水曜日, 11月 18, 2009

狛犬さん 835

2009.11.12 愛媛県松山市谷町 惠美須神社
 畑に囲まれた小さなお宮さんです
 説明板によりますと
 
惠美須神社の由来(仮説)
   その昔、この辺りには天満神社や蓮華寺、
  そして蓮長寺(架空の寺)などがあって、
  当時は信仰心の厚い世相の時代でもあり、
  里人はもとより、地方からの崇敬者のお参りも、
  さぞや多かったであろうと思われます。
   そうしたお参りの日には、門前で
  それぞれが持ち寄ってきた米、麦、栗、
  大豆などの穀類や、野菜、果物、
  或は織物や工芸品などの生活必需品の交換が
  行われていたようで、そのような交換の
  取り??のこと?市といって里人は
  市神をお祀りするようになったものと
  考えられます。
   市神には、ところによって、市杵嶋姫命、
  大国主命、恵比須、大黒、事代主命などが
  祀られていて、毎月の一日(おついたち)か
  十五日(おじゅうごにち)とかが
  市日に当てられていたようです。
  市神は「土地を管理する」?の
  性格を持っていたとも言われています。

 由緒書に(仮説)とあるのも 珍しいです
 私は始めてみました
 狛犬さんは 阿吽どちらも大玉を抱えているようですが
 どちらの狛犬さんも 満身創痍
 崩れないように 針金で補強されています
 でも ちょっと小顔の素敵な狛犬さんです
 台座に 石工 八五良 と刻まれていました
 傍に立っている石碑が 
 明治三十三(1900)庚子年旧七月吉日と
 刻まれているので 同じころの作かもしれません

金曜日, 11月 13, 2009

狛犬さん 834

2009.10.18 愛媛県松山市北斉院町 高家八幡神社
 台座には 嘉永三(1850)戌 季(?)三月吉日
      石工 定六 作
 よく氏子中と書かれていますが 
 ここでは 産子中と書かれていました
 産土神の 子供の意味でしょうか
 吽形の頭には 小さなふくらみが
 阿形の頭には 角があります

 吽形の足元で 落っこちそうになっている子犬です

木曜日, 11月 12, 2009

狛犬さん 833

2009.10.18 愛媛県松山市南斉院町 日吉神社
 日吉神社は 滋賀県大津市にある
 日吉大社から 勧請したものだと思います
 御祭神は 大山咋神・大己貴神
 狛犬さんの台座には 安政二年(1855)卯 正月吉日
   菊間郡菊間 石工八五郎 と刻まれていました

 これは正式には何と云うのか わかりませんが
 拝殿や本殿の入口の柱の先に 
 狛犬や竜とか漠?が 飾りにつけられているのを
 よく見かけますが ここでは 少し違っていました
 最初は 竜だと思ってみていたのですが 足が違います
 これは どうも麒麟のようです
 麒麟は 顔が竜に似ていて 足は馬だそうです

 こちらは狛犬さんですが 阿形の方が
 舌を出していて まるでアカンベェをしているようです
 足の裏の肉球も 可愛いですね

水曜日, 11月 11, 2009

狛犬さん 832

2009.10.18 愛媛県松山市高岡町 生石八幡神社
 本殿に由緒書が掲げられていましたが
 ピントが合ってないので 読めませんが
 御祭神は 足仲彦尊(仲哀天皇) 息長足姫尊(神功皇后)
      誉田別尊(応神天皇) 市杵嶋姫尊 田心姫尊
      田心姫尊
 この狛犬さんも後ろから見ると雌雄のシンボルが
 非常にリアルに刻まれています
 台座には 慶應二(1866)丙寅歳 
      卯月(4月)吉祥日 
      三津 石工 和氣屋?左エ門 と刻まれていました 

