木曜日, 7月 31, 2008

狛犬さん 533

2008.06.07 大阪府大阪市北区茶屋町 綱敷天満宮御旅所
 説明板によりますと
 
綱敷天神社御旅所は 当初西梅ヶ枝町にあり
  明治維新後 現在の茶屋町に移され 社殿は今期の造改築で三度目であり
  画期的とも言える設計技術の基に社殿を築造した
    昭和五十九年(1984)十一月十五日

 狛犬さんの視線の先は 阪急電鉄梅田駅
         と言っても電車は見えませんが
 狛犬さんの台座には 大正八年(1919)七月建之 と刻まれていました

水曜日, 7月 30, 2008

狛犬さん 532

2008.05.23 兵庫県洲本市物部 貴船神社
 京都にある貴船神社を 分祀したものだと思います
 御祭神は 水の神様である 高龗神(たかおかのかみ)
 古来 晴れを願う時には白馬 雨を願う時は黒馬を 奉納したのだそうです
 実際の馬の代わりに 絵にかいた馬が奉納され これが「絵馬」の初めだそうです

 狛犬さんの台座に 石工 作兵衛
          文政二年(1819)正月吉日 と刻まれていました 

 境内にあった「神足跡(亀石)」
 石板によりますと
 
その昔(年代不詳)豪雨あり洪水となり 一帯に被害をもたらし始む
 住民挙って平穏を天に祈る
 その時 御神像を負える亀 川上より流れ来り 池の面に浮かび
 御神像彩光を放ち 池中の岩面に立ち給う
 怱ち豪雨止み 洪水治まり 無事平穏を保つ
 住民その神威に敬威し 御神殿を建立 御神像を納め 長く尊崇す
 立ち給いし時の 御足跡と伝えられし岩 即ち之なり
 一名 亀休石とも言う

火曜日, 7月 29, 2008

狛犬さん 531

2008.05.23 兵庫県洲本市上物部 伊勢神社
 すごい眉毛でしょう
 まるで廂のように 張り出していますし 眼は思いっきり開いてますね
 しかしデザインは かなりシンプルです
 外に居た狛犬さんより 年代が古いのではと思います

 境内の片隅に 置かれていました
 吽形の狛犬さんの 頭部だけです

月曜日, 7月 28, 2008

狛犬さん 530

2008.05.23 兵庫県洲本市上物部 伊勢神社
 ちょっと気になるお宮さんです
 住所の「物部」は やはり「物部氏」と関係があるのでしょうか
 伊勢ならば 「伊勢神宮」のはずが 何故「神社」なのでしょうか
 鳥居は 素木鳥居か伊勢鳥居ではないかと思いますが
  靖国鳥居なんですよね

 狛犬さん 阿形も吽形も どちらも 愛想よく笑ってますよね

日曜日, 7月 27, 2008

狛犬さん 529

2008.05.23 兵庫県洲本市山手 厳島神社内荒神社
 台座には 昭和六十年八月吉日と刻まれています

土曜日, 7月 26, 2008

狛犬さん 528

2008.05.23 兵庫県洲本市山手 厳島神社(淡路島弁財天)
 説明板によりますと
 
厳島神社
   御祭神 市杵島姫命(通称淡路島弁財天)
   交通安全・家業繁栄・安産・学芸成就
  に御新徳高く 秋の例大祭な島内最大の祭
   境内には 阿波藩家老稲田家の守護神 稲本神社や
   庚午事変を題材とした小説「お登勢」の碑等がある
   社殿の裏手は 足利将軍義稙の亡命旧居「黒木御殿跡」と言われている

 

金曜日, 7月 25, 2008

狛犬さん 527

2008.05.23 兵庫県洲本市海岸通 洲本明神社
 随身門のある立派なお宮さんです
 説明板に
  
洲本明神社
   この近くに生まれた 明治の文豪岩野泡鳴が「うぶすなの神」として
   親しんだ社で 天明の百姓一揆「縄騒動」にまつわる商人吉見平六の
   寄進した石燈ろうが境内裏に残っている

 「縄騒動」 気になったので 調べてみました
 
 商人の吉見平六が役人の坂東米蔵・高田富次郎と結託し
 年貢・運上を増やすため 木綿会所・縄会所等を作りました
 縄会所と言うのは 村人にある一定の縄を作らせ 納入させるための役所です
 納入された縄には いろいろ文句をつけます
 挙句の果てに 会所に集まって 縄を作るように命令を出したりしました
 結局 出来ないからとして お金で納めて欲しい
   それが 狙いなのです
 でも お金を出さずに 条件通りの縄を 会所に集まって命令どおりに作る
 そこで 役人たちは 縄の灰が必要だと言い出します
  しかも 縄の形を完全に保っていなければならない
 困ってしまった村人は お金を納めることにしました

