよね
 それにしても 文中の「女達」の文字に
 「女達」を下に見下した
  「上から目線」を感じるのは私だけなのでしょうか
 狛犬さんの相棒はどこにも見つかりませんでした
 顔もかなり磨滅していて 阿さんなのか吽さんなのか
  判断が付けにくいのですが
 しかも足が全てなくなっているので
 デザインがよくわからないのですが
 見ようによっては 玉を抱えているように
   見えます

日曜日, 9月 20, 2009

狛犬さん 813

2009.08.23 愛媛県西条市三津屋 宝積寺内稲荷社
山門の傍にある 小さな祠の前にいました
狛犬さんの相棒は いません
その代わりに 狐さん
狐さんがいるのなら この祠はお稲荷さんを
祀っているのかな と思い
この祠を 稲荷社としました
本当のところは わかりませんが

土曜日, 9月 19, 2009

狛犬さん 812

2009.08.23 愛媛県西条市三津屋 宝積寺内弁財天
前回の厳島神社のすぐ傍にあったお寺です
お寺には興味がないので いつも通り過ぎるのですが 
何故か気になって 寄ってみました
するとこんな可愛い狛犬さんがいました
台座には 文政四年(1821)巳八月吉?日
と刻まれていました

こんな時はいつも 狛犬さんが呼んでくれた
そう思っています

金曜日, 9月 18, 2009

狛犬さん 811

2009.08.23 愛媛県西条市三津屋 嚴嶋神社
大曲川河口付近にお宮さんがありました
境内には松の木が植えられ
昔はこの辺り 海岸だったのではないかと
思わせる お宮さんでした
狛犬さんの台座には
明治四十三年(1910)
石工 粟田助太郎
と刻まれていました

木曜日, 9月 17, 2009

狛犬さん 810

2009.08.01 愛媛県今治市別宮町 南光坊内弁財天
南光坊は第五十五番札所だそうです
四国霊場の中で坊と付くのはここだけだそうです
弁財天さんの祠は 大きな山門の横に
ひっそりと建っていました
その前を守護する狛犬さんたちは
台座に 文政七甲申歳(1824)
    二月吉?日 
  と刻まれていました

水曜日, 9月 16, 2009

狛犬さん 809

2009.08.01 愛媛県今治市別宮町 南光坊内金毘羅堂
昔は大山祇神社と同じ敷地内だったそうですが
今では 道路を挟み別れて立っています
他の僧坊は戦火により焼失したそうですが
この南光坊だけが残っているそうです
もう少しで 無視をして通り過ぎる所でしたが
この狛犬さんたちが呼んでくれたのでしょうか
台座には 慶應丁卯(1867)
     夏五吉旦 
  と刻まれていました

火曜日, 9月 15, 2009

狛犬さん 808

2009.08.01 愛媛県今治市別宮町 大山祇神社内奈良原神社
鳥居の傍の石碑に 門脇神社 油野神社の
名前が刻まれています
他の石碑には
當門脇神社には
越智郡玉川町鈍川木地鎮座細野神社の神霊と
奈良原神社の分霊が合祠せらている 
往古鈍川木地は戸数百余戸が
次第に出村して<今治地方に移住するもの   続出し昭和四十年六月現在僅かに二戸となりぬ   是を以て祖先代々祀り来し三柱の大神を   残置するに偲びず當社の境内に移築遷宮した

油野神社については分かりませんが
事情は門脇神社と同じようなものかも知れませんね
狛犬さんの台座には
明治廿九年(1896)申九月吉日 
と刻まれていました















落雷で炎上した社殿を
天正三年九月十二日(1575)に
時の来島城主村上三郎九郎越智通総が
再建したそうです
その後も戦災等で社殿を焼失したが
その時の拝殿だけが 今も残っています
その社殿の周りを囲む塀の上にいた
狛犬さんたちです