 吽形の足元にいる子犬です
 

日曜日, 11月 01, 2009

狛犬さん 831

2009.10.15 愛媛県西条市禎瑞 荒神社
 荒神社の御祭神は 素戔鳴尊だと思います
 昔は 田んぼの真ん中に ポツンとあったのでは無いかと
 思わせられる お宮さんです
 境内には お宮さんに付き物の 鎮守の森
 又は 年を経た大木などが無い 
 私には少しさみしいところでした
 由緒などは分かりませんが 
 鳥居に安政四(1857)丁己九月吉日と 刻まれているので 
 それ以前の創建である事は間違いないでしょう
 狛犬さんについても何も分かりませんでした
 

金曜日, 10月 30, 2009

狛犬さん 830

2009.10.15 愛媛県西条市禎瑞 嘉母神社
 御祭神は 倉稲魂命・保食神・和産霊神・竹内立左衛門
 祭神の一人 竹内立左衛門は
 安永7年から足掛け5年 述べ50数万人の人々
 2万両の費用を用い 藩命に依り 禎瑞地域を
 開拓されたそうです 
 このお宮さんは 天明2年(1782)西条藩の
 田園地帯として 開拓された禎瑞地区の産土神として
 祀られたようです
 昭和21年の 南海地震の時には 地盤沈下の為
 冠水し 不作続きとなったそうです
 地図で見ると この辺りは なんとか新田と云う
 地名の付いています
 歩いてみると 広く区切られた農地の広がる
 他の地区の 小さく区切られた農地とは違った
 風景に出合いました
 狛犬さんの台座には 天保十三(1842)寅
              四月吉日  と刻まれていました
 この狛犬さんも 石鎚神社・日尾神社と同じデザインの狛犬さんです
  
 

木曜日, 10月 29, 2009

狛犬さん 829

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 本殿の前に居ます
 台座には 昭和四十四年(1969)九月
    と刻まれていました

 安永八年(1779)につけられた鎖で作られた手摺り
 実際に触ってみると かなり太い鎖です

水曜日, 10月 28, 2009

狛犬さん 828

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内祖霊社
 祖霊社本殿の前に居ます
 台座には 平成元年(1989)五月吉日
   と刻まれていました


 

火曜日, 10月 27, 2009

狛犬さん 827

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内祖霊社
 禊場横の階段を 上がったところにあります
 祭神は石鎚山開山の祖役行者
 別当寺時代の前神寺・横峰寺の主管者 
 明治の神仏分離以降の祀宮・社司・社掌・
 宮司をはじめ神社職員、先達の殉教者の神霊 
   だそうです
 この狛犬さん 以前に出てきています
 662の松山市鷹子町 日尾八幡神社の狛犬さん
 日尾の吽形の頭には 宝珠が乗っていましたが
 こちらの狛犬さんにはありません
 台座には 文化三(1809)丙寅五月吉日
 日尾神社は文化八年ですから 五年違いですね

日曜日, 10月 25, 2009

狛犬さん 826

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内三倍神社
 お宮さんの前にある石板によりますと
 
三倍神社
  祭神 素戔鳴尊 相殿 事代主神 
      伊藤八郎平霊
  三倍神社は慶長年間土佐の国より
  石鎚山山麓西条市中奥大字今宮に勧請す
  産土神として氏子の崇敬を受けしが
  過疎により氏子離散の為に
  氏子等総意を以て合併を決議
  石鎚神社の承認を得て
  昭和五十八年十月九日
  この地に奉遷す
   昭和五十八年十月吉日之建

 過疎に依り離散なんて 悲しいですね
 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)九月吉日
   と刻まれていました