 しかし 淡路国三原郡宮村の「宮村才蔵」が悪政は許せないと
 各村々に檄を飛ばし 天明2年5月 村の八幡宮で早鐘を鳴らし
 洲本の城下まで 押し出そうとしました
 最初は数百人だったのが 数千人にまで増えていったそうです
 
 桑間川まで来たとき 城から役人が駆けつけ 村人の要望を聞き届け
 吉見平六・坂東米蔵・高田富次郎は処罰され 会所等は廃止されたそうです

 しかし 強訴は理由はともかく 違法とされているので
 首謀者である広田村の宮村才蔵と山添村の清左衛門は 処刑されました
  役人が 逮捕しに来たとき 才蔵の奥さんは 争おうとした夫を押しとどめ
 静かに最後の食事をし 潔く縄を受けさしたそうです
 
 南あわじ市広田にある 広林山大宮寺の裏山に「天明志士記念碑」が
  立っているそうです

 阿形の狛犬さんの頭には 光って見えませんが小さな角が
   吽形の頭には 宝珠がついています

木曜日, 7月 24, 2008

狛犬さん 526

2008.05.23 兵庫県洲本市海岸通 事代主神社・金毘羅大神
 金毘羅大神は 大国主命で 事代主尊は その子供になります
 大国主命が 出雲を治めていましたが 高天原に居た神々(天津神)が
 「葦原中国を統治するのは 天照大神の子孫の天津神だ」とし
 大国主命は 大きな宮を建造してもらい そこに籠もり出てこないことを
  誓ったそうです
 息子の事代主尊は 釣りをしている所に 天津神が現れ 国譲りを迫られ
 譲ることを承知して 海に沈み亡くなったそうです

 国譲りの話もとても興味深いのですが 長すぎるので割愛します

 事代主・大国主 共に航海・漁業の神様として尊崇されています

 狛犬さんは新しいものですが 怖い顔をしていますね 

水曜日, 7月 23, 2008

狛犬さん 525

2008.05.23 兵庫県洲本市宇原 香椎宮
 本殿の前に居た 狛犬さんです
 前回の 階段の上に居た狛犬さんより 古いんです
 台座に 天保酉未十  八月吉日 と刻まれていましたが
  すぐ上に 昭和三十四年九月十八日再建 と刻まれていました
 しかし 天保年間で“丁酉”は天保八年(1837) “乙未”は天保六年(1835)
   天保十年(1839)は 己亥になります
 どこかで 読み間違ったようです

火曜日, 7月 22, 2008

狛犬さん 524

2008.05.23 兵庫県洲本市宇原 香椎宮
 香椎宮は 福岡県福岡市にあるようです
 御祭神は 仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・住吉大神
  応神天皇は 仲哀天皇と神功皇后の子供で 八幡神社に祭られています
  住吉大神は 大阪にある住吉大社の神様です
 
 このお宮さんも 福岡の香椎宮を分祀したものでしょうか
 境内に由緒書等が 無かったのでよく分かりませんが 勝手に推測しました
 香椎宮は 香椎神社では 無いそうですよ

 狛犬さんの台座には 昭和三十四年(1959)四月十日建立
           石工 原田勝一   と刻まれていました  

月曜日, 7月 21, 2008

狛犬さん 523

2008.05.17 奈良県大和郡山市柳 郡山八幡神社
 入口にあった看板によりますと
  
聖武天皇の勅命により 東大寺大仏の鋳造が完成した
   天平勝宝元年(七四九年)に 東大寺大仏の守護神として
   宇佐八幡宮を勧請されることになりました
   その宇佐八幡宮を平群郡に迎え 京(平城京)入りの前日に
   和州薬師寺門前の休ヶ丘で一泊されました
   その時 この地の豪族中尾氏が勧請し 柳八幡大菩薩と斉祀し
   小高い丘(大阪口西の小高き丘)の老木の根元にお祀りし
   この地を“柳”と命名されたのが 当宮です
   天正十三年(一五八五年)大和大納言秀長(豊臣秀長)が
   郡山城を築城の際 現在の地に遷宮申し上げ
   大和郡山市の氏神として 人々から信仰を受け 崇拝されてまいりました