月曜日, 9月 14, 2009

狛犬さん 807

2009.08.01 愛媛県今治市別宮町 大山祇神社
地図上では 大山祇神社と記載されていましたが
鳥居の額では 「日本總鎮守 三島地御前」
境内の由緒書によりますと
日本總鎮守 三島地御前
別宮大山祇神社由緒
御祭神 大山積大神
御祭神大山積大神は 天照大神の兄神で 
山の神々の親神にあたられて(古事記 
日本書紀) 和多志大神とも云はれ(伊予国
風土記) 日本民族の祖神として また 地神
海神 兼備の大霊神として 海上の安全
交通 産業の守護をはじめ日本の
国土全体を守護し給ふ神であるところから
古代より日本総鎮守と尊称される
当神社は 和銅五年(皇紀一三七一年
西暦七一二年)越智玉澄公により
日本総鎮守 大山祇神社(大三島町 元国幣大社)
の地御前(ぢごぜん)として
勧請創建せられ(豫陽盛衰記) 
伊予国一の宮の別宮として 創建以来
代々の領主 藩主等は勿論 人々に
広く篤く崇敬されてゐる
「ゐ」と云う文字には「い」と振り仮名が打ってあります
狛犬さんは くりくりお目目が可愛いですね
台座には 文政十三歳(1830)庚寅
四月吉祥日
石工 中・・・?
と 刻まれていました
















境内に「阿奈婆神社」があります
由緒書によりますと
祭神 磐長姫大神
このお宮は 昔から「阿奈婆さん」といって
親しまれているお宮で 大三島の
阿奈婆神社から勧請申し上げたお社です
御祭神 磐長姫大神は 本社の御祭神
大山積大神のご長女にあたられ
大変ご長命にあらせられた上
福徳円満の神様で「長生の神様」「福徳円満の
神様」として ご神徳の高い神様であります
また 特に「下の病」の治癒にすぐれた
力をお持ちの神さまとして 崇敬者の
祈願奉?のため 遠近より参拝するものが
四時絶えません
だそうですが「?」の文字は
漢和辞典を引いても出てきませんでした
お宮さんの傍にこんな石像?がありました

土曜日, 9月 12, 2009

狛犬さん 806

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社内猿田彦神社
お宮さんの前の石碑には
交通安全 住吉神社 海神社 猿田彦神社 天満宮
と 刻まれています
住吉神社 海神社は 海の神様
天満宮は 学問の神様で知られています
道祖神としても祀られる猿田彦神社は
交通安全も 引き受けてくださるでしょうが
他の神様方は ちょっと困ってらっしゃるのでは
狛犬さんの台座には 天保六年乙未歳(1835)
          六月吉祥日   と刻まれていました


狛犬さん 805

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社内吹揚稲荷神社
お稲荷さんのお宮さんの入口にいました
大笑いして 陽気に迎えてくれています
しかし吽形の方は少し顔が 崩れ始めているようです
吽形の頭には 角と云うより
宝珠のようなふくらみがあります
目の処が 後ろに引っ込んだ形の
なかなか個性的な狛犬さんです
台座には 寛政八丙辰年(1796)
      九月日(?)  と刻まれていました

















こちらは 狐さんです
台座には 昭和四十一年(1973)八月吉日
  と 刻まれています

金曜日, 9月 11, 2009

狛犬さん 804

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社内土居神社
此のお宮さんは 御祭神等の詳細は分かりません
狛犬さんの台座には
文化六年己巳年(1809)
   八月吉日   と刻まれていました

木曜日, 9月 10, 2009

狛犬さん 803

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社内麁香神社(あらかじんじゃ)
麁香神社の左手にあった
お宮さんの狛犬さんだと思うのですが
わからなくなってしまいました
他の方のサイトで 麁香神社の狛犬さんとして
出ていましたので 私もそのようにしておきます 
 狛犬さんの台座には 
  寛政九丁巳年(1797)
  二月 吉日  と刻まれていました

しかし 長い年月のうちに 相棒を亡くしていまい
心なしかさびしげな表情が 気にかかります

水曜日, 9月 09, 2009

狛犬さん 802

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社内麁香神社(あらかじんじゃ)
お宮さんの前にある石碑に
「建設業祖神」と刻まれています
多分 御祭神は
手置帆負命(たおきほおいのみこと) 
 彦狭知命(ひこさしりのみこと)
家室(家屋敷)の土台の守り神だそうです
そこからだと思いますが 木匠の始祖とされています

狛犬さんの台座には 文政十一年(1828)
と 刻まれていました
  

火曜日, 9月 08, 2009

狛犬さん 801

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社
この狛犬さんたちは 
鳥居のあるもう一つの入口から入っていくと
お宮さんを護るように座っています
台座には 明治七年(1874)
甲戌一月
阿形の狛犬さんの台座には
石工 秋山長平
同  福田京蔵
吽形の狛犬さんの台座には
石工 木村忠右?
石工さんは阿吽で違っているのですね
そう思ってみると 狛尾のデザインも
少し 違っています