土曜日, 10月 24, 2009

狛犬さん 825

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 途中の駐車場にこんな説明板が
 
霊峰石鎚山総本宮石鎚神社ご案内
  石鎚神社は、関西第一の高峰石鎚山(1982m)を
  神体山として仰ぐ、奥宮頂上社・中宮成就社と
  土小屋遙拝殿・そしてこちらの口之宮本社の総称です
   御祭神は、石鎚毘古命・石鎚大神とも
  申上げ、伊邪那岐命・伊邪那美命の第二番目の
  御子にあたり、諸願成就の神様として
  知られていますが、殊に家内安全・厄除開運・
  病気平癒の神として篤い信仰を受けています。
   石鎚山は、日本七霊山・日本百名山の
  一つに数えられ、今から約1300年の昔
  役小角によって開山され、弘法大師も
  修業したと伝えられる修験道の霊山です。山頂よりは
  天候が良ければ土佐湾・太平洋また、瀬戸内海を
  越えて中国・九州の山々まで遠望でき、
  変化に富んだ風景が四季を通じて楽しめます。
  時には、雲海が眼下に広がり、依るには満天の星空、
  そして朝には素晴らしいご来光と野鳥の囀り、
  正に「神」鎮まる御山です。
   本日ご参拝頂きました本社本殿前の階段には、
  石鎚山に安永8年に掛けられた鉄の鎖を
  手摺りとして取り付け、皆様に御山の霊気に
  触れて戴いて居ります。
   石鎚信仰1300有余年、悠久の時を想いつつ
  どうぞごゆっくりご参拝下さい。

 これも備前焼の狛犬さんですね
 台座には 安政二(1855) 乙卯歳
      五月吉日建之
 吽形の狛犬さんの胴に 木村杢介焼
              貞直
 阿形の狛犬さんの胴に 木村儀三郎
              貞幹(?)焼
  と刻まれていました

水曜日, 10月 21, 2009

狛犬さん 824

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 ここは 石鎚神社・本社
 そのほかに 成就社 土小屋遙拝殿が
 離れて建っています
 石鎚山の頂上にある頂上社を含め四社で
 石鎚神社と総称するそうです
 備前焼の狛犬さん かなり大きいです
 備前地方にも 信者さんが沢山いらして
 その方たち(組と呼ぶようですが)が
 奉納されたものです
 台座には 皇紀二千五百九十四年(1994)六月
      備前焼窯元木村兵次謹陶
  と刻まれていました

 狛犬さんは楼門の前に居ますが
 その楼門の中には こんな方たちが居ます
 お寺で仁王様が 立っているのはよく見かけますが
 このお宮さんでは 天狗さんになっています

火曜日, 10月 20, 2009

狛犬さん 823

2009.10.13 愛媛県伊予郡松前町北黒田 貴布禰神社
 境内の説明板によりますと
 
貴布称神社
  主祭神 大山祇神 別雷神 高龗神 罔象神
  境内社 塞之神社  八衢天神
      惠美須神社 大国主神
      和霊神社  和霊大神(山家清兵衛公頼霊)
      真名井神社 多紀理毘売命 他七座
      一ノ宮神社 上筒男之神 他二座
      金刀比羅神社 大物主神 他一座
   当社は、第三二代崇竣天皇の元年(五八七)
  八月二三日、伊予国司散位小千(越智)宿祢益躬が
  勅を奉じ、越智の三島浦戸宮より
  大山積神をこの地方の一の宮として
  勧請したといわれ、また、和銅五年(七一二)
  八月二三日越智玉純が、浦戸宮より
  諸山積大明神(大山積神の別称)を
  勧請、創立したともいわれている。
  神亀五年(七二八)九月二三日には、
  雷神、高龗神を合祀。更に山城国愛宕より
  貴船神社、罔象女神を勧請 
  ついで宝亀一八年(延暦六年)(七八七)八月二三日には
  三島宮より十六皇子神を勧請。
  弘仁九年(八一八)には国司小千(越智)真勝が
  水田を寄進し、社殿の結構を整え、別当寺を置き
  郡司大領に命じて国司に代り奉幣させ
  社運は隆盛を極めた。
  承平、天慶の乱(九三五~九四一)により
  荒廃したが、元暦元年(一一八四)
  神官高市武者所清儀、本殿を修復。
  文治三年(一一八七)高市太郎光儀、社領を確定し
  社殿を荘厳して社運を回復。元弘元年(一三三一)
  颶風出火、社殿悉く焼失したが、
  貞和五年(一三四九)河野対馬守通治、社領百石寄進
  更に河野通尭、社領百貫を加え、
  神馬飼育料、大豆五〇貫、白銀二千疋を
  毎年奉納。社運再び大いに開いた。
   天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の
  四国平定の戦禍により社殿焼失。
  慶長五年(一六〇〇)正木城主加藤嘉明
  社殿を造営 社領百石寄進。以来領主の崇敬と
  神官の誠意奉仕、住民の尊崇により
  地域の文教、徳育の中心となって
  現代にいたる