 御祭神は 誉田別命(応神天皇)・比売大神(宗像三女神)
      息長足媛命(応神天皇の母・神功皇后) のようです

 狛犬さんの台座には 天明六丙午歳(1786)十二月吉日建之
 阿形の足に 縄がぐるぐる巻きに巻かれていますね

 ぐるぐる巻かれているのは 靴
 悪くした足が 良くなりますようにとの 祈りでしょうか
 それとも 家出した人の 足止めでしょうか

日曜日, 7月 20, 2008

狛犬さん 522

2008.05.17 奈良県大和郡山市野垣内 野垣内春日若宮神社
 創立・由緒等は わからないようです
 御祭神は 天押雲命
 この神様は天児屋根神の子供に当たります
   それで 若宮と付くのですね
 天児屋根神は 天照大神が天の岩戸に隠れたとき
  岩戸の前で 天照大神を褒め称える祝詞を唱え 天照大神の心を晴らしたそうです
 天児屋根神・天押雲命は 中臣氏(藤原氏)の祖神ですね
   
 吽形の頭は 角と言うほどではありませんが 盛り上がっています
 角か宝珠が 磨滅したのかもしれません

 手洗用の水が本来は言っているはずですが 空ですね
 でも何故 縁の部分に 穴が開いているのでしょう

土曜日, 7月 19, 2008

狛犬さん 521

2008.05.17 奈良県大和郡山市植槻町 植槻八幡神社
 本殿の中に居た狛犬さんです
 角度が悪く しかも影になっているので 写ってませんね
 肉眼では よく見えたし 素敵な狛犬さんたちだったんですが

 本殿の前に 種子島と的が 奉納されていました
 左上の白いのが打ち抜かれた的のようです

金曜日, 7月 18, 2008

狛犬さん 520

2008.05.17 奈良県大和郡山市植槻町 植槻八幡神社
 境内に植槻坐魚名神社(金魚神社)があったそうなのですが
  あったような気がしますが どうも見落としたようです
 大和郡山市と言えば金魚
  8月24日に全国金魚すくい選手権大会が開催されます  

 本殿の前に居た狛犬さんです
 台座に 天保六乙未年(1835)九月 と刻まれていました
 吽形の頭には 小さな角が見えています

木曜日, 7月 17, 2008

狛犬さん 519

2008.05.17 奈良県大和郡山市植槻町 植槻八幡神社
 御祭神 誉田別命(応神天皇)です
 創建ははっきりしないようです
 このお宮さんは 平城京の坤(ひつじさる 南西)の 裏鬼門に当たるため
  此の地に建立したという説もあるようです

 狛犬さんの台座には 昭和七年(1932)一月吉日 と刻まれていました

水曜日, 7月 16, 2008

狛犬さん 518

2008.05.17 奈良県大和郡山市材木町 薬園八幡神社
 薬園八幡宮御傳記によりますと
 
御祭神 八幡大神・比咩神
 沿革 當社は 天平十二年(740) 聖武天皇 奈良の大佛鋳造を思い立たせ給いし時
    豊前の宇佐八幡大神が 擁護の神勅を降し給いしに起因する事は
    続日本記に詳なり
    即ち天平勝宝元年(749)十二月十八日の御入京にして 
    宮南 梨原なる薬園の現地に鎮座し給うを創とす
    薬園は 文武天皇の大宝元年(701)の創設なり
    此地 孝謙天皇 天平勝宝元年十二月南薬園新宮に於て
    大甞会を行い 亦翌二年(750)正月 群臣に饗を給いし所なり
    境域は往古東古川筋より 西域二の丸を限り 南本庄より 北小川町に至る
    その後 天正十三年(1585)郡山築城の際 薬園村を収めて 城下の市街となり
    今の氏子区域是なり
    社殿 御神殿は桃山時代の建造物にして 
       昭和二十八年(1953)三月二十三日文化財に指定される

 宇佐八幡宮の御祭神は 宇佐地方に居た大神氏の氏神であり
  農耕又は海の神されるが 鍛冶の神ではないかと言う説もあるそうです
 がしかし 欽明天皇32年(571)に 誉田天皇広幡八幡麿と称して
 八幡神が表れたとし この神が応神天皇であるとされている
 そこから 八幡神社の御祭神は 応神天皇(誉田別尊)となったようです