月曜日, 9月 07, 2009

狛犬さん 800

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社
此のお宮さんは 今治城跡にあります
説明板によりますと
吹揚神社
御祭神 天照大神 八幡大神 事代主神
厳島大神 藤堂高虎 久松定房
往古より 今治市内に鎮座していた
神明宮、蔵敷八幡宮、厳島神社、夷宮の
四社を廃藩の際 旧社地の故を以て
城内に合祀 社殿を造営し
明治五年十一月十九日遷座
旧城名をとり吹揚神社と称す
即日郷社に列し明治十五年に
県社に昇格す
後に藤堂高虎及び久松家祖神をも奉遷す
昭和三十三年戦災の復興をなしたるも
昭和五十五年放火により焼失
昭和五十八年現社殿を再建す
いくつものお宮さんを合祀した結果
狛犬さんも沢山集まっています
お宮さんは天守閣の足元にあるので
お宮さんに行くのに 
大きな門を入っていくことになります
門をくぐると すぐに目に入ってくる狛犬さん
恐ろしい形相です
阿形の目は三角に吊り上っています
狛犬さんの台座には
安政六未(1859)
六月吉日
石工 福田?蔵  と刻まれていました

日曜日, 9月 06, 2009

狛犬さん 799

2009.08.01 愛媛県今治市宮下町 姫坂神社
境内の説明板によりますと
姫坂神社由緒 旧社格 式内社 県社
一、祭神 市杵嶋姫神(天照大神の御子神)
「姫の宮」と称えて往古より
日吉の里姫の宮の地(現在の南日吉町)に
鎮座と伝えられ今から一〇八〇年前
醍醐天皇の延喜の制に式内大社
(全国で三五一社)に列格の栄光に浴し
皇室より久しく特別の待遇に預り
国司、守護職、領主をはじめ
庶民の信仰を集めた
江戸時代今治藩の祈願所として雨乞祈願の
たびごとに藩主の参拝あり
毎年ご蔵米の献納に預った程であったが
故あって六二〇〇坪に余る広大にして
尊厳な千幾百年の歴史を残す
姫の宮の社地から現在の淨地に移転されたのは
今から二百数十年前のことである
続伊豫温故録より  
姫坂神社 日吉村にあり古歌
ひめ坂に立る梢のいろいろに
神のみそぎの錦なるらん
享保八年九月九日 当国松山之在
仙波半幽斉盛全敬白
当神社は古来式内大社として 
また日吉郷(旧今治市の全域)の
一の宮として斎かれ交通守護の神
開運の神 安産の神として広く信仰されている
昭和五十八年式年祭に際して建立
狛犬さんの台座には
文政十三年庚寅(1830)
八月吉祥   と刻まれていました 
ちょっととぼけた御顔の愛嬌のある顔をしていますね















阿形の口の中にこのような物が入っています
珠ではないかと思いますが 
石像の狛犬さんの口の中の珠は 石で出来ていました
でも これはどう見ても木片にしか見えません
石像の狛犬さんが 木製の珠を咥えているなんて
とても珍しいです

土曜日, 9月 05, 2009

狛犬さん 798

2009.07.20 香川県高松市扇町 恵比須神社
路地の奥に 隠れるようにお宮さんはありました
拝殿は倒れないように つっかいがされています
決して見捨てられているお宮さんでは無いようです
狛犬さんの台座に 
紀元二千六百年紀念の文字が見えていました
よく見かける紀元二千六百年
神武天皇即位の年を元年(紀元)とする
明治から第二次大戦まで使われていた
日本独自の紀年法ですね
皇紀とも書きますが これでいくと今年は
皇紀2669年になります

金曜日, 9月 04, 2009

狛犬さん 797

2009.07.20 香川県高松市扇町 神明神社
神明神社と云う名前からすると
御祭神は天照大神かと思われますが
天照大神ならば その名が表わすように
太陽の神のはずですが
境内に水源地と彫られた石碑が建っているし
拝殿には「水」という文字が 彫られていました
狛犬さんの詳細は分かりませんが
細面の ライオンのようです
目と口が水色に塗られていましたが
何か意味があるのか それともいたずらか