    そうです
 狛犬さんの台座には 慶應三年(1867)丁卯九月
  と刻まれていました
 吽形の狛犬さん 後ろ足を上げていますでしょう
 そこで 足の下をよく見てみました

 これが 足の下のアップです
 多分子犬さんが居て 前足かどうかは分かりませんが
 小さな玉に足を掛けていますよね
 それ以外にも 足だと思われる破片が見えますよね
 吽形の狛犬さんは 足元に玉と戯れている子犬が居るので
 足を上げて 避けているのです

月曜日, 10月 19, 2009

狛犬さん 822

2009.10.11 愛媛県今治市菊間町佐方 亀山八幡神社
 駅に降りると 「トントント~ン」 軽やかな
 太鼓の音が 響いてきます
 ちょうど この日は お祭りの日でした
 お陰で ちょっとのんびりした
 でも 楽しいお祭りを見物してまいりました

 狛犬さんの台座には 大正九年(1920)
              八月吉日  と刻まれていました
 本殿の前に 相棒を失くした狛犬さんがいました
 陶製のように見えました
 お祭り風景です
 今治でよく見られる 継獅子です
 三人の場合は 三継獅子(みつぎじし)と呼ばれます
 一番上の男の子は 幼稚園の年長さんか
 小学校一年生くらいの 小さな子どもです
 真中で支えているのは 高校生くらいの男の子
 一番下は 二十歳代とみられる若者です

土曜日, 10月 17, 2009

狛犬さん 821

2009.10.11 愛媛県今治市菊間町種 貴布禰神社
 境内の石碑によりますと
  
菊万庄鎮守社 寛治四年(1090)
   加茂別雷社 貴布禰社 神山(高山)鎮座
  高山(神山)初篭峰 古戦場跡
   正平二十三年(1368) 九月六日十日十九日
   応安元年(1368) 木梨入道軍布陣
  加茂別雷社 貴布禰社 古社之跡
   応安元年九月六日十日十九日合戦ノ時
   木梨入道軍兵士神山ヨリ移ス
  古社ヨリ天授六年(康暦二年)庚申四月留山ニ移ス
    三永九郎通能
  元中四年(1387) 嘉慶元丁卯年 當所ニ移ス三永九郎通能
加茂別雷社応永六巳卯年四月菊万庄
  遍照院境内ニ宮造鎮坐
  遷宮眞恵上人宮僧一之坊
  神主三永十郎左衛門
  社人仲原図書城之上刑部

 この石碑の内容は よく分からないのですが
 正平二十三年は南朝方 応安元年は北朝方の
 年号になります
 いわゆる南北朝の時代の話です
 
 狛犬さんの台座には 萬延二酉(1861)
           正月吉日  と刻まれていました

火曜日, 10月 06, 2009

狛犬さん 820

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
薫的神社の祭神を御紹介していませんでした
祭神  薫的大和尚
禅宗曹洞宗祥鳳山瑞應寺の僧侶
祥鳳は長曾我部元親の母の号
瑞應は元親の父の号
  天正十八年(1590)に元親が両親の菩提を
弔うために建立された寺だそうです
細かな話は略しますが 
藩主が長曾我部家から山内家に代り
二代目藩主山内忠義の戒名がもとで入牢
痛憤した和尚は自ら食を絶ち 舌を噛み切り
亡くなったそうです
その後怪異が生じ 怨霊鎮魂の為
祀られているそうです


