 吽形の狛犬さんには 男性のシンボルがついています
 阿形に何か彫りこまれているように見えますが 女性のシンボルでしょうか
 台座には 天明元年(1781) 十一月吉辰 と刻まれていました
  干支の部分が 己と読めるのですが 天明元年は 辛丑 
     乙己でしたら 天明五年(1785)になります 

 境内に片隅に こんな鋳物製の古い灯篭がありました
 鋳物師 松尾九右衛(門?) 藤原廷次 と書かれていました
  かなり錆びて 壊れかけていますが 見事な灯篭です

火曜日, 7月 15, 2008

狛犬さん 517

2008.05.17 奈良県大和郡山市高田町 高田大神社
 由緒が分からない神社です
 灯篭に 天保十一年(1840)と刻まれていました
 大神社が 大神神社の事なら 御祭神は大物主大神・大己貴神・少彦名神
  奈良県桜井市に 大神神社(おおみわじんじゃ)があります

 本殿の扁額に「壷朙神」と書かれています
  「朙」は「明」なのでしょうか
      メイとよむそうです
 狛犬さんの製作年代はわかりませんでした
 愛嬌のある可愛い狛犬さんたちです

 灯篭の火を入れるところ 何て言うんでしょうね
 そこに彫りこまれていた 狛犬さんです

月曜日, 7月 14, 2008

狛犬さん 516

2008.05.17 奈良県大和郡山市郡山町 柳澤神社
 由緒書によりますと
 
御祭神 柳澤美濃守吉保公
   創建 明治一三年(1880)
    五代将軍綱吉公の幕臣となり 元禄元年(1688)一万石を与えられ側用人となる
   英俊敏捷にして 学を好み 将軍綱吉公の意をよくとらえ
   元禄七年(1694)には 武蔵国川越城主で老中格となる
    宝永元年 甲府城主となり 表高一五万石を与えられる
    民の疾苦を問い 強く仁政を施し 名士も多く
   細井廣澤・荻生徂徠は もっともよく知られるところである
   「御子柳澤吉里公が 甲府より郡山に国替えとなり 柳澤藩が
   一五万一千石余の大名として 六代一四〇年 明治維新まで続いた」
    宝永六年(1709)綱吉公の死後 東京駒込(六義園)に移り隠退
   正徳四年(1714)一一月二日没す 享年五七歳

 五代将軍綱吉が 舘林城主だった時に仕えていて 
         将軍になった時幕臣となったのですね
 その時父親の柳澤安忠は 五三〇石取りの勘定頭だったそうです
 綱吉に寵愛され 将軍の姓である「松平」を名乗ることを許された上に
 将軍の名前を一字もらい 保明を吉保と改めました 
 吉保公の墓は 甲府永慶寺にあるそうです

 ライオンのようなタテガミを持った狛犬さんは
    大正十一年(1922)末 の年号が入っていました

日曜日, 7月 13, 2008

狛犬さん 515

2008.05.17 奈良県大和郡山市観音寺町 八幡神社
 八幡神社ですから 御祭神は菅原道真公でしょうね

 狛犬さんのデザインは かなりシンプルですね
 台座に 文政二年(1819)四月 と刻まれていました

土曜日, 7月 12, 2008

狛犬さん 514

2008.05.17 奈良県大和郡山市 鎌足神社
 由緒書によりますと
  
大織冠鎌足神社
   祭神 大織冠内大臣 藤原鎌足公
    天正十三年(一五八五)九月大和大納言豊臣秀長公が
   郡山城に入場後 多武峯談山神社の藤綿鎌足公の御神霊を
   郡山城西北の地の仮殿に遷座して
   社領五百石を 寄進された
    天正十五年(1587)十一月本殿が竣工し
   後陽成天皇の綸旨により 翌十六年四月遷座祭が執行されて
   大織冠宮と呼び 城の守護神としてまつられ 付近一帯の地を大織冠と称した
   天正十八年十二月御神霊は 多武峯に帰山されたので
   鎌足公の御分霊を奉斎したのが 大織冠鎌足神社である
    創建当時は 東の丘陵地にあったのを 
   郡山城主柳澤甲斐守保光が 寛政元年(一七八九)現在の地に
   移転改築されたのが いまの大織冠鎌足神社で
   霊験あらたかな神として 崇拝護持されている
    参道入口の石の鳥居には 聖護院寄付 寛政元年己酉九月吉日と記され
   皇室の崇敬のあった神社である
   現在も付近は大織冠と呼ばれている

