火曜日, 10月 20, 2009

狛犬さん 823

2009.10.13 愛媛県伊予郡松前町北黒田 貴布禰神社
 境内の説明板によりますと
 
貴布称神社
  主祭神 大山祇神 別雷神 高龗神 罔象神
  境内社 塞之神社  八衢天神
      惠美須神社 大国主神
      和霊神社  和霊大神(山家清兵衛公頼霊)
      真名井神社 多紀理毘売命 他七座
      一ノ宮神社 上筒男之神 他二座
      金刀比羅神社 大物主神 他一座
   当社は、第三二代崇竣天皇の元年(五八七)
  八月二三日、伊予国司散位小千(越智)宿祢益躬が
  勅を奉じ、越智の三島浦戸宮より
  大山積神をこの地方の一の宮として
  勧請したといわれ、また、和銅五年(七一二)
  八月二三日越智玉純が、浦戸宮より
  諸山積大明神(大山積神の別称)を
  勧請、創立したともいわれている。
  神亀五年(七二八)九月二三日には、
  雷神、高龗神を合祀。更に山城国愛宕より
  貴船神社、罔象女神を勧請 
  ついで宝亀一八年(延暦六年)(七八七)八月二三日には
  三島宮より十六皇子神を勧請。
  弘仁九年(八一八)には国司小千(越智)真勝が
  水田を寄進し、社殿の結構を整え、別当寺を置き
  郡司大領に命じて国司に代り奉幣させ
  社運は隆盛を極めた。
  承平、天慶の乱(九三五~九四一)により
  荒廃したが、元暦元年(一一八四)
  神官高市武者所清儀、本殿を修復。
  文治三年(一一八七)高市太郎光儀、社領を確定し
  社殿を荘厳して社運を回復。元弘元年(一三三一)
  颶風出火、社殿悉く焼失したが、
  貞和五年(一三四九)河野対馬守通治、社領百石寄進
  更に河野通尭、社領百貫を加え、
  神馬飼育料、大豆五〇貫、白銀二千疋を
  毎年奉納。社運再び大いに開いた。
   天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の
  四国平定の戦禍により社殿焼失。
  慶長五年(一六〇〇)正木城主加藤嘉明
  社殿を造営 社領百石寄進。以来領主の崇敬と
  神官の誠意奉仕、住民の尊崇により
  地域の文教、徳育の中心となって
  現代にいたる

    そうです
 狛犬さんの台座には 慶應三年(1867)丁卯九月
  と刻まれていました
 吽形の狛犬さん 後ろ足を上げていますでしょう
 そこで 足の下をよく見てみました

 これが 足の下のアップです
 多分子犬さんが居て 前足かどうかは分かりませんが
 小さな玉に足を掛けていますよね
 それ以外にも 足だと思われる破片が見えますよね
 吽形の狛犬さんは 足元に玉と戯れている子犬が居るので
 足を上げて 避けているのです

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