階段の下に隠れるかのように居た狛犬さんたちです

月曜日, 10月 05, 2009

狛犬さん 819

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
この狛犬さんも お百度石の前にいましたが
やはり相棒さんは 居ませんでした























一番右端の狛犬さんです

日曜日, 10月 04, 2009

狛犬さん 818

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
境内を奥のほうに進むと 何かの大きな石碑の前に
お百度石があり その前にいた狛犬さんたちです
どちらも吽形のように見えます
右側の狛犬さんの口には 大きな牙が見えています
















境内にある お百度石達です
いったい何本あるのでしょうね
中には壱万度なんて刻まれたのもありました

土曜日, 10月 03, 2009

狛犬さん 817

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
最初のころの 25~27で 
すでに薫的神社を御紹介しているのですが
再訪した所 境内の様子が一変し
前回見かけなかった狛犬さんたちがいました
以前 御紹介した狛犬さんと
重複していないと思いますが もしそうであっても
気にしないでください
鳥居をくぐると 小さな橋があり
その橋のたもとに 相棒を失くした狛犬さんが二体
詳細は不明です























少し口が開いていて 阿形のようにも見えますが
吽形のような気もします
磨滅や傷みが激しく まるでパグの様な狛犬さんです























こんな風に 並んでいます

金曜日, 9月 25, 2009

狛犬さん 816

2008.08.23 愛媛県西条市大新田 西宮神社
海のそばにあるお宮さんです
多分御祭神は 蛭子さんでしょうね

このお宮さんは 私の狛犬好きを知っている
友達が 新聞記事(愛媛新聞だと思いますが)を
持ってきて 教えてくれました
読者の投稿のようでしたが 狛犬さんの説明に
「子犬がおっぱいを飲んでいる」とあります
おっぱいを飲んでいる珍しい狛犬さん
さっそく会いに行ってきたのですが
どう見ても 親の後足にじゃれついている
もしくは かぶりついているとしか見えません
















それより私が珍しいと思ったのは
後ろ足で 玉を抑えている姿でした
子犬も片足を掛けていますね

木曜日, 9月 24, 2009

狛犬さん 815

2008.08.23 愛媛県西条市壬生川 鷺森神社

お宮さんに近づくと 男の人がお参りです
鳥居前で深々と一礼した後 狛犬さんに
何か願い事をしています
お祈りの邪魔をしてはいけないので
しばらく待っていたのですが・・・・
その時 思い出した事があります
狛犬さんに願い事をするときは
先に阿形に祈り その後で吽形に祈る
反対にすると 願い事が 阿形の大きく開けた口から
出てしまう そうです
吽形を後にすると その願い事を
閉じた口で しっかり受け止めてくれるとか
しかし この男性は 吽形から先に
祈ってらっしゃいました
御本殿の前で 延々と御自身の苦境を
訴えていらっしゃいました
声が大きいのでよく聞こえるのですが
私の存在に気付かないのか
写真を撮り終わり 境内を一回りした後も
まだまだ 続いていました

境内の石碑に由緒と思われるものが
刻まれていましたが 読みにくいので省略します
この狛犬さんも 後ろから見ると
男女の区別がはっきりわかるタイプです
台座には 明治廿八年(1895)未六月
      石工 三津屋
         米田助太郎