 神社には 藤原氏の紋である 上り藤がついていました 

 狛犬さん なかなか個性的ですよね
 吽形の足には 願かけでしょうか 紐がまかれています

 お宮さんの中にも 狛犬さんがいましたが 上手く写せませんでした

金曜日, 7月 11, 2008

狛犬さん 513

2008.05.17 奈良県大和郡山市車町 稲荷神社
 赤い鳥居があり 灯篭には宝珠がデザインされているところから
  このお宮さんは 稲荷神社ではないかと思います
 神社の名前も 御祭神も不明です
 すぐ傍に 源九郎稲荷神社があります
  それもあって 稲荷神社ではないかと思ったのです

 狛犬さんの製作年代も判りませんでした

木曜日, 7月 10, 2008

狛犬さん 512

2008.05.04 神戸市西区平野町繁田 繁田神社
 御祭神は 大己貴命・素戔嗚尊・顕宗天皇・仁賢天皇 だそうです
 このお宮さんは 正応五年(1292)十一月二十八日 
  平野町堅田にある堅田神社から 勧請奉祀したものだそうです
 昔は道路事情も悪く それぞれの地区で奉祀するようになったそうです

 素盞鳴尊が祀られているのは 京都の祇園さんと同じです
 7月15日の祇園祭には 厄病除けのお祭りを行うそうです
 
 狛犬さんの吽形の頭には 小さな角があります
 台座には文政五年(1822)壬午五月吉日 と刻まれていました

 お宮さんの中にも狛犬さんがいましたが 上手く撮れていません
 こちらのサイトにきれいな写真が写っています

水曜日, 7月 09, 2008

狛犬さん 511

2008.05.04 神戸市西区平野町黒田 堅田神社
 御祭神は 大己貴命(おおなむちのみこと)
      豐磐窗命(とよいわまどのみこと)
      櫛磐窗命(くしいわまどのみこと)だそうです
 豐磐窗命・櫛磐窗命に関しては よく分からないのですが
     随神門に居る神様のことだとか
  天岩戸に隠れた天照大神の世話をするために 一緒に岩戸に入った神様だそうです

 創建は明徳二年(1391)六月三日 平野町堅田にある堅田神社から勧請奉祀したそうです
 本殿は 檜皮葺き入母屋造で 延宝八年(1680)九月に再建されたそうです

 阿形の狛犬さん 笑っているように見えませんか
 狛犬さんの台座には 石〇 石丑〇 刻
   十五丙寅年三月とは読めたのですが 年号が分かりません
  丙寅の年は 西暦年を60で割って 6余る年が丙寅の年だそうです
 調べると 大正15年がそうです
 この年は12月25日から 昭和に変わった年です
 この狛犬さんの製作年代は 大正十五年(1926)丙寅三月が 正解のようです
 吽形の狛犬さんも笑っているように見えますね

火曜日, 7月 08, 2008

狛犬さん 510

2008.05.04 神戸市西区平野町大畑 大歳神社
 年神さん・お正月さんと呼ばれる神様が 祀られています
 穀物の神様ですね
 年の初めに その年の豊作を祈念するようになり お正月の重要な行事になったそうです
  お正月に飾る角松は 年神さんが来るための依代
  鏡餅は 年神さんへの供え物だったそうです

 また年神さんは 祖先霊として祀られているところもあるそうです 

 狛犬さんの台座には 昭和三十八年(1963)一月吉日 と刻まれていました

 境内にあった小さな祠に居た唐獅子さんです
 この祠には 何が祀ってあるのか わかりませんでした

月曜日, 7月 07, 2008

狛犬さん 509

2008.05.04 神戸市西区平野町常本 大将軍神社
 創建は寛永元年(一六二四)だそうです
 平成五年に建て替えられ、大将軍神社・大歳神社・天神様・若宮様が合祀されています
 「大将軍」とは 陰陽道で言う方位を司る八神の一つだそうです
 八神とは 大歳神(だいさいじん) : 歳星(木星)
      大将軍(だいしょうぐん): 太白星(金星)
      大陰神(だいおんじん) : 大歳神の妃、鎮星(土星)
      歳刑神(さいぎょうしん): 辰星(水星)
      歳破神(さいはしん)  : 大陰神とおなじ土星
      歳殺神(さいさつしん) : 大将軍と同じ金星
      黄幡神(おおばんしん) : 羅ごう星
      豹尾神(ひょうびしん) : 計都星(彗星)
 また 大将軍は素戔鳴尊と同一視されているそうです
 桓武天皇が平安遷都の時 王城守護を目的として 京の四隅に大将軍を祀ったそうです