木曜日, 9月 03, 2009

狛犬さん 796

2009.07.20 香川県高松市扇町 愛宕神社
高松で見かけた 二つ目の社日です
明治廿三年六月建之と刻まれていました
その前に居た狛犬さんです
両足に紐を巻かれ 何か願い事を託されています

水曜日, 9月 02, 2009

狛犬さん 795

2009.07.20 香川県高松市扇町 愛宕神社
 拝殿にあった説明板によりますと
由緒書
一、祭神 火産霊神 伊邪那美神 天津姫之神
二、由緒 建治元年(1275)(鎌倉時代)
篦原郷西濱城主岡田丹後守清高の創建にして 
近郷の住民より鎮火尚武の神として崇敬される
御国守生駒家が当神社を祈願所とする
境内に椰樹(夫婦和合の願いかなう)あり有名
         だそうです
台座には 嘉永二年(1849) 己酉五月吉旦
     石工 新道 天????

火曜日, 9月 01, 2009

狛犬さん 794

2009.07.20 香川県高松市錦町 若一王子神社
 境内の説明板に依りますと
 
若一王子神社 由緒
  祭神 莵道雅郎子命(ウヂノワキイラツコノミコト)
  当社の創祀は紀元一九三五年(西一二七五年)
  建治元年第九一代後宇多天皇様の御宇にして
  讃岐は東西に豪族名家が割據していた時に
  香川郡の主護耺初代香西資村氏が香西の
  勝賀城を築造して威を振い第三代香西資茂氏の時代に
  して瀬戸内海の制海権を掌握し陸海軍の武威盛んであった。
  紀州の住人にして新羅三郎義光の十一代の
  岡田丹後守重宗氏ありて香西家の旗下の将として
  招かれ箆原郷を治めし人である重宗氏は
  箆原郷西浜城主にして城は何処に在りしか
  詳でないが西方寺辺とも伝えられ陣屋の守護神として
  紀州の熊野の王子小社より分霊を勧請奉齋せし所と
  伝えられている。社地は城の巽の隅とも云ひ
  然し本城は坂田にあったのであろうと伝えられる。
  紀元二一〇五年(西一四四五年)文安二年
  第一〇二代後花園天皇様の御宇岡田丹後守清家社殿を
  再興される創紀より約一七〇年後である。
  此の時浜の町蓮華寺も創建せられ社僧となる。
  次いで紀元二一九二年(西一五九五年)天文元年
  第一〇五代後奈良天皇様の御宇岡田丹後守守清再興、
  紀元二二三〇年(西一五七〇年)第一〇六代
  正親町天皇様の御宇元亀元年岡田丹後守宗輪氏再興
  次いで岡田宗忠を経て紀元二三一二年(西一六五二年)
  承広三年第一一〇代後光明天皇様の御宇
  岡田治長再興、其後岡田家は二十代に至って姓を高島と
  改め、初代高島甚左衛門より、治政、治賢、治吉、
  教武、教親、清、清也、清衡、功、定吉
  十一代高島衡介氏あり子孫は生存する。高島家は
  松平家に仕へ西通町の鐡鉋町に住んでいた。
  壬子神社の祭禮には明治になっても戸主が
  馬上で槍を立てて渡御に供養していた西通町は
  昔は高島町とも言伝へられていた。伝説によると
  老人夢見らく神黒馬に召され往行すと御轡の音のみは
  正しく現はに聞し人数人ありと云う馬はこれ神馬なり
  此の神馬も四足に泥土に躅し踏あり。その踏も
  時を経て損せり。又昔当神社の広場に男女の童子
  集りて遊ぶ祭神は其の中に交りて遊ぶ童子互に
  顔を見合せると必らず見知らぬ一人の童子が交りて
  居た。然しその容貌を記憶して者はないと云う。
  祭神が幼児に交りて それとなく擁護し給うたのである
  以上の伝説は当社に残された古文書より記す
  古記に曰く祭神は應神天皇様の皇子様で
  幼児のころより非常に頭脳明敏で父君の
  寵愛厚く皇位継承の話題になられた皇子様
  あらせられますので、学業は勿論幼児の病気等に
  奇特な霊験あり崇拝されている

     そうです
 阿形の方が塀の影になり しかも繁茂する植物が
 邪魔になり 足元が遷せなくて残念でした