水曜日, 9月 23, 2009

狛犬さん 814

2009.08.23 愛媛県西条市壬生川 宇賀神社 和霊神社
境内にあった由緒書によりますと
宇賀神社の御由緒と御神徳
御祭神 天照皇大御神 天之親神
宇賀之魂之大神 衣食住と大祖万民豊楽之神霊
建速素幸霊大神(タケハヤスサノオノオオカミ)
大地之親神
宇賀之魂乃大神亦の御名を豊受霊芽神
(トヨウケヒメノカミ=伊勢神宮外宮の神)
亦の御名を保食の神(ウケモチノカミ
=伏見稲荷大神と同神)
亦大食津霊芽神(オオゲツヒメノカミ)
亦大年之大神等何れも異名同神です
天下万民と生栄富栄之に栄え坐す衣食住の
大祖これを万民豊楽と御霊という。
伊勢外宮五部書に曰く「夫れ宇賀の魂之神霊は
衣食住の大祖にして万民豊楽の神霊也、往昔、
宇賀之魂乃神蚕と百穀(ももたなつもの)を
生し時に天照皇大大御神、之を喜びて曰く
蒼生(あおひとぐさ=万民)食して活きる者也
蚕を以て糸を抽り給う百穀を以て
陸田水田の種子と為し給う自比(これより)
始めて農業及び蚕事の道有り、因て上古今に
至る迄天下の蒼生寒凍の苦しみに堪之飢餓の患い
を凌ぐは皆宇賀之魂乃神の神恩也衣服を
まとい飽食する誰か宇賀之魂乃神を崇敬
為さざらむ乎(か)故に食する毎に
美悪を言はず珍奇を論ぜず箸を採る前
食神(みつけかみ)に奉饗(たてまつる)者は
古今通義也」云に畏くも明治天皇の詔勅に
「神祇を崇め祭祀を重んずるは皇国の大典にして
政教の基本なり」と仰せられ神祇の崇敬祭の尊重は
我国開闢以来一貫する根本精神であり、
日本民族の伝統的信念であります。
ことに我が民族の本宋である伊勢の大神宮尊崇は
鎌倉時代以後特別に盛んになり
伊勢参宮の風習は著しく普及すると同時に
各家々に伊勢大神宮の大麻(神札)を奉斎する
祖習も益々全国に行き渡って来た。
神宮大麻は即ち大神の御神徳を仰ぐ
御璽(みしるし)であって大神宮より
頒布授与せられる尊い神札である国民の
大神宮尊信念が盛んになるに及び
神宮の詞宮や御師(神主)が全国津々浦々に
出向いて神札を頒布するようになり、
地方に出向いても長期滞在するため
駐在所を設けるようになった。
我が壬生川町でも(現公民館の屋敷)駐在所を
設け社殿を造営して天照皇大大御神を奉斎し
伊勢本宮に習い、少し離れた蛭子町に小社を
建立して伊勢外宮神を奉斎し周桑郡越智郡の
一部を範囲として神宮大麻を頒布すると共に
尊信者の要望に応えて祈願祈祷祭典を行い
御神徳の取次を行っていた。
明治初年に至り全国の神社に奉仕する神職会が
組織拡充せられ神宮大麻は神職会を通じて
氏子に頒布せられる事になり神宮の御師は
引き上げてしまった。けれども大神宮の
御神徳を偲び御恵(みめぐみ)を慕い
参詣者は絶える事なく、ことに蛭子町に
外宮として宇賀之魂之大神を奉斎したお社に
特信者として御奉仕する人があり
御霊験著しく顕れ、参詣者が増加するに従い
お社も手狭になり町内有志相議り
大正十一年網敷天満宮境内へ社殿を新築して
移転御遷宮申上げ今日に至るも霊験いちじるしく
崇敬者は近郷近在は勿論ひろく東京・名古屋・
中国・九州にも及び御神徳弥々益々
盛之満ち輝いて居ります。
つかのまも などか忘れん 実(げ)にふかき
宇賀の み神の 高き恵みを
ー境内の歌碑に依るー
だそうです
又境内に説明板がありまして
 宇賀神社の玉垣から
    大正十一年蛭子町から、この地へ
   神社を移転した時に作られた玉垣の中に
   地主や商人にまぢって、「西条芸妓中」の
   名前が見られる。親に売られ、
   貧しい水商売の女達がお金を出し合って
   寄進したものと思われる。
    このことは、この神社が職業・身分に
   こだわらず、いかに多くの人達に
   崇敬されたかを物語るものであり多くの
   参拝者のなかに幸せを願い、朝に夕に
   柏手をうつ女達の姿が見られたという
 しかし その女性たちの名前を書いた玉垣は
  見つかりませんでした
 こんな説明板を立てるのなら その玉垣を
 明確にして欲しいですよね
 それにしても 文中の「女達」の文字に
 「女達」を下に見下した
  「上から目線」を感じるのは私だけなのでしょうか
 狛犬さんの相棒はどこにも見つかりませんでした
 顔もかなり磨滅していて 阿さんなのか吽さんなのか
  判断が付けにくいのですが
 しかも足が全てなくなっているので
 デザインがよくわからないのですが
 見ようによっては 玉を抱えているように
   見えます