 このお宮さんは 常本村?の守護のために建てられたものでしょうか
 後三か所 大将軍神社があるはずですね

 狛犬さんの台座に 平成五年六月吉日 と刻まれていました
 お宮さんを建て替えたときに 新しく作ったものですね

日曜日, 7月 06, 2008

狛犬さん 508

2008.05.04 神戸市西区平野町向井 鴉の巣神社
 お宮さんの名前はわかりません
 幼稚園の後ろにひっそりと建っていた 小さなお宮さんです
 境内にに生えている大きな楠木に 鴉の巣が 幾つかあったんです
 私が 狛犬さんの写真を撮っていると 親のカラスたちが 
  大きな声で 「あっちへ行け」と言いたげに 鳴いていました

 狛犬さんは製作年代もわかりませんでしたが 良い顔していますね

土曜日, 7月 05, 2008

狛犬さん 507

2008.05.04 神戸市西区平野町堅田 堅田神社
 創建は 天元二年(979)正月一五日だそうです
 ご祭神は大己貴命・猿田彦命・稲倉魂命・素戔嗚尊の四柱の神様
 道案内用の看板に 延喜式内社 弥山 弥賀多多神社・堅田神社と書かれていました
  二つのお宮さんの関係が もうひとつよく分かりませんが
 このお宮さんが 古いことは確かなようです
 手水舎に 天文六年(1537)酉正月吉日と刻まれていました
 
 狛犬さんは とっても可愛い本当の犬さんのようです
 製作年代などはわかりませんが 古そうです
  吽形の顔が壊れてしまっています

金曜日, 7月 04, 2008

狛犬さん 506

2008.05.04 神戸市西区平野町慶名 平野八幡神社
 御祭神は、
   誉田別尊   =15代 応神天皇
   玉依姫命
   気長足姫命  =14代 仲哀天皇の妻 神功皇后
   足仲彦尊   =14代 仲哀天皇
   大鷦鷯尊   =16代 仁徳天皇
 玉依姫命は固有名詞ではなくて 「タマヨリ」とは「霊依」「魂憑」であり
 神の依代としての巫女・神霊が憑いた乙女のことだそうです
 女性の子供を産む能力と言う要素が 強く反映しているそうです
 処女懐胎により神の子を宿したり 選らばれて 神の妻になったりする
  そう言う巫女的霊能力のある女性の 総称として「玉依姫命」と呼んでいる
 他に 山幸彦・海幸彦の話に出てくる 海神の娘の玉依姫命
    三輪の大物主神の妻の玉依姫命等がいるそうです
      この玉依姫命は 人間の女性だそうです
 日本各地に祭られている玉依姫命は 地域により信仰の由来が 違ったりするそうです

 このお宮さんは 白鳳四年(六五三)九月十五日に 八幡総本宮である
 宇佐八幡宮により勧請創建されたそうです
 全国に八幡宮が勧請されていますが 平野八幡宮は初期に勧請され 
  約一三〇〇年の歴史があるそうです
 
 狛犬さんの台座には 文化十二乙亥年(1815)十二月吉日と 刻まれていました
 このような 彩色された狛犬さんにあったのは 初めてです
  境内の灯篭も 白や緑に塗られていました
 吽形には 小さな角のようなふくらみがあります

木曜日, 7月 03, 2008

狛犬さん 505

2008.05.04 神戸市西区平野町宮前 春日神社
 境内に能舞台のある 立派なお宮さんでした

 狛犬さんの台座には
 文化甲子元年(1804)九月吉日と刻まれていました
 この年は 2月11日に 享和から文化に改元されました
 阿形の顎が 崩れていますが どちらも愛想の良い顔です

水曜日, 7月 02, 2008

狛犬さん 504

2008.05.04 神戸市西区玉津町田中 八柱神社
 由緒書も何もなく お宮さんの名前だけしか分かりません
 八柱の神様を祭っていることだけは 間違いないですね

 素戔鳴命 又は牛頭天王の八人の子供を祀っているお宮さん
 素戔鳴命と牛頭天王は 同一視されることがあるようですが
 牛頭天王は 本来インドの神様で 後に仏教に取り入れられた神様
 京都の祇園祭は この牛頭天王に 疫病退散を祈るお祭りですね

 神仏混淆したため 古来からの日本の神様に 仏教の仏様がミックスされ
  複雑怪奇な様相を呈しているようです

 狛犬さんは 最近の新しいものです