日曜日, 9月 20, 2009

狛犬さん 813

2009.08.23 愛媛県西条市三津屋 宝積寺内稲荷社
山門の傍にある 小さな祠の前にいました
狛犬さんの相棒は いません
その代わりに 狐さん
狐さんがいるのなら この祠はお稲荷さんを
祀っているのかな と思い
この祠を 稲荷社としました
本当のところは わかりませんが

土曜日, 9月 19, 2009

狛犬さん 812

2009.08.23 愛媛県西条市三津屋 宝積寺内弁財天
前回の厳島神社のすぐ傍にあったお寺です
お寺には興味がないので いつも通り過ぎるのですが 
何故か気になって 寄ってみました
するとこんな可愛い狛犬さんがいました
台座には 文政四年(1821)巳八月吉?日
と刻まれていました

こんな時はいつも 狛犬さんが呼んでくれた
そう思っています

金曜日, 9月 18, 2009

狛犬さん 811

2009.08.23 愛媛県西条市三津屋 嚴嶋神社
大曲川河口付近にお宮さんがありました
境内には松の木が植えられ
昔はこの辺り 海岸だったのではないかと
思わせる お宮さんでした
狛犬さんの台座には
明治四十三年(1910)
石工 粟田助太郎
と刻まれていました

木曜日, 9月 17, 2009

狛犬さん 810

2009.08.01 愛媛県今治市別宮町 南光坊内弁財天
南光坊は第五十五番札所だそうです
四国霊場の中で坊と付くのはここだけだそうです
弁財天さんの祠は 大きな山門の横に
ひっそりと建っていました
その前を守護する狛犬さんたちは
台座に 文政七甲申歳(1824)
    二月吉?日 
  と刻まれていました

水曜日, 9月 16, 2009

狛犬さん 809

2009.08.01 愛媛県今治市別宮町 南光坊内金毘羅堂
昔は大山祇神社と同じ敷地内だったそうですが
今では 道路を挟み別れて立っています
他の僧坊は戦火により焼失したそうですが
この南光坊だけが残っているそうです
もう少しで 無視をして通り過ぎる所でしたが
この狛犬さんたちが呼んでくれたのでしょうか
台座には 慶應丁卯(1867)
     夏五吉旦 
  と刻まれていました

火曜日, 9月 15, 2009

狛犬さん 808

2009.08.01 愛媛県今治市別宮町 大山祇神社内奈良原神社
鳥居の傍の石碑に 門脇神社 油野神社の
名前が刻まれています
他の石碑には
當門脇神社には
越智郡玉川町鈍川木地鎮座細野神社の神霊と
奈良原神社の分霊が合祠せらている 
往古鈍川木地は戸数百余戸が
次第に出村して<今治地方に移住するもの   続出し昭和四十年六月現在僅かに二戸となりぬ   是を以て祖先代々祀り来し三柱の大神を   残置するに偲びず當社の境内に移築遷宮した

油野神社については分かりませんが
事情は門脇神社と同じようなものかも知れませんね
狛犬さんの台座には
明治廿九年(1896)申九月吉日 
と刻まれていました















落雷で炎上した社殿を
天正三年九月十二日(1575)に
時の来島城主村上三郎九郎越智通総が
再建したそうです
その後も戦災等で社殿を焼失したが
その時の拝殿だけが 今も残っています
その社殿の周りを囲む塀の上にいた
狛犬さんたちです

月曜日, 9月 14, 2009

狛犬さん 807

2009.08.01 愛媛県今治市別宮町 大山祇神社
地図上では 大山祇神社と記載されていましたが
鳥居の額では 「日本總鎮守 三島地御前」
境内の由緒書によりますと
日本總鎮守 三島地御前
別宮大山祇神社由緒
御祭神 大山積大神
御祭神大山積大神は 天照大神の兄神で 
山の神々の親神にあたられて(古事記 
日本書紀) 和多志大神とも云はれ(伊予国
風土記) 日本民族の祖神として また 地神
海神 兼備の大霊神として 海上の安全
交通 産業の守護をはじめ日本の
国土全体を守護し給ふ神であるところから
古代より日本総鎮守と尊称される
当神社は 和銅五年(皇紀一三七一年
西暦七一二年)越智玉澄公により
日本総鎮守 大山祇神社(大三島町 元国幣大社)
の地御前(ぢごぜん)として
勧請創建せられ(豫陽盛衰記) 
伊予国一の宮の別宮として 創建以来
代々の領主 藩主等は勿論 人々に
広く篤く崇敬されてゐる
「ゐ」と云う文字には「い」と振り仮名が打ってあります
狛犬さんは くりくりお目目が可愛いですね
台座には 文政十三歳(1830)庚寅
四月吉祥日
石工 中・・・?
と 刻まれていました
















境内に「阿奈婆神社」があります
由緒書によりますと
祭神 磐長姫大神
このお宮は 昔から「阿奈婆さん」といって
親しまれているお宮で 大三島の
阿奈婆神社から勧請申し上げたお社です
御祭神 磐長姫大神は 本社の御祭神
大山積大神のご長女にあたられ
大変ご長命にあらせられた上
福徳円満の神様で「長生の神様」「福徳円満の
神様」として ご神徳の高い神様であります
また 特に「下の病」の治癒にすぐれた
力をお持ちの神さまとして 崇敬者の
祈願奉?のため 遠近より参拝するものが
四時絶えません
だそうですが「?」の文字は
漢和辞典を引いても出てきませんでした
お宮さんの傍にこんな石像?がありました

土曜日, 9月 12, 2009

狛犬さん 806

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社内猿田彦神社
お宮さんの前の石碑には
交通安全 住吉神社 海神社 猿田彦神社 天満宮
と 刻まれています
住吉神社 海神社は 海の神様
天満宮は 学問の神様で知られています
道祖神としても祀られる猿田彦神社は
交通安全も 引き受けてくださるでしょうが
他の神様方は ちょっと困ってらっしゃるのでは
狛犬さんの台座には 天保六年乙未歳(1835)
          六月吉祥日   と刻まれていました


狛犬さん 805

2009.08.01 愛媛県今治市通町 吹揚神社内吹揚稲荷神社
お稲荷さんのお宮さんの入口にいました
大笑いして 陽気に迎えてくれています
しかし吽形の方は少し顔が 崩れ始めているようです
吽形の頭には 角と云うより
宝珠のようなふくらみがあります
目の処が 後ろに引っ込んだ形の
なかなか個性的な狛犬さんです
台座には 寛政八丙辰年(1796)
      九月日(?)  と刻まれていました

















こちらは 狐さんです
台座には 昭和四十一年(1973)八月吉日
  と 刻